第5話 鎖錠の森精㉖
僕がアルフヘイムにくれてやるシナリオはこうだ。今回のメカジズの暴走は首都からの刺客によって引き起こされたもので、目的はアルフヘイムを同盟に参加させないこと。そしてそのために僕らに対する不信感をアルフヘイムに植え付けること。
刺客は一名。あらゆるものを無効化することができる能力を持っており、容易にアルフヘイム内に侵入することができた。
この刺客というのはつい最近協力者になってくれたあいつのことだ。まさかこんなに早く役に立ってくれるとは。
「主犯は僕たちじゃないけど、僕たちのせいで敵が中に入ってきてしまった。ということになれば、僕らをこのままここに自由なままおいておくわけにもいかないし、逆に僕らを拘束することもないだろう」
正しくは「することもない」ではなく「したがらない」だろう。ノラが相手では、手痛い抵抗を受けて、最悪の失態を演じることになりかねない。
「そうなるとオスカーとパティともここで別行動になるだろう」
「え、どうして…」
「仕方のないことだ。俺たちはここに残った問題を解決しなければならないのだからな」
「そんな…」
「でも、ノラの魔法があれば大丈夫だよね?いつでも会えるよね?」
今にも泣き出しそうなパティのためか、キレネが念を押すように問いかける。
「もちろんだ。別行動で、お別れじゃないんだからな」
「そうよ。センサーに感知されない術式も編み出せたし、問題ないわ」
安心したのか、パティの表情が和らぐ。
「忘れないうちにこれ渡しておくわ」
そう言ってノラは僕も持っているあのガラス玉をパティに渡した。
「それはアーサーも持ってる通話の魔法が入ってるものよ。ここのセンサーをかいくぐる魔法が、自動で発動するようになってるわ」
「ありがとうございます。きっと、何度も助けてもらうと思います」
「ええ。遠慮なくそうしなさい」
そしてノラは思い出したように僕に向き直り、あんたにも渡しておくわ。と同じものを僕に渡してくれた。
「で、僕らの話をすると、長くいられたとしても今日の日没までが限界だろう」
もちろん、全ては大臣次第だが。これから大臣から取り調べのようなものを受けて。そこで裁量は伝えられるだろう。
「え!?そんなに早く!?」
ここでキレネが声を上げた。
「どうしたキレネ。何か問題か?」
「いや問題だよ。今何時だと思ってるの?」
つい先ほど昼食を済ませ、今は午後1時過ぎだ。
「いや、問題は何時じゃなくて、食事だよ!日没までにってことは、さっきのお昼が最後の食事だったってことでしょ?」
「ああ、そうなるな」
「なんでそんなに落ち着いてるの?またみんなで一緒にチーズタワー食べるって約束したの忘れたの?」
「覚えてるけど、あれって約束だったのか?」
もっと軽いものだと思っていた。
「最悪だよ・・・あれはおやつって感じでもないし」
「うん。確かにそうだな」
それについては間違いのない主張と言えた。
「いや、あれの近縁に、おやつ向きのものはある・・・」
「え?ほんと?」
「ああ、漆黒に染まりしそれを、人はショコラカーテンと呼ぶ」
「ショコラ・・・ってことは甘いの?」
「ああ。僅かな苦味と、それを凌駕する程の甘さを、その身に宿している」
「じゃあおやつだ!アーサー!ショコラーテンならいけるよ!」
ショコラカーテンじゃなかっただろうか。いや、多分正式名称は「チョコレートファウンテン」なのだろうが。
「いけるってまさか、今から行くつもりなのか?」
「これで最後なんだから、行かないと!」
荷造りの必要は無いわけだし、正直言って行こうが行くまいが計画に支障は無い。
「じゃあ、行くか」
「その前に一つ提案が」
オスカーが駆け出しそうになるキレネを制するように口を開いた。
「どうしたオスカー」
「今回コルネには多大な迷惑をかけてしまった。研究所への補償は外務省がやるとして、彼女本人には我々が何かしてあげたいと考えたのだ」
