第1話 深淵の水魔⑥
「遭難者はどうなったの?海の藻屑にすることにしたの?」
「することにしたわけがあるか」
「じゃあ何の藻屑なのよ?」
「なんで藻屑にすることが確定してるんだ」
「藻屑」が指定された時点で頭に着くのは「海」しかないんじゃなかろうか。まったく、本題に入れたと思った途端にこれだ。
「酔った弾みに言った言葉を持ち出さないでよ」
「お前の酔いはその酔いじゃないだろ」
それに持ち出されて困るような言葉でもない。
「パティのオートマトンを向かわせてる」
それと同時に周囲を探索するオートマトンも出動させたが、よく考えればノラは魔法で現場を見ているんだからその必要はなかった。
「ノラが見た時の遭難者の様子ってどんなだったんだ?」
「普通よ。普通の遭難者」
「遭難は決して普通な状態じゃないと思うんだが」
まあ、故郷エレツから弟達とともに遭難まがいの漂流を経て僕の故郷、波斗原に流れ着いたノラにとってはそうではないのかもしれないが。
「『普通』じゃ分からないならそうね…正確には分からないけど、身長は多分アーサーよりも低いわよ」
「誰もそんな心配はしていない」
まあ低いに越したことはないが、断じてそんな心配などしていない。
「髪は長い金髪、昔の私くらいの長さ。顔立ちは整ってたわ。よかったわね」
「何がだ」
「助けてもらったお礼に毎晩夢枕に立って貰えるかもしれないでしょ?」
「それで何の恩が返せるんだ」
恩を返される側としては寝てるときに枕元に立たれても返されてる実感がしない。
「無言の抗議かしらね。もっと早く引き上げろっていう」
「多分それ死んでるよな」
仇で返すつもりの恩だったようだ。
「冗談はこのくらいにして、魔法で覗いた時に見えたものを詳しく教えてくれるか?」
「別に特別なものは見えなかったわよ。その女の他には海が広がってるだけ」
「船とか、それと思しき残骸もないのか?」
「ええ、まったく」
となるとつまりどういうことなのだろうか。船ではないのだとしたら
「泳いできたってことか?」
「それはないと思うわ。着てた服は泳ぐのに向いてないようなワンピースだったから」
「じゃあ誤って海に落ちて流されたとか」
「それがありえるかどうかは海岸からどれくらい離れているかによるわね。それはアーサーの方が詳しいでしょ?」
僕はパティから教えてもらった遭難者の位置と世界地図の知識を脳内で照らし合わせる。
そしてすぐに自分の立てた仮設あり得ないと悟る。数日間流されたというならあり得るかもしれないが、そんなにも長時間波に揺られて無事とは考えづらい。
海で生命は生まれたが、しかし人間にとって海は想像以上に過酷な環境なのだ。
「まあここで話しても仕方ないな。何があったかは本人に聞けばいい。遭難者は生きているんだよな?」
「ええ。『万能の魔術師』の名に懸けて、それは保証するわ」
力強い断言だった。
「じゃあ僕は戻るよ。もしかするとオートマトンは現場に到着してるかもしれないし…お前はもう少し休んでるか?」
「ええ。惰眠を頬張るわ」
むさぼるのと比べて可愛げが付け加わっているが、多分することは一緒なんだろうな。
「じゃあごゆっくり」
そう言い置いてノラの部屋を後にする。
「考えれば考えるほど不思議だな。泳いで来られるような距離じゃないならやっぱり舟に乗ってきた…のか?」
しかしノラは付近に舟の残骸らしいものは見当たらなかったと言う。まあ舟の残骸が必ずしも水に浮くとは限らないといえばそうなのだが。
「舟から落ちたにもかかわらず他の乗組員に気づいてもらえていないとか」
間抜けなことこの上ない話だが、そんな仮説を打ち立ててしまうほどに謎の多い事件だ。
「主よ」
独り言を言いながら廊下を歩いているとオスカーに呼び止められた。
「相談したいことがあるのだが」
振り返った僕の目に映ったオスカーの服装はいつもの黒ずくめに戻っていた。
「引き上げた遭難者の扱いについて、客として保護するのか、それとも敵の可能性ありとして厳戒態勢を敷くのか」
「ああ、そうだな…」
正直迷うところではある。具体的な判断は実際に遭難者を確認してからの方がいい気もするが、しかしそれでは優柔不断になりかねない。早いうちに判断の仕方くらいは決めておいた方がよさそうだ。
「主は最悪の事態をどのように考える?」
「最悪の事態?」
「そうだ。遭難者を引き上げたことによりもたらされると考えられる、最悪のシナリオは」
なるほど、そういう観点から考えていくのも手か。しかしネガティブになろうとすればいくらでもネガティブになれる今日この頃だからな。引き上げた遭難者が実は僕より背が高いというところから、遭難者に策士の座を奪われるという可能性まで、いろいろ考えられる。
しかし作戦に支障が出るパターンというのならば、
「引き上げたのがエレツの首都の関係者で、首都と連絡が取れる人物だっていう状況かな」
そうなると計画は大いに破綻する。エレツの王には感知されていない前提で進んでいるこの計画が、根底から覆されることになる。
「ふむ。なるほど。では仮にそうだった場合、遭難者は即刻始末か?」
