第1話 深淵の水魔①
「今日で丁度2週間か…」
僕が故郷である波斗原を出航してからである。
「…帰りたい」
自室のベッドの上で独り寝返りを打ち、枕に顔をうずめながら僕はそう呟く。
僕は今「万能の魔術師」ことノラ・カタリスト、「万全の剣士」ことシニステル・カタリストとデキステル・カタリスト。それにエルフの兄妹オスカー・テンペストとパティ・カタリストを加えた総勢6人で自作の船兼城に揺られながらエレツを目指している。
いや、実際のところこの城は良くできていてあまり揺られている実感はない。ちなみに設計したのは僕だ。
「ああ、帰りたい」
さっきから帰りたいしか言ってない僕は何を隠そうホームシックだ。目的地には明日が到着見込みだというのに。
「はあ、帰りたい」
僕の脳は既に口の制御を諦めたらしい。とめどなく僕の口からは「帰りたい」がこぼれる。これはこの自室という空間も影響しているのだろう。
この部屋は僕の指示だけですぐさま変形する材質でできており、思うままに模様替えができる。その上硬度はダイヤモンドに勝るという優れものだ。
そんなわけでこの部屋は極限まで僕にとって居心地のいい空間となっている。
「もう帰りたい」
しかしだからと言って部屋で寝たきりというのはよくない。人間は寝たままだと1日で筋力が数パーセント落ちるらしい。正確な数字は知識を探れば出てくるのだろうが、既に僕はそれすらも面倒臭く感じていた。
さすがにこのままでは駄目だと思った僕はベッドの上で一つ伸びをし、上半身を起こす。
そろそろ外の世界に出よう。
そう決心をしてベッドから下り、ドアを目指して歩き始めて3歩
「アーサー!できたわよ!」
内開きのドアが勢いよく開かれる。もう少し早く歩き出していれば激突していたところだった。冷汗が一筋、僕のこめかみを経由して顎を伝う。
「アーサー。できたのよ!」
声の主は第一声が僕の耳に届かなかったと思ったのだろうか。語尾を変えて再度繰り返す。
「ああ、聞こえてたよ。…お前が自分の足で走って来たってことは、よほど大変なものができたんだろうと思ってな」
やってきたのはノラだった。いつもならドアを使わずに転送魔法で直接部屋まで飛んでくるのに。
こいつが走っているのを見るのは初めてな気さえする。
「来たら分かるわ」
そう言ってノラは録に説明もよこさずに僕の手を掴み、部屋から引きずり出した。
走ることによって彼女の肩にも届かないくらいの短い金髪は微かになびく。
「なあ!転送魔法があるんじゃないのか。何で僕たちは走ってるんだ?」
「あ」
一瞬ノラは足を止めたが、すぐにまた走り出す。僕からの言葉は聞こえなかったことにするようだ。
ノラに倣って同じ内容を繰り返すということも頭に浮かんだが、彼女に自身の失敗を再確認させるような発言をすれば僕の身の安全が危ぶまれることになるだろうから黙っておくことにした。
彼女に手を引かれ、僕が連れていかれたのはキッチンだった。否、規模を鑑みると厨房と言うべきか。食事当番である僕にとってここは職場でもある。
「ククッ。我らが主のお出ましか」
「フッ。目にものを見せてやるとしよう」
厨房で僕を待ち受けていたのは緑髪緑眼のエルフの兄妹、自称「右手に無限を宿す者」のオスカーと、同じく「左手に虚無を宿す者」のパティだった。
オスカーは黒ズボンに黒のコート、それに黒の穴あき手袋という黒づくめ。対してパティは白のブラウスとベージュのタイトスカート、その上から白衣を羽織っている。正反対とも言える服装をした兄妹だ。
2人とも同じおかっぱのような髪型だが、毛先と前髪に両者の違いを見いだせる。オスカーは前髪で顔が隠れがちで毛先は不揃いなのに対して、パティは前髪を額の両端でピン止めによって止めている。毛先も兄とは違って一直線だ。
「『目にもの』って、何を見せてくれるんだ?」
「潮離の料理よ!」
答えたのはノラだった。
