12話~銀子vs銀将・剣道編
ひと通りの説明を銀子から受けると、香織たちが感心して口を開いた。
「へぇ~、ホームステイだったんだ。銀子の家って、いかにも歴史のある神社だもんね」
「うん。こっちの銀将がフランス人。そっちの醉象が台湾から来たんだよ」
「ギン=ショウさんとスイゾウさんか。よろしくね」
発音からして勘違いが起きているが、それも好都合というものである。
「みなさま。どうぞよろしくお願いします」
「よろしくー」
新入生や先輩たちに挨拶をする銀将たち。ホームステイなど特別に珍しいものではない。けれど巫女衣装に身を包んだフランス人と、まるっきり日本人が思い描くような黒髪少女を紹介されて、剣道部の面々(めんめん)は浮き足立った。
彼女たちは口々にふたりへ質問を飛ばした。
「何歳?」「フランスと台湾のどこに住んでたの?」「どうして神社にホームステイすることになったの?」「日本の学校には通ってる?」「ココに編入して来ないの?」「ギンショウさんのスタイルってすごい。モデルだったりして」「どうして巫女の服を着てるの?」「黒髪ツインテール可愛い!」「っていうか、ふたりとも日本語がカタコトじゃないね!?」
難しい日本語はさすがに分からないということで、銀将と醉象は質問へあまり答えないようにと銀子から指示されている。ふたりは答えられそうな質問にだけ答え、その他は銀子が代わりに説明していった。
「ふたりとも十六歳で同い歳です」「フランスは田舎の方で、台湾は都市です」「日本の文化に触れるためにウチの神社なんです」「ふたりとも学校に通う予定はないです」「モデルじゃないのに、こんなスタイルだなんて不平等ですよね」「ホームステイの間はウチでアルバイトもしてるから巫女の衣装なんです」「こんなに長い髪で痛んでないのずるいですよね」「ふたりとも日本語は熱心に勉強したらしいです。それくらい日本が大好きなんですよ。銀将は勉強した教科書がおかしかったみたいだけど」
銀子は頭の回転が速い。どちらかといえば思考に言葉が追いついてこないときもあるタイプだ。ポンポンと淀みなく答える銀子に、剣道部員だけでなく体育館にいたすべての生徒が注目して話をうかがっているようだった。
するとクラスメイトである中島順子が思いついたようにふたりへたずねた。
「そうだ。ギンショウさんたちは剣道に興味があったりするんですか」
「剣道でございますか」
まずいと主君の直感が冴え渡る。遮って銀子が答えた。
「ふたりとも日本文化に興味があるから剣道は知ってるんです。だけど実際に竹刀を握ったりしたことは――」
「銀子さま、御心配ならさずに。剣を握ったことが無くて、果たして誰を護れることでしょう。私たちが何のために現世へ舞い戻ったのか。実際に私たちの剣を見てもらえればお分かり頂けると思います」
思った通り冗談とか嘘が下手な銀将だった。
「同感だ。ボクたちは主君の剣そのもの。そういえば肝心の銀子に見てもらってないね」
「ちょ、ちょっと。余計なことは答えないでって言ったのに」
ましてや空気を敏感に察知できそうな醉象まで、それだけは譲れないと言わんばかりの物言いだった。
そうなると食いついてくるのが香織である。
「そうなんですか! ねぇ、銀子も見たことなかったら丁度いいじゃん。先輩にお願いしてさ、ギンショウさんたちの腕前を見せてもらおうよ」
「ナイスアイディア。私は香織ちゃんや倉敷さんみたいに強くないけど、外人の女の子がどれだけできるのか見てみたい」
「順子もそう思うのか」
「思う、思う」
息がぴったりの香織と順子の掛け合い。
「いつのまに仲良くなってたんだ……」
銀子が困惑しながら突っ込んだ。
「クラスメイトで同じ部活だしね。銀子が知らない間に着々(ちゃくちゃく)と友達を増やしてるぜ」
