第1話 深淵の水魔⑦
オスカーとの雑談を終え、いい感じに時間が潰せた僕は彼とは別の方向に向かう。
向かう先は今いる階の下へと続く階段。この城は部屋が蟻の巣状に遍在しており、階数を定義することができない。してもいいんだがすごくややこしくなることは目に見えているのだ。柔軟性の弊害とも言える。
「!…パティじゃないか」
階段を降りるとそこにはすでにパティがいた。
「あ、アーサーさん」
階段の一番下の段に腰かけていたパティは僕に気が付いて立ち上がる。
「あとどれくらいで着きそうだ?」
「数分といったところでしょうか。そろそろ見える範囲に入ってくると思います」
「そうか。じゃあ門を開けて、速度も落とさないとな」
今のスピードのままだと間違いなく城が近づいたことによって波が立ってしまう。
「Golem, slow down and open the gate」
「Yes sir」
ゴゴゴ…という重厚な音は響かせずに、さながらカーテンが開かれるように静かに門は開かれた。否、折りたたまれたというべきか。門を形成するゴーレムが組み変わり、門が開かれた状態に変形したのだ。
「えっと、オートマトンはどこだ…?」
ついさっき減速したばかりなので波はまだ大きい。それもあってか僕の目はオートマトンを捉えられずにいた。しかし
「あ、あれですね」
パティにとってはそうではなかったらしく、前方を指さす。
「え?どれだ?」
僕はパティの指先の延長に目を凝らすが、それらしき影は見つけられない。
「ほら、あそこです。丁度正面にいます」
「……」
僕はしばらく目を凝らすがやはり見えない。
「見えませんか…?」
「うん。僕の目にはまだ遠すぎて見えないな」
エルフという種族は基本的に人間よりも身体能力や五感が優れている。人間である僕が目視するには遠すぎたようだ。
「引き上げるまでにはもう少し時間がかかりそうだな。下がって待ってよう」
開いた門から海水が入り込んでくる。階段の3段目に僕達は並んで腰を下ろした。
「…結構水が入ってくるんですね」
のさばりかけた沈黙を追い払うようにパティが口を開く。
「ああ。オートマトンだけよりも水ごと中に入れた方がスムーズに入るだろうからな」
「こんなに水を入れて大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ。仮に沈んだとしてもパティは泳げるだろ?」
「泳げますが…それは果たして大丈夫と言えるのでしょうか」
いや、もちろん泳げるから沈んでもいいとか思ってるわけではない。
しかし仮に半分沈んだとしても僕が指示さえ出せれば城を変形させることで対応できる。
「なあパティ。アメンボは波紋でコミュニケーションを取るって知ってるか?」
突然の話題転換。今日は何かとアメンボが話題に上る。まあ今回に関しては上げたのは僕なんだが。
「アメンボが他の個体と意思疎通をするんですか!?」
兄と同じリアクションだった。いや、パティの方が大きめのリアクションな気がする。
「僕たちがしてるような会話ほど複雑なものじゃないけどな」
既視感を覚えるやり取りだった。
「そうなんですか…。確かアメンボの脚ってかなり敏感なんでしたよね」
それは知っていたのか。
「波紋を送って簡単な伝達をするんだ」
「波紋を、ですか…」
オスカーの時は波動だったが、パティも同じような言葉に食いつく。パティの中二病は仮病のはずなのに。
「それかもしれません!」
閃いたとばかりにパティは左の手の平を右手で打つ。
「何がだ?」
「亡国の翼です」
だから人の故郷を…いや、もういいか。
「亡国の翼の改良案を閃いたのか?」
「はい。突破口はアメンボでした」
まさか突破口になるとは思わずに上げた話題だったんだが、アメンボ型オートマトンで運ばせるとか言わないよな。料理なんて取り寄せようものなら間違いなく腐るぞ。
「具体的に聞かせてもらえるか?」
ふと海の方に目をやるとオートマトンらしい影が目に入ったが、話を聞くくらいの時間はありそうだ。
「亡国の翼の電波発信機を量産し、それを海に浮かべるんです。そして各装置で魔力の信号をリレーさせれば弱い魔力でも減衰する前に伝えられます」
なるほど。そうすればノラみたいな非常識な量の魔力を使わなくても魔法が使えるというわけか。今回は転送魔法を使うが、将来的には離れた敵に魔法で攻撃などできるようになるかもしれない。
「でもパティ。海に浮かべると波に流されたりしないか?」
「それはロープなどで繋ぐので問題ありません」
胸を張っているつもりなのか、パティがややのけ反る。
「いや、ロープでつなぐならもうそのロープに直接魔力を流せばいいんじゃないのか?」
魔導回路とかいう仕組みだ。これなら魔力は一切減衰せずに伝えられる。
「はっ!確かにその通りです」
「それに、エレツから波斗原までものすごい距離があるんだ。それをロープで繋ぐなんて無理だろ」
「物理的に不可能ではありません!」
むきになったパティは両手を握りしめて語気を強める。
「繋げたとしても、そんなに長かったら絶対どこかで何かが引っかかるだろ」
ものすごい漠然とした懸念だが、しかしかなり確信を持って言い切れる。
「それは…そうかもしれませんが」
シュン。という音が聞こえてきそうなほど分かりやすくパティは意気消沈する。
これは早いこと励ましてやらねば。
「まあ発想自体は良かったと思うぞ。最初に投入する魔力量を抑えられそうだしな」
しかし考えてみれば送信装置も受信装置も両方この城にあるという第一義的な問題は解決されてないのだ。
まあ言わないでおこう。さすがに可哀そうだ。
「さあ。話しているうちにもう目の前だな」
