14話~誰にも見えないドレスと、硝子の靴~
まもなくふたりが教室にやってくると中島順子がみんなへ紹介した。
改めて剣道部のコーチをお願いすると、銀将たちの反応は色好いものだった。
「いいよ。それくらいならいつでも見てあげる」
「はい。憚りながら、私の剣術がみなさまのお役に立てば幸甚の至りでございます」
案の定、二つ返事で了承した醉象と銀将のことを、銀子が恨めしく遠目から眺めている。クラスメイトに囲まれ、満更でもなさそうな様子は見ていて悪い気がしない光景だったが、おおっぴらな事態に発展してきたことへの気懸かりがずっと大きいのだ。
同じく一歩引いて見ている香織の様子は、反対に安堵しているようだった。
「良かった。ふたりとも私たちと同じくらいの歳だなんだし、仲良くなれたらいいなって思ってたんだ。ホームステイに来てるんなら友達は多い方が楽しいもんね」
香織は強引なタイプだが、彼女らしい気遣いゆえの行為である。
「……まぁ悪いことじゃないか。ウチでアルバイトしてるだけじゃ退屈だもんね」
「そうそう。前向きに考えていこう。あのふたりも日本の友達が増えて、入学したばかりで固かったクラスの雰囲気もほぐれて、みんなが幸せということで」
「……でも」
いつまで倉敷神社に居候するのか。銀子はふたりについて知らないことばかりである。
彼女たちは何者なのか。はっきりさせなければいけない。いつまでもその場を取り繕う嘘で乗り切れるわけがないのだ。どこかで綻びが出て、嘘の糸は弛み、やがて白日の下へ針のような真実が披露されることになるだろう。
さもなくば考えられる運針はもうひとつ。
偽りで乗り切るのならば、覚悟を決めて迫真の嘘をつくしかない。これ以上ないという生地と、正確でぬかりのない採寸、体型が変わろうが問題無くフィットする縫製。その場限りではない仕立てで偽の衣装をこさえ、王様と世間を騙すのだ。
剣を合わせてから、銀将と醉象の存在が、ただの悪戯ではなくなり始めていた。
そんなこんなでわりと真剣に葛藤していた銀子と、思うように事が運び、しめしめと眺めている香織へ、だがしかし。話しかけてきたのは予期せぬ人物だった。
「椎名さん、倉敷さん! 部活勧誘の方法としては卑怯だと思うんだけど」
「……え」
話しかけてきたのは先日、自分たちを将棋部へ勧誘した魚住夏江だった。
「う、魚住さん。いきなりどうしたの」
「しらばっくれるのも感心しない。いくら運動部が盛んじゃないとはいえ、学校と無関係な人まで引っ張りだして勧誘するなんて」
「い、いや、そういうつもりじゃなくってね。ちょっと、銀子から説明してよ」
「私は勧誘してない。まだ入部もしていない」
巻き込もうとする香織に対して、銀子が慌てて訂正する。夏江は憤慨といった様子で、たたみかけるように続けた。
「ふたりは申請無しで剣道部の練習へ参加したらしいね」
「そ、そうだけど、でも顧問の先生は了解してたから……」
「それでも申請しなかったのは問題があると思うわ。そのことでやり玉に挙げようなんて考えてないけど、でもこんな風に型破りな勧誘までするなら、私も黙っていられない」
先日、勧誘してくれたときの爽やかで朗らかなイメージと違うことに香織は驚いた。だが銀子はさほどでもなかった。魚住夏江から将棋部に対する熱意は感じていた。将棋への思いが強いのならば、彼女はきっと勝負師なのだろう。
自己研鑽に精神的向上、敵は自分の内にありきという剣道とは、そこが違う。勝利と敗北しか転がっていない盤上で、ただ勝つために戦うのが将棋だと、銀子は幼い頃から聞かされ続けてきたのだ。
「とにかく。これ以上、剣道部にスタンドプレーされるわけにはいかないわ。倉敷さん、ふたりのことを利用するのはやめなさい。きっとあのふたりも日本でアイドル扱いされて周りが見えなくなって……そのせいで調子に乗っちゃってるんだわ」
そして、銀子の生来の気質だって惰弱なものではなかった。
かちんとスイッチが切り替わったように、彼女は目つきを鋭くして答えた。
「利用だなんて、そんなことしてない」
「銀子!?」
はっきり言い返した銀子に香織の方が驚いた。