「倉敷さんも剣道部に入って、三人で勧誘とかしようよ」
ふたりは悪ノリし始めているのかもしれない。銀子は悪い予感がした。多少強引でも話題を別にするべきか。先輩たちへ視線を寄せると、好奇心と自制心が半々といった様子だった。それぞれが顔色をうかがい、部長でさえも発言しかねているようである。
銀将と醉象は入部してもいない新入生の知り合いだ。学校とは何の関係もない人間が、部の竹刀を借りて振るうなど校則にも触れてしまう。しかし、もともとが厳しくない弱小剣道部。滅多に見ることができない異邦人の技術を一見したいというのが人情だった。外国で剣道人口が増えていると聞いても身近で見られるものではないわけで、だからこそずっと様子を見ていた顧問ですら、違和感のない口実を頭の中で探している途中だった。
そうしていると醉象が空気を察したように言った。
「ボクはそこまでの腕じゃないから遠慮するけど、銀将の剣技は見ておいた方がいいと思う。彼女は御前試合で家宝の一振りをいただくほどだから」
ひとりが遠慮したから、もうひとりにはお願いしよう。顧問である女性教員の中で決定的になったのは、そういう口に出しては言えない理由だった。まもなく顧問は、もっともらしく裁定を下した。普段、触れることのできない技術を見ることは得難い経験です。体験入部期間の特別ですよと。
そうなってくると部員たちの中に反対するものはひとりとしておらず、銀子と同じく銀将へ、防具と竹刀を貸して試合を見ることになったのである。
結局、外したばかりの手ぬぐいを再び締めながら銀子が愚痴る。
「だからといって、なんで私が相手なんだっ」
「そりゃ銀子は正式な部員じゃないからね」
「わかるけどさぁ……」
「ギンショウさんの実力がよく分からないのが難しいね。あたしが相手をして怪我させちゃったりしたら、部員がしでかしたことで問題になっちゃうでしょ」
巫女衣装の上から防具を身につけている銀将の姿を眺めつつ香織が苦笑いする。
「はぁ……。ただの体験入部だったはずなのに厄日だなぁ」
「銀子。もしかして入部しにくくなったとか思ってる?」
「思ってないけど」
「思ってないのかよ」
面を後ろで締めてやろうとした香織がガクッと滑りながら突っ込んだ。
「それとこれは別。こんなことで、もう剣道部に顔を出せないなんて思ったりするほど照れ屋じゃない。純粋に銀将と剣を合わせるのが気が重いんだってば」
「さすが銀子だね。無闇に恥ずかしがったりしないところ格好いいよ」
そんなことを話していると、後ろから醉象がやってきたことに香織が気がついた。
「あ、スイゾウさん。あなたは本当に良かったんですか?」
「試合をしなくていいのかっていうことかい?」
「はい。せっかく日本までホームステイに来て、剣道のたしなみがあるんだったら、やっぱり試合をしたいと思うんじゃないかなぁって」
「ううん。ボクはいいんだ。銀将に比べるとずっと落ちるから。格上の剣客がいるのに、わざわざボクの剣を見てもつまらない」
「そうかなぁ。そんなことないと思いますけど」
「普段の言動に比べて、醉象のそういう謙虚なところはいいと思う」
そして普段の言動よりも謙虚ではない銀将のああいうところは困るなぁと思う銀子だった。あどけなさに可愛げを感じても、しわ寄せが来れば不満は溜まるものである。
「よいしょっと。こっちは準備OKだよ。銀将は大丈夫?」
「はい、銀子さま。防具と竹刀をお借りした上に、みなさまにお手伝いして頂きました。準備は万端です」
銀将のまっすぐな言葉と態度。どうやら剣道が初めてでないのは本当みたいだった。後ろで手伝っていた先輩たちも、彼女の慣れた振る舞いに期待を高めているようである。
