22話~銀子、スカートの裾をあげる~
そして、迎えたのは土曜日の放課後。場所は校内でも唯一の和室である。
観戦者は前の戦いよりもずっと増えていた。それというのも再戦においては、将棋部の部員が、ほぼ全員とも集まっていたからだ。集まった理由はもちろん、部長と対等で指せるという噂の新入生を見るためだった。
けれど真っ先に驚きの声を上げたのは唯一の部外観戦者である香織だった。
「銀子!? あんた、そのスカートの丈って、もしかして」
「こうやって指すの久しぶりだな」
銀子のスカートの丈はいつもよりも短く、膝頭よりも、かなり上である。まだ入学したばかりなので、一年生は誰もがスカートを長いまま穿いている。稀に裾を巻いて上げている子もいるが、それはいわゆる高校生になってから強い押し出しを目論んでいるような子たちだった。
「懐かしいけど……。もしかして本気で指すつもり?」
「うん」
銀子が正座すると、彼女の白い膝は、隠れることはなく剥き出しになった。
「師範に怒られてたのに……直ってなかったんだね、その癖」
「将棋を指すスタイルは十人十色。おじいちゃんが言ってた言葉だもん」
最初に銀子がそのスタイルを見せたのは剣道場の休憩時間に対局をしたときだった。胴着を着たままで指していると、銀子がいきなり袴をずり上げたのだ。行儀悪の無作法に対して、祖父だけでなく六段剣士の叔父さんも銀子へ注意した。しかし銀子はその対局で、負け越していたはずの、十歳も上である高校生の男の子に対して、会心の勝利を上げたのだから、言いつけもなんとなく意味のないものになってしまった。
そのとき銀子が祖父へ言い放った言葉が「ひざ小僧がむずむずすると気が散って負ける気がする」である。十歳にも満たない女の子が、なんとも男勝りで可愛げがないと、祖父は半ば呆れつつ感心した様子でもあった。
それからというもの、将棋教室や大きな大会などはスカートではなく、銀子はパンツスタイルで挑むようになった。とはいえ小学生がスカートを穿かずにいられるわけもなく、ときにそういった場合がおとずれると、彼女はスカートの裾をおもいっきり上げてから対局へ臨んだ。
「でもそれって上げ過ぎじゃない。膝だけじゃなくて腿まで見えちゃいそうだけど。姿勢が崩れたらパンツ見えちゃうけど」
「そうかな。これでもまだ長い気がする」
「おい」
「とにかく男子はいないんだから、やりやすくして思いきり指す」
そんなふたりのやりとりは醉象や銀将の分からないものだった。良美は微笑ましくニコニコしながら、銀子と香織のやりとりを見守っている。気持ちの余裕は場数を踏んできたものであり、周りの将棋部員も、隣に座っている副部長の彌央も、心配はしていない様子であった。
将棋部は、運動部よりも文化系が幅を利かす学校の中で、とくに衆目を集めている団体だった。なぜならば部長である富竹良美たちが入部してからは、県内でも圧倒的な成績を残しており、全国でも強豪と目される集団なのだ。だがそれも不思議なことではない。良美は小学生の頃からプロ棋士である父の手ほどきを受けており、本来であれば奨励会の下部組織である研修会へ属していても、遜色のない実力を持っている。
席次は部長である良美が大将。副部長である眞柄彌央が副将。団体戦を行うに発端となった魚住夏江が三将であるのも変わりなかった。
対して銀子側の陣立ては、最初の戦いから変わっている。良美が対戦を切望していた銀子が大将であるのは変わっていないが、醉象が副将の位置に座り、銀将は三将として就いていた。ようやく正格な布陣といったところであろうか。棋力だけを見れば、大将は銀子ではなく醉象の方が相応しいのかもしれないが、醉象や銀将にとって大将とはそういうものではなかった。
週末の校舎に残っている生徒の数は少なく、部活動だけがにぎわっていた。昼下がりの校庭ではサッカー部が精力的に活動している。短い間隔の審判笛が窓の外から転がり込んできている。何らかの反復したトレーニングを実施しているようだった。
あべこべに将棋部の部室は息を飲んでしまうほど静かである。駒を指す音が小さく鳴り、ときおり駒を打つ音が唸った。畳張りの和室は、華道部と交代で使用しており、将棋部の普段は第二視聴覚室を使用している。NHKの中継を録画してプロの対局を見ながら研究することもあるのだ。けれども今日は将棋部が和室を使える土曜日だった。
長テーブルをどかし、畳の真ん中に足つきの将棋盤を三つ置き、対戦者の六人が向かい合って座っている。そもそも足つきの将棋盤の数は多くないのだが、今だけは三つの盤の他には何も置かれていなかった。全員が部長たちの対戦を見守っている。良美と彌央を含めて二年生と三年生が合わせて十四人。すでに入部届を提出した新入部員が夏江を含めて四人。それから銀子たちとクラスメイトの香織である。この時期は新入生の勧誘が目的なので、どの部活も騒々(そうぞう)しいものだが、和室の中だけは言い表せない緊張感に包まれ始めていた。
対局が始まったのである。
「あの一年生の子が、部長と互角なの? マジ?」
「信じらんない。部長と戦えるのは彌央先輩だけなのに、ただの一年生が……」
「なんかね、小学生の頃は有名だったんだって。良美と彌央は知ってたみたいよ」
「そうなんですか。先輩も知ってたんですか?」
「ううん。あたしは中学生になって将棋を始めたから」
対局中は対戦者の集中力を乱さぬように口をつぐむものだが、開始から十分も経つと遠巻きにしてささやく者が現れ始めた。それらのささやきを聞きながら香織は、まだ友達とは呼べなかった幼い銀子のことを思い出していた。あの頃の銀子を知っている人間はほとんどいない。あんなにも強かったのに。
アレはもう過去の出来事に過ぎないのだと改めて感じた。
片や将棋部員たちの中でも、良美の実力をよく知っている上級生は内心で舌を巻いていた。全国でも名前が知られているくらい強く、どうしてプロの女流棋士を目指さないのかとささやかれる部長と同じレベルであるならば、ここにいる誰もが銀子に敵わないだろう。
それほど隔絶した棋力の差があるのだから。




