『アーリス・フロード』
19/07/23 段落 修正 本文追記
いつの間にか外は雨になっていたらしい。雨粒が家屋を叩く音で、それを窺い知ることができた。
かれこれ一時間近く話し合い続け、幼い身体は限界の予兆を訴え始めている。
(……ヤバイな……眠い……)
そのまま倒れたい欲求を堪えつつ、周りの家族の顔を見やる。
各々が思案に耽り、目を閉ざしていた。
「俺の話は以上です」
『素力変換』と『身代わり』の特性を伏せて説明する以上、十の権利の全てを語るわけにはいかなかった。
自身にまつわる部分、転生について一通りと、俺の他に5人の転生者が居て、敵対の可能性がある事。その転生者たちは世界を導くことを期待されていて、俺は救済を担う位置にいる事。
この救済に関しては誤解されないようにと、神様とのやり取りを、ほぼそのまま説明した。
「英雄のような立ち振る舞いを望むものではなく、何もしなくても良い」などと言われた事を話したら、皆一様に眉を顰めて訝しげに唸っていが、想定内だ。
意味不明な供述、理解に届かない説明で、信用が得られるとは微塵も思っていない。
俺自身が今の状況を理解し切れていないのに、説明出来る筈も無いのだ。
俺が信用を得るのは不可能。
この世界に、俺は今まで居なかったのだから。
ーーだから、
「……最後に……」
そこで言葉を区切って、全員の視線が集まるのを待つ。
ーーレーゼルに頼む。
「レーゼルの事を話しておきます」
長時間の話で弛緩しかけていた空気が、一気に引き締まった。
「ナウゼルグバーグから、みんなを助ける為に囮になったけど、犠牲になるつもりはありませんでした」
アゼスターの厳しい視線が刺さる。
「最後まで諦めず、生きて戻ってくるつもりでいました」
ランフェスが二指で目蓋を押さえる。
「…………本当にごめんなさい。力が及びませんでした」
ナーシャルが相貌を崩し、静かに落涙する。
俺まで、つられて泣いていた。
(違うだろ⁉︎……違うッ…………違うッ!)
レーゼルはまだ死んでいない。
(ーーッ、ここで終わったら、ただの遺言になる。誰も救われない)
それじゃあ駄目だ、と自分を叱咤する。
「でも、レーゼルはまだ死んでいません」
家族から信用を得るのにはレーゼルが必要だ。
それに、こいつはここで死んでいい奴じゃない。
俺の為にも、家族の為にも、レーゼルには生き返って貰う。
「レーゼルの意志と記憶は、まだここに残ってます」
比喩でもなく、ただの事実だ。
五指を広げて胸に手を当てる。その場の視線がそこに集中する。
気付けば雨音が強くなり、嵐を感じさせた。
固く誓う。
「俺は死ぬつもりはありません」
誓約する。
「レーゼルを死なせるつもりもありません」
宣誓する。
「俺はレーゼルと共に生きることを望みます」
この身体を安易に諦めるような真似は絶対しないと。
視線に込めて家族に訴える。
ーーこいつを殺すな、と
涙で歪む視線の先、アゼスターが相好を崩して、長く息を吐いた後、言った。
「……そうか」
ならば、と言いながら懐に手を入れ、一枚の紙を取り出す。
「お前は、近くに成前式を迎える」
成前式は、アスガンティアで子供が十才になると受けるものだ。色々あるが、重要なのは『紋章』を付与される事。それともう一つ、
「その名を、今ここで与えよう」
『成名』を授かる事だ。
レーゼルは『幼名』。十才までの子供のもので、それ以降はこの成名を使う事になる。
俺の中のレーゼルの意識が、喜色に染まるのを感じた。
レーゼルがずっと欲していたもの。
一体、どんな成名が貰えるのか……、
「……『アーリス』」
「…………はい?」
今の返事は、はたして本当に俺のものだっただろうか……。喜色が一気に陰っていく。
何故かはわからないが、俺の意識だとアーリスは女性名のイメージが強い。それはレーゼルの意識でも同様だ。
「成名はアーリスだ」
プッと、ランフェスが噴き出し、苦笑しながらアゼスターと話す。
「領主、意図は解りますが、何故そちら側なのかと」
「……語感が気に食わん。それに一文字目は『ア』にすると決めていた」
「父さんらしいね。気変わりは無さそうだ」
このランフェスの反応……やはり女性名に近い響きなのだろう。
「対外的には、成前式を終えるまで幼名を使うのが慣わしだけど、ここでは祝辞の意味も込めて、こう呼ばせてもらうよ。おめでとう、アーリス」
大仰に両腕を拡げて、賛辞の言葉を口にするランフェス。どう見ても、揶揄の意味合いの方が強い。
「…………ありがとうございます」