銀将が左手に竹刀の柄を持ち、腰の位置まで腕を上げている。摺り足から体を運び出し、明らかに剣道が身についている所作だった。
「両者。前へ」
審判役を買って出た香織の指示に、対峙円に入ったふたりが反応して前へ出る。
そしていち早くソレを感じ取ったのは、他ならぬ対峙した銀子だった。
ゴクリと銀子が唾を飲み込んだ。先ほどまでの銀将ではなかった。
謙虚な姿勢と朗らかな表情からは想像できないほどの威圧感が、目の前の相手から伝わってきていた。
「始め!」
香織は気づいていないようだ。面のせいで銀将がどんな眼をしているかは見えない。だがゆらりと上げた切っ先は違っていた。
銀子が今までに見たどの剣先でもない。
「……っ」
対峙しただけで斬り結んでいるような大粒の汗が、銀子のこめかみをしたたり落ちた。
銀将の竹刀の切っ先はあたかも意志をもっているように、こちらをじっと見つめている。厳密に言えば角度が違うということだろうか。わずかに下がった剣先は、蛇が頭をもたげているかの如く、自分のことを睨んでいる。
銀将は、銀子よりも身の丈が15センチ以上も高い。彼女の気迫が、悪寒となって、銀子の身体の芯を通りぬけてゆく。銀子は理解し始めていた。
これは剣道なんかじゃない。本当の真剣を持って殺し合うときの構えだ。面や胴、籠手のポイントに打撃するだけでは戦闘不能にはならない。しっかりと確実に。剣を振り下ろしたとき相手へ致命傷ないし、腕を切り落とすぐらいの損傷を与えなければ、自分の命が無くなるのだから。
銀将から伝わってくる威圧感の正体。
それはまさに生きるか死ぬかの瀬戸際にある重圧だ。
対峙して一分というところで香織もようやく、ただならぬ立ち会いに気づき始める。
「やああぁああああ!」
銀子が怒声を上げて恐怖に奮い立った。
攻めなければ勝てない。反応を待って戦える相手ではない。
ゆえに銀将が反応したのは――叫びながら銀子が踏み込んだ瞬間だった。
「なっ……!?」
まず驚いたのは審判役の香織である。気合いの声を上げて踏み込んだ銀子よりも、後から体を反応させたのに、銀将の方が速かった。自分よりも小さな相手を制し、疾く踏み込む。一気に間合いを詰められたのは銀子の方だ。懐にまで入られた銀子が、上段まで振り上げてしまった剣を慌てて下げようとする。無防備で打ち込まれるわけにはいかない。
それでも当然、間に合うものではなかった。銀将の飛び込み、そして体をこなした剣の連動は圧倒的に速かった。低く下げていた剣閃を振り上げた銀将が、銀子の胴を切り上げて撃ち込む。
「――がはっ!」
衝撃が逆の胴へ突き抜けたのは初めての経験だった。痛みよりも、分断された思考ごと体が叩きつけられたようである。衝撃により体が流れて飛んでしまいそうになったのを銀子はぎりぎりで踏み止まる。そして膝をついたとき、香織の声が聞こえてきた。
「い、一本! それまで!」
片膝をついてから、呼吸の乱れが押し寄せてくる。
息が吸えなかった。吸い込む前に、うまく吐き出せない。
未だ襲ってこない痛み。にわかに体が震え始める。
怖い、怖い怖い、怖い怖い怖い――
試合が終わったのにも関わらず、体は恐怖に縛り付けられたようだった。八段剣士の祖父が元気だった頃、道場では子供同士だけでなく六段とか七段とか熟練の大人たちと剣を合わせたこともあった。だがそれらの相手とはまったく異なる怖さを、銀子は初めて知ったのだ。
「銀子さま! 大丈夫ですか?」
うずくまりそうになるのを必死に耐えていると銀将が狼狽えながら寄ってきた。
思いっきり斬り捨てておいてそんな反応!?
とは声が出てこないので突っ込めない。
必死に呼吸を整えながら、銀子はふたりが語った大昔の呪いという言葉を思い出していた。
『常しなえの戦場』などという、姉の好きそうな言葉が脳内に反芻した。