ランフェスとメルシアの紋話
19/07/30 段落 修正
「では、ハウゼ氏を丁重に玄関までお送りしてくれ」
側に控えていた侍女に命じる。
丁寧なお辞儀で了解を示すと、その侍女はすぐさま翻り、ハウゼ医師に向き直った。
「ハウゼ様、御案内致します」
「ええ、宜しくお願いします」
軽い会釈を返しつつ、ハウゼ医師は帰路に着いた。
「さて……と」
上着のポケットから時計を取り出す。妻であるメルシアからの贈り物だが、見る度に思う。私好みの装飾だ。なぞって感触を愉しむのが、新しい癖になりつつある。
「21時03分か、随分と遅くなったな」
左手を耳に当てて、メルシアに紋話を繋ぐ。
「《メルシア》」
「《はい、お疲れ様です、あなた》」
柔らかい声だ。聞いていてほっとする。
「《すまない、予定通り数日は此方に滞在する事になりそうだ》」
「《……わかっています。弟君がお亡くなりになったのですから……こちらでも葬列の準備は整えてます》」
「《いや……》」
一瞬迷うが、隠す意味が無い。
「《レーゼルは死んでいない》」
「《…………………………………………え?》」
メルシアの戸惑う姿を想像して、少し和んでしまう。
「《ナウゼルグバーグに襲われたと伺いましたが……》」
「《その通りだ。理由は不明だが、息を吹き返した。健康そのものだと、ハウゼ医師からの報告もあったよ》」
「《…………俄かに信じ難いのですが……》」
当然だろう。『不慮の死神』とも称されるナウゼルグバーグに、支援も無く単身で挑み、生還するなど英雄の所業だ。
「《事実だ。ただ、素直に良かったとは言えない状況でね……レーゼルの首の印が消えていない》」
「《!……領民は知っているのですか⁉︎》」
……早いな。メルシアの察しの良さがとても誇らしい。流石は我が妻。
「《レーゼルを領主館へ移す時、かなりの人が集まっていたからね。見た者は多いだろう》」
「《……では》」
「《ああ、今から隠しても無駄だ。レーゼルを前に出す必要がある》」
ナウゼルグバーグは、黒い靄に包まれた狼のような魔獣だ。野犬と比較出来るほど、魔獣としては非常に弱い部類に入る。
では何故、不慮の死神などと呼ばれるのか?
厄介なのは『黒い靄』で、マナを含む攻撃を全て無効化する事。そして、周囲に恐怖を撒くといわれる特性。印付き以外の者は、身が竦んで動けなくなるらしい。
もう一つは『咆哮』。黒い靄とは逆の性質を持つらしく、周囲にはただの遠吠えでも、印付きには呼吸が困難になる程の恐怖を与えるそうだ。
一説では、印を付けた獲物を適度に咆哮で竦ませ、怯えて絶望して行く姿を楽しむ素ぶりすらあるとか……その証拠に、ナウゼルグバーグに襲われた遺体は、四肢のいずれかが必ず欠損している、と報告にある。
何の対策も無しに遭遇すれば、黒い靄と咆哮で動きを封じられ、野犬程度の力に嬲り殺しにされるだろう。
故に、不慮の死神。
結界の無い村落が襲われれば、間違いなく全滅する。
「《弓兵の数は揃っているのですか?》」
メルシアが正答を示す。
(私の妻は本当に素晴らしいな。ああ、早く帰って娘共々に抱きしめたい)
ナウゼルグバーグの討伐は、黒い靄の外側から、マナを必要としない武器で狙撃すれば良い。
野犬を弓で狩るだけの仕事だ。出来ない者を弓兵とは呼べないだろう。
「《ギルドに協力を要請し、15名程借り受ける事になっている。その内の1人に討伐経験があった》」
「《まぁ!》」
メルシアの華やいだ声が耳に届く。素晴らしい。
「《後は護り手だけですね》」
……その通りだ。
安全に弓兵が仕事をするには、ナウゼルグバーグの注意を引く囮が必要だ。
印を受けたレーゼルがなるしかない。
そして、そのレーゼルを護る者が必要だ。
「《メルシア……まだ領主にも話していないが、君に頼みたい事がある》」
「《何でしょう?》」
「《『シャリア』をレーゼルに従けたい》」
「《!……それは……理由を伺っても、よろしいのでしょうか?》」
「《詳しくは折を見て話すが、今回の一件でレーゼルの価値が計れないものになった》」
「《……計れない、ですか?計り知れない、ではなく?》」
