3話~運命の出会い~
銀子の部屋は、高校生の女の子らしからぬ彩りや装飾に欠ける空間だった。
六帖一間にある家具は、箪笥と本棚と小さな木造りの机、それから下着や小物が入っている立派な鏡台があった。姿見としては背の低い鏡台だが、備え付けの棚台を含め高価な代物である。十年くらい前に祖父が銀子へ買ってくれたのだ。
テレビはなくベッドもない。枕は布団をしまった後でクッションに代わり、カバーだけを片付けるようにしている。けれど今は真ん中に布団を敷いたまま枕もそのままで、銀子はふたりの少女と向き合っていた。
「まずあなたたちが誰なのか教えて――というか言葉は通じる?」
「もちろんでございます。昨夜は寝所を無断で拝借してしまい申し訳ございません」
「勝手に布団に潜り込んでごめんね~」
神妙な面持ちで頭を下げる銀髪の少女に対して、軽くあやまる黒い長髪の少女。
しかしこの場合、銀髪の子の反応が正しいのかどうかさえ分からなくて、銀子は頭が痛くなった。とりあえず言葉は通じるだけマシだと考えよう。
「あなたたちの名前は何て言うの?」
「まぁ。そういえば名乗っておりませんでした。大変失礼を……」
「そりゃ私もまだ名乗ってなかったけど――」
気にしないで、とはつけ加えない。なぜなら布団の中に潜り込んだことをもっと気にして欲しかった。黒髪の子の奔放な発言には、さしあたって反応しない銀子である。
「私は銀将と申します」
「……ギン=ショウさん」
「ボクは醉象。呼び方も醉象でいいよ」
「スイ=ゾウ」
「そのような西欧の発音ではなく銀将でございます。将棋はご存知ですか?」
「銀将、この子はちゃんと分かってると思うよ。そこに将棋盤がある」
「まぁ。あなたさまも将棋を嗜んでおいでですか?」
「…………」
西欧じゃなくて英語でいいんじゃないのかなと素朴な疑問を挟む暇もない。とうとう将棋の白昼夢を見始めてしまったのかと、銀子は自分が少し怖くなった。
「お顔色が優れない様子です。大丈夫ですか?」
「……銀将って将棋の駒の? 斜め前と斜め後ろ、それから前に進める銀将?」
銀髪の子の憂慮を頭から無視して聞き返すと、彼女は礼儀正しくうなずいた。
「はい。その通りでございます」
「…………」
見目麗しい同じ歳くらいの少女を前にして、銀子は大好きだった祖父をいよいよ恨めしく思った。この白昼夢が、銀子という名前を付けたおじいちゃんのせいだったらどうしよう。下の名前って変えられたっけと考えを巡らせる。
すると今度はスイゾウと名乗る、黒髪の中性的な少女が話しかけてきた。
「それで、きみの名前は何ていうの?」
「……倉敷」
「倉敷?」
「お名前はなんと仰るのでしょうか」
ふたりに詰め寄られ、答えなきゃダメだよねと半分は諦めに近い心境になってゆく。
鬢の毛先にだけパーマがかかったような美しい銀色の髪。黒髪の少女の問いに合わせて、わずかに銀髪を揺らし身を乗り出した少女の瞳の端は吊っていた。けれど厳しい目尻にも関わらず、彼女の表情は朗らかである。銀将と名乗ったときも、さながら懐いてしかたない子犬のように破顔した。
隠したところですぐに分かることなのだ。銀子は自分の名前を口にする。
「倉敷銀子。この倉敷神社で神主を務めてるのがお父さん」
「まぁ! なんと奇しき縁で結ばれているのでしょう。あなたさまも銀という名前でいらっしゃるのですね」
「そっちかよっ」
ついつい突っ込んでしまう銀子だった。思ったよりもはしゃいでいる銀髪の少女を見て、銀子は名乗ってしまったことを後悔した。
しかも、今どき奇しき縁なんていう表現はどうなんだろう。
「これからよろしくね、銀子」
黒く美しい長髪の少女に至っては、そんなことを言い出した。銀髪の子に比べて、瞳は穏やかで柔らかい眼差しをしている。図々しい物言いがなければ可憐で愛々(あいあい)しく感じたかもしれないが、その前に銀子は突っ込みたかった。
よろしくって何だ。
「うふふ。倉敷銀子さま……。爺さまを思い出すような懐かしゅうお名前にございます」
さりとて爺さまって誰だよとたずねることはしない。これ以上ややこしくしゃべり続けても埒があかなかった。したがって銀子は、すぐに察していた急所を突いたのである。
「あの。歩実姉さんの友達ですか。姉さんは東京に住んでるからいませんよ」
「アユミ姉さん? 銀子はお姉さんがいるんだね」
「姉上殿とは別々に暮らしているのですか?」
「…………」
だめだ。強敵かもしれない。これが次女から教わった電波っていう人たちなのだろうか。
