第1話 深淵の水魔③
「あと1時間ほどでエレツの領海に入る。一応言っておくが、エレツはそこまで排他的な国じゃない」
派斗原ではそれが禁止されていたため、僕たちの出航を巡って一悶着あったのだが、まあそれは過去の話だ。
「とはいえ、外から来た正体不明の船を黙って上陸させるような国でもない」
エレツは首都の他に5つの州がある。第1州のアルフヘイム、第2州の水魔城、第3州の妖精の園、第4州の獣人帝国、第5州の死人街。
与えられている権限は第1州から順に強く、年に一度開かれる「最高議会」で投じることのできる持ち票は第1州から順に5,4,3,2,1票だ。
「領海と海岸はそれぞれの州が警備にあたっているが、第2州だけは他の州とは違う。彼らの領土は領海と等しいからだ」
「その説明は前にも聞いたわよ。水魔城は海の底にあるんでしょ?」
「そうだ」
「本当に行けるのか?」「『すいあつ』ってのがあるんだろ?」
双子が普段使わないような知的な言葉を使う。
この質問にはパティが答えた。
「ククッ。それに対する備えは万全。水圧など我が作品『ブラッドバルーン』の前では恐れるに足りん」
ブラッドバルーン…随分穏やかでない名前だが。
「まあ、そんなわけで水圧は問題は無いみたいだ」
問題は潜る時ではなく潜った後にあると言える。
「僕の知識によると水魔城は水に関連する魔物が集う場所だ。クラーケンもいる」
「じゃあ今回はそいつを」「倒せば勝ちなんだな?」
「その通りよ」
僕が突っ込みを入れるよりも早く、ノラは応える。
「その通りなわけがあるか。勝手に返事をするなノラ」
クラーケンは非常に強力な魔物だ。まあシニステルとデキステルであれば勝てるだろうが、今回の僕らの目的は水魔城を乗っ取ることじゃない。
「まず忘れないで欲しいのは、今回の戦いは戦いであって戦いでないということだ」
「主よ。それはどういう…」
パティは首をかしげる。それを見たオスカーはいち早く口を開く。
「フッ。知れたことだ。生きることは万人にとっての戦い。故に生を超越した死闘は戦いを超越し…」
「違う」
長くなりそうだったので僕は途中でオスカーを遮る。
ノラといいオスカーといい、僕の考えと全く違うことを僕の考えみたいに言うのは止めて欲しいものだ。
「今回僕らはなるべく戦闘行為をしない。水魔城の皆さんと仲良くなりに行くんだ」
「仲良く?…冗談?皮肉?」
「いや、本気だ。僕が用があるのは首都だけ。残りの5つの州全部を敵に回す必要はない」
仮に州を一つずつ潰していったとしても、州の民を皆殺しにでもしない限り必ず首都に僕らの情報が流される。第一級の脅威として。そうなると本命の首都に近付きづらくなる。
「だから5つの州とそれぞれ友好関係を築くか、少なくとも敵対さえしなければそれでいいんだ。欲を言うと、いざというときに何でも一つ言うことを聞いてくれるくらいの借りは作っておきたいんだけどな」
「私、最近思いっきり魔力を使えなくて、かなり溜まってるのよ」
ノラが口を尖らせながらそんなことを言う。
「そんなこと言われてもな…花火でも撃ち上げてろよ」
「そうするわ」
ノラが転送魔法で自分の杖を自らの手の内に転送し、それを握って椅子から立ち上がる。
「待て。今はやめろ。作戦会議中だし、その花火で本土にばれたらどうするんだ」
「それもそうね。会議が終わったら城の中で撃つわ」
それもやめろ。と言いかけたが、家具の無い部屋を特別に作れば、強度的には花火と言わず爆撃魔法でも何でも撃たせてやれる。が、それは今検討すべきことではない。
「話を戻すぞ。えっと…どこまで話したっけ?」
「今回の目的は戦闘ではなく友好関係を築くことだというところまでで…までだ」
パティが教えてくれた。僕は一つ咳払いをして話を再開する。
