『初戦』
こちらの手番が来ないまま、作戦の全てが瓦解した。
戦略も戦術も意味を為さない。
これらは盤面を用いて謀るものだ。
盤面がひっくり返されてはどうしようもない。
――最弱の魔獣が、俺のマナを得て『最恐』に化けた。
黒い靄を浴びてしまったのだろう。
外部登録者のものと思われる悲鳴や、呻きのようなものがあちこちから聞こえる。
……と思えば、それらが突然プツリと途切れて耳に入らなくなった。
(……シャリアか)
意識を向ければ、耳の中の圧迫感が増している。
この状況で慌てずに、自身の役割を果たす胆力のある娘。
何と、俺の専任侍従にしてお嫁さんである。
(……余裕あるな、俺。……喧嘩すらした事がないのに)
人生で初の実戦だ。
レーゼルの記憶があるとは言え、もう少し緊張なり、恐怖心なりがあっても良さそうなものだが……、
(ナスタ? ナスタさ〜ん?……ダメか)
マナが吸い取られる、と言っていた。
今懸命に押し留めているのだろう。
自分の中で、何かがぐるぐる蠢いている感覚がある。
……『マナを回している』。
さっきレクチャーした子供騙しの1つだ。
自分の身の回りを、風で守るという『方便』で教えた。ここから台風の発想は難しいだろう。
風の『円の循環』は早めに縛って置きたい。
下手に隠して自分で気付かれるよりは、俺が誘導した方が危険は少ない筈だ……たぶん。
(……静かだな)
精霊耳栓の効果で、全ての音が消え失せた。
周囲は一面の黒。
黒い靄が広がって、世界は一変してしまった。
(レーゼルの時より薄いかな?)
視界を完全に遮るようなものじゃ無い。
薄い霧のようだ。
……その霧の中を、悠然と歩く偉そうなワンちゃん。
――ナウゼルグバーグが現れた。
(……もう『逃げる』のコマンドが使えないな。雑魚じゃなかったっけ? コイツ)
最初の草原で、いきなり隠しボスに出くわしたかのような理不尽。
この規模の靄も想定外だ。
所々に靄の無いところがあるが、大人が躱すのは無理だ。子供がギリギリ抜けられそうなくらいしか無い。
……全滅と考えていいだろう。
現に、この距離で一矢も放たれていない。
(……援護なしじゃ、コイツに背中は見せられないな)
レーゼル戦で気付いた正体不明のあの現象。
結局、誰にも相談出来ずに来てしまった。
……説明したく無かったし、そもそも説明自体が難しいから、仕方ない。
思い付いた対策は1つ。
『絶対に目は離さない』。
視点を固定したまま周囲を探る。
その視界の端に、街壁の上に伸びる『赤い結界』がギリギリ見えた。
(……靄が街まで届いたのか)
――『街壁結界』。
見るのは初めてだが、間違いないだろう。
内壁、外壁にも同様の結界があるらしい。
囲むような造りは、この結界が要因の1つだと思う。
規模が異なるが、効果は普段の結界と同じ筈だ。
つまり、『音を遮断』し、『侵入を防ぐ』。
破壊するには『それ以上のマナ』が必要。
最上位強度を示す『赤』。それも、街を守る規模の結界だ。
……破る術は無い。
こちら側から街に戻ることは出来ず、街の戦力は隔離された。
そして、この靄の中で制約無く動けるのは、印の付いた俺だけだ。
要するに、ギャラリー背負ったタイマンが確定してしまった。
アーリスvsナウゼルグバーグ戦。
「……行くぞ、犬っころ」
開幕だ。
時間は無い。
耳栓は有限だ。街からなるべく離れずに、コイツを討伐しなければならない。
(…………?)
