ナスタ『60秒の分岐点』
現代において、瞑想とは精神安定・ストレス軽減のリラクセーションの手法の1つとして知られる。
アーリスが行っていたのも、目的とするのはこれで、他の意図は無かった……が、当人の知らぬところで、別の路を得てしまっていた。
瞑想は宗教的な側面を持つ。或いは寧ろ、こちらが本意と言えるだろう。
仏教において、煩悩などから解放され、輪廻を脱して自由の境地に到達することを『解脱』と呼ぶ。
『悟り』とは、迷いの世界を越えて、真理を体得することを指す。
表現が異なるだけで、この2つは同一のものを名指している。
――『涅槃』。
煩悩を滅して悟り・解脱の先にある完成した境地とされ、生死を超えた世界であり、仏教の究極的な到達点とも言われる。
簡単に言えば、輪廻から脱し、二度と現世に戻れない状態の事だ。
『死』と相違ない。
アーリスは、地球からアスガンティアに転生した。
地球の輪廻から外され、アスガンティアの輪廻に組み込まれた。更に拘束のない自由を神に赦されている。
――『解脱』を成している。
『赤』と『青』の世界を迷い抜け、この世の起こり、創世の真理に触れた。
――『悟り』を得ている。
極限までの濃密な死を魂で受けて、残された。
――『涅槃』を越えている。
瞑想とは、ある場所へ至る為の手段の1つだ。
それは何処にでもあり、何処にもない。
己の心の中に作り、
欲望を捨て、
未練を断ち、
肉体のある内に至れれば『覚者』と称される。
神すら想像だにしなかった、あり得ない概念。
可能性の獣。その思想が生み出してしまった万象の園。
大衆が至らぬままそれを共有し、実在の条件を満たした。
あらゆる教義が掲げる、至る為の本質。
それに触れてしまった魂が、
供物を得て、
瞑想を導に、
自覚なき新たな覚者として、
今、その場所に至る始路を繋ぐ。
『浄土』とゐふかたゑ至る路ヲ
アーリスの内に居るナスタは、声にならぬ悲鳴を上げた。
今尚、ナウゼルグバーグの干渉は止まらない。
抑えるのに手一杯な状況下で、不意に現れた『路』。
細い、本当に細い蜘蛛の糸の様な路。
弱々しく、か細い。
――『恐ろしい場所』へ続く路。
(……何なの、あれ……)
路の先の異界と在り方に愕然とする。
アスガンティアには仏教など存在しない。
そもそも死後を思わない。
生きることに執着し、固執するのは生命として当然だ。
地球が異質。
其処に住まう者達が異端。
相反する思想を受け入れる土壌を得た例外の民。
言語と時代の境界を払って共有する集合的無意識。
生の先の先、死の向こうを追い求める愚考。
仏教は数多の教義の1つでしかないと言う驚愕。
多くの宗派がこぞって、
競う様に求めて、
至れぬと嘆いて、
それでも追い続けた、
生者には何の価値も無い彼岸の果ての果て。
ナスタが知れば、その異常性に狂気の二字を投げただろう。
理解出来ない。
総毛立つ理由すら思い浮かばない。
確かに其処に有る。
しかし其処には無い。
身の内に在る虚ろ。
蜘蛛の糸が示す空虚。
(私は『何を』主人にしたの⁉︎)
――◇◇は、只人の中にあっていいものではない。
《――ッ!》
駄目だ。
絶対に駄目だ。
◇◇にマナを流す訳にはいかない。
素力をあんな所に流したら、
『全て還ってしまう』
《あああああああぁぁぁぁぁ!!!!!》
全霊でもって挑む。
暴風がマナを搦めとる。
アーリスが譲渡した子供騙し。
その一片。その一端。基本の円。
ナスタの周りをマナが渦巻く。
決死の覚悟で風を手繰る。
決死の想いで風を廻す。
守りの術と覚者が告げた、方便の台風。
局地の天災。
循環する風が、粒子の一粒すら逃がさず捕らえる。
『精霊』では契約に縛られて身動き出来ない。
『火』では追いつかず、『木』では越えて行ってしまう。
『土』では路を埋められず、『水』では溢れてしまう。
幾星霜と繰り返された試みの中の最適解。
この局面は、『風の妖精』でなければ打破出来ない。
アーリスが瞑想を終える迄の、
たった60秒の世界の分岐点。
【「見事」】
ナスタリアルプテニトピットはこの難所を凌いだ。
使えぬと、役に立たぬと蔑まされ続けた属性。
『風』の力が、アスガンティアを救済した。




