第5話 鎖錠の森精㉚
アニーのお祝いには僕達の他にウンディーネ達が参加していた。
水属性のお祝いには水の妖精、ということだろうか。いつかのニムエもいる。そしてニクサもだ。
最後に見た彼らは激しくいがみ合っていたので、今日この場で両者が並んでいる姿を見て安心した。
なんてことを心の底から思えるほど僕は能天気ではない。
両者の間には冷たく張り詰めた沈黙だけが存在し、互いを自分の視界に入れようともしない。
あれから彼らの間で何が起こったのかは分からないし、今それについて聞くべきでもない。
こういう時は無邪気な子供、例えばアニーのような、が間に入ることで何となく空気が和らいだりするものだが、アニーは今日の主役故に、固定席だ。
マザーはというと、僕と同じく不穏な空気を感じ取っているのだろうが、そっとしておくという気の遣い方を選択したようだ。
まあ、僕だって何もしていないので、これについては何も言えない。
「お久しぶりです。アーサー様」
僕が逡巡していると、ニムエの方から僕に声を掛けてきた。
「どうも、お久しぶりです…」
「その後皆さま息災でしょうか」
「はい。あれから無事に獣人帝国、死人街、そしてさっきまではアルフヘイムにいました」
「そうでしたか。確か、同盟のためにもご尽力いただいてるとか」
「ああ、まあ、僕らの旅のついでにですけど」
直近のアルフヘイムでは同盟の使者としての目的が果たせなかっただけに素直に言葉を受け止められない。
そういえば同盟のことについてはマザーには話しておくべきなのだろう。これが終わったら話に行くとしよう。
「ところで…」
と、ここでニムエが話題を変えようとする。そんな何気ない会話の流れにさえ、僕はギクリとしてしまう。
「オスカー様とパティ様はお越しでないのですか?」
「ああ、彼らとは今別行動を。しばらく離れることになりました」
「そうでしたか…。あの時のお礼を今一度と考えていたのですが」
「ああ、あの時の…」
ニクサを見てはいけない、と僕は瞬時に判断した。
しかし僕は実際にそれを達成できたのだろうか。ニクサが舌打ちとともに歪めた表情が、想像にしてはやけにはっきりと僕の脳内に写し出されたのだが。
「まあ、それは彼らがここに来た時にでも」
「そうですね。今はアニー様のお祝い、ですね」
そう言ってニムエは柔らかく笑みを浮かべ、本日の主役とばかりに最上座に鎮座するアニーにそのまなざしを向ける。
うまいこと離脱できそうだったので僕はニムエとニクサから一番離れた空いてる席に腰を下ろす。
すると僕の隣にノラが飛んできた。
「ノラ。来たのか」
僕が誘いに行ったときは行けたら行くわとすげない返事をよこされたのですっぽかされると思っていたのだが。
「あんたがなかなか座らないから席に飛べなかったのよ」
「それは悪かったな」
「謝意も誠意も感じられない謝罪ね。やり直しなさい」
「やり直さないよ」
そもそも悪いだなんて思っていないんだから、やり直せばやり直すほどクオリティは落ちていく。
「あ、ノラ、いつの間に」
そんなやりとりをしているとキレネが合流する。空いているノラの隣の席に座った。
「さっきよ。アーサーがなかなか座らなかったから遅くなったわ」
「はいはい悪かったよ」
ほら。確実に謝罪の質が落ちてる。
「もーノラったら、またアーサーを虐めてたの?あんまり虐めちゃ可哀そうだよ」
「悪かったわね気を付けるわ」
「お前の謝罪もなかなかのものだぞ」
謝意も誠意もどころか、何の意思も感じられない。
それにキレネの気遣いは嬉しいが、彼女にとって僕が保護対象だったという事実になけなしのプライドが傷つけられる。
「本当?褒めてもらえて嬉しいわ。ありがとう」
「褒めてない。何で今の言葉の方が謝意がこもってるんだ」
謝意は謝意でも謝罪ではなく感謝の方だが。
「皆さん。お揃いのようね」
と、ここでマザーが皆に対して語り掛ける。
「今日はアニーの水属性習得のお祝いです。本当なら国中のみんなでお祝いしたいところでしたけれど、土属性の時と同様、属性に関わる妖精たちだけ呼ぶことにしました。成人式はもっと盛大に、みんなでお祝いしようと思いますからね」
それは一体どれくらい先のことなのだろうか。一月足らずで十歳ほどの年を取っていると考えれば来月になりそうだが、そんな概算が通用しないのが妖精だ。
明日になる可能性も十分ある。
いや、さすがにそれはないか。まあ、アニーの成人というのが人間のそれと同じである保証はないが。単に一人前になるという意味では、残りの二属性とフェアリーグラマーを習得する頃だろうか。
「それと、今日はアーサーさん達も来てくれています」
紹介されたので一応立ち上がって会釈をしておく。
キレネも腰を上げようとしたが、隣に座るノラが知らん顔で座り続けていたため、キレネもそれに合わせて座ったままだった。
マザーにとってはそれでも良かったらしく、宴が始まった。宴と言ってもその場にいた妖精は数十名程度。それも物静かなウンディーネたちが多数を占めているため、そこまでの盛り上がりにはならない。
水を打ったように、と言えるほどではなかったのが惜しいところだが、そもそもアニーのお祝いはそんなに静まり返っていいものではない。
「あ、これおいしい!」
恐らくこの中で一番賑やかなのはキレネだろう。アニーといい勝負だったが、僅差でこちらに軍配が上がる。