今やオートマトンがシャチ型であるということどころか、遭難者の姿さえはっきりと見えた。確かに彼女のまとっているものはノラの言っていた通りワンピース型の衣服だったのだが、そのデザインはあまりに簡素なもので、見ようによっては下着にさえ見える。履き物もサンダルのような簡素な造りのものだった。
「では引き上げます」
見事なまでの切り替えの早さでパティは立ち上がり、白衣のポケットから取り出した端末の表面を指でなぞってオートマトンを操作する。
主人からの指令を受け取ったオートマトンはその通りに動き、門から侵入する海水に乗って城内に侵入する。
「Golem, close the gate and drain the water」
「Yes sir」
僕は城に指示を出し、門を閉めて水の排出を始めさせる。
そしてふと思う。口頭で指令を出せる僕の城と端末で操作するパティのオートマトン、どちらの方が使い勝手がいいのだろうかと。
僕の城は思ったことをそのまま言葉にすれば動いてくれる。両手が塞がってても動かせるという点が長所だが、しかし城に適応している言語は僕しか知らない言語なので誰かに使わせたりいうことができないという短所もある。
逆にオートマトンは端末で操作するので端末を持っていれば誰でも操作できる。加えて複数のオートマトンに同時に指示を出すこともできる。短所といえばやや操作が難しいということくらいだ。
「アーサーさん。どうしますか」
パティから声を掛けられて我に返る。そんなことを考えている場合じゃなかった。
「まずは生存確認だ。彼女が息をしてい…」
「脈拍はあります。体温は低いですが生命に危険のあるほどではありません」
パティは視線を端末に注いだまま言う。おそらくオートマトンに脈拍や体温を測る機能がついているのだろう。
「それは何よりだ。じゃあ服を乾かして……あ」
今頃気づくとは僕もつくづくおろかだ。完全に失念していた。服を乾かすのにはノラの魔法が必要だということを。
惰眠を頬張っている最中に悪いが、ノラには起きて手を貸してもらうとしよう。
「パティ。ノラを起こしてくるからちょっと見ててくれ」
「分かりました」
僕は階段を上り、今日2度目となるノラの部屋を目指す。さて、機嫌よく起きてくれればいいが。
そんな懸念を抱きつつノラの部屋の前。
「ノラ。起きてるか?」
突然開けるのは礼儀に反するだろうと考え、一応ドア越しに声を掛けながらノックする。
「寝てるわ。近年まれにみる熟睡よ」
「近年まれにみる熟睡者がそんなにはっきり受け答えするか」
僕はドアを開ける。思えばこのドアを何事もなく通れたためしがない。
「何の用?添い寝ならいらないわよ」
「頼まれてもしない」
「添い遂げもしないわよ」
「冗談を言えるということはちゃんと目は覚めてるんだな」
「馬鹿にしないで。そうでなくとも目くらい魔法で覚ませるわ」
「それはしないってさっき言ってなかったか?」
「そうだったわね。忘れてたわ」
寝ぼけているんだろうか。だとしてもノラにとって魔法をかけるのは息をするようなもの。寝ぼけていても構わない。とにかく来てもらおう。
「門のところに例の遭難者がいるんだ。服を乾かしてやってくれ」
「分かったわ。…例の遭難者の意識は?」
「まだない。脈と体温は問題ないってパティは言ってる」
そう。と気のない返事をノラがよこした直後、視界が歪んだ。転送魔法はかけられ馴れているので別に問題はないんだが、普通に驚くのでやる前は一言ほしいものだ。
「あ、ノラさん。来てくれましたか」
「…パティ。特に変わったことはない?」
ノラからの質問にパティはうなずいて応える。
ノラは手の平を遭難者へ向ける。向けられた瞬間遭難者の衣服はより一層水を吸ったようになったが、すぐさま水気は失われ、乾いた衣服になった。
「これでいいわ。オートマトンの方も一緒に洗浄しておいたから」
「あ、ありがとうございます」
「洗浄ってどういうことだ?」
「どういうことって…」
ノラが驚いたような戸惑ったような顔で僕を見る。
「海水が付いたまま乾かしたら塩が付くでしょ?」
「え?ああ…」
うっかりしていた。確かにその通りだ。
「あの、アーサーさん」
パティが遠慮がちに声を上げる。
「何だ?」
「偵察に向かわせていたオートマトンなんですが」
「ああ、そういえば出動させてたんだったな。どうだった?」
「何も、見つけられませんでした…」
「…そうか」
となると本当に手掛かりなしか。この遭難者が目を覚ますまで待つしかないみたいだな。
「Golem, make a room with no entrance door next to the living room」
「Yes sir」
「何て言ったの?」
城からの返事の後、ノラが僕に尋ねる。
「リビングの隣に部屋を作らせたんだよ。出入口のない部屋を」
「この子を入れるための?」
いまだにオートマトンの上で眠ったまま目を覚ます気配のない遭難者に視線を落としてノラはそう言うが、この「子」と言えるほど年齢が僕たちと離れているようには見えない。
身長だってノラよりは高い。僕と比べると僕の方がまだ、否、まだまだ高い感じはしたが。
「まだまだは言い過ぎでしょ」
「いやそんなことは…」
「じゃあこの子はそこへ送ればいいのね?」
僕の反論が終わるのを待たずにノラは遭難者を転送してしまっていた。
「あの。アーサーさん」
ノラへの反論を再開しようとしたその時、パティが口を開く。
「出入口がないって言ってましたけど、密閉しているわけではないですよね?」
「え?密閉…?…あ」
パティの言わんとしていることを理解した。
僕はすぐさま城に命じて目に見えないほどの小さな空気穴を作らせる。危うく保護するはずの遭難者をじわじわ死なせるところだった。