「水魔城の城主はアプサラスだ。名前も人物像も分からないが、少なくとも戦闘向きな種族ではない」
「戦闘向きじゃないなら勝てるんじゃねえのか?」「ひとつくらい滅ぼしてもバレねえだろ」
「エレツの情報網を舐めるな。州一つが滅ぼされて感知しないわけがないだろ。それに、城主が戦闘向きでないというだけで、防衛の要はクラーケンだろう。城主を倒しても州に勝ったわけじゃない」
城主が戦闘向きじゃないということは、それ以外の者が戦力として非常に優秀だということだろう。そう。丁度僕達みたいな構図だ。
「水魔城にいる種族で戦闘向きなのはクラーケンとケルピーとアーヴァンク。戦闘向きではないが戦うだろと予想されるのはニクスとニクシーだ」
クラーケンはまだしも、他の戦闘力は大したことない。つまり、軍隊を形成すると予想される。
「絶対に相手を刺激しないことだ。異国から迷い込んできた権力者を装うんだ」
まあ装わなくても僕達は派斗原から派遣された正当な大使だから、権力者ではあるんだが。
「主よ。…権力者を装うよりも遭難者の方がいいのではないかと…」
パティが遠慮がちに進言する。
確かにそれだとすんなり入れてもらえるだろう。しかし
「駄目だ。それだと相手はこっちに貸しを作ったと考えるだろう。僕たちが目指すのは対等か、こっちが少し上くらいの関係だ」
「なるほど…理解した」
やや俯いてからパティは得心いったように頷く。
「で、つまりどういうことなのよ?私たちは何をすればいいの?」
ノラが机に顎を載せて声を発する。そろそろ話し合いにも飽きてきた様子だ。
双子に至っては座りながらスパーリングみたいな取っ組み合いを始めた。
「交渉は全て僕がする。オスカーとパティは僕と一緒に来てくれ。アルフヘイム出身の者がいれば多少まともに取り合ってくれるだろう」
「御意」
「御心のままに」
「その際なんだが2人とも、できればいつもの話し方は抑えて欲しいんだ…」
パティの中二病は仮病だから心配ないだろう。心配なのはオスカーだ。水魔城の城主の前で「無限を宿した右腕」を振りかざされると厄介だ。
「…フッ。いいだろう。水魔城では右腕の力は抑えておこう」
「私も左腕の力は多次元的に相殺させるとしよう」
「本当か?」
懸念は呆気なく解消された。序列1位アルフヘイムの名家出身というのは伊達ではないのかもしれない。
胸を撫で下ろして僕はノラに向き直る。
「ノラは僕と一緒に来たければ来てもいいけど、その代わり愛想よく笑ってるんだぞ。それが無理なら留守番だ」
「馬鹿にしないで。一緒に行くわ。愛想のいい笑顔なんて魔法を使えばいつまでだってできるわよ」
それはできると言っていいのだろうか。
「もし向こうが問答無用で襲ってきた時のことを考えなさいよ。パティとオスカーだけだと心もとないでしょ?」
「そんなことありま…!そんなことは無い…。世界広しと言えど私の『作品』を使いこなせるのは兄者のみ」
パティの言う通りパティが発明する武器をまともに使えるのは今の所オスカーくらいのものだ。
とはいえその戦力はノラに遠く及ばない。やはり着いて来てもらうに越したことは無さそうだ。
「確かにオスカーとパティの連携があれば心強い。けど、そうだな。ノラの言う通り、万全を期するためにノラにも来てもらうのがいいだろう。…で、シニステルとデキステル」
僕の呼びかけに双子は同時にこちらを向く。
「お前たちには留守番を頼む」
「何でそうなるんだよ」「俺らも行かせろよ」
僕の言葉の直後、双子は不満に顔をしかめる。しかし来させるわけにはいかない。彼らなら何らかの弾みに宣戦布告にも等しいことをしかねないからだ。
「お土産は持って帰るから。城を守っててくれ」
「城にはもう飽きたんだよ」「お土産は欲しいけど外にも行きてえよ」
