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第1話 深淵の水魔⑮

「ふぅ、やっぱり湯船に浸かると疲れが取れるな」

「同感だ。全身の魔力が踊っているのが分かる」


僕の隣には頭の上に手ぬぐいを載せたオスカー。

結局あの後ニルプに説得と交渉を続け、男女別に風呂に入ることは認められたが、しかしどうやら水魔城では混浴が普通だったらしく、風呂にも脱衣場にも一切仕切りがなかった。

そこでノラがプールで日傘を作ったように浴場と脱衣場に魔力で壁を作り、僕たちが入浴するこの時間のみ、水魔城の大浴場は男湯と女湯に分けられた。


「それにしても、ここまでして男女を分ける必要はあったんだろうか」


そびえ立つ灰色の壁に目をやり僕はつぶやく。


「…まあ、あの万能の魔術師といえど、内面は乙女。他者からの視線が気になる年頃ということだろう」


と、外見はノラよりもはるかに幼いオスカーは言葉を返す。


「それを言うとパティはどうなんだ?あいつは今78歳だろ。気になる年頃なのか?」

「人間の78歳とエルフの78歳は全くと言っていいほど違う。80歳のエルフの精神年齢は人間の8歳児とまでは言わないまでも、年の割には大人びている8歳児と言ったところだ」


つまり、精神年齢は外見年齢の方に寄っているということか。


「オスカーは今128だったか?」

「いかにも」

「人間の精神年齢に照らし合わせると、そろそろ異性に関心を持ち出す頃だけど、さっきは落ち着いてたな」

「当然だ。今は封印状態にあるとはいえ俺の右腕には無限が宿る。精神の乱れを内側に押しとどめることなど造作もない」


つまりはポーカーフェイスだったということか。

もっとも、あの時オスカーは背後にいたから顔は全然見えなかったんだが。


「そろそろ上がらないか?」

「そうだな。そろそろ臨界点に達してしまいそうだ」


僕たちは体から湯を滴らせながら湯船の外に出る。頭の上に乗せた手ぬぐいはすでに水気を吸っているが、軽く水分を払うのには事足りる。水気を取ってから脱衣場に出て、乾いた大きめのタオルで体を拭く。

