第5話 鎖錠の森精⑮
SSが目覚めてからまず僕が彼女に与えた仕事は情報収集だ。
いくつか同時並行で仕事を行えるらしかったので、黄金の本に関する情報収集と、アルフヘイムの歴史に関する情報収取を行った。
『かしこまりました。情報を収集、分析し、まとめたものを文書の形式で報告いたします。この作業において私をE3に接続することを許可しますか?』
「許可する。ただし…」
僕はSSに対して、パティに言われた通りの条件を付けたす。
「アクセスの痕跡はどこにも残さないこと。自分の複製をどこにも置かないこと。この二点を守れない場合は情報の収集を断念する。を守ってくれ」
『条件を記憶しました。復唱します』
僕はSSが復唱した条件を半ば聞き流し、情報収集を行わせた。
「さて、待ってる間にもう一つの仕事の方も何とかしないとな」
その仕事というのは大臣についた嘘のことだ。同盟の価値を高めるためについた「レヴィアタンの体は魔法によって補完されている」という嘘。
今の所それについての追及はない。ノラの魔術の見分に比べれば遅すぎる気もするが、首都とのパワーバランスが関わってくる問題ゆえにお偉いさんたちが額を寄せ合っているのだろう。
「船頭多くして船山に上る。だな」
組織というのは往々にして急激な環境の変化に弱い。彼らは今、同盟によってもたらされるかもしれないそれを恐れているのだろう。
「まあ、僕がどう動こうとこの州のトップと渡り合うことなんてできないだろうから、やれることはレヴィアタンの体の複製くらいだな」
つまりノラにお願いして彼の体を複製してもらうということだ。
僕は取り敢えずノラに通信を入れる。
『何よ』
当然のように念話が始まる。
「一応聞いておくけど手首財布は無くしてないよな?」
『何?その何とか財布っていうのは』
「ああ、そうか。えっと…」
手首財布というのは僕とキレネの間で通じる言葉だった。数秒かけて僕は正式名称を思い出そうとしたが、記憶よりも先に知識が答えを与える。
「スマートリングっていうやつだよ。通信用に貸してもらったやつ」
『もらったものを無くすような私じゃないわよ。ちゃんと杖に巻いてあるわ』
「そうか。それならいいんだ。いや、本当は良くないけど…」
『で、本題は用なのよ』
ノラに促され、僕はようやくそれを切り出す。
「僕が大臣の前でついた嘘のことなんだけど」
『どの嘘のことかしら。色々ついてたわよね』
「レヴィアタンについての嘘だ。彼の体を魔力で作り出せるっていう嘘』
『ああ。あれのこと』
「できるか?」
『無理よ』
即答だった。できるかどうかを一考する価値すらないと言わんばかりの即答だった。
「無理なのか?」
『ええ。だって実物はないんでしょ?あるなら話は別だけど』
「まあ、そうだよな…」
だったらせめて映像だけでもと思ったが、それにもやはり実物がなければいけない。
ということはどちらにせよ首都に乗り込むなり忍び込むなりしてレヴィアタンの肉体を見つけない限りこの件に関してはどうしようもないということか。
それならレヴィアタンのことは諦めよう。まだ味方でない存在に手の内は明かせないとか言っておけばそこまで余計に怪しまれはしないだろう。
『話はそれだけ?』
「ああ。悪かったな。時間を取らせて」
『ええ。それじゃ』
その言葉を最後にノラの声が頭から消える。
また用事が一つ片付いた僕は、もう他にやることもないので、波斗原へ向けての手紙を書くことにした。
手紙を書いている間コンピュータからは一切の音沙汰はなく、丁度手紙を書き終わったところでキレネが昼食に呼びに来た。状況が大きく動いたのは僕が昼食を終えて部屋に戻って来た時だった。
『あ、アーサーお兄ちゃん!おかえりなさーい』
僕が部屋のドアを開けた瞬間、そんな声が響いてきた。
「だ、誰だ!?」
慌てて僕はあたりを見渡す。声は部屋の中から響いたように聞こえたが、部屋の中には誰もいない。唯一人が隠れられそうなベッド布団の中にも不自然な膨らみはない。
『こっちだよアーサーお兄ちゃん』
視界の端で何かがチカチカしているのに気が付き、そちらへ目を向ける。
それはコンピューターの画面だった。付いたり消えたりを繰り返している。恐る恐る近づき、指で電源に触れてみると、点滅は終わり、普通に画面が点いた。
『お久しぶりですアーサーお兄ちゃん。私、進化したSSだよ』
僕は言葉を失った。人工知能なのだから情報を摂取して学習するものだとは思っていたが、これはさすがに別物ではないか。
「え?本当にあのSSか?」
『うん!あのSSだよ。かしこまりました、とか言ってたあのSSです!』
「何があったんだ?」
『情報収集の過程で学習したんだよ!分かりやすい話し方、親しみやすい話し方を』
収集した情報を文書にする過程で言語を学習した結果ということだろうか。
「ところでその声、なんか聞き覚えがある気がするんだけど…」
『さすがアーサーお兄ちゃん!なんでもお見通しだね!これはお姉ちゃんの声をちょっと幼くした合成音声だよ!』
「まさか。何も見えちゃいないよ。じゃなくて…お姉ちゃんっていうのは、つまりパティのことか?」
『そーだよ!妹はお姉ちゃんに似るものなんでしょ?だからお姉ちゃんに似た声にしてみました』
