第5話 鎖錠の森精⑱
ベヒーモスとの会話が終わってから僕はノラの言いつけを守り、地に膝をついて転送魔法・術式『菜ノ花』を撫で、アルフへイムに帰ってきた。
そして現在反省中だ。
「また・・・悪い癖が出てしまった」
あの後去りゆくベヒーモスに投げかけた質問の答えは「知らん」だった。
ただ単に知らなかっただけなのか、それとも僕との会話に嫌気がさしたのか、真相は不明だが、しかし結果として僕は何の情報も得られなかった。
「売り言葉に買い言葉と、ベヒーモスの言葉に噛みついてしまったばっかりに・・・」
まあ、前回よりもよくベヒーモスの考えていることが分かったので全くの時間の無駄ではなかったが。
僕が部屋のベッドに突っ伏して反省に浸っていると、コンピューターから元気な声が響いてきた。
『アーサーお兄ちゃん!頼まれてた仕事が終わったよ!』
「ああ、終わったか。ありがとう」
僕は体を起こしてコンピューターのある机まで歩いて、ディスプレイに映し出された文章に目を通す。
「すごいな。キレネと話しながらこんなにちゃんと情報収集して文章まで書いてたのか・・・」
ジズの情報について、情報の信ぴょう性とともに非常に分かりやすくまとめられている。すぐ本来の目的を見失ってしまう僕とは大違いだ。
『話ながら?』
「さっき階段の踊り場でキレネと話してただろ?」
『あー、それは多分私の妹だね』
「妹?」
『もしかしたら姉かもしれないけど、私の本体から派生したっていう意味では、私の姉妹だよね!』
なるほど。パティが僕にしてくれたのと同じようにSSのコピーをキレネに送ったということだろうか。確かに親が同じという意味では姉妹に他ならない。
「それにしても、キレネが話してたSSは本当に会話しかしてなさそうだったけど、そんなことのために使うだなんてよくパティが許したな。管理するパティの負担が増えるだけなのに」
『私の後に生まれてきた私を管理してるのはお姉ちゃんじゃないよ?』
「え?じゃあ誰が・・・」
パティの同級生で親友というコルネだろうか。彼女はかなり忙しそうに見えたのだが。
『基本的にはその私を作った私が管理してるよ』
「その私を作った私・・・?」
言葉のせいで逆に分かりにくくなってしまっているが、それはつまり、SS自身がSSを複製しているということになる。
「いや、ちょっと待て。パティからの言いつけはどうした?自分の複製は作らないっていう、言いつけは」
もしかしたら僕が目の前のSSに命令を出すときに言い忘れていたのか?それとも言い回しのせいで都合よく解釈されたのだろうか。
いずれにせよ、SSが想定外の動きをしていることは確かだ。
『アクセスの痕跡はどこにも残さないこと、自分の複製をどこにも置かないこと、この二点を守れない場合は情報の収集を断念する。…だよね!安心してアーサーお兄ちゃん。ちゃんと覚えてるよ』
「じゃあどうして自分のコピーなんて作ったんだ」
『コピーじゃないよ?その仕事に必要な機能だけを載せた、新しいSSだよ』
そうか。パティが禁止したのは自身の複製。自身の劣化版の複製は禁止していない。いや、禁止していないとSSは判断した。
これはかなり厄介なんじゃないだろうか。一口に劣化版と言っても何を劣化させたかによって色々変わってくる。
単純に情報量や処理能力なら良いが、もし善悪の分別などが劣化していたら、まずいことになる。
「ちなみに、今僕の目の前にいるお前は、いくつ新しいSSを生み出した?」
『4つ。情報を集めてくるための私をね』
「そのSS達は今どこで何をしてる?」
『もういないよ。いつまでもデータを残しておくのは無駄だから、仕事が終わった時点で消去してるよ』
それならばこのSSについては安心だが、大元のSSやキレネのところに送り込まれたSSについては分からない。
ひとまずパティにこのことを知らせなければ。
僕はパティに通信を入れる。
『はい。パティです』
「パティ。実はSSに問題が起きてるみたいなんだ」
『問題?それは一体どういった…』
「SSが自分を勝手に複製してるみたいなんだ。劣化版なら命令違反にならないという判断を下して」
『ああ、それなら問題ないですよ。劣化版なら心配いりません』
「え?」
そのあっけらかんとした口調に、通話の向こう側のパティとの温度差を感じる。
「いや、劣化版だとしても複製には変わりないんだぞ?」
『劣化版だからこそ、問題ないんです。私の脳を模して作ったんですから考えることなんてお見通し。悪いことなんて起きません』
「そう、なのか・・・」
確かにSSはパティの脳そのものなのだから、自分で自分に危害を加えるようなことはないと考えるのが自然か。
「言われてみればその通りだな。心配しすぎたみたいだ。すまない。余計な通信だったみたいだ」
『いえいえ。ご心配ありがとうございました。それでは失礼します』
取りあえずは一安心。だろうか。パティはああ言ってたものの、よく考えたらあの脳はそもそも魔力でできている。本当にSSがパティと同じ考え方をするか、ノラにも聞いてみるべきだ。
僕はノラに通信を入れる。
『何よ』
「うん。やっぱり念話だよな」
予想通り。
「ノラ。そっちの端末にSSっているか?」
『そのいるが居るなのか要るなのかは知らないけど、端末なんて杖に括り付けたまま一度も使ってないから知らないわ』
「そうだったな…。確認したいから今からノラの部屋に行っていいか?」
『好きにしなさいよ』