「《ああ、私では『計れない』。絶対に失うわけにはいかない。君の侍従を奪う事に、私も……いや、かなりの葛藤があるが……》」
この先を口にするのは、少なからず抵抗があるが……言おう。妻の真意を聞いておかねば、後で軋轢になりかねない。
「《歳の近い、武勇に長じた黒の長耳族を、レーゼルの護り手としたい》」
「《…………年齢を気になさるという事は、将来、二人を縁付かせるお積りですか?》」
「《……そうだ》」
貴族の婚姻は、同種……人間同士で行うのが通例だ。理由は、大きく分けて三つ。
まず一つ目に、寿命が違う。
人間の平均寿命は60〜70。
対し、長耳族の寿命は200。倍以上だ。
長耳族を娶れば、三代を跨ぐ家老となる。事実、長耳族の美しさに見惚れ、何の対策もせず婚姻し、家を乗っ取られた貴族も少なく無い。
二つ目は文化だ。
婚姻は二人で行うもので、その後の生活で歩み寄り、譲り合う意思が無ければ、直ぐに瓦解してしまう。人間同士であっても、この手の要因は枚挙に暇がない。異種族婚であれば更に増える。外見が違う、物の捉え方が違う、判断の基準が違う。成功例を聞いた事が無いほどだ。
最後に遺伝。
血統に異種族が混じると、人間同士の間でも異種族の子が産まれる事がある。異種返りと呼ばれるが、純血統を信条とする一部の貴族達の標的になり、危険度が増す。
以上の様な理由から、異種族婚は大抵歓迎されないが、無い訳ではないし、フロードには既に二人の異種返りの子がいる。
領主アゼスターの娘、『シャリル』は長耳族の異種返り。
そして、執事長カールネスの娘、『カンナ』は獣人族の異種返りだ。
同年に二人も異種の子が産まれたので、当時はかなり騒がしかったが、今では当然のように領内で受け入れられている。
領主館に異種返りが二人いるので、フロード領の貴族達も他に比べて異種族に寛容だ。
レーゼルとシャリアが婚姻したとしても、大きな波紋は生まれないだろう。
問題は……、
「《実は、もう一つ報告がある》」
「《……どうぞ、仰って下さい》」
「《レーゼルが助けた子供達の中に、ハウゼ医師の孫がいたらしい》」
「《………………種族は?》」
……本当に話が早い。年齢も性別も経緯も飛ばして、種族を聞いてくるとは。
「《矮人族のお嬢さん、だそうだ》」
「《…………………………》」
長耳族と矮人族が不仲なのは有名だ。大昔に種族間で何かあったのでは?と推察されているが、詳しく知る者は居ない。
「《どう思う?君の存念を聞きたい》」
「《あなたにこの様な事は言いたくありませんが、正気ではないと思います》」
「《ああ、その思いは正しい。私もそう思っているからね》」
全面的に妻を肯定する……いいな、うん、メルシアとこの様な遣り取りをするのはとても楽しい。
「《…………楽しそうですね》」
「《ッ! 紋話の向こうの私が見えるのか⁉︎》」
何だそれは! 是非教えて貰わねば!!
「《……何を言っているのですか?あなたは》」
しょうがない人です、とコロコロと笑いながら私をなじる。
「《弟君の周囲が、ですよ》」
「《……君は、そう思うのか?》」
「《ええ、あなたもでしょう?》」
返されて黙考する。
(私が楽しんでいる?)
「《……気付いてらっしゃらないのですね。ふふ》」
……何だ、無性に悔しい。帰ったら寝台の上で教えてもらおう。
「《シャリアには私から話しておきます。3日もあれば、そちらに着くでしょう。それから……》」
と、温度の下がった声音で、レーゼル宛の言伝を口にした。
「《私の侍従であったシャリアに、不実な行いをしたら、絶対に許しませんよ、とお伝えくださいませ》」
「《……分かった。伝えよう》」
「《はい、お願いします》」
「《では、お休み。メルシア、ユエル。愛しているよ》」
愛妻と愛娘に、毎夜の言葉を贈る。
「《愛しています、ランフェス。お休みなさい》」
手を下ろして、至福の時間を終える。
(……次は父さんか)
縁を撫でながら時計を見る。
[21時12分]
22時前には寝台へ入れそうだ。
父と母の待つ領主私室へと、足早に歩を進めた。