服を着て脱衣場を出ると既にノラが風呂から上がっていた。


「早かったわね」


僕が言おうとした言葉をノラが先に言ってしまったので僕は曖昧な相槌を打つことしかできなかった。


「動かないで。今髪乾かしてあげるから。いい?絶対に動かないで」

「動くと何かあるのか?」

「頭皮が焼けるわ」

「もっと威力を絞れ」

「冗談よ」


言ってノラは手の平を僕達の方へ向け、2秒ほどしてからそれを下ろす。髪に触れるとすっかり乾いていたが頭皮は無事だ。冗談だったようで胸を撫で下ろす。


「男の方は中にもう誰もいない?」

「ああ、僕たちで最後だった」


僕たちの背中を流してくれたニクス達は、背中を流し終わるなり一緒に湯船に浸かることはせずに出て行ってしまったのだ。


「じゃあ壁を消してくるわ」


ノラはそう言って脱衣場へ消えていった。そしてすぐにノラが帰ってきた。


「みんな上がってきたわ。もう少しで来ると思う」

「そうか。それにしてもお前は随分風呂から上がるのが早いんだな」

「ええ。長湯はあまり好きじゃないから」

「それに、体が小さいと洗うのも早く済みそうだしな」


失言だった。いや、止めようと思えば「体が」のあたりで止められたのだが、しかし仮にそこで止められていたとしてもノラの反応は変わらなかっただろう。


「覚悟はいい?」


ノラは転送魔法で自らの手に杖を握らせていた。大がかりな魔法を掛けるときに使うやつだ。


「申し開きをさせてください」

「10秒以内で」


短い。いや、ノラ相手に10秒稼げてだけでも大勝利か。勝負に負けて駆け引きに勝つというやつだ。

いや。それは普通に負けてるな。


「さっきのは誉め言葉だ。無駄な肉が付いていないというのはいいことだろ?代謝がいいってことなんだから」

「あと3秒残ってるわよ」


杖は握られたままだ。こうなったら仕方ない。


「僕の身長を基準に考えればノラの体つきは普通だと思う」

「あんたの身長を基準にするの?」


ノラが冷ややかな笑みを浮かべる。

よし。食いついた。


「何か問題でもあるのか?」

「その身長を基準にしたら誰でも大きく見えるんじゃないの?」

「そんなことはない。僕の年での平均身長は…まあ僕よりも高いけど」

「その身長でよく上から物を言えたわね」


ノラが僕をなじり始めたその時、脱衣場の扉が開かれて残りの3人が出てきた。


「お待たせしました」

「来たわね。あれ…3人とももう髪乾いてるの?」

「はい。わたくし水の精ですので、少しの水なら動かせます」


そう言うニルプに加え、パティとキレネも風呂に入る前と変わらない髪型に戻っていた。

ノラはどうやら怒りが冷めたらしく、手に持った杖は再び転送魔法で亜空間へと送られた。


「では皆様、これから遊技場へご案内しますね」

「遊技場?」

「はい。こちらです」


こちら、とニルプが言ったそこは、風呂場のすぐ隣だった。


「さあ、皆様。どうぞお入りください」


扉が開かれるとまず目に飛び込んできたのは卓球台だった。部屋の中央に得点板と共にある。

そしてその周囲には種々多様な遊び道具が存在した。


「あ、兄者兄者!射的があるぞ!」

「弓とは久しぶりだな。行くぞパティ!」


真っ先に動いたのはオスカーとパティだった。まばゆいばかりの笑みで駆けていく。


「アーサー。あの真ん中のやつ何?初めて見る」


キレネが僕の肩をつつきながら卓球台を指さす。


「あれは卓球をするためのものだ」

「たっきゅう?」

「卓球って言うのはな…」


暫くキレネに卓球のルールを説明する。一度では無理だろうと思ったが、意外とキレネの飲み込みは早く、納得したように頷く。


「ありがとう。大体分かった」

「よかったよ。僕はちょっと用事があって付き合えないから…ノラ。頼めるか?」

「ええ、いいわよ」


ノラは快諾する。というか頼む前から既にラケットを握っていたあたり、彼女もやりたかったんだろう。

そして僕は自分の用事を果たすべく、入り口付近でたたずんでいるニルプの元へ向かう。


「あの。ニルプさん。聞きたいことがあるんですけど」

「はい。何なりと。ここにあるものの遊び方はわたくし熟知していますので」

「あ、いえ。そうじゃなくて…さっき、州の歴史についてお話を伺いましたよね」

「ええ。ご不明な点がございましたか?」

「レヴィアタンに関する部分です。レヴィアタンに関するあの話。嘘、というと角が立ちますけど…少なくとも、事実とは違いますよね」


僕があの話を聞いて引っかかったところ、それらを整理するとどうもレヴィアタンが鍵となってる気がするのだ。

療養中とか言いながら、本当はどこか別のところにいるんじゃないかとも考えてしまう。


「なるほど、そこが気になりますか」


ニルプは微笑んだがその笑みはどこか弱々しい、苦笑いにも見える笑みだった。


「外に出ましょうか。皆様にお聞かせできるような愉快な話ではございませんので」


僕は頷き、促されるままに遊技場の扉から外へ出た。

扉を閉める時、振り返るとノラと目が合った。何もするなと目で合図したが、さて、正しく伝わっただろうか。


「どの部分でそうお思いになったのですか?」

「どの部分で、というと…そうですね。レヴィアタンが悪魔にやられたという話です。あの時悪魔は何体来たんですか?」

「…20ほどかと」


20か。さっきより増えてる。

まあ大戦で悪魔はエレツ全土に現れたという話だから、出せてそのくらいだろう。悪魔は全部で72体いる。

しかしレヴィアタンは、水のない陸ならいざ知らず、ここのような周囲を海に囲まれた空間ではその本領を発揮できただろう。20体でも悪魔に致命傷を負わされるとは考えづらい。


