『掌上の儀礼』
ノックの音はドアの下部から聞こえた。
「すまない、開けてくれるか?手が塞がっているんだ」
ドアを開けると、両手に朝食を持ったランフェスの姿があった。
「おはよう、レーゼル」
「おはようございます、今日は侍従は?」
尋ねながら、朝食を受け取る。
「他に見られる前に打ち合わせがしたいからね、交代してもらったよ」
「……見られる?」
……何のことだろう?
「取り敢えず、其処のテーブルで朝食にしよう」
「ここで食事を?」
わざわざ二人分持ってきたのだから、予想は付いたが、
「……小さくないですか?」
一つトレーを載せたら一杯になりそうだ。
「昔やった事があってね……ほら、こうすれば載るだろう?」
そう言いながら、トレーを横向きにしてテーブルの向こう半分だけを使う。
……ファーストフード店の二人席みたいだな。
倣って隣に置くと、ランフェスとの距離が近い。
何となく、気恥ずかしくなった。
「……さぁ、いただこうか」
食事しながら会話するような事はしない。
前の世界でも、正直好きな行為では無かったが、アスガンティアでは完全に非礼に当たる。
食後の礼の後、トレーを片付けて、給水の時間で対談する。
「……薬は飲まなかったようだね」
置きっ放しの薬が見つかった。
「……あ……ごめんなさい、すっかり忘れてました」
「いや、ハウゼ氏からの報告を先に聞いていれば、不要だと渡さなかっただろうから、問題無いよ」
「報告?」
「健康そのものだと診断された。ナウゼルグバーグに襲われ、あの様な状態で運び込まれたのにね」
その時の情景は、俺の視点では知る事は出来ない。
「……君には礼を言わねばならない」
「え……?」
ランフェスが、今の簡易なテーブルから移るように、寝台の横にある椅子を指差す。あの時に、ナーシャルとランフェスが使っていたものだ。
移動している間に、「礼を言われるような事があっただろうか?」と、レーゼルの記憶を含めて探すが、思い当たらない。
椅子に座ると、ランフェスは居住まいを正した。その真剣な表情に、こちらも気を改める。
「父と私は……ある意味母もか、レーゼルが囮となったと報告を受けた時、酷く憤慨した」
ランフェスがその時の思い語る。
「騎士に傾倒していたレーゼルが、皆の為に犠牲になる事を良しとしたのではないか?と」
「それは違いますよ!」
即座の否定を、ランフェスがかぶりを振って止めた。
「ああ、わかっている。いや、知る事が出来た。あのままであれば私達は、レーゼルが騎士の本懐に酔い、自己犠牲に駆られて行動した様にしか思えなかっただろう。騎士の在り方として見れば、評価を得るかも知れない。だが、領主の子としては失格だ」
目を閉じて、思う。その通りなのだろう。
為政者の子、ましてやアスガンティアは世襲が常で、前の世界のように、投票で民意を問うような事はない。管理する側、支配する側の責任は、きっと、俺とレーゼルが考えるよりもずっと重いものだ。
「しかし、君の言葉でそれは覆された」
ーー軽挙に死を望み、挑んだ訳では無かった。
ーー覚悟は死ではなく生還に向けられたもので、
ーー願いは幼いが故に純粋で譲れないものだったと、
「ならば、その行いを咎められる者はいない」
……胸中の込み上げるものを、そのまま受け入れる。
それは、レーゼルの意志から生まれたもの。
素直に、兄に認められたと喜ぶ、幼い子供のもの。
(……よかったなぁ、レーゼル)
「領主代理、ナスター・ランフェス・フロードより、レーゼル・アーリス・フロードへ感謝の言葉を贈る」
「……レーゼル・アーリス・フロードより、その御言葉に掌上を掲げます」
これは、アスガンティアの貴族の間で行われる正式な儀礼。
両の手のひらを上にして、ランフェスに差し出す。
その手に、ランフェスが手を重ねる。
「ありがとう」
短く、強く告げられた感謝の言葉に、礼を返す。
「……掌上にて確かにお受けしました」




