ランフェス『情念』
領主館の三階、北の住居棟中央に、領主アゼスターの私室がある。
レーゼルとの朝食を済ませた後、ランフェスは真っ直ぐに其処へ赴いた。
「おはようございます、領主」
「ランフェスか、おはよう。……レーゼルはどうだ?」
「だいぶ顔色が良くなっていました。ハウゼ医師の見解に誤りは無さそうですね」
レーゼルに精霊の力で触れたハウゼ医師は、体内のマナが、信じられない程充溢している事に気付き、即座に治療を辞めたそうだ。
「マナは生命の源です。回復力にも影響すると聞き及んでいましたが……凄いですね、外傷がほぼ消えていました」
「…………そうか」
口元を綻ばせて、父が呟く。
「……ならば、後は印の方か」
「ええ、動くのも苦では無さそうです。昨日の今日ですが、予定通り本日、成前式を行いましょう。本来の予定は午後でしたが、レーゼルに11時に行うと伝えてあります」
魔獣とは素力と何らかの因果を持つ獣の総称だ。
ナウゼルグバーグの印が、マナにどの様な影響を与えるか判らない。
もし、体内のマナを奪うようなものであれば、枯渇して死に至るだろう。
だが、紋章を得れば枯渇は免れる。
紋章が生命維持に必要なマナを徹底して保持するからだ。
……そして、もう一つ。
紋章を得る時、体内のマナは再構築される。
必要なマナだけを残して、不要なマナを一度全て放出し、入れ替える。
マナを効率よく運用する為だ。
上手くすれば、印が消えるかも知れない。
ーーそれに、
「……そうだな」
父が目を瞑って、……同意した。
……思う事はわかるが、これは必要な事だ。
彼にとっても……我々にとっても……。
「……土地の方ですが、北西の一区画を確保しました」
「……あの辺りは開拓も進んでおらず、閑散としている。理想的か……マナはどうする?」
「成前式を見てからの判断になりますが、レーゼルに任せようと思います」
「……それほどか?」
「医師が慌てて治療を辞める程です。……尋常では無い量でしょう。少し使わせた方がいいと思いますが?」
「……ふむ…………わかった、それで許可を出そう」
ほっ、と一息つく。
これで山を一つ越えたと考えて良いだろう。
「……そういえば、領民の暴動を懸念していました」
「……は?」
「レーゼル……いえ、アーリスに首の印が消えていない事を告げたら、『印を処理しなければ暴動が起こる』と……」
父が机の向こうで固まった。
「……何だそれは? 普通は出来ぬ発想だろう?」
「少々思い切って、生前に地政学か政治学を専攻していたか尋ねた所、専攻は数学と化学だそうです」
「……わかってはいたが、本当にレーゼルでは無いのだな」
「専攻していないという事は、自然に身に付いた、という事です……中央領に近い貴族、ひいては王族の考え方ですね。あの様な推測が飛び出すとは、思いもよりませんでしたよ」
本当に吃驚した。想定外すぎて固まる程に。
父が大きく息を吐きながら、椅子の背もたれに寄りかかる。
「……そちらは成前式の後で良い。それで、領民の方はどうだ?」
「騒がしいです。救難信号弾の黄色が拍車を掛けてます」
あれで、フロード全領民の知るところとなった。
「……ソギルといったか? まさか背負ってレーゼルを運んで来るとは……」
「彼はレーゼルを『遺体』として扱っていませんでした。生存者ならば、対応としてはそれほど間違っていませんよ? 黄色の信号弾のお陰で、先んじて医師の手配も出来ましたし……」
赤なら医師の出番は無い。
「……ただ、あれでは印が隠せません」
ソギルが先行したお陰で、領主側の対応は全て後手に回った。
命じた討伐隊もソギルに同情し、レーゼルを奪う様な事はしなかった。……寧ろ協力した。
「どいつもこいつも……」
父が頭を抱える。
「領民の『想定外』に悩まされるのが、領主の務めと言いますが……」
「他人事では無いぞ、ランフェス。その様に私を見て笑っていられるのも、今だけだ」
「大丈夫ですよ。余波は被ってますので」
やる事が多すぎて手一杯だ。
「済まんな、わしとナーシャルだけでは手が足らん」
「……そういえば、領妃は何処に?」
母の姿が見えない。
「ルインを抑えている。今、走り回られるのは困るからな」
ルインは、アゼスターとナーシャルの子、6歳の末っ子だ。遊びたい盛りの年齢で、止めるのに苦慮しているらしい。
「レーゼルを隠しておきたいですからね。面会謝絶で通してますから、ルインから情報が漏れ、領民に『実は回復して、普通に過ごしている』などとバレれば、押し寄せるでしょう」
「……あと3日もこの状態が続くのか……」
「シャリアと結ぶのであれば、今回の一件を利用しない手はありません。……凌ぐしか無いでしょう」
言いながら、私も内心で溜息をついた。
〈コンッ コンッ〉
ノックの音。
父を見ると、首を横に振った。
予定に無い来訪者のようだ。
これ以上の面倒は、心底遠慮したいのだが……、
「失礼します。アゼスター様」
現れたのは、カールネスだった。
「紋話にて連絡がありました。シャリア嬢は本日の午後に到着する予定、との事です」
「でかした!!」
父が机に両の手を突いて立ち上がる。
私も内心で喝采を上げた。
(素晴らしい! 流石は我が妻!!)
よもや私を謀るとは!
「これで大分楽になります」
「ああ、現在の警戒態勢も明日で切れる。マナが浮いたな」
「……恐縮ですが、追加で言伝が御座います」
「? 何だ?」
「シャリア嬢が到着したら、リムルツェーケルにマナを与えて欲しいそうです」
「……………………」
父が絶句した。
リムルツェーケルは魔獣だ。直轄地の以外の街には、一頭ずつしかいない。
他の獣の追随を許さぬ程に速く走るが、走った分『マナを大量に喰らう』。
「……断れませんね」
「……才女ならぬ烈女だな。お前の嫁は」
「今度、伝えておきますよ」
さぞ喜ぶだろう、
我が妻、メルシアであれば。