「飽きたって…まだここにきて2週間だろ?」
「最初の2日で探検は終わった」「7回も同じ場所で遊んだら飽きるだろ」
この決して狭くはない城を2日で隅々まで探検したとはなかなかだが、考えてみればこの城には双子にとっての娯楽がない。隠し通路や秘密の部屋とかの増設は真剣に検討してもいいかもしれない。
「泳げると思ってずっと楽しみだったんだぞ」「これから行くのは海の国なんだろ?」
「いや、水魔城には空気があるから泳ぐ機会は無いと思うぞ」
水魔城は海底にできた洞窟の中に位置し、海の底にして空気がある。水魔城内での活動は陸上と何ら変わることなく行える。
「え!?聞いてないぞそんなこと!」「じゃあ俺らはいつ泳げるんだよ!」
「お前らそんなに泳ぎたかったのか…?」
双子の剣幕に僕は思わず気圧されそうになる。
「だったら、水魔城に行く前に少し水遊びでもするか」
「エレツの海上で?」
「いや、海で遊ぶわけじゃない。…パティ。水の備蓄は今どれくらいある?」
「確か貯水池は満タンだったはず…しばしお待ちを」
言ってパティはポケットから手のひら大の端末を取り出し、人差し指でその表面を暫く撫でる。
「間違いなく、貯水池は満タンである」
「つまり10万リットルか、じゃあその水でプールでも作るよ。…貯水してるのとは別に海水は淡水化されてるんだよな?」
「いかにも。ストックは全て使っても問題ない」
エレツに着くまではあと50分くらい。10分で準備はできるだろうから、30分は遊べる。双子に関しては留守中も泳いで貰っていて構わない。
「あ、待てよ。みんな水着持ってるか?」
「ないわ」
「まあ別に」「裸で泳げば」
双子はそう言うがさすがにまずかろう。
というか水着を持ってないのは僕もだった。
「主よ。それに関しては問題ない。我が手配しておこう」
「パティ。頼めるのか?」
「防水性、防刃性、伸縮性に富んだ素材の合成に成功したのだ」
防水性と伸縮性は水着に必要かもしれないが、防刃性は必要なのだろうか。
まあ、すでにその素材ができているというのであれば使って貰っても一向に構わないのだが。
「我と兄者の分は既に出来上がっているが、5分もあれば全員のスーツは用意できる」
「じゃあ5分後にここに集合して水着を受け取り、着替えが終わり次第屋上に来てくれ。屋上への階段はここに作っておくから」
「分かったわ」
「じゃあそれまで」「準備運動してくる」
双子は椅子から立ち上がり、猛然と駆けていった。準備運動の準備運動が必要なのではないかと思われるくらいの勢いで。
「そう言えばパティ。サイズは測らなくてもいいのか?」
「問題ない」
パティは端末から顔を上げ、力強く頷く。
「みんなの体格のデータは取得済みなうえ、伸縮性に富んだ材質なので多少のサイズ変化にも対応できる」
「サイズ変化…ねえ」
そう言ってノラは僕の頭頂部に目をやり、順につま先まで下ろしていく。
「何が言いたい」
「アーサーは出会った時から身長変わってないわね」
ノラはことあるごとに僕の背が低いことをからかってくる。確かに僕の身長が同世代の平均よりも低いことは事実なのだが。
「それを言うとお前もだろ」
「私はいいのよ。女は小柄な方が愛されやすいでしょ?」
そうなのだろうか。確かに僕にしてみれば自分の身長の低さの分、小さい人の方が親近感が湧くというか、好感を持ちやすいが。
「いや、そんな無駄話してる場合じゃないんだ」
「そうね。アーサーは忙しいから自分の背の低さに対する言い訳をいちいちできないのね」
何とでも言っていろ。僕が無駄話をしている場合じゃないというのは本当だ。
「Golem. Make stairs to the roof」
「Yes sir」
天井を階段に変形させ、僕は屋上にプールを作るべく出来立ての階段に足を掛けた。