そもそも出で立ちからしてまともには見えなかった。銀髪の子は白い軍服のような衣装を着て、腰には剣まで差していた。日本刀ではなくて戦争映画に出てくるような軍刀だ。
白い式服は学生服のような作りになっている。下もスカートではなくクラシックスタイルのズボンだった。ミリタリールックになるのかもしれないが、銀子が想像するような迷彩服のハードさではない。腕章も見あたらないし、映画で見るような豪奢な雰囲気は感じられなかった。ただし腰に差している軍刀はまさに千鈞といった冷厳さがあり、剣道少女の銀子をして、おっかなくてしかたなくなる代物だった。
服から中身へ目を移すと、髪は光沢のある白髪である。それが銀色に見えるのだ。絹糸のような優雅さ。前髪はストレートだが、サイドの毛先には軽くウェーブが掛かっていた。あたかも衣服に合わせたようなショートヘアである。後ろ髪で言えば、セミロングの銀子に比べて銀将の方が短かった。
それから最初から感じていたことだが、言葉づかいや表情に比べてアンバランスなほど目つきがきつかった。吊った目尻と剣のある瞳そのものが、鞘に収められているようである。大きな瞳も愛くるしいというより、見た目だけならば畏怖すら覚えていてもおかしくない圧迫感だった。美人は安くないと言うが、ここまで高価である必要があるのだろうか。それが話してみると妙に甲斐甲斐しくいじらしい雰囲気なのだから、どういう女の子なのか銀子はさっぱり分からない。ふたりの少女は自分と同じくらいの歳に思えたが、高校生とは思えぬほど存在感が際立っている。
片や長い黒髪の女の子にしても、姉のコスプレを見慣れていた銀子でさえ、目を見張るようなリアリティがあった。端的に言えば武士の服装でこっちはまさしく日本刀を腰に下げ、おまけに脇差しまで差していた。ただしありがちな武士の平服ではない。時代劇では見かけることが少ない、和装と洋装を組み合わせたような衣装である。
笠に頭巾がついたような被りを背中に掛けて髪型は総髪だった。現代風に言い表すと後ろ髪をひとつに結わいたポニーテイルというスタイルと言えるのかもしれないが、服装が古風過ぎるので総髪と呼ぶ方が相応しく感じた。陣羽織の下は洋風のズボン。足下は臑当てを備えた足袋を穿いていた。
そして、銀髪の子と比べれば柔和な眼差しと茶目っ気のある表情をしている。甚だ長く腰まであろうかという黒髪が、窓から薄く差し込んでくる朝日のせいでますます黒くみずみずしく映る。白皙とは対照的な髪は、濡れたようにしたたってまっすぐ伸びており、細い眉の下にある瞳は、さながら年来の心安い友人のように気さくだった。笑いかけられたら誰か知らずとも、つい笑い返したくなる趣である。
知識がない銀子には、これらが何のコスプレなのかまったく分からなかった。ふたりしてまったく違うコンセプトの衣装といい、これが次女の歩実が言っていたコスプレオフ会なのだろうかと銀子は溜め息をついた。
しかし、さらなるふたりの反応は銀子の予想だにしないものだった。
「喚び起こされたからには、この銀将。身も心も――身命のすべてを銀子さまに捧げ、命燃え尽きるそのときまで仕えることを誓います」
銀将が跪いて、そんなことを言い出したのだ。
これにはさすがの銀子も堪忍袋の緒が切れそうになった。
「ちょ、ちょっと待って。歳は同じくらいに見えるから、はっきり言わせてもらうけど、ふざけてるとマジで警察を呼ぶよ。早朝から悪戯するのもいい加減にして」
「巫山戯てなどおりません。私たちは将棋盤に宿り、その持ち主に仕える従者なのです」
銀将と名乗った少女は、銀子の言葉を躱したり逸らしたりすることなく真っ向から言ってのけた。言葉の意味は理解できない銀子だったが、警察を呼ぶと言われてもまったく動じない態度に気圧される。
「……はぁ。脅しみたいにしゃべったのは悪かったけど、正直にちゃんと話してよ。歩実姉さんの知り合いじゃないの? 本当に?」
「はい。私は銀子さまの姉上を存じ上げません。醉象さまも同じでしょう」
「うん。ボクもこの時代に知り合いはいない。銀将と同じだよ」
「私と醉象さまは現世に舞い戻った、銀子さまの駒なのです」
銀子が絶句してしまう。一体どんな反応をするのが正解だと言うのか。混乱する頭の中を落ち着けようと状況を整理する。まずは今の形勢を正確に判断することこそ大切だった。
何も答えずに立ち上がった銀子は、寝間着を脱ぎ下着をつけてブラウスへ着替え、まだ慣れない制服の袖へ腕を出しながら昨夜のことを想起した。