「いや、それはさすがに…」
やりすぎだと言いかけて僕は言葉を呑む。
僕たちがやっていること、やろうとしていることは本来そういうことなんだ。必要であれば何であろうと排除して前に進む。それくらいのことをしなければ成し得ないことなんだ。
「いや…確かに、そうすることが必要になるかもしれないな」
「了解した。…では」
「いや待て。でも駄目だ。それは最終手段だ」
「…予備のプランということか?」
予備というよりは本当に緊急の最終手段だ。使うつもりのない、置物のようなプラン。
「考えてもみてくれ。もし引き上げたのがエレツの、それも首都の要人とかなら手厚く介抱すれば見返りが期待できるかもしれないだろ?仮にそうじゃなかったとしても、エレツの国民に知り合いがいるとこっちの気もかなり楽だし」
僕は必死に言葉を並べる。
魔物なら何が相手でも倒すつもりだが、人間は殺せない。魔物と人間では話が違うと、無意識とはいえそう思っていたんだ。今、言葉を交わしているオスカーだって他ならないエルフという魔物だというのに。
「だから、殺すのは駄目だ。こちらの身が危うくならない限りは…」
「理解した。では遭難者を引き上げた後の対応はそのプロトコルに従って進める」
表情からいくばくかの緊張を抜きながらオスカーは僕にそう告げる。
「さっきパティに確認してきたところ、どうやらあと20分ほどでポイントに到着するそうだ」
「20分か。何もせずに待つには長い時間だな」
とはいえ今からもう一度着替えて泳ぎに行くほどの時間はない。中途半端な時間だ。
「ではもう一つ聞きたいことがあるのだが。構わないか?」
「何だ?」
「ウミアメンボを知っているか?」
「え?」
ウミアメンボと言えば海に生息するアメンボの仲間だ。少なくとも僕の知識ではそうなっている。しかしオスカーがそんな海の生物のことを聞いてくるだろうか。きっと何かの隠語に違いない。
「昆虫の方のウミアメンボのことを言ってるんじゃないよな?」
「いや、そのウミアメンボだ」
「じゃあ知ってるよ!」
思わず大きな声が出てしまった。数十秒前にかなりシリアスな話をしていたのにいきなり海の生き物の話とはどういうことだ。
「ついこの間パティとウミアメンボの話をしてな。その時に至るまで俺はアメンボが海水にも順応していたとは知らなかったから、主はどうかと思ってな」
「知ってたけど、しかしどういういきさつがあれば兄妹でウミアメンボの話なんかすることになるんだ?」
海の上を2週間も漂っていると話のネタが尽きてそういう話題になるんだろうか。
「いきさつというか、きっかけはノラがアメンボに関する魔法の話をパティとしていたことだ」
「アメンボに関する魔法?」
水の上を歩く魔法だろうか。それならわざわざ「アメンボ」なんて使わないで「水面歩行」でいい気もするが。
本人に問いただすほどのことでもないので忘れるとしよう。
「聞きたいことは終わりか?」
「ああ。以上だ」
「そうか…」
大して時間はつぶれなかった。
「じゃあオスカー。これは知ってるか?」
今度は僕から話題を振る。
「アメンボは水面に波紋を走らせて他のアメンボとコミュニケーションを取ってるんだぞ」
別にアメンボを掘り下げる必要もなかったのだが「アメンボ」という単語を耳にした瞬間から僕の脳にはアメンボに関する情報が溢れていたのだ。
「あのアメンボがほかの個体と意思の疎通を…!?」
オスカーが予想以上の食いつきを見せる。これだと知識のひけらかし甲斐があるというものだ。
「まあ僕たちがしてるような会話ほど複雑なものじゃないけどな」
だからアメンボたちは雑談をして時間をつぶしたりなどはしていないはずだ。
「主に縄張りの主張や求愛に使われるそうだ」
「信号のようなものということか…しかしそれは本当に成立するのか?自然の水面というものはいつも何かとさざめいている。正確に波を読み取るのは無理と思われるが」
「大丈夫だ。アメンボの脚はかなりセンサーとして優秀らしいからな。波動で水面に落ちたのが何か大体分かるみたいだぞ」
「波動を…」
波動という言葉が胸に刺さったのか、アメンボの脚の性能に関して何らリアクションを返さないオスカー。
「ところで王よ。そろそろいい時間なのではないか」
「王?」
僕のことを言ってるのだろうが突然の主から王への昇格。素直に「おうよ」とは返せなかった。
「今しがた思いついた。アーサーのことは今まで主としていたが、よく考えればここは城なんだ。『王』と呼ぶ方が自然だろ?」
城主という意味では確かに王は自然だが、その設定の発動のさせ方はこの上なく不自然だろ。会話の途中に思いつくことなのか?そういうのって。
「まあ呼びたいようにすればいいよ」
背の低さを連想させるような「ちび」とかでなければ本当に何でもいい。
「王のことを『ちび』呼ばわりする者などこの城の中には…」
思い当たる人物がいたのか、オスカーの目は泳ぎ、言葉は途中で止まる。多分僕と同じ人物を想起しているのだろう。
そう。あのノラとかいう万能なやつのことだ。