「僕は、それは嘘だと思います。僕の知る限り、海にいるレヴィアタンは何かなければ20体程度の悪魔には負けません。大戦の時この水魔城で、『何か』あったんですよね?」


ニルプは答えないし応えなかった。じっと、僕からの質問ではない何か他の問題について思案しているようだった。

やがてニルプはおもむろに口を開く。


「おみそれしました。どうやらあなたは、すべてお見通しのようですね」

「まさか。何も見えてませんよ」


何でも知ってるが、それで何もかも分かるわけではない。現に今だって、何かがおかしいということにしか気づけていない。


「確かにアーサー様のおっしゃる通り、あの時『何か』はございました。それを見抜けたことは称賛に値します」

「どうも。で、悪魔の数以外にもまだ隠してることはありますよね?」

「ええ、隠し事だらけですよ。歴史なんて」


この時見せたニルプの笑みは憂いを帯びた、もの悲し気なものだった。


「お願いです。その隠していることを、真実を、僕に聞かせてくれませんか?」

「真実を。ですか」

「はい。それは僕たちがここに来た理由と関係することかもしれないので」

「ここに来た理由…そういえばまだ伺ってませんでしたね」


思い出したようにニルプはそう呟く。


「いいでしょう。全てお話しします。ですが今ここでではなく、あとでわたくしの部屋に来てください。最上階にあるあの部屋です。少なくともここの民に聞かれていい話でございませんので」

「分かりました。じゃあ話の続きは後ほどということで」

「はい」


互いに頷きあって僕たちは遊技場の中に戻る。

戻るとまず最初に目に入ったのはノラとキレネの白熱した卓球だった。


「ふぅ…また、1点…!」

「まだ点差は3点あるわ。2連続の得点くらいで勝った気にならないことよ」


いや、実際熱い思いをしているのはキレネだけかもしれない。彼女は風呂上りにもかかわらず額に球の汗を何粒も作り、ワンピースの襟は濡れて色が変わっている。

対するノラは汗を一滴もかいていないどころか、恐らく体温すら一度も上がっていないだろう。彼女は魔法によってラケットを操作していた。

点数はノラが7点、キレネが4点だった。

キレネのサーブから始まり、数回ラリーが続くが、少し速めにノラが打ち返した球をキレネが豪快に空ぶってノラに1点が入った。


「あと2点で私の勝ちよ」


ノラが口角を釣り上げてキレネにそう言い放つ。

本来のルールなら11点先取した者が勝つんだが、彼女らは10点で回すようだ。

その後、ノラが2連続で点を取り、勝負はついた。


「あー。負けた。運動あんまりしてそうになかったから勝てると思ったのに」

「見立てが甘かったようね」


いや、甘くない。ノラは運動不足気味だし、現に今もほとんど運動はしてなかった。


「次はアーサーやる?」


キレネはラケットで僕を指す。


「ああ、僕も混ぜてもらえると嬉しいけど。キレネ。折角風呂入ったのに汗だくだな」

「え?あ、ほんとだ」


今気付いたようでキレネは襟元を指でつまんで数回仰ぐ。


「ご安心ください。お望みであればもう一度お風呂を使ってくださって結構です」

「服の方は私の魔法で洗えるわ。で、次はアーサーがやるの?」

「ああ。ノラはもういいのか?」

「ええ。他ので遊んでくるわ」


こうして僕とキレネは対戦することとなったんだが、結果は10対1。僕が意地を見せ、一矢報いた結果だ。

そこからキレネの熱が僕にもうつってしまい、時計の針がてっぺんを超える少し前まで、2人で汗まみれになりながら球を打ち合った。

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