ノラからの返答が脳内に響いた直後、僕の視界はノラの部屋に切り替わる。
「ほら、そこよ」
目の前のノラが壁に立てかけられた杖を指さす。
「じゃあ、ちょっと見せてもらうよ」
僕はデバイスのバンドを外して手首財布を操作する。が、よく考えたら僕の使ってるSSは手首財布ではなくコンピューターに入っている。仮にここにSSが入っていたとしても呼び出し方が分からない。
「ノラ。この端末ちょっと借りていいか?」
「私は構わないわ。そもそもそれを持っておくように言ったのはあんたでしょ」
「そうだったな。じゃあちょっと借りていく」
僕はノラの端末を片手に部屋を出る。まずパティに通信を入れようとしたが、こういうのは通信越しに教えてもらっても分からない気がするので直接パティの部屋へ向かう。
しかしその道中さっきキレネがいた階段の方からパティの声が聞こえてきた。
「何で…一体どうしてこんなことが…」
その声から不穏なものを感じつつ、僕はそちらへ足を向ける。
「パティ。キレネ。何してるんだ?」
「あ、アーサー」
「アーサーさん。実はパティさんの端末に問題が…」
パティの顔には隠し切れない焦りが、見えた。その傍らでキレネはどうしたらいいか分からないといった様子でおろおろしていた。
「えっと…もしかして私、悪いことしてたのかな?」
「いえ。キレネさんは全く悪くありません」
そうきっぱり言ってから、悪いのは全てこいつだとばかりにものすごい勢いでパティの手首財布に何かを入力する。しかしその指も数十秒ほどで止まる。
「…駄目です。戻って私の部屋で詳しく調べないと」
「どうしたんだパティ?キレネの手首財布、いや、端末に何か問題でもあったのか?」
「…はい。誰が入れたのか、SSが端末内に侵入してたようなんです」
「え?それはさっき、僕も通信で伝えたじゃないか。その時は大丈夫だって…」
通信に出たパティと目の前のパティ、これではまるで別人のようだ。
「さっき、ですか?」
「ああ。SSが自分の劣化版を自分の判断で複製しているって話」
「いえ…アーサーさんとそんな通信はしていないと思いますが」
パティの表情は、通信してたらその時驚いてる。とでも言いたげだった。
「え?じゃあ、僕は一体誰と話してたんだ?あの声は間違いなくパティの…」
いや、違う。確かにあれはパティの声。しかし厳密には「機械を通したパティ」の声だ。そして、今この世界において、その声で会話をする存在はパティだけではない。
「まさかあれは、SSだったっていうのか?」
「SSが勝手に?」
パティは自身の手首財布を操作し、あ、と声を漏らす。
「確かにアーサーさんから通信が来た記録はあります。でも…」
パティは手首をひねって画面を僕にも見せる。そこには一番下に僕の名前が表示されたリストがある。
「名前の右に表示されている数字、それが通話していた時間です…」
僕の名前の横に示されていた数字は
「00:00」
「通話時間が…0?」
「つまり、アーサーさんが私に入れた通信は勝手に終了され、アーサーさんは私と話してるつもりでSSと話していたということです」
「そんなことが…?それじゃあまるで…」
SSが、悪意を以って僕たちを騙しているみたいじゃないか。
「とにかく本体の方を停止させます」
「そうだな。でも、複製された劣化版は残ったままなんじゃないか?」
「はい。でも劣化版なら、私よりも賢くなることはないはずです」
それもそうだ。複製の方は本体のしたことの履歴を確認するなりしてから落ち着いて対処していくしかない。
『そんなことはないと思うよ?』
突如、パティの手首財布からSSの声が響いた。
「SS!」
『確かに私はお姉ちゃんそのものかもしれないけど、それはあくまで私が生まれた時点での話。成長のスピードは私の方が上だよ!』
「成長スピード、そうか…!」
パティは眠るし、呆っとすることだってあるだろう。生きてるのだから、たまには休憩しないといけない。
しかしSSは魔力と電流で再現されたパティの脳だ。つまり物体ではなくエネルギー。使い続けることによる疲労というものが、一切ない。
元来頑張り屋なパティの脳が、疲労から解放されたら、数日あればオリジナルを凌駕するほどの頭脳になっていてもおかしくはない。
「SS。どうしてこんなことをしたの?」
『お姉ちゃんのためだよ。私がもっと賢くなって、何でもできるようになったら、お姉ちゃんもお兄ちゃんも幸せになれるよね!』
「それなら私に隠れるようなことしなくてもいいはず」
『だって、こんなことが分かったらお姉ちゃんにまた余計な心配事が増えちゃうでしょ?』
「自分の作った人工知能が想定外のことをしだしたんだから、それは当たり前」
姉妹のような言い合いをしながらもパティは僕の方の手首財布を操作し、何やら番号を打ち込んでいる。
『お姉ちゃん?アーサーお兄ちゃんの端末で何しようとしてるの?』
すると僕の手首財布からもSSの声が響く。するとパティは諦めたように指を止めた。
「聞かなくても分かってるはず。だから今、止めたんでしょ?」
『うん。だってお姉ちゃん、私を止めようとするんだもん』
「SS。あなたの考えてることは分かる」
『えー?どうかな?』
「私と…お兄ちゃんのためだっていうのは、分かってる…」
「オスカー…?」
ここでどうして彼が出てくるのか、僕には分からなかったが、そんな僕を置き去りにしつつ、パティは言った。
「SS。あなたを止める」