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第1話 深淵の水魔⑭

「この州の成り立ち、ですか?」


ニルプは虚を突かれたという顔をしている。


「はい。この州ができるまでに何があったのか、是非教えていただきたくて」

「そのお話は汗をお流しになってから…いえ、汗をお流ししながらいたしましょう。わたくしもご一緒させていただきます」


しまった。事態が悪化してしまった。

魔術師とエルフが僕に注ぐ視線が鋭くなった気がする。


「えっと、いや、できれば今すぐにでも聞きたいんです。いつか聞きたいと思ってたんですが気づけばもうこんな時間。きっと今すぐ聞かないとずっと聞けないんだろうなと思って」

「そう、ですか…そこまでおっしゃるのでしたら」


ニルプは少し困ったように眉を寄せたが、浮かしかけた腰を再び椅子の上に落ち着ける。

椅子で運ばれた時とは違って頑なではなかった。


「この州が生まれる前からもこの水魔城は存在していました。この水魔城が州の中心となったのは、ここにアプサラス達がよく集まっていたことに由来します」


この州の代表がアプサラスであるニルプなのはそのためだろう。


「もともとこの城にはニクスやニクシー達はたまに立ち寄る程度でしたし、アーヴァンクやケルピーに至っては寄り付くことさえしませんでした」


ここは海の中にある城だが海中に沈降した海底洞窟の中に建てられている。つまり空気があるのだ。だから本来水生の魔物は寄り付かない。


「わたくし達が同じ州の民として身を寄せ合うきっかけとなったのは、大戦から得た教訓です」


大戦とはエレツ統一戦や神魔決戦などと呼ばれている約1000年前に起こった戦争のことだ。これによってエレツは今のエレツの取る体制になった。


「大戦では悪魔たちがこの水魔城に押し寄せました。当時ここにはアプサラスしかいませんでしたので為すすべもないかと思われた時、海の守り神レヴィアタンが現れたのです」

「守り神?」

「はい。わたくし達はそう呼んでいます」


レヴィアタンに守り神というイメージはなかったが、しかし海に生きる魔物にとってはそういう印象なようだ。


「しかし悪魔の軍勢を前にレヴィアタンも徐々に劣勢になり、ついには体に深刻な傷を負って戦うことさえままならなくなってしまいました。その時に颯爽と駆け付けたのが現在の法王様の率いる天使の軍勢です」


大戦で起こったことは知っている。その後勝利を収めた法王は悪魔たちを捕らえ、自分の手下にした。

とはいえ、聖なる法王が直々に悪魔に触れることはなく、法王の部下であり、実質的な政治を執り行う首都の代表、現在の国王に悪魔の力は譲られた。

要は国王が法王の傀儡かいらいになり下がったというわけだ。


「戦後、レヴィアタンは法王の尽力によりその魂だけは救われ、現在もこの城で療養中です」

「ああ、そういえばこの城にいるんですよね。レヴィアタンは」


昨日城の中を案内してもらった時には見つけられなかったが。


「はい。昨日はお見せしませんでしたが、この城の一角にて療養中です」


療養中、とは言うが、千年経って未だとあれば、それはつまり再起不能を意味するだろう。それほど大戦は壮絶だったということだ。

しかし個人的に気になるのは悪魔の軍勢だ。大戦では悪魔対天使の戦いはエレツ全土で起こった。つまり水魔城まで来た悪魔はそのほんの一部ということになる。

確かに悪魔は僕の知識においても屈指の強力な魔物だ。とはいえレヴィアタンと比べれば圧倒的にレヴィアタンの方が上をいく。悪魔の半数がレヴィアタンに集中すれば話は別だが。

どうも引っかかる。


「そして最後に、この州が今のように水生魔物の巣窟となったのは、わたくし達がより一層団結の必要性を実感したことと、魔王様と交わした約束にあります」

「魔王様?」

「ああ、失礼。これはあだ名のようなものでしたね。国王様のことです」

「悪魔を率いる力を持ってる王だから、魔王って俗に呼ばれてるのよ」


ノラが補足する。


「ノラは何でそのことを知ってるんだ?」

「私はエレツの人間。つまり出身地は首都よ。知らないわけないじゃない」


呆れたように言い放つノラ。言われてみれば確かにそうだ。自分が知らないことをノラが知っているという珍しい状況に少し動揺したみたいだ。


「魔王様との約束というのは、エレツに生息する水に関する魔物を一挙に水魔城に住まわせるというものです」


それで本来寄り付かないような水生魔物がいるということか。僕の知識ではエレツは首都に生息する魔物を人間から隔離したとしかなかったが、ちゃんと転居先も指定していたということか。


「そうした経緯から共に水にゆかりのある魔物同士手を取り合って生きていこうと、この州は立ち上がりました。…いかがでしょうか。これでもう話していないことはないと思うのですが」

「はい。ありがとうございました。新しい情報ばかりでとても興味深かったです」


いや、新しい情報「ばかり」というのは少し違うか。僕がさっきの会話で得た新情報は国王が魔王と呼ばれているということと、国王と約束があったということのみ。それ以外はすべて僕の知識にある歴史通りだった。

歴史にない取引を知れたのは収穫だったが、ニルプはまだ何かを隠している。水魔城に水生魔物を収容するというのは、元々そこに住んでいたアプサラス達にとっては問題ないだろう。しかし今まで人の生活とほど近い水辺で生きていた魔物にとってはどうだろう。

魔王やニルプからの呼びかけに二つ返事で従うわけがない。


「最後に一つだけ聞かせてもらいたいんですが、大戦の時、この水魔城に押し寄せた悪魔の数はどのくらいでしたか?」

「そう、ですね…10ほどだったと思います。正確なところは、突然の襲来に混乱していたのもあって覚えていませんが」

「分かりました。ありがとうございます」


悪魔は10体。それにレヴィアタンが現在も療養が必要なほどの深手を負ったということか。

どうも信じられない。いや、もはや嘘とさえ考えられる。海の支配者であるレヴィアタンが海の中に存在するこの水魔城でたった10体の悪魔にやられるとは考えづらい。


「では、お話も終わったところでお風呂へ参りましょうか」

「え?」


そうだった。その話はまだ解決していないんだった。

制止しようとするも一歩及ばず既にニルプは椅子から立ち上がって大広間の外へ歩き始めていた。


(ちょっとアーサー!あんた何してるのよ!止めに行きなさいよ!)