「でも私のことは別にいい。なんと思われても。ただ、ふたりのことまで悪くいうのはやめて。そりゃ、なんていうか……常識に欠けるところがあるかもしれないけど。ふたりとも日本に慣れてないだけで、いい娘たちなんだから」
やっかいな同居人のはずなのに。
銀将たちのことを悪し様に言われ、なぜか黙っていられなくなってしまう。
「わ、悪口に聞こえたらあやまるわ……。でもね、私は悪く言いたいんじゃなくて勧誘するなら正々堂々とやってくれって言ってるだけなの」
「だから私は剣道部に入ってない。剣道部の手伝いをするのはふたりの自由だし、学校の許可が下りれば、私がとやかく言う権利もない」
「ちょ、ちょっと。ふたりとも落ち着いて――」
「私は冷静よ。椎名さんは倉敷さんの味方をしていればいいのっ」
「私だって落ち着いてる。この際、香織は関係ない。私が引っかかったのは、ふたりのことを客寄せパンダだと誤解してる魚住さんの言い方だから」
まずい。久しぶりに垣間見る銀子の引き下がろうとはしない様子に、香織は困惑していた。師範の孫のくせに、彼女は剣道に対して、ここまで張り詰めた表情をほとんど見せない。負けるもんかと表情をあらわにするのは、決まって鍛錬の合間にある将棋の時間だった。
ゆえに、その負けん気が表に出ているのが珍しくて、親友は動揺を隠せなかった。
対峙するふたりの間で香織がおろおろしていると、今度はまた別の人物が会話に立ち入っていきた。
「だったら勝負して決めたらどうだろう」
「しょ、勝負?」
いきなりそんなことを言い出しのは、銀子の異変にいち早く気がついた醉象だった。
香織が眉間を寄せ上げて聞き返すと、醉象が微笑みながら提案した。
「そう。銀子も、そしてボクたちに物言いをつけた彼女も、どっちも引き下がれないのならば、正々堂々と勝負するのが手っ取り早い。いがみ合って言葉で傷つけ合うより良い方法だと思うよ」
「しょ、勝負するって、もしかして決闘とかそういうことを言ってるんですか」
「互いに引けないものがあるのならば、終わりの見えない口論となってしまうでしょう。私も醉象さまの意見に賛同します。別の方法で戦うということに意義もあると思います」
まごつきながら香織がたずねると、今度は銀将が割って入ってきた。こうなると夏江と銀子の方が少し気まずくなってくる。売り言葉に買い言葉だったがゆえに、周りが熱くなってくると逆に冷静になってしまうのだ。
「醉象さま。しかし、勝負となると銀子さまに有利過ぎるのでは」
「どうして?」
「手合わせしたのは一度限りですが、それでも銀子さまの腕前は知っているつもりです。銀子さまの剣は普通の女子にどうにかなるものではありません。見たところお相手さまは剣とは程遠くあられるとお見受けします」
さすがに県大会入賞者を一蹴した実力者だけあって、たしかな見識だと香織が思う。でも今はそんなことよりも、おかしな方向へ傾き始めている状況を何とかしなければならなかった。
「分かってるさ。ボクも試合を見ていたから銀将と同意見だよ。だから勝負は剣じゃないんだ。話を聞く限り、どうやらきみは棋士なんだよね」
「え、あ、は、はい」
「ちょっと待て。醉象、もしかしてあんた」
先の言葉が読めて、ついあんた呼ばわりしてしまう銀子だった。
「その通り。勝敗は将棋で決めたらどうだろう。銀子が勝ったら剣道部の勧誘に関して、きみは何も口を挟まない」
「醉象。私は剣道部じゃないって分かってる?」
「そして銀子さまが負けた場合は、私たちが将棋部に協力をするということですか」
「ギンショウさん!? ちょっ、いつの間にそんな脳内補足を――」
銀子の代わりに香織が突っ込む。醉象よりも真剣味たっぷりである銀将の方が怖いと思った。
すると意外や意外にも、夏江は首を縦に振って答えたのだ。
「いいわ。勝負の舞台を将棋盤にしてくれるんなら、私にとっては好都合。倉敷さんへ正々堂々と勝負を申し込むわ」
さっきまでの威勢が嘘のように銀子は絶句してしまった。どうやら夏江は思っていたよりも演者気質なのかもしれない。雰囲気に飲まれているのか、それを楽しんでいるのかは不明だが、見たところ乗り気であるようだった。
それにしても――私が将棋で対決?