潮離とは、故郷にいる僕たちの協力者のことで、主に1日3食提供するという形で協力してくれた。
「ノラ。潮離は派斗原にいるんだぞ。今僕たちがいる海域では遠すぎて転送魔法でも届かないって、出航前にお前そう言ってたよな」
「ええ、その通りよ」
ノラは誇らしげに胸を張るがいまいち、いや、全く話が噛み合ってない。謎は何も解決されていないのになぜ何かを成し遂げたみたいな顔をしているんだこいつは。
「分かった。あれだな、長いこと海に揺られて頭がおかしくなったんだな」
「そうかしら。確かめてみる?」
言った直後、目の前に丁度僕の顔と同じくらいのサイズの魔法陣が現れる。
「よく分かった…。今日も絶好調みたいだな」
「分かってくれればいいのよ。じゃあ景気づけに爆撃魔法でも発動しておこうかしら」
「止めろ。洒落にならん」
「冗談よ。表情がランダムになる魔法にしておくわ」
「それも止めろ。会話がしづらくなる」
閑話休題。
「で、厨房の景色の変化から察するに、ノラの監督の元、パティが転送魔法を補助するような装置を作ったんだな」
「フッ。概ねその通りだ」
「ククッ。さすがは我らが主。何でもお見通しというわけか」
僕を称賛しながらも自信に満ちた表情と物言いは崩さない2人だった。
「まさか。何でも知ってるけど、さすがにお見通しではないよ」
そんな僕にも「それ」を、厨房の一角に現れた1メートル四方の黒い立方体とそこに数本のケーブルで繋がれた板状の装置を、見ることはできた。
昨日までそれがなかったことは料理当番の名に懸けて断言できる。いや、別にそこまで誇りに思っているような役職ではないが。
「何でもいいからこの装置の…」
「主よ。これは確かに装置だが、他に名前はちゃんとある」
「説明をしてくれ」という僕の言葉を遮ってパティがそう告げる。確かに彼女はこの装置以外にいくつも装置を作っているのだから名前は必要だ。
「何ていうんだ?」
「フッ。よくぞ聞いてくれた」
パティではなくオスカーが右手で顔の右半分を覆い、一歩前に出る。パティの作った装置などの名前の大半はオスカーがつけているのだ。
「この箱の名は…『亡国への翼』だ」
右手の指と指の間からオスカーの誇らしげな表情が伺えるがしかし、聞き捨てならない。
「『亡国』って、波斗原のことだよな…」
「まさしく」
「僕の故郷を勝手に滅ぼすな」
この兄妹にとっても波斗原は第二の故郷だって、いつか言ってた気がするんだが。
「話を戻そう。名前は分かったから、そろそろどういうことなのか説明してもらおうか?」
本日2度目の閑話休題だった。
「いいわ。説明なら私に任せて」
説明好きのノラが名乗り出る。
まあノラの説明は少々熱が入りすぎる時もあるが、基本的に知ってるだけで何も見えてない僕にも分かるような丁寧な説明なので、案ずることは無いだろう。
しかし今日の彼女がいつもより大人しい感じがする。
「まず、ざっと概要を説明するわね。これは転送魔法の射程を伸ばすための装置よ」
「それで波斗原まで届くようになったってことだよな」
「ええ、但し送れるのは無生物だけ。…どうしても生物を送りたいなら、まず自分で実験して」
「いや、遠慮しておくよ」
無生物だけでも十分だ。
「で、どうやって射程を伸ばしたか、だけど…ここからは私の専門外なのよね。だからパティ。お願い」
「何だ。お前がするんじゃないのか」
しかしノラの目の輝きが弱かった理由は分かった。
「御心のままに…兄者。悪いが少し外していて欲しい」
パティからの要求にオスカーは一瞬表情を曇らせたようにも見えたが、しかしすぐに
「トップシークレットならば仕方ないな。部屋の外で待っていよう」
と言い、さして気分を害した様子もなく素直に厨房を出ていく。
オスカーが厨房の扉を閉めたのを確認してからパティは口を開く。
「…お兄ちゃんには悪いですけど、今から話す内容をお兄ちゃん仕様の喋り方で説明するのはちょっと厳しかったので…」