「これ何の天ぷら?」
ノラを超えて僕に質問が飛んでくる。
恐らくそれに対して絶対的な答えを返せるのは僕ではなくこれを作った者だが、しかし一口食べれば答えは僕の知識が与えてくれる。
「これは、珍しいけどカツオだな」
「カツオ…ぺらぺらにおろされたのはよく見るけど」
「あれはおろされたっていうか、すりおろされたっていうか…」
いや、すりおろされてはいないか。動作的には似ているけれども。
「意外ね。水の妖精たちは水の妖精らしく火なんて使わずに仕上げてくるものと思っていたけれど」
エビの天ぷらを食べる前にしっぽだけ皿の上に転送させながらノラが呟く。
「ああ、アニーのためだろう。普通の子供なら生魚は早くに与えるのはよくないし」
水の精だからと言って火の力を借りないということもないのだろう。もしかしたらウンディーネたちにとってはサラマンダーたちよりも、本来身内であるはずのニクサの方が関わりたくない存在なのではないだろうか。
そんなことを思ってウンディーネたちの方を眺めていると数人ごとに席を立ち、アニーの元まで歩み寄って何事か語り掛けている。一組につき2分ほどだったが、それぞれアニーに直接祝いの言葉を伝えに行ってるのだろう。
冒頭に紹介されておきながら行かないわけにはいかないので、席を立ってアニーの元へ向かおうとすると、ノラがこちらを向く。
「あんたもあれをしに行くの?」
「ああ。一緒に来るか?」
「ええ」
「え?」
「何か問題でもあるの?」
「いや。全然」
ただ意外だっただけだ。先ほど同様知らん顔してるのかと思ったが。
「それじゃあキレネも一緒に行くか?」
「ん?んっん、ん、んんー」
何て言ったんだろうか。咀嚼のペースを上げたということは、ちょっと待ってねとかそんなところだろう。
キレネを待って僕らはアニーのところへ向かう。
「アニー。お祝いを言いに来たよ」
「アーサー!」
喜色満面のアニー。まだお祝いを言われ飽きてはいないようだ。
「アニーちゃん。おめでとう」
「えへへ。みんなありがとう」
「皆さん。今日は来てくれてありがとうございます。おかげで会がより賑やかになったわ」
「ああ、いえいえそんな」
とはいうものの、僕らによってもたらされる賑やかさが誤差でしかないのは事実だ。
「それに、アーサーさんには同盟の件でもお礼を言わないといけませんね」
「それこそそんな、ですよ。そこまで尽力はできてません」
いや、尽力はしているのか。死力を尽くしましたがうまくいきませんでした。というのが僕の言い分なのだから。
「それに、さっきアルフヘイムの勧誘に失敗したばかりですからね」
「あら、そうだったのですか。いえ、それでも何もしない私達に比べれば…」
「そんなことないですよ。僕たち城を置かせてもらったりしてますから。それを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「アーサー。謝りに来たわけじゃないはずよ。用は済んだでしょう?」
「え、あ、ああ…」
どういうわけかノラがご機嫌斜めのようなのでその場を何とか取り繕おうとするが、しかしその必要はないとノラは言葉を続ける。
「後をつかえさせちゃよくないわ」
「そうだな」
その場を取り繕ったのはノラだった。なんとも珍しいことだ。
僕たちはウンディーネたちにその場を譲り、元の席に戻った。
「さっきの話だけど」
やはり何か気に障ったのだろうか。
「謝意も誠意もって話よ」
「蒸し返すのか?その話」
まだ油断してはいけない。まだノラの機嫌がいいと決まったわけじゃないんだから。
「謝罪しても感謝しても謝意なのよ」
「…どういうことだ?」
「だから、謝らなくても、先に感謝してればいいの。許してくれてありがとう。ってね」
「許されてる前提なのか…」
これは、まさかさっきの僕とマザーのやり取りのことを言ってるのか?
「謝ったって結果は変わらないんだから。謝るだけ損でしょ?」
謝ることで被害を最小限に抑えることができることもあるが、ただ、今回はまさしく結果が変わらない方に該当する。
さっきのは間違いなく社交辞令の謝罪だった。
「そうだな。ありがとう」
「残念ながら私には効かないわよ」
「いや、今のは普通にお礼だよ」
まずいな。これからノラに伝えるお礼が全部謝罪にされてしまう。
「そろそろ終わりなんでしょ?」
僕らの旅がという意味なら、そうであることを祈るばかりだ。次がこのエレツで最後に残された場所なのだから。
「ああ。もう少しだけ付き合ってもらいたい」
「別に構わないわよ。いずれ首都には戻るつもりだったし」
「あれ?首都に戻るのはあまり気乗りしないんじゃ…?」
「人間の心境なんて案外簡単に変わるものよ。それより、あんたはもっとキレネんことも考えてあげたら?」
「キレネのことか、そうだな」
この出自不明の少女も、首都に連れて行くことで何か思い出してくれるのだろうか。
「?あ、大丈夫。私そろそろお腹いっぱいになりそう」
そんなことは心配してない。既に僕とノラの合計の倍くらい平らげているが、まだお腹いっぱいじゃなかったのか。
まあ、その問題は首都に入ってから考えればいい。どうせいつも通り、綿密に計画を立てて、それがご破算になって、何だかんだ解決するのだろう。
そんな有耶無耶なオチで今回のお話は幕を下ろす。そして僕らはついに首都を目指す。