27話~おじいちゃんたちの遺言~
さて。彼女の思惑と仕掛けは、銀将たちへこれでもかというほど効いたようである。
湯上がりばかりの銀将は言葉を失い、銀子の部屋で体を震わせていた。
「こ、これは……将棋盤ではっ!?」
「そうだよ。さっきふたりが夕ご飯を作ってるときにね、昔からお世話になってるところへ買いに行ってたんだ」
「……こ、この時代の貨幣価値を熟知してるわけじゃないから差し出がましい言い方かもしれないけど、高価なものなんじゃないのかいっ」
普段は冷静な醉象ですら、驚愕した様子を隠そうとはせず、パジャマ姿でしげしげと見つめていた。
「そんなことないよ。値段のことは気にしないでいいから。私も思い出したくない」
「し、しかし、湯殿でも申し上げましたが、敗戦した将への報奨など身にあまる光栄で――」
「だから、そういうことも気にしないの。それよりもほら。早く開けてみてよ」
「は、はい」
駒が入った箱には袱紗も付いていた。駒を持ち運ぶときのものである。そして、将棋盤には足がついていた。セットで締めて三万七千円である。
銀子が店をおとずれると顔なじみでもあった年配の店主は驚いていた。銀之亮とは将棋指しの友人という間柄。しかし友人が亡くなってからというもの、彼の孫はまったく将棋を指さなくなってしまったのだという。よく祖父に連れられて駒に塗る油などを買いにきていたが、ここ数年はまったく姿を見せなくなっていた。
それなのに突然、走ってやってきた彼女は息を切らせながら店主へ言ったのだ。
「はぁ……はぁ、はぁ。お、おじさん、久しぶり。あのね、盤と駒が欲しいの」
言われるがまま、彼は店にある品の中でも安価なものを見せた。ただし銀子にとっては、どれも大金を費やす高価な品物である。
「だ、大丈夫かな、お金は足りるのかい」
「うん。大丈夫だよ。なるべく良いのを買ってあげたいから」
「買ってあげる?」
「本気で指すって決めたのなら、良い物の方がいいって、おじいちゃんも言うはずだもん」
それは本当に久しぶりに見た少女の笑顔だった。だから店主もそれ以上は何も聞かず、代わりに閉店時間が過ぎても丁寧に包んでやり、ついでに手入れ用の椿油をつけてやった。
「それじゃ銀子ちゃん。これ」
「はい! ありがとう、おじさん」
「落っことさないように気をつけるんだよ」
「うん!」
背の低い彼女には不釣り合いする盤を大きなリュックに入れて、少女はてくてくと早歩きで帰った。その後ろ姿は、頭の片隅で心配していた店主の憂慮を吹き飛ばしてくれるような、未来とか将来とか、そういう言葉が思い浮かぶ、心強くて小さな背中だった。
帰り道の途中、銀子がひとりつぶやく。
「財布の中、空っぽになっちゃった」
小銭を貯めていた金魚鉢の貯金箱は、あのとき壊してしまった。正真正銘、お年玉の残りが費えてしまったことになる。
「あのワンピースはやめたって、香織に教えてあげなきゃ」
新しくできた清潔でお洒落な駅ビル。開店日の初日に香織とおとずれたとき、ブランドショップでレースの入った白いワンピースを見つけた。超可愛くて気になったけど、値段とそれからあんなベタベタなのを着る恥ずかしさから、ひとまず保留にしていたのだ。香織もまた同じような心境だったらしく、かぶっちゃうねと言いながら気になっている様子であった。
「……ふたりとも喜んでくれるかな」
三人いたら将棋盤はひとつじゃ足りない。ふたつあれば対局している間に、もうひとりは棋譜を並べたりすることができる。
背中で感じるずっしりとした重み。ふたりにとって前世からの果報になればいいなと思った。ずっと戦ってきて、せっかく平和な――自分たちの時代へかえってくることができたのだから。これくらいのご褒美はあってしかるべきなのだ。
そうしたら、銀将は比喩や脚色でもなく、大きな瞳にあぶれんばかりの涙を溜めながら抱きついてきた。
「あ、ありがとうございます! 銀子さまぁ……うぅ」
「そ、そっか。うん」
まさかここまで喜ぶとは思っていなかった。高い位置にある頭を撫でてやりながら助け船を求めるようにして醉象へ視線を寄せると、彼女もちょっとうるうるきちゃってるみたいだった。
「じ、爺が死んだ後で聞いたんだ。あの織田の暴れん坊は、土地や金や石高の代わりに、報奨として茶器を用いたって」
「えっ」
「……ぐすっ。ありがとう銀子。これは石高倍増にも等しい名誉だ。まだ何も成してはいないけど有り難く受け取ろう。そして、より強い忠誠をきみに誓う」
「酔象まで!?」
ひざまずいてから誓いをたててくる参謀だった。
銀子があたふたしていると、彼女へ抱きついたままの銀将がそっと言った。
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
「銀将……?」
「爺さまの遺言でございます」
それは現代の主君にとって、よく分からない言い回しだったけれど、言わんとする意味はなんとなく理解できた。なぜなら祖父がいつも口にしていた言葉と、さほど変わらない響きのする遺言だったから。
どんなに泥沼へ指しても、荒らしてもぎ取るような手筋でも。勝つことこそが棋士の棋士たる所以だぞ、銀子。
いくら苦杯を嘗めようが、千度負けようとも、千と一度勝つ棋士になりたい。
銀子はふたりの頭を撫でてやりながら、そう思った。
《おわり》
続きの投稿スケジュールは未定なので、ひとまず完結です。
ここまで読んで頂いてありがとうございました!