そう。パティはオスカーの前では彼同様の大仰な喋り方をし、「左手に虚無を宿す者」を名乗ってるというか気取っているというかしているが、その実彼女は兄に合わせているだけで普通に普通の女の子なのだ。
「え、では気を取り直して説明を始めます」
彼女は白衣のポケットに両手を突っ込み、しばらく俯く。ややあってから顔を上げると同時に両手をポケットから引き抜く。
パティの一連の動作は考えを整理する時の癖である。
「まず、魔力の正体はエネルギーです。そして魔術師は魔法によって外界に干渉する時、それを放出するんですが、放出された魔力は光と同じように進みます」
「つまり…真っ直ぐってことか?」
僕がそう言った直後、隣でノラが鼻を鳴らした。
それが鼻で笑われたのだと気付くよりも先にノラは口を開く。
「アーサー。あなた、私が魔法を使うところ見てなかったの?」
言われて僕は記憶を探る。
「…お前の魔法はいつも真っ直ぐ飛んでたと思うけど」
「…そう言えば…そうね。基本私は最短距離を狙うから真っ直ぐしか飛ばしてなかったわ」
お返しに今度は僕がノラのことを鼻で笑ってやっても良かったんだが、そうすると僕が一生鼻で笑うどころか呼吸さえできなくされそうだったので自重することにした。
「パティ。今ので分かったと思うけど僕らに口を挟む余地は与えない方がいいぞ」
「そのようですね…。えっと、さっき言った『光の様に』って言うのは粒子と波動、両方の性質を持つという意味です」
光の性質に関しては僕の知識にある範囲のことだったのでパティの言ってることは理解できた。
話に付いて来られているということを示すためにも僕は2度頷いて見せる。
「魔法が遠くまで飛ばないのは主にこの2つの性質によるものです。魔力は射出されてからは波動、音や振動の様に伝わります。音や振動と違うのは気体中の方が伝わりやすいという点で、これは粒子としての性質が関係しているのですが」
パティはここで言葉を切り、一息ついて右手だけをポケットに入れ、視線を宙に飛ばしながら再び話し始める。
「魔力は魔術として射出された場合、標的にぶつかるまで飛び続けます。ここで大事なのは、飛んでいる間も標的でない物質と衝突するということです」
ここでパティは右手をポケットから出し、視線を僕に戻して続ける。
「天然の魔力は標的を持たないので物質と衝突する度にエネルギーを放出します。このエネルギーは瘴気と呼ばれ、体質に合わない者には有害です」
今度は僕の隣でノラが頷く。もちろんこの内容も僕の知識にある。魔力適性の話だ。
「魔術によって動機づけられた魔力はそのように無駄にエネルギーを発散したりはしませんが、障害物にぶつかるとそれを避けて行かないといけません。その軌道修正にエネルギーが費やされます」
なるほど、この世界は何も無いように見える空間も気体の分子で満たされてる。進むこととエネルギーが減少していくことは同義だということだ。
「そこで今回発明されたのがこちら。『亡国への翼』です」
だから波斗原を勝手に滅ぼすな。パティ公認だったのかその名前。
「この装置は魔力を一度電波に変換します。そうすれば魔力はどこまで飛んでも劣化しないことは私のこれまでの研究で分かってたんですが…魔力を電波に変換する過程でかなりのエネルギーを要するので、私やお兄ちゃん程度の魔力では実用は難しかったんです」
「常人が体内にため込める魔力の量なんてたかが知れてるからね」
ノラは誇らしげに口角を吊り上げるが、オスカーとパティはエルフ。常「人」ではない。
とはいえ、ノラの魔力備蓄量が常軌を逸しているのは揺るぎない事実だ。
「じゃあこの装置で電波にされた魔法はどこまでも飛んでいくのか?」
「はい。魔法として発動させるためには受信装置が必要ですけどね」
「その受信装置っていうのは?」
パティは僕からの質問に非常に落ち着いた様子でこう答えた。
「ここにあります」