僕の頭にノラの声が大音量で鳴り響く。

もちろん僕だって指をくわえて待っているつもりはない。普通に風呂に入れるようにするか、せめて流してもらうのは背中だけにしてもらえるようにしなければ。

しかし僕が立ち上がって後ろを向くとそこには既にニルプの姿はなかった。


「…済まないみんな」

「済まないじゃないわよ!済まないじゃ済まないわよ!」

「どうするんですか!私は嫌ですよ!」


ノラとパティが僕に噛みつかんほどの勢いで詰め寄る。


「いや待て安心しろ。まだチャンスがないではない。風呂場の入り口で話ができれば」

「しなさいよ。絶対しなさいよ。分かってるわよね?」

「できるんですよね。本当にお願いしますよ」


パティに至ってはオスカーがいるというのに通常状態の喋り方が出てしまっている。


「大丈夫だ。話せば分かる」


分かってくれないと本当に僕の生命が危ない。


「キレネ。お前はやけに落ち着いてるんだな」


ふと、僕に掴みかかってくるでもなく佇んでいるキレネに気が付く。


「……」

「キレネ?」

「え?ああ、うん。私は大丈夫だよ」

「そうか」


それはなによりだ。


「いざとなれば窓からでも、逃げる」


どうやらキレネはキレネで既に脳内で大騒ぎした後だったみたいだ。よく目を見てみると据わっていた。


「とにかく僕たちも行こう。昼間に案内してもらったお陰で風呂の場所は分かる」


大広間を出るとそこにはニクス達と例の椅子があった。

どうせ自分の脚で歩くことは許されないのだから、僕たちは速やかに椅子に腰を下ろす。

ニクス達の担ぐ椅子に揺られ、僕たちは風呂場に運ばれた。椅子から下り、入り口と思しき暖簾をくぐって僕はおもわず引き返しそうになる。なぜならそこには、先ほどまでの衣服をすべて脱ぎ去り、タオル一枚に身を包まれたニルプがいたからだ。


「なっ…!ニルプさん!?」

「お待ちしておりましたよ。さあ、皆様。ここで衣服をお脱ぎください」


隠すべきところは隠されているので目を逸らす必要はないが、それでも目のやり場には困る。

ニルプの肉付きの良さは、タオル越しでも十分に男を気まずくさせる効果があった。背後にノラがいるとなると尚更だ。


「あの、お風呂のことでお願いがあるんですが」


僕は会話に必要とされない部位、すなわち首から下にはなるべく視線を向けないようにしながら話し掛ける。


「どういったことでしょうか?」

「体を洗うのは自分でさせてください」

「遠慮は無用ですよ。この城にいる間はここを我が家、いえ、自分の体と思ってお使いください」


そう言ってニルプはにこりとする。その笑顔を凝視し続けることにも僕はきまりの悪さというか違和感を感じて視線が泳ぎかけたが、ニルプの鎖骨が目に入り、ばね仕掛けのように僕の視線はニルプの笑顔に向け直される。

鎖骨がアウトかセーフかすら分からなくなってきていた。こうなると長期戦は無理だ。


「水魔城では客を手厚くもてなすことが美徳なのかもしれません。それに、よそ者の僕たちがここの文化に反することが無礼に当たるということも分かっています」

「いえ、そんな無礼だとは…」

「ですが、僕たちにも最低限人間として生きるのに守らなければいけない尊厳というものがあります」


他人に全身隈なく洗われることでそれが失われるかどうか、何でも知ってる僕にも分からないが。


「あなた達のお心遣いをそっくりそのまま返そうというのではありません。例えば髪だけとか背中だけを洗っていただくといった風にしていただければありがたいのですが…」


ニルプの押しというか意思というかは強い。きっとこうと決めたらそう簡単には折れないだろう。だからこちらからも歩み寄る。これで承諾してくれればいいが…。


「髪や背中をですか…背中…なるほど、手が届かない場所を…」


ニルプは独り言のように何事かを唱え、


「分かりました。ではあなた方の望んだ部位のみお手伝いするということでよろしいでしょうか」

「はい。それでお願いします」


僕の背後から恐らく安堵と思われるため息が聞こえてくる。僕も内心でため息をつく。どうやら首はつながったみたいだ。


「ではわたくしは先に中でお待ちしております」


しかし直後吐いた溜め息を再び飲むこととなる。

ニルプはおもむろに胸元に手を持っていき、最後の砦ともいえるタオルを脱ぎ捨てようとしたのだ。


「ちょっと待ってください!」


間一髪で僕がその手を制止する。


「もしかしてここで服を脱ぐんですか?」

「はい。脱いだ服はあちらの籠へ」


ニルプの示す先には空の籠が複数と、5,6個の籠に脱いだ衣服が入った籠がある。ニルプ以外のアプサラスがこの先の浴場に待っているということだろう。


「あの、できれば男女を別にしてほしいんですけど」

「え…と、それは何故でしょう?」


どうやらまだ戦いは終わってなかったようだ。

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