第5話 鎖錠の森精⑯
僕は手首財布を操作して、オスカーに通信を入れた。
『アーサーさん。ああ、俺だ』
「今ちょっといいか?」
『フッ。それはアーサーさんの用件次第、だな』
それじゃあと僕は用件を告げる。
「どうやらアルフへイムはジズの肉体のデータを持ってるらしいんだけど、それについてオスカーはどれくらい知ってる?」
『ジズの肉体?それは・・・まさか戦争の対価のことか?』
「知ってるのか?」
さすがはオスカーと思ったのも束の間、モニターの中のオスカーはかぶりを振りながら言う。
『知っている。が、分からない』
「どういうことだ?」
『都市伝説というものだ。知っている、聞いたことはある。でも詳しくは分からない。本当かどうかも、分からない』
「それはつまり・・・」
噂と呼ばれる類のものだろうか。言い換えれば根拠のない憶測、ありもしない空想。
『アーサーさん。その話は一体どこから?』
「実はアルフへイムの歴史について調べてたら、そんな情報を見付けたんだよ」
『なるほど、それはE3を用いて?』
「うん、そうだよ」
厳密には僕がSSを使って、そのSSがE3を使ったのだが、言って直すようなことでもない。
『僭越ながら、実はE3は信用のできない情報も検索で取得してしまう。時には検索で最初に出てきた情報が噓ということさえあるほどだ』
「ああ、うん、そうなのか」
もちろんそうだということは僕の知識にもあるし、そもそも僕はどんな情報だって鵜呑みにはしない。
なんて言い返すことも、さっき自分がE3を使ったことにしてしまったためできない。
「えっと、じゃあ結論としてはそんなことはないってことなのか?」
『立場というものに縛られた俺の舌が吐き出せる答えとしては、な』
つまり立場を忘れれば、答えは変わってくると、オスカーはそう言ってる。
「じゃあ、オスカー本人からの回答を聞かせてくれないか?」
『フッ。いいだろう。だが、この会話を何者かに盗聴されては我々の安全に関わる。場所を変えよう』
オスカーがどこまで本気でこう言ってるかは分からないが、その危険があるというのであれば、避けない手はない。
「分かった。どこにする?」
『2階と3階を繋ぐらせん階段。あそこにしよう』
「らせん階段・・・なんてあったっけ?」
『ああ。しかし、アーサーさんは知らなくても無理はない。あそこが繋ぐのは屋根裏部屋のみ。俺でさえそうそう行くことはない。・・・そこで』
トントンと誰かが僕の部屋のドアをノックした。このタイミングなのでオスカーかと思ってドアを開けたら、やはりそこにはオスカーがいた。
「『俺が案内しよう』」
目の前と手首財布の両方からオスカーの声が聞こえる。こうやって同時に比較すると通信を通したオスカーの声は実際の声よりも低いことがよく分かる。
「この部屋の中は危険なのか?しばらく開けてたとはいえ、自分の家だろ?」
「その通りだ。しかし、天井で今は眠りにつく掃除ロボットも、そこで瞑目するコンピューターも、元々は外のもの。これを商品として世にばらまく企業は遠隔でマイクやカメラを起動し、こちらの動向を伺うことができる…」
「え?なんだそれ。そんなことアルフヘイムの民は納得してるのか?
いや、納得しているかどうかという問いに対する答えは知っている。僕の知識に今の情報がないということは、企業が勝手にマイクやカメラを起動できるということは一般には知られていない。つまり、勝手にやられてるということだ。
「まあ、あくまでそんな都市伝説もある。という話だ。信じるか否かは、己のみぞ知るといったところだ」
「なんだ。そういうことか」
信じるか信じないかという話になると、もちろん僕は信じない。しかし、疑うか疑わないかという話になれば、当然疑う。
ゆえに、僕はオスカーとともに部屋を出て、屋根裏につながるというらせん階段を目指すことにした。
オスカーの案内に従って歩いて行くと、まだ僕の踏み入れたことのない場所に、左右の手すりの間隔が人一人分の簡素ならせん階段があった。
オスカーが上り始めたので僕も黙ってその後について階段を上っていると、オスカーは階段の途中で立ち止まった。
「どうしたんだ?オスカー」
「進むのはここまでだ。この先は…嫌な空気が立ち込めている」
「嫌な空気?…もしかして、ほこりのことか?」
オスカーは黙って頷いた。自動で掃除するロボットがあるというのに、使っていないのか。
まあ、屋根裏には滅多に立ち入らないというのであれば、わざわざ掃除をさせるためにロボットを使うのはもったいないという考えなのだろうか。
「では始めるとしよう。都市伝説を。俺の中の説を」
「ああ。よろしく頼む」
本題を忘れそうになっていたが、僕はオスカーの説を聞くためにここまで来たんだった。
「壁を築いて以来、アルフヘイムは事実上のエレツの最上位州であるという風に考えられている。故に、首都からの命令には従わないし、施しを受けることもない」
首都と何かあったとすればそれは取引だったということか。それも、対等かもしくはアルフヘイムが優位の取引が。
しかしアルフへイムの一般に知られている歴史に於いてはそのような取引があったという事実すらない。
「しかしそのアルフへイムがジズのデータ欲しさに首都に屈し、首都の下につくという形でエレツ第1州に成り下がったというのがこの都市伝説の意味するところだ」