祝辞を述べられて返さない訳にもいかず、垂れ流すような返礼になった。
「アーリス」
長く、口を閉ざしたままだったナーシャルから呼ばれて、ドキリとする。
「はい!何でしょう?」
ナーシャルが椅子からスルリと立ち上がり、寝台の上の俺を抱き竦めると、他に聞こえないような声量で呟いた。
「レーゼルをよろしくお願いします」
……どんな心境だろうかと思う。
正直な話、アゼスターとランフェスが俺を処分する事は、まず無いと考えていた。
領主一族の人数が少ないフロード領だ。
実行犯は他に用意するだろうが、それでも領主の子殺しは悪手にすぎる。発覚した時のリスクが計り知れないし、殺すよりは利用する方法を模索するだろう。
加えて、レーゼルには利用価値がある。
俺の視点から客観的に見ても、領民に与える影響力の期待値が大きい。
『 子供達の為に自ら単身、囮となった領主の子』
ましてや生還したのだ。ナウゼルグバーグ相手ではプロパガンダを疑うことも出来ず、証人が助けられた子供達となれば、勇名は何もせずとも広くに伝わるだろう。
上手く使えば、領主一族への支援者や出資者を募る事も容易になると思う。
政治視点を優先して考えられるアゼスターとランフェスは、説得出来る自信があった……問題はナーシャルの方だ。
子に先立たれ、その遺体に別の魂が入り込み、「共に生きていく」何て勝手を宣ったのだ。
母親が、こんな時にどんな考えを抱き、内心でどんな感情を揺らしているか、想像も出来ない。
(……理解しようなんて思わない方がいいな)
生半可な解釈で、理解したつもりになるのは危険だと直感する。
「レーゼルをよろしく」と母親に頼まれた。
額面通りでいい。レーゼルの身体で共に生きる事を許容されたのだ、と都合良く解釈する。
「…………はい」
小さく返事して、軽くハグを返す。
母の背中に二度、トントンと叩くように触れると、満足気に頷きながら、ナーシャルが離れていった。
「さて……と、大分遅くなってしまったな。ハウゼ医師の応対は、私が行おうと思いますが?」
「ああ、任せる。私とナーシャルは私室に居るので、報告を頼む」
「畏まりました……レーゼル」
アゼスターとランフェスの打ち合わせを、ボーッと眺めていたら、突然呼ばれた。
「はい」
「これと、これを飲んで横になりなさい。今後の予定が立て込んでいるからね。早く休むといい」
ランフェスから水差しの横にあった薬を手渡される間に、アゼスターがドアの向こうへ声を掛けると、カールネスが入室した。
「すまんが、レーゼルが寝付くまで部屋の守護を頼む」
その要請に応じたカールネスは、ドアを開けて横に逸れると、お辞儀をして皆の退室を待った。
「お休み、レーゼル」
就寝の言葉を口にしながら、皆が退室して行き、最後にカールネスが出てドアを施錠した。
「……ありがとうございます」
多分……受け入れられたのだと思う。
今のレーゼルを、当面は認める形で動いていた。内心で様々な思惑があると思うが、今はそれでいい。
(…………後は、こっちか……レーゼル、身体借りるぞ)
俺はこれから、レーゼルと『アーリス・フロード』として生きていく。
決別するなら、今だ。
「……う、うぁぁぁぁ……ひっ……っく……」
幼い身体の全身を使って、呻くように泣く。
親も、兄妹も、友人も、恩師も、馴染みの店も、好きな歌も、お気に入りの服も、バイトして買った様々な物も、全てを……失くした。
顔も、名前も思い出せない。『神様が消した』のだから思い出せるはずもないのに、それでも諦めきれない。
「ひっ……ぐぅっ……くっそ……ばっかやろうがッ」
何処かで間違っただろうか?
何処で失敗したのだろうか?
何がいけなかったのだろうか?
何処を直せばいい?
何をすれば良かった?
何故こんな事になった?
……無駄な思考だ。既に裁定は下された。
『如何様な手段を用いても、元の世界に戻る事はありえません。諦めて下さい』
わかっている。理解出来ないけど、疑ってはいない。けど、納得は出来ない。
「ーーッ………………ぅ…………ひぅ……」
後悔の重圧に押されるように寝台へ倒れ込み、枕に顔を埋めて感情を吐き出す。
儀式だ。ここで決別する。顔も名前も思い出せない彼等の為に泣くのは、前の世界に思い馳せるのは、ここで終わりにする。
ザーッと聴こえる激しい雨音が、まるで何かを洗い流しているように思えて、とても耳に心地よかった。
その音を聴きながら、泣き疲れた身体を睡魔の手に委ねて、俺はゆっくりと意識を閉じた。