13話~香織の戦略~
次の日の水曜日。放課後になるとクラスメイトたちは一様に盛り上がっていた。
「マジで綺麗な子だったらしいよ!」
「しかもスタイルはモデルみたいだったんだって。とくにフランス人の子は背も高くて、グラビアアイドル顔負けって感じだったらしい」
「それがまたねぇ。神社の衣装を着てるから妙に厳かな雰囲気だったなぁ」
最後につけ加えたのは剣道部員の順子である。
昨日の銀将と醉象による訪問のせいで、クラスメイトの話題はふたりのことで持ちきりになっていた。広めたのはもちろん椎名香織と中島順子である。噂でざわめく彼女たちをよそに、これが本当にホームステイだったらどんなにか気楽だろうという苦い不安が、はらはらと銀子の腹に落ちていた。
本当のことがばれたらどうなるんだろうと想像しようにも、本当のことが銀子にもよく分からないのだ。
「銀子、どうしたの。眉間に皺寄ってるよ」
頬杖をついて黄昏れている銀子。何事かと香織が声をかけてくる。実際、銀将と醉象はどういう存在なのか。このまま放置してよいものなのか。
「そりゃ寄るよ」
「寄りますか。銀子の悩みは分からないけど、ひとまず解決策を提示しておこう」
「剣道部?」
「さすがは親友。悩んでもしかたないときは竹刀を振って、雑念を集中力に変えればいいさ」
「……たしかに素振り二百本くらいしたい気分かも」
「おお」
そんなこなんで、いよいよ銀子の気持ちは入部へと傾き始めていた。
小学生だった道場時代。銀子と香織は挨拶しか交わしたことのない関係だった。それというのも少女ながらに剣道へ打ち込む香織と、剣道はそこそこで熱心とは言えなかった銀子はウマが合わなかった。鍛錬の合間にある将棋の時間が楽しみでしかたなかった銀子がいれば、将棋には興味が無く、疎ましくさえ感じていた香織もいたのである。
「今度こそ全国制覇を目指そうよ。銀子とあたしならできるはず」
「自信たっぷりだけど、私たちはまだ一年生だよ。試合に出られるかも分からないのに、その根拠は?」
「だって今のところ周りを見渡して、ぶっちぎりであたしだもん。そのあたしと競い合う銀子がいれば団体戦がずっと明るくなる」
「先輩たちはどうなんだろ。香織の評価を聞かせてくれる」
「うーん。二年生はちょっと頼りないかな。でも三年生はそこまで弱いわけじゃないよ。気合いがあって、みんなピリッと張り詰めてる」
「なるほど」
「だからさ、まず今年は中学のリベンジで県大会優勝。それから二年生で全国ベスト8。三年生になったら全国優勝して、最後の花道を飾ろう!」
銀子の勧誘に余念がない香織には、具体的な通過点と最終目標がはっきりしているようだった。
「すごい皮算用だ」
「強さは、あたしが誰より知ってるからね。銀子の剣は男子にだって負けないよ」
「剣は、ですか」
銀子の胸がちょっとだけズキっとした。たしかに同じ年頃の男子にも決して見劣りしない腕前が自分にはあるのだ……剣道では。
「欲を言えばギンショウさんが銀子のコーチになってくれると鬼に金棒なんだけど」
「誰が鬼だ」
「ただの例えだって。ギンショウさん、強かったよねぇ。なんていうか非現実的なくらい強かった」
「あんなに強いとは私も思わなかったよ」
「本当に知らなかったんだ?」
「知らないことだらけなもので」
「ふぅん。でもホームステイしてるのは春からなんでしょ。まだ始まったばかりなんだし、それが普通なんじゃない?」
「だと思いたい」
「速い踏み込みだったなぁ。本当にすごかった。ギンショウさんが凄すぎて、先輩たちが銀子の実力を過小評価してるかもしれないのが口惜しい」
「過大評価よりはマシだよ。とにかく……。あんな胴を受けたのは始めて。怖過ぎて禿げるかと思った」
「もう剣道って感じじゃないよね。胴を打つときに、あんなに踏み込んで打ち上げないって」
「対峙したときから威圧感が普通じゃなかった。打ち込みを流したりする暇もない」