棋力も知らないクラスメイトと?
「ぎ、銀子。無理しなくていいって。剣道部の勧誘はまたにするから、わざわざ将棋を指すことないよ」
「香織……」
「どうする、銀子。きみの決断にボクと銀将の運命がかかってるんだ」
そんなのどうでもいい、と言ってしまいそうになる寸前で、銀子は言葉を飲み込んだ。将棋は誰かのために指すものではない。盤外に勝敗を左右するモノが散らかるのを祖父は嫌っていたし、自分も対局となると周りのことなんか、さっぱり見えなくなってしまう性質なのだ。仮に銀将と醉象の処遇をかけた対局だとしても、一手目を指すか受けるかしただけで、頭の中から綺麗さっぱり消えてしまうだろう。
だから銀子はこう答えた。
「……ふたりのことを賭けて対局はできない。そういうのは好きじゃない。だから戦うのは私と――それから銀将と醉象の三人だよ」
「銀子!?」
「銀子さま!」
「悪いけど、自分たちのことは自分たちで何とかしなさい」
醉象と銀将が声を上げた。しかし銀子は取り合わずに夏江のことを見つめている。
そうだ。これはチャンスなのだ。良い機会であり思いがけないタイミングだった。
銀将と将棋を指してから、銀子の中で芽生えていた気持ちの移り変わり。
そろそろ踏ん切りをつけなければならない。
「銀子、マジで言ってるの」
目を見開いた香織が、銀子の顔をよく見ると、彼女は少し笑っているようだった。
どことなく自棄っぱちになっているようにも見える。
「もちろん本気」
「倉敷さん。それは三人ずつの団体戦ということでいいの?」
「そうなるのかな。こっちは三人いるけど、そっちは足りる?」
「少し待ってて。今のところクラスで将棋部は私だけだから。先輩に聞いてみる」
夏江がスマホを取り出してダイヤルすると、銀子の側に寄った香織が、誰にも聞こえない声でささやいた。
「銀子。どういうつもりなの」
「今まで気を使わせて悪かったけど、もう気にしなくていいよ香織」
「そ、そうなの? だってあんた――」
「大丈夫。実はね、最近また将棋を指したりしてるんだ」
「……マジ?」
「マジだよ。銀将がね、将棋を好きなの。朝から一局指すこともあるんだから」
「銀子……」
それを聞いた香織は少しだけ理解できた。銀子は過去の苦い記憶や、将棋に対する忌避を乗り越えてるわけではない。ただ前よりも将棋という存在が、彼女の中でがんじがらめではなくなっているだけだった。
『――はい。あの、部室は使えないとして……そうです。私の他にふたり。え、相手ですか? 倉敷銀子さんっていう――』
夏江が電話している間、提案した醉象は思いがけず自分も勝負に加わることになり、腕を組んで何か考えているようである。銀将は事の成り行きについてゆくので精一杯の様子だった。
捨て鉢っぽい幼なじみの表情を見ていると、今まで彼女のトラウマに対して触れてこなかったことを香織は後悔した。クラスメイトとしゃべれず馴染めなかった銀子。引きこもったあらましは知っている。倉敷銀之亮――祖父が死んでしまったこと。周りから孤立しながらも将棋へ没頭していた小学六年生の出来事だった。