「それで、彼女も誘うってことか?」
「その通りだ」
なるほど。確かに彼女には迷惑を掛けたし、言葉だけでなく何かしら目に見えるものでも返したいというのはその通りだ。
「そうだな。そうしよう。パティ。コルネさんを誘ってもらえるか?」
「連絡入れてみます」
コルネの返事はすぐ帰ってきた。来られるようだ。
僕らは転送魔法ではなく車で移動し、道中コルネを拾っていく。
「なんかすいませんね。私は今回の件に貢献なんて全然してないのにおごってもらっちゃったりして」
前回は研究所の前で立ったまま寝ていたコルネだったが、ショコラカーテンが楽しみだったためか、今日はしっかり起きていた。
「そんなことない。色々助けられたし、お詫びの気持ちも込めてだから」
「えっへへ。何にせよありがとう。チョコなんて研究室に置いてある固形のものしか久しく食べてなかったものだから、胸が高鳴るよ」
喜色満面のコルネ。しかし車に揺られて1分もしないうちに、
「あれ?寝た?」
頭をパティの肩に預け、寝息を立てるようになってしまった。
「車に乗って気が緩んだのでしょう。かなり負債も抱えているようですし」
「負債?」
「ええ、睡眠負債を」
寝不足のことか。借金が原因でなかったようで何よりだ。
「そういえば、今回は予約しなくてよかったのか?」
チーズタワーの時のことを思い出し、ふと僕はオスカーに尋ねる。
「ああ、頻繁に注文されることもあって、在庫は常に万全だ」
「万全、か…」
その言葉を聞いて、僕の脳裏に万全の剣士たるあの双子がかすめる。
元気にしているだろうか。思えば最初は片手では足りないほどの人数がいたのに、オスカーとパティともここで別行動となっては、急に寂しが真に迫ってくる。
「これが最後ではないけど、オスカーとパティとはしばらくお別れだ。悔いのにようにいこう」
「そうだね。食べ残しはなしでいこう」
「うん。キレネの言うこともその通りだけど、 僕が言ったのはそういうことじゃないんだよ」
悔いも食い残しも、無いに越したことはないが。
「オスカー。食材はチーズの時とはもちろん違うんだよね」
「無論だ。果物や焼き菓子が主な食材となっている」
「それに、チョコも一種類ではありません」
「え?チョコが何種類もあるの?」
「はい。普通のチョコ、ホワイトチョコ、季節のチョコ、です」
「季節のチョコ・・・!」
キレネの目つきがすっと鋭くなる。
「今は確か真紅の果実、イチゴのチョコだったはずだ」
「そんなチョコがあるんだ。楽しみだよ」
キレネがまだ見ぬショコラカーテンに期待を募らせていると、車が止まった。
「受付を済ませてこよう」
そう言ったオスカーはいち早く車を降りて手早く受付を済ませてくれ、その間に目を覚ましたコルネと共に、僕らは速やかに席に通された。
「ご注文はショコラカーテンとドリンクバーと伺っていますが、追加でのご注文はよろしいですか?」
「大丈夫です」
聞かれることは分かっていたとばかりにオスカーが即答し、店員はショコラカーテンの説明に移る。
「90分間の食べ放題です。あちらのショコラカーテンコーナーにご利用できる食材はございます」
チーズタワーの時のように目の前にチョコのカーテンが運ばれてくるわけではないらしい。
食べ放題とのことだったが、店員の説明によると制約もあって、食材をチョコに付けることができるのは一度だけ。器などにチョコを汲んで帰るのは駄目らしい。
まあ、普通にしていれば破られることのないルールだ。
「じゃあ、取りに行くか」
各々が席を立ってショコラカーテンのコーナーへ向かう中、ノラは独り、腰を上げようとしない。
「どうしたノラ?行かないのか?」
「ええ、その必要は無いわ」
そう答えたノラの手に、串に刺さったカステラが現れる。
「おい・・・!何やってるんだ」