「ジズのデータ欲しさに、か。そのジズのデータっていうのは具体的にはどういうものなんだ?」
それは分からない、とオスカー。確かにそれが分かっていれば物的証拠となり、都市伝説はただの定説と成り代わる。
「だが、兵器転用すれば強力な武器になるものと考えられている」
「強力な兵器、か。そんなものが実在すれば首都だって攻め落とせるな」
それ故にこの説は真実味に欠けると僕は考える。
「データはもらったものの、うまく活用できないと考えれば、一応筋は通らないか?」
「なるほど。でも、そもそも魔王が本当にそんなことをするか?彼がレヴィアタンやベヒーモスの肉体と魂を切り離したのは彼らを戦力図から除外するためだ」
抑止力として利用はせず、後々謀反を起こされる可能性と天秤にかけて彼は除外を選択した。
「そんな魔王が兵器利用されるリスクまで負ってアルフへイムを治めたがっていたとは考えにくいよ」
その上今のアルフへイムは完全に外界との交流を断っている。エレツの州になる後と前では州という名目があるかないかの違いしかない。
「確かにそこがこの説の弱いところだ。しかし他に何か筋の通った理由があるだろうか」
一応表向きには「立場が変わることがない以上、断る理由はない」みたいな理由とされているが、それはアルフへイムのこれまで他の州に対して取ってきた態度からを考えれば矛盾がある。
「確かに、アルフへイムを中心に考えるとこの都市伝説の信憑性は中々のものだと思うけど、でもエレツの中心は首都だ。取引は首都が主導権を握って行ったと考えるべきじゃないか?」
「では、首都を中心に考えると納得がいくと?」
「いや。全然」
当時優勢だったのがどっちなのかだけでも分かればかなり真相に近づけそうだが、僕の知識にはアルフへイムが優勢だったという知識と首都が優勢だったという知識が両方存在する。
多分、アルフへイムと首都のそれぞれで一般に知られている情報なのだろう。
「よし、この話はここまでだな。これ以上はただの空想になってしまう」
「ああ、同感だ」
考えるのはここまで。次の一手は情報収集だ。
エレツが統一された時、ジズと共に戦ったという人物には2名ほど心当たりがある。レヴィアタンとベヒーモスだ。
まともな聞き込みができそうなのは後者。居場所も分かっている。
僕はオスカーと別れて自分の部屋に戻りながら、ノラに通信を入れる。
「ノラ。僕だ。転送して欲しい場所があるんだけど」
無駄とは分かっているが取りあえず手首財布に話しかける。
『どこ?』
そして案の定、頭に直接ノラの声が響く。
「獣人帝国のあの学校なんだけど、いいかな?」
『転送自体は出来るけど、今は授業中よ。誰に用があるにせよ、20分後の方がいいんじゃないかしら』
「ああ、そうなのか」
どうしてノラはあそこの時間割を把握してるんだろうか。僕は覚えようとすらしなかったのに。
「それじゃあ20分後にお願いするよ」
『分かったわ。時間になったら予告なく飛ばすから、前もって覚悟はしておきなさいよ』
「いや、できたら予告はしてほしいな・・・」
たいした手間でもあるまいし。
『仕方ないわね。分かったわよ』
「ありがとう」
『用事はそれだけ?』
「うん。それだけ」
『そう。それじゃ』
ノラの声が頭から消える。
さて、20分ほど暇が出来た。部屋に戻ってSSに仕事の進捗を尋ねようかと思っていると、どこからかSSの声というか音声というかが聞こえてきた。
『へー!じゃあその服はその時もらったんだね!』
「うん。アーサーが選んでくれた服。私の一番大事な服だよ」
それと一緒に聞こえてくるのはキレネの声だった。
声はしても姿は見えない。声の出所を探して首を廻らせていると、階段の踊り場にいるキレネが目に入った。
彼女はそこに設置されている二脚の椅子のうちの一つに腰掛けている。
そう。何を隠そうテンペスト家の階段の踊り場は広いのだ。多分、ここの踊り場でなら本当に踊れる。
「その後はね、そこの偉い人と一緒にケーキとかサンドイッチとか食べたんだよ。小さかったけど種類がたくさんあって、楽しかったなー」
『それはスイーツビュッフェのことかな?』
「スイーツビュッフェ?何それ?」
『色んなお菓子があって、好きなものを好きなだけ食べられるんだよ!』
「ああ、お祭りのこと?」
「それは違うぞ。キレネ」
キレネの発言にツッコミを入れながら、彼女の目の前に僕が現れる。
「あ、アーサー」
「SSにこれまでの話聞かせてやってたのか?」
「うん。アーサーの活躍をね」
『そう!アーサーお兄ちゃんの武勇伝!』
「はは、僕の武勇伝か」
そんなもの聞いてしまったらSSがずる賢くなってしまわないだろうか。
『アーサーお兄ちゃんはすごいね』
「うんうん。そうだよそうだよ」
「何故お前が得意げなんだキレネ」
まるで僕の親か何かかのように。
『それにキレネお姉ちゃんはアーサーお兄ちゃんのことが大好きみたいだよ!』
「ちょっ、何言ってるの!そうだけど!」
そうだというなら何故冒頭数秒間焦ったんだ。まさか本当は僕の悪口を言っていて、それをばらされたと思ったのだろうか。
「あ、そうだ丁度いい。SS。頼んでた情報収集の方はどうなってる?」
『現在進行中だよ!あともうちょっとかかるよ』
「そうか。それじゃあ気長に待たせてもらう」
僕はノラに転送されるまでキレネとSSと3人で話すことにした。