仲良くなかった、とはいえ幼なじみである。しかも同級生というだけではなくて、自分が尊敬していた剣道師範の孫娘なのだ。にも関わらず卒業前の数ヶ月間、銀子が登校拒否になったとき、なんて声をかければいいのか分からず、自分は見舞いへ行けなかった。
本音を言えば怖かったのだと思う。小さい頃から将棋へ異常な情熱を燃やす銀子のことが理解できなかった。そんな彼女がまさか引きこもりになるなんて。同年代の銀子が何を見てどう感じ、どうして絶望してしまったのかが分からなくて怖かったのだ。
「銀子、今からでも遅くないよ。師範も言ってたじゃない。将棋は嫌々指すものじゃないって」
「分かってる。でも、意識し過ぎるのはもう疲れてきたの」
「疲れてきた?」
「うん。だっていつまで経っても将棋盤を見るのが嫌。将棋のことを考えたくないって言ってても、それは勘違い女なんだよ」
銀子の口ぶりが薄ら寒く感じる。目に明かりがなくクラスの誰とも話そうとしなかった銀子の表情が、香織の頭によぎった。
「銀将と指したときに痛感したんだ。私が意識してるだけで周りはそうじゃない。中学生でプロになる子だっているんだもん。もう取り返しはつかないんだよ」
「まだ高校生なんだから、取り返しがつかないっていうのは言い過ぎじゃ――」
「香織。私に限っては違うの。将棋を始めたのは物心つく前で覚えてない。私の才能に伸びしろなんてもう無いんだよ。だったら努力するしかないんだけど、中学三年間は何もしなかった。駒だって一度も触らなかった」
「…………」
「ここらへんが潮時なの。悲劇のヒロインは気取れない歳だもん。後はさ、あの頃はつらかったなぁとかしみじみ語ったりして、将棋くらい気軽に指すべきなんだよ」
儚いその笑顔が切なかった。
香織が答えられないでいると、銀子はこともなげに吐露して結んだ。
「かぼちゃの馬車って、どこからやって来たんだろうね。いじけてたら舞踏会に呼ばれなくなって、それからは履けなくなった靴を眺めて過ごす毎日だった。けどそろそろ粉々(こなごな)に壊さなきゃ。私が履けた靴はダイヤモンドじゃなくて、ただの硝子だったんだから」
支離滅裂だった。そこまで言ってしまって、銀子は夏江の側へ歩み寄る。先輩への電話は終わったようである。この後で剣道部の活動があったけど、今日ばかりは休むしかないだろう。せめて最後まで見届けないといけない。納得しにくいことだけど、幼なじみの親友が前へ進もうとしているのだから。
どうするのと銀子がたずねたら、夏江は狼狽しつつ答えた。
「そ、それがね。なんでか部長と副部長が来るって言うの。倉敷さんの名前を告げたら、部長がぜひとも対局してみたいって、ノリノリで――」
将棋部の顧問は厳しいという評判だが、本日は部活動そのものが休みということだった。放課後で部室は空いており、夏江いわく部長は「都合良いね。部室で対局しよう」と提案してくれたらしい。けれどこの流れで部室を使っては、他の部員へ示しがつかないし、剣道部による部外者の活動を批難した夏江としても筋の通らないことである。
なので結局、この対局を知るのは将棋部の部長と副部長と夏江、それから銀子たちだけにしようということになった。クラスメイトたちにも口裏を合わせてもらい、対局場所は、このまま銀子たちの教室でということになったのである。