『新居初日』
引っ越してから一夜が明けた。
チラリと時計を見れば、時刻は6時ちょい過ぎ。
起きるにはちょっと早い時間なのだが、フラットから完全覚醒してしまった。二度寝は難しい。
「…………起きるか」
諦めて布団をばさり。
寝台の隣、洋燈の横にある水差しから水を注いで、ぐいっと飲む。
最近気付いた事だが、アスガンティアには『歯磨き』の習慣が無い。
動物は食べなければ生きていけない。
食べるには咀嚼しなければならない。
そして、咀嚼には歯が必須。
生涯使う重要な器官で、損なえば日常に相当の負担が課せられる事になる。虫歯はかなりたちが悪い疾患だ。
(昔は大変だったらしいからな〜)
アスガンティアではなく前の世界の話になるが、大昔の虫歯への対処法は、かなり酷い有り様だったらしい。
歯の神経を『歯虫』と誤認して穿刺したり、歯痛を治めるのに、お灸や焼灼法なんて処置を行っていたそうだ。想像するだけで痛え。
適切な治療法が確立されていればいいが、根底の常識がズレてる異世界にそんなもんは期待出来ない。
……考えすぎだったけど。
医療の発展は、為政者に課せられる命題の一つだ。
疾患の発症から、
傷病の共有→
原因の特定→
要素の解明→
対処の研究→
治療の確立→
予防の周知と実施。
……ちょこちょこ前後するだろうが、ザックリこんな感じだろう。
重要なのは予防の方法。この位置で何をしているかで、その国、その地域での文明水準が推し量れる。
有用・有効な知識や技術が、上位の支配階級に独占されるなんてのは世の常だろう。
医学関係なんて最たるもので、為政者の才覚次第では、予防方法が民間に広まるまで、かなりの時間が掛かったりする。
貴族が実権を握るアスガンティアでは、最悪民間まで予防法が届いていない可能性もあったし、「アスガンティアには歯磨きの習慣が無い」と思い起こした時は、かなりドキッとしたが杞憂だった。
朝晩と毎食後のティータイム。この時に飲む水やお茶には《浄化》が付与されていて、これが食後の口内を綺麗にする『歯磨き』に相当するらしい。
……良かったよ。いや、本当に。
(特に10歳前後は生えかわりの時期だしな。気を付けないと、永久歯が変な生え方する可能性がある)
…………嫌な想像をしてしまった。何時もより念入りに口の中で回しておこう。
ガラガラごっくんと口内洗浄を終えたら、ぐりぐりと首と肩をほぐしつつ、寝台から降りて近くの窓へ。
窓際にある《木動》の紋章陣に触れる。
適当にマナを送ると、ずりずりとカーテンが持ち上がっていった。
「やっぱ豪快だなぁ……」
昨晩シャリアが動かしていたので、どういうものかは知っていたが、何度見てもダイナミック。
高い天井を活かしたのかどうかは知らないが、この部屋のカーテンは横ではなく、縦に捲るように動く。
カーテンの両端から伸びているワイヤーが、天井付近の木材のシャフトにくるくると巻き取られていき、最終的にはハンモックのような状態になるのだ。目が楽しいです。
(ん〜、でも外の景観はイマイチ……)
窓の外を見て胸中でぼやく。
敷地内の植林エリアの向こうは、何も無い未開拓平原で、その先には北の街壁が建っているだけである。見どころゼロだった。
(……着替えっか)
今日のスケジュールを考えながら、クローゼットに向かう。
(午前はリリアの訓練と精霊契約。午後は書類整理……)
訓練となると、動き易い服の方が良さそうだ。
クローゼットから手頃なのを見繕って、ちゃっちゃと着替え始める。
「アーリス、おはよう」
着替えていると、シャリアの部屋に繋がる直通路のドアから、ナスタがひょこっと顔を出した。
「おはよう……って、どっから出て来てんだよ」
「シャリアと今日の予定の打ち合わせしてたのよ」
「ふ〜ん」
言ってる間にササっと着替え完了。
「リリアの精霊契約を先にしたいんだけど……どう?」
「別に構わないけど、何で?」
「その後を訓練にすれば、精霊も試せるじゃない」
「いきなり精霊の行使とか、大丈夫か?」
火属性はデリケートだって聞いた事があるけど……、
「何言ってんの、使わなきゃ何時迄も上達しないわよ?」
「確かに……って、リリアは本当に精霊と契約出来るのか?」
精霊契約は貴族しか出来ない。が、リリアは貴族ではなく、祖父から血統の繋がりがあるだけだ。
失敗してがっかりする姿は見たくないんだけど……。
「大丈夫よ。あんたと違って、リリアにはちゃんと『貴族の資格』があるから」
「う〜ん、なら良いけど」
……あれ? 今何か違和感があったような……、
「御主人様、入室しても宜しいでしょうか?」
違和の正体に気付く前に、直通路のドアの方からシャリアの声が聞こえた。
「着替えはもう終ってるから、入って良いよ」
「失礼致します」
ガチャリとドアが開き、シャリアが姿を見せた。
……いつもの侍女服なんだけど、昨日お風呂で全部見てしまった所為で、無駄な想像力が働いてしまい直視し辛い。
「……えっと、おはよう、シャリア」
なるべく表に出さないように挨拶をこなす……が、
「……おはようございます///」
視線から速攻でバレたらしい。耳を赤くして、ちょっと俯きがちになるシャリア。
……可愛いなぁ、俺の嫁さん。エルフっ娘だし、もう駄目かも知らんね、これは。
「シャリア、さっき話た通り精霊契約を先にするわ」
「はい、わかりました。朝食の支度の後、直ぐに準備致します」
こうして、新居での生活がスタートした。
ひ〜〜、無茶苦茶梃子摺った。
あ、この時期確定申告の為更新ペース落ちます。
よしなに。




