『常識』
ナスタの本は気にしない事にした。何を好き好んで爆弾でお手玉せにゃならんのかと……。慎ましく長生きさせて下さい。
そんな訳で、シャリアから台車をリースした俺は、作業効率を飛躍的に向上させる事に成功。午前中で順当にノルマを達成し、少し早めの昼食をとる。
その後、自室で書類の整理と確認作業を開始。
案の定山積みになっていた書類の一角を、ひーこらせっせと一つ切り崩したところでタイムアップ。夕食の時間になった。
シャリアの手料理で消費したカロリーをがっつりと補充し、食後のお茶タイムで今日の献立についての感想を語り合う。
「美味しかった! ソシエはお料理上手だよね〜」
「相変わらずの贅沢メニューだったな……」
「最後のゼリーは脳裏から絶対に消しちゃダメよ! 私が繰り返し楽しむんだから!!!」
「……太るぞ?」
「あ〜り〜得〜ま〜せ〜ん!」
「ナスタちゃん、い〜な〜……」
……と、そんな時だった。
「御主人様、お風呂の準備が整いました」
爆弾が投下されたのは…………。
ここで、常識について語ろうと思う。
常識とは、2つ以上の個体が、ある特定の物事に対して共通の認識・見解を示す事だ。
これが食い違う時に争いが発生し、参加する個体数と対象への執着の度合いが増す毎に、被害の規模が大きくなっていく。
……が、人間は理性を有する。素敵やな。
我慢が出来て、相手に合わせる事も可能な生き物だ。余程の事でもない限り、争いへ至る前に討議が試みられるだろう。
重要なのは、相手の主張に耳を傾ける事。自身の価値観に執着せず、理性を保って判断を下す事にある。感情に任せてしまうのは大変よろしく無い。
……と、頭では解っているんだけど、
「なんで一緒にお風呂!?」
肝心の理性を揺さぶられるとどうしようも無いのだった。
「なんで、って……普通でしょ?」
「何が!?」
「お嫁さんをお婿さんが洗うのが」
「初耳!!」
呆れ顔でナスタが語る。
「シャリアもリリアもあんたの『物』なんだから、ちゃんとあんたが磨きなさいよ」
「その『物』扱い、無性に気に入らないんだけど……」
個人の権利も尊厳も無視した考え方。
平気でなんの葛藤も無く『奴隷』なんて存在を容認出来る奴は、本気で頭がおかしいと思う。
「なんでよ? あんたなら大事にするでしょう?」
「大事にはするけど、そういう問題じゃないだろ!?……そもそも、仮宿にいた時はちゃんと別々に入ってたじゃないか!」
「仮宿は借家で、あんたのものじゃないでしょーが! 此処はあんたの家で登記も完了してるし、戸籍にも3人の名前が書かれているのよ? さっき書類で確認したでしょ!」
「ぬぐっ!?」
登記とか戸籍とか……想定外の切り口で返してきやがった。
「いや、しかしだな……」
「わっからない奴ね〜っ! 自分の『宝物』を磨くのは権利じゃなくて義務なの!」
「だから!………………は? 今なんと?」
「権利じゃなくて、義っ務っ!」
「いやその前」
「……宝物?」
「………………」
――思考停止なう。
一旦止まって遡って捏ねくりして再起動。
(『宝物』!?)
斜め上で予想外な単語。遥か上空でマニューバかまして離れていくくらい、俺とナスタの認識は見事にすれ違っていた。
「待って待って! なにそれこそばゆい!?」
「あんたの嫁なんだから、あんたの『宝物』で間違いないでしょうが!」
「いや、間違って無いけどちょっと待って!」
泣き落としに近い懇願で時間の確保に走る。
(嫁=宝物とか、アスガンティアさん!?)
これがこの世界の常識なのだろうか? まさか、こんな寓意が含まれていたとは、思いも寄らなかった。
『君は僕の宝物。』
若いと言うか、青いと言うか……恥ずい。
(これ、あれだよね? 俺が一番邪だったって言う……)
〔嫁=物=奴隷〕
では無く、
〔嫁=宝物=大事にしようね♡〕
……こういう事らしい。
(あかん……俺、知らない間にヨゴレてた)
スケベ大国とか呼ばれてた場所で育った弊害だろう。或いは、その手のものを読み過ぎた所為かも知れない。
いつの間にか歪んでいた自分の常識に、両手で頭を抱えて胸中で呻いた。ぬぉぉぅ……。
「……その様子だと、やっと理解出来た?」
「……はい」
「……あの、御主人様? 湯殿が冷めてしまいますので……」
「……はい。直ぐに行きますので、先に入ってて下さい」
物=宝物なのであれば、強く否定するのも憚られる。2人にも異論が無く、『嫁を大事にする夫の務め』となれば、応じざるを得ない。
……だけど、
「……ナスタさん」
「……今度はなに?」
2人が完全に離れたのを確認してから、改まってナスタに質問する。
……凄く聞き辛いが、
「洗うって、一体何をすれば良いのでしょうか?」
女の子の洗い方なんか存じません。経験も御座いません。
「……頭からお湯をかけるだけでしょ?」
「はい?」
「『浄化』にマナ石を置いて、手桶でお湯を掬って、ゆっくりとかけてあげるの」
「………………」
「………………」
「…………終わり?」
「……他に何かあるの?」
「………………」
……本当にヨゴレていたらしい。
(そういえば、アスガンティアのお風呂はそうでしたね……)
湯船に浸かれば綺麗になれる紋章式お風呂。
『スポンジでごしごし』みたいな、理性の限界に挑むようなイベントが生じる余地は、微塵も無かったようだ。
(良かった〜、大した事無いじゃん!)
お湯をかけるだけで良いなら余裕である。2人には散々世話になっているし、大事にジャブジャブかけてあげよう。
「――よっしゃ! 行ってくる!」
……この時の俺は、問題が途中から変わっている事に、本気で気付いていなかった。