「でも、上段からすぐに反応した銀子もすごかったよ。審判してた私ですら、圧倒されて腰が抜けちゃいそうだったんだから」
「下半身を切断されたかと思った」としみじみ銀子がこぼすと
「上半身が吹き飛んだかと思った」と香織も頷いた。
香織も銀子も幼い頃から道場に通っていたおかげで、勝てない相手でもその実力を計ることはできる。実際に相対した主君は、臣下の確たる剣の強さを把握していた。
銀将はまだまだ本気ではない。本気を出せば銀子が知っている誰よりも強いだろう。
だがそれは手を抜かれたという実感には繋がらなかった。あの性格の通り、銀将は格下の自分に対しても手を抜くことなどしていないはず。それはつまり本気を出さないことと手を抜くということはイコールで結ばれないということだった。
昨日の一戦は、銀将によるあれ以上の勝ち方はない試合なのだ。つまりあれ以上、踏み込んでも、力強く打ち込もうとしても、銀将にとっての結果はマイナスになる。力の差が隔絶しているばかりに、戦いの内容はあれ以上に高まることはない。
要するに今の銀子の実力では、銀将の本気を引き出すに至らないということである。
「ああいう剣に対抗するには、どういう鍛錬を積めばいいんだろうね。どういうところで鍛えたのか、銀子は聞いたことないの?」
「聞いたような、それを信じるわけにはいかないような」
「なにそれ」
「具体的に教えられても、私や香織じゃ計り知れない場所、なのかもね」
「……?」
自分たちには絶対におとずれないであろう、本物の戦場。真剣での殺し合い。最初から眉唾だったし、今も決して全面的に信じてるわけではない。けれど一笑に付すことができない真実から目を逸らすことは難しかった。少なくともあの剣術は本物なのだ。
自分たちの知っている剣道で、彼女は強くなってきたのではない。銀将が知っているのは本物の剣だ。面をつけていても、剣を構えて向かい合っただけで、尋常ではない気迫を感じずにはいられなかったのだから。
それなのに面を外したらいつも通り過ぎて、銀将という女の子が計り知れなかった。
そんな風に考えながら、銀子は昨日の夜のことを思い出す。
「――銀子さま。申し訳ありません。お怪我をお見せ下さい」
三人で帰宅すると、怪我の具合を心配した銀将が傷を見せてくれと申し出た。
「大丈夫だって。こういう傷には慣れっこだから」
学校を出る前にトイレで確認したら、横腹から背中にかけて真っ赤になっていた。中学時代もよく怪我をしていたが、背中に達するくらい深く胴を入れられたのは初めての経験である。電車に乗っている間、痛みは一駅を超えるごとに増してゆき、傷を見るのが憂鬱になった。
「無理しない方がいいよ。薬があるなら早く使った方がいい」
「私に手当させて下さい!」
正座をして手をつき、銀将が頭を下げる。
土下座されるとこんなにも落ち着かないものなのか。
なんせ、これも初めての経験である。
「……しかたないか」
「うんうん。素直な主人だね。薬石の進歩には興味ある」
「銀子さまの時代の加療をお教え下さい。全身全霊で処置させて頂きます」
「分かった。それじゃ薬箱を持ってくるから、ふたりは消毒用のガーゼを――」
まだ少しだけじんじんする背中。
ふたりと出会ってから、まだ間もないというのに、銀子にとって初めての経験だらけである。
昨夜のやり取りを思い出しつつ、銀子と香織との話が一段落したのを見計らい、とあるクラスメイトが話しかけてきた。
「ねぇ倉敷さん。ちょっと聞いていい?」
「うん。何かな」
「倉敷さんのところでホームステイしてる子たちが、剣道部でコーチしてくれるかもしれないって本当なの?」
「……えっ」
どういう発想!?と椅子に座っているにもかかわず、銀子は転びそうになった。
「椎名さんから見せてもらったんだけど、スイゾウさんって子、すごく格好いいね」
「格好いい?」
「うん。ギンショウさんっていう子も美形だけど、スイゾウさんは王子様みたい」
「女だよ?」