昨日の夕食の後、父親から祖父の遺品として将棋盤を受け取った。それは本将棋ではなく小将棋で使う盤と駒だった。小将棋――朝倉将棋のルールはよく知らなかったが、醉象という駒が入っていたので判断はできる。
銀子は三年振りに駒と盤を触り棋譜を並べた。駒とは別の袱紗に入っていた棋譜には、初手からしっかりと対局が記録されていた。誰と誰の棋譜なのかは不明であり、途中まで並べてから部屋の隅に放置したのだ。
まさか本当にたったそれだけで、物の怪や幽霊が出現したとは銀子も思っていない。銀将と醉象というふたりの女の子は、おそらく次女の怪しげな知人なのだろう。
「おや。それは平時の衣装なのかな。妙に可愛らしいね」
「醉象さま。これは制服と呼ばれる装束でございます。銀子さま。よくお似合いでございますよ」
やいのやいのと声をかけてくるふたりを無視して、銀子が薄水色のリボンを付ける。
本人たちが否定している内の押し問答は時間の無駄だ。構うからつけ上がる。相手をするから居座るのだ。適当に話を合わせてこの場をやり過ごそうと銀子は判断した。
「……分かった。それじゃあなたたちが、ここにある朝倉将棋の盤と駒の霊みたいなものだったとして、どうして姿を現したの? あれはもともと私の持ち物じゃない。ということは前の持ち主だったおじいちゃんへ、とり憑いてたってことになるけど」
屁理屈には理屈である。どこまで姉と話を合わせてるのか分からないが、祖父についてまで詳しく聞いているかは怪しい。祖父のことを知っているかどうかたずねていけば、どこかでボロが出てくるはずだ。
だがふたりの反応は、そこでも銀子の予想しないものだった。
「いいえ、違います。私は銀子さまよりひとつ前の持ち主を存じ上げません。醉象さまはどうでしょう」
「ボクも知らない。ボクが前に仕えてたのは慶応四年の頃だった。時間はあれからかなり経ってるみたいだ」
「そうですか。私の方が近い過去に舞い戻っていたのですね。私が銀子さまの前に仕えたのは、この世界を席巻した大戦の折りでございます」
「へぇ。大きな戦いだったんだね」
「はい。それは昭和という時代でしたが。残念ながら未だ本懐を遂げるには叶わず」
「ボクも銀将と同じだよ。いやボクらだけじゃなくて他の仲間も含めて、爺の願いはまだ叶ってないんじゃないかな」
「爺さま……」
銀の少女のつぶやきと共に、しぃんと静まり返る銀子の部屋だった。
「待った待った! 昔話はいいけど、私の部屋で勝手に盛り上がらないで」
「ああ! すみません。銀子さまの前で耽ってしまいました」
「ふふ。もしかして前の主人が気になる性分なのかな」
銀髪の子に比べて、悪びれない様子の醉象が悪戯っぽく口にする。
「……頭いたい」
眩暈がしそうだ。眉間をおさえて銀子が頭をふる。どうしたらいいのだろう。そろそろ登校の支度がある。いつまでも振り回されてるわけにはいかない。強引でも打ち切らなければ。
銀子は覚悟を決めて、ふたりへ言った。
「あの。このままだと学校に遅刻するし、他にも色々やらなくちゃいけないことがあるから、もういいかな」
「はい! 申し訳ございません。お手を煩わせてしまいました」
「いいのかよっ」
本気で申し訳なさそうな様子の銀将。てっきり何だかんだ喰い下がると思いきや、まったく調子が狂ってしまうと銀子は苛ついていた。
「忙しそうな時代だね。寝るところは気持ち良かったけど」
勝手に布団へ潜り込んできている時点で、もっとヒステリックに反応しても良い気がしたが、そういうのは自分の性に合わない。銀子自身も気にしないでおこうと思った。
目の前で起きている問題の急所は、そこではないのだから。
「それで銀子さま。私たちはこちらで待機していれば良いのでしょうか」
「……え」
まさか、このまま居座る気なのだろうか。
「この時代のことをもっと知っておきたいな。なにより有事の時に困るから、情報は集めておきたいんだけど。銀子がいない間は自由時間でいい?」
「……好きにして。もっとも貴重なものはこの部屋にないし、帰ってきて何か無くなってたら、真っ先に警察を呼ぶから」
「分かりました。銀子さまの帰りをお待ちしています」
「盗人が侵入しないよう、銀子が居ない間はボクたちが見張ろう。怪しい人間には容赦しないよ」
「鏡を見ろっ」
鋭さを増す銀子のツッコミ。胸の内で毒づくだけでは足りなかったのか、言葉が口からするするっと出てきてしまう。いい加減にして銀子は部屋を後にした。自分では対処できない。朝食の支度をしている父に言付けて、学校へ向かったのだった。