「大丈夫よ。ばれないように底の方のやつを取ってきたわ」
ばれるとかばれないとか、そういう問題ではない。
「こんなところでリスクを冒す必要なんてないだろ。食材くらい自分の手で取りに行け」
「自分の手自分の手って、それは一体何のこだわりなの?職人でもあるまいのに」
「いや、別にこだわりとかじゃないよ」
僕に言わせてみれば、ノラの方こそ魔法にこだわってると言える。
「ショコラカーテンは味もいいんだろうけど、流れるチョコに食材を浸すっていう、体験そのものも味のうちなんだよ」
「また職人みたいなことを言うのね。いえ、今のはどちらかと言えば哲学者かしら」
どちらでもない。職人にしては意志薄弱だし、哲学者にしては薄慮浅考だ。
「職人でも哲学でもいいから、とにかく行くぞ」
半ば強引ながら、僕はノラの手を取る。岩のようかと思ったノラの腰は案外軽く、僕に手を引かれて絹布のようにショコラカーテンのコーナーまで歩いていった。
途中、本当に絹布とすり替わってるんじゃないかと振り返って見たが、そこにいたのは間違いなくノラだった。
「そういえばさっき取ってきたカステラはどうしたんだ?」
「席に置いてきたわ。さすがに戻しちゃ駄目でしょ」
確かにその通りだ。まあ、カステラなら何も付けなくても食べられるから、問題ないのだろう。ノラはコーナーにたどり着くと残りの面々に混じって食材を物色し始めた。
僕もそこへ混ざろうとした時だった。目の前をキレネが通る。それも、両手に皿を持ってだ。
「ちょっと待てキレネ。その皿はどこから取ってきたんだ?」
店員は最初、僕らの目の前にお皿1枚とコップ一つを置いていった。
だからキレネが持ってる皿のひとつは誰か他の人のものということになるのだが、見たところみんな自分の皿は持っている。
「ああ、あそこにあったよ」
そしてそんな僕からの問いかけにさも当然のようにある方向を指さすキレネ。その指さす先には白く輝くお皿が何枚も重ねて置かれていた。
「お替わり用らしいよ」
「お替わりって、これが最初だろ」
「あれ?もしかして駄目だった?」
「いや、いい・・・と思う」
僕がよく言うことだが、大事なのはルールが言ってることよりも、ルールで言われてないことだ。
そう考えると、これは普通にありということになる。
いち早く席へと帰還するキレネを見送って、僕は食材を選びに掛かる。フルーツはイチゴ、バナナ、キウイフルーツとさほど種類はなかったが、焼き菓子は色々あった。
さっきノラが取ってきたカステラの他に、一見しただけでは違いの分からないプチマドレーヌが複数種並んでいた。
それらは中に入ってるものが違うらしく、てっぺんに焼き入れらた模様で区別するようだ。
食材を選び終わってどのチョコにしようか3枚のカーテンを見比べていると、チョコの付け方にも人それぞれ違いがあることに気付く。
ノラは片面だけ付けるとさっさと皿の上に引き取ってしまうが、パティは食材にくまなくチョコを塗りたくってお皿の上に大きなチョコだまりを作っている。
それに対してオスカーは、丁度良い具合にチョコを食材の上に載せ、皿の上でそれを食材全体に広げて丁度良い具合にしてみせる。以前ここで働いていたのだろうかと思うほどに見事だった。
コルネはバラバラというか、意図的にチョコが掛かった面積を変えているように見える。多分、どの比率がおいしいか実験するつもりなのだろう。ある意味、人体実験だ。
僕はオスカーの真似をして見ようとするも、垂れるチョコの切れ目をうまく見いだせず、皿の縁が重点的にチョコで染まる。
「まあ、いいだろう…」
うまいチョコの付け方なんて知らないし、知っていたとしても実行できまい。
席に戻るとキレネはもう一皿目を平らげていた。僕は飲み物もまだ入れていないというのに。
多分帰ってきたら二皿目も平らげてるんだろうなと予想しつつ、僕は紅茶を汲みにいった。