攻め時を見計らう為に、じっと見ていて気付いた。
ナウゼルグバーグの動きがおかしい。
(……何か、頻りに頭を振っているような……⁉︎)
不自然に傾いだ頭が、俺の姿を捉える。
「……やったな、レーゼル。『届いた』ぞ」
ナウゼルグバーグの左眼が潰れていた。どう見ても矢傷だ。
計画が立案されているのに、先走って台無しにするような馬鹿はいない。そんな奴はランフェスが起用しないだろう。
あの傷は、間違い無くレーゼルが付けたものだ。
最後の一撃。
守る為に穿った、最期の一矢。
――活かさない手は無い。
背中から弓を取る。
魔獣とは言え、動物の延長だろう。まして奴は姿形が犬だ。
両目が無くなれば、何も見えない。
(腰の矢は3本。『線』とやらを意識して……って⁉︎)
無音の世界の中で、ナウゼルグバーグが跳んだ。
「――ッ⁉︎ ざけんなよっ⁉︎」
――『時間を跳んだ』。
そうとしか思えない程、早回しのように接近するナウゼルグバーグ。
気付けば目の前だ。
見ていても知覚出来ない。いや、知覚出来るが反応が間に合わない。
――『身体への指示が寸断される』。
(どんなカラクリだよッ!)
異世界チート確定だ。
こんな現象を説明出来る表現を、俺は知らない。
身体を右に倒す、
――が、間に合わない。
体当たりに左腕を引っ掛けてしまう。
ミシッと、左肩の関節が軋む。
「――いッ、〜〜っ!」
力と速度に引っ張られる。
このままでは衝撃を殺しきれず、独楽のように回転してしまう。
(クソがッ!)
足の力を抜いて膝を折る。回って三半規管を揺らすくらいなら、倒れた方がマシだ。
視界を揺らすのもマズイ。目を瞑れ。頭を庇え。左肩に痛み。耐えろ。草原だ。突起は無い。背中に衝撃。倒れた。口を開けろ。肺の息を逃せ。勢いを殺しきれない。そのまま転がれ。草が顔を掠める。再び左肩。激痛。身体の下。捻った。回転が止まる。止まった。目を開けろ。立て!
グッと腕に力を入れて上体を起こす。
体当たりで位置が入れ替わった筈だ。
左肩の痛みを無視して急いで奴を探す。
……街壁門の手前に、悠然と立ち尽くしていた。
(……あっ!)
――天啓に似た閃き。
『大きな力には相応のリスクが生じる』。
レーゼルの時もそうだった。
体当たりの後、奴は無防備になる。
……そう、『体当たり』だ。
牙も爪も使わない。ただ突進するだけだ。
自分でもあの力を制御出来ていない。
急いで落とした弓を拾う。
……壊れてはいない、弦も無事だ。
腰の矢は1本折れたが、残り2本はまだ使える。
肩の痛みを堪えながら、弓に矢を番えた。
ナウゼルグバーグが俺を見て大口を開ける。
……たぶん、咆哮とやらだろう。無視でいい。
俺にはシャリアが居る。
「……チッ、いってぇなっ、もう!」
握力は無事だが、左肩が震えて的が定まらない。
即座に立射を諦めて、膝射に切り替える。
左膝を立てて、その上に真っ直ぐ左腕を置いた。
縦には構えられないので、水平に弓を取る。
『乱暴に言っちまえば、弦を引っ張って離せば、それだけで矢は飛ぶんだよ』
至極もっともだ。
時間の勝負。
奴が回復する前に、右目を穿つ。
「――いっつッ、あっ!」
弦を引いた力で肩に負担がかかり、痛みで思わず射ってしまう。
矢がへろへろと飛んで、ポトリと落ちた。
……ギャラリーの溜息が聞こえた気がした。超恥ずかしい。
「くっそッ! もう一回!」
ちょっと熱を持った耳が、羞恥を自覚させる。
……我ながら本当に余裕がある。恥ずかしがっている場合では無いだろうに。
絶体絶命の筈なんだが、危機感や恐怖心が湧いてこない。
(……犬だからなぁ……)
ナウゼルグバーグの外見が『犬』のせいだろう。どうにも締まらん。
矢はもう無い。2射目は慎重に。
……これが外れたら、外部登録者の矢筒でも漁ろう。
(……順番を変えてみるか)
先に線を引き、そこに矢を合わせて射つ。
こうすれば、肩に掛かる負担が少しは軽減出来る……かもしれない。
まず、ナウゼルグバーグの右目に集中。
そこから自分の後ろまで線を引っ張る。
そして、後ろに引いた線の先から、奴を見据える。
そのままを維持して、
弓を合わせて、
矢を――、
――――――『すっぽ抜けた』。
(……あれ?)
世界から色が無くなった。
ここまではっきりと意識がズレた事など無いが、感覚は知っている。
(……『瞑想』になっちゃった)
俺の中で、一層激しくマナが回り始めた。