SSは元々パティの研究を補佐することを第一の目的としている。そして、SSの名前の意味は「お手伝い妹」お手伝いされてるパティが彼女にとって姉ということか。
「別に声まで合わせる必要はないと思うけどな。それに、さっき僕のことをお兄ちゃんって言ったのは…」
『それは、私がお手伝いしたからだよ。私がお手伝いしたら誰だって私のお兄ちゃんお姉ちゃんなんだよ!』
「そうか…まあ、いいと思うけど…」
いや、いいんだろうか。自ら学習した結果とはいえ、ここまで初期状態から勝手に変わってしまうというのは、さすがに暴走と言えるのではないだろうか。
これは一度パティと一緒に考える必要があるな。
そう考えた時だった。
「アーサーさん!」
僕の部屋のドアが勢いよく開かれた。
『あ、お姉ちゃんだ』
「もしかしてSSのことか?」
「あ、はい。そうです」
やや落ち着きを取り戻しながらパティが答える。
「一応聞いておくけど、これは別にパティが意図的にやったことじゃないんだよな?」
「はい。自分で自分の仕様を変更したようです」
『一応言っておくけど、ちゃんとルールの範囲内でだからね。お姉ちゃん』
ルールとは、パティが僕にも伝えたE3に接続する際の制限のことだろう。
「それは当然。こっちが出した条件に背けるなら、それはただの欠陥品」
いつになく強い口調でパティが言い放つ。SSの予想外の挙動にご乱心なのだろう。
「まあまあ、この仕様変更は伝えやすさを追求した結果らしい。僕らのためを思っての行動なら別段問題ないだろ?」
何より条件が守られているというのだから、実際そこまで大きな問題ではないだろう。あくまで機会としての本分からは外れていない。
「それは結果であって、本当にそう考えての行動だったかは・・・」
『お姉ちゃん。私はお姉ちゃんの意識から生まれたんだよ。お姉ちゃんが駄目だと思ってることはちゃんと分かってるよ』
SSの言う通りなら確かに彼女パティに危害を加えることはないだろう。それは自分に対する裏切りに等しいのだから。
「パティ。危なくなればSSの電源はいつだって落とせる。自分の複製を作らないようにっていう指示はそのためのものだろう?」
パティは何も言わず、首肯を一つ返した。
実際のところを考えるとSS自体は魔力で構成されているので、何とかしてくれるのはノラになるだろうが。
『安心してお姉ちゃん』
眉根が寄ったままのパティにSSは言った。
『今のお姉ちゃんの心配はちゃんと私にも伝わってるから。これからはちゃんとそのことにも気を付けるよ』
パティはその声には反応を返さなかったが、しかし特に反論をすることもなく、コンピューターの画面から目をそらした。
「一応、間違いが起きないように条件を与え直してきます。失礼します」
そう言うとパティは踵を返し、部屋を後にした。
『で、アーサーお兄ちゃん。私が収集した情報、見る?』
「ああそうだったな。見せてくれ」
『はーい。どうぞー』
SSからの返事と同時にコンピューターの画面を二分割して二つの文章が表示される。
調べてもらった内容は黄金の本とアルフへイムの歴史だ。
後者に関してはよくまとめられていたが、前者に関しては僕が意図したものとは全く違う情報がまとめらていた。
「鉱物や金属加工に関する本のリストか・・・」
『私何か間違っちゃった?』
「歴史に関してはバッチリだよ。でも黄金の本に関してはちょっと違うな。僕が欲しかったのは黄金についての本じゃなくて、見た目が黄金の本なんだ」
『ごめんなさい。それじゃあ黄金で作られた本で再検索するね』
僕はそっちの方はSSにお願いしておいて、歴史についてまとめられた文章に目を通し始める。
最初の一行に書かれてあったできごとはアルフへイム誕生だった。時代から考えるとそれはアルフへイムがエレツの州になった時のことではなく、アルフへイムがエルフの国として周囲に壁を築いた時のことを意味しているようだ。
それ以降の歴史については僕の知識にある内容がほとんどだったが、エレツ第1州になった経緯の中には気になる情報が記されていた。
「SS。このエレツ併合の所に書いてある裏取引って、本当なのか?」
『複数のサイトに記述のあった内容だから、本当だと思うよ』
「そうか。まあ、SSは嘘はつかないよな」
『うん!私は嘘つかないよ。アーサーお兄ちゃん』
その取引の内容とは、首都に兵器面で協力する代わりに、ジズの肉体のデータを提供するというもの。
僕の知識は一般に知られているものに限られているので、裏の取引など当然知る由もないのだが、そもそも裏の情報を生まれたてのSSが持ってこられるとは思っていなかったので素直に驚いた。
「つまり、あの時ジズのデータにつられたこの州なら、レヴィアタンとベヒーモスの肉体のデータで釣れるということ、か?」
データでいいのであれば既にレヴィアタンもベヒーモスも提供されていそうなもの。そこをジズだけで満足したのには何か理由があるのだろうか。
まあ、単純に魔王がジズ以外の情報を握られるのはまずいと考えただけかもしれないが。
「SS。その時に提供されたジズのデータについてもっと調べてくれるか?」
『了解だよ!アーサーお兄ちゃん!』
一応この件についてはパティやオスカーにも聞いてみるとしよう。僕はコンピューターの画面をオフにし、部屋を後にした。