「分かってる。椎名さんから聞いたから。あのね変な意味じゃなくて、こういう綺麗な子と知り合いになれたらいいねって、みんなと話してたんだ。それに剣道部のコーチになるかもしれないだなんて。美形で、しかも強い子なんだね!」
「モデルとかやってる子なのかな。フランスと台湾から来たんでしょ」
「もしかして外国のアイドルとか。凛とした雰囲気といい、宝塚みたい」
身を乗り出すように次々としゃべるクラスメイトたちがスマホを取り出して、ギンショウとスイゾウを撮った画像を見せてくれる。バッと飛びつくようにして見つめる銀子へ、香織がペロッと舌を出してから言ったのだった。
「実はさ、記念にふたりの写真を撮らせてもらったの。試合の後で銀子はトイレへ行ってたでしょ。あの間にお願いしたら、ギンショウさんもスイゾウさんもスマホのカメラに感心しながら、ノリノリで撮らせてくれたのだよ」
ピッピッと操作しながら自分の携帯に入っているふたりの写真を香織が並べてゆく。全部で十枚くらいの画像があった。銀将の表情はカメラへ向かって感心しているような顔と、それからキリッとした眼差しのどちらかである。片や醉象はというと最初の二、三枚は銀将と似たような顔をしていたのだが、残りはポーズをつけて流し目を送っていたり、前髪をかき上げたりしている。
「……香織って、ほんっとぉおおに抜け目なさ過ぎ」
「剣士たるもの、機を見逃すわけにはいかない」
「カメラを撮る撮らないは彼女たちの問題だからいいけど、剣道部のコーチって何よ」
「いやー、そういう話になれば銀子も剣道部に決心してくれるかなと」
「決心しかけてたのに二の足を踏んだよっ」
計られた銀子が額を手でおさえて言葉を吐く。
「まぁまぁ。落ち着いて。冗談じゃなくて、顧問の先生もほとんど未経験者だし、教えてくれる実力者は必要でしょ。外国の人とはいえ、あれだけ強かったらお願いする価値は充分。それに女子高で、都合良くふたりとも女の子だし」
「そして、ふたりにお願いするのは私になるわけだ」
「正式にお願いすることになれば学校からだよ。ただ引き受けてくれるよう、銀子から内々にふたりへお願いしてもらうことにはなると思う。つまり根回し係ってことで」
「中学の強化合宿のときも、その役目は私だったよね」
「だって道場は閉鎖してたから、師範代に連絡を取れるのが銀子だけだったんだもん」
「……はぁ。友達使いの荒い親友を持つと大変だ」
「それでも親友って呼んでくれる銀子は、友達甲斐のある女だよ」
クラスメイトたちはふたりのやりとりをにこやかに待っていた。高校生になって打ち込むことが決まっている生徒の方が稀である。どういうきっかけであれ、興味を持つことができて、しかもマスコット的人気者がいれば勧誘ははかどってゆくだろうと、これまた香織の計算だった。
「体験入部の予定を決めてさ、みんなで剣道部においでよ。銀子もそれまでには入部してくれてるだろうから」
「香織の押しの強さには改めて感心する」
銀子も観念した様子である。
すると香織は、これでダメ押しとばかりに窓の外を見ながら言ったのだった。
「あ、どうやら来たみたいだよ。詳しく話を聞くチャンス!」
「……香織。何を見て言ってるのか、私は窓の外を見たくないから、さっさと教えて」
「んふふふ。あたしの行動力をなめちゃいけないよ。銀子が居なかった隙にお願いしたのが写メだけだと思ったかい」
「まさか」
「煮え切らない銀子も年貢の納め時だ」
「ね、ね。香織ちゃん、ホントに来てくれたんだ!?」
「うん。順子が一緒にお願いしてくれたおかげだよ。それに見た目の印象通り、約束を破らない人だったね」
「厄日だ……」
ここ数日で、銀子の頭を抱えるポーズも板についてきたようだった。
香織は猪剣士ではない。機を見るに敏いタイプである――のだが、それで煽りを食ったクラスメイトがいることを仕掛けた香織も、なんとなく剣道部で決めようとしていた銀子も気がついていなかった。