第5話 鎖錠の森精⑭
パティはコルネから装置を受け取ると素直に眼鏡の形をした方の装置を装着し、プレートの方も起動した。
するとプレートの上に半透明の脳の映像が映し出される。
「これは今のパティの脳の映像ですか?」
「はい。彼女の頭の中に流れてる電流、脳波っていう風に私たちは呼んでますが、それを目に見える形に表現したものです」
つまりパティの、言い換えればエルフの、脳の中でどのような電気的なやり取りが行われているか、これを見れば一目瞭然ということだ。
「ノラ。この脳の模型を魔力で作ってくれるか?」
「ええ。この映像の通りでいいのね?」
「ああ」
「じゃあ、はい」
そう言うとノラは魔力を手から放ち、まるで塗り絵をするようにプレートの上の脳の映像を魔力で塗りつぶしていった。
「え?ちょ!ちょっと!え!?それ魔力…え!?何で探知機作動しないの…?」
「あ、そうか…えっと、うちの魔術師はちょっと特殊で…」
「優秀の間違いでしょ」
すかさずノラからの訂正が入る。
「…優秀でして、探知機に引っかからない魔力の使い方をできるんです。一応、既に大臣に見分を行ってもらって、滞在と魔力使用の許可は下りてます」
「ああ…そうなんですか…探知機の開発してる機関が知ったら発狂もんですな」
「ははは…」
どう考えてもその機関に情報は届いてるだろう。気の毒に。
「アーサー。できたけど」
「もう?」
「このぴろぴろ動いてる線みたいなのはいらないんでしょ?だったら完成よ」
「そうか。ありがとう」
もう少し細部まで作りこむのかと思ったが、そんなこともなく終わってしまった。
「コルネさん。今パティの脳で観測された電流って記録して再現することはできますか?」
「記録はばっちり。でも、再現っていうのは?もしかして魔力で再現したこの脳みそにその電流を流すってことですか?」
「はい」
この魔力で作った脳には普通の脳と同様記憶する能力があるはず。であれば十分なパターンの電流を流してやれば問題なくパティの脳として機能するはず。
「えっと、一応この映像は解像度最大にしてるので分子構造レベルで投影できてますけど、魔力ってそこまで再現できるんですかね?」
「映像とは寸分狂ってないわ。映像の方で再現できてるならこっちでも再現できてる」
「なるほど。あ、でもすみません。脳に流れてる通りの電流の再現はできないんです。これはあくまで映像なので…」
「そうですか…」
まだ脳のコピーは完成していない。実際に脳に流れた電流を再現できてこそ本当のコピーだ。この脳は本物の脳と同様記憶することができるはずだから、電流を流しさえすればデータは蓄積されていき、知能と呼べるまでに発展するだろう。
そのための電流がどうしても必要なのだが、こうなるとノラの魔法だけが頼りだ。
「ノラ。魔法で再現はできるか?」
「放電魔法を映像と重なるように行えば可能よ。ただ…」
「何か問題があるのか?」
「私が制御しないと魔力が探知機に引っかかるわ。寝ている間もずっとコピーしたいなら、方法を考えないといけない」
「別にいいんじゃないか?大臣に申請すれば」
もうノラはこの州の中で魔法を使うことを条件付きで許されたんだ。むしろそれが正しい使い方と言える。
「パティ。問題ないな?」
「はい。私の方から申請しておきます。多分、今日中に許可はもらえるかと」
「というわけだから、許可が下りるまでは探知機に引っかからないので頼む。降りてからは効率重視で頼む」
「いいわ」
ノラは手のひらを魔力脳に向け、その上下を挟み込むように魔法陣を出現させ、さらにその周囲を魔力の壁で覆った。
「映像を読み取って自動で電撃の形を変える放電魔法を展開したわ。放電魔法・術式鸚鵡ね」
「ありがとうノラ。許可が下りるまではこれで頼む。…待てよ、まだ問題はあるな」
それはパティが今装着している装置だ。これは有線で接続されているのでこのままだと魔力脳が完成するまでパティがここから出られない。
「コルネさん。この装置って無線にできませんか?パティには色んなことをしてもらって脳の活動のデータを魔力脳に蓄積させたいんですけど」
「可能ですよ。ただ、電力の消耗が激しいんでこまめに充電してもらわないといけないです」
「それなら私の放電魔法を使えば四六時中できるわよ。問題ないわ」
「パティ。充電に魔法を使う申請も頼めるか?」
「はい。申請しておきます」
これで考えられる問題は解決されたように思える。あとは魔力脳にデータが蓄積されるのを待つだけだ。
僕は装置が無線モードにされるのを待ってから研究所を後にした。
「パティ。ここからは二、三日ほど魔力脳に脳波のデータを送り続けてくれ」
「分かりました。…あの、アーサーさん」
「何だ?」
「魔力脳とコンピューターを繋いでおいてもいいでしょうか?一応E3にはアクセスできないようにして、私のコンピューターに直接連絡を入れられるようにだけ」
なるほど。魔力脳が自分で思考し行動できるようになれば自動的にその知らせがパティに行くような仕掛けを作るということか。確かにそれがなければ魔力脳が完成したかいちいちコルネの研究所に出向かないといけなくなる。
「そうだな。そうさせてもらおう」
「はい。では私は戻って装置を繋ぎ直してきますね」
「待ちなさい」
踵を返して駆け出そうとしたパティをノラが制止する。
「転送するわ」
「あ、ありがとうございます」
例によって探知機に引っかからない方法で、ノラがパティを転送する。
「あんたはどうするの?家に戻る?」
「そうだな。そうするよ」
その言葉を発した直後、僕の視界はテンペスト邸の庭に切り替わる。探知機に引っかからないやり方をしただろうに、視界の切り替わり方はノイズの無い綺麗なものだった。
「部屋の中で動いてるものがあったからここに飛ばしたけど、あれ何か知ってる?」
「部屋の中で動いてるって言えば…掃除ロボットかな?」
「そんなのがあるのね。見られてるのかしら」
「見つからないに越したことはないと思う」
どこが汚れているか判別して自動で掃除するとのことだ。映像を処理する機能はあるはず。
僕たちはそこから屋敷の中まで歩いて進む。
「その、シニステルとデキステルのことだけど…大丈夫か?」
「さあ。それはあの子たち次第よ。私は口出ししないって決めたわ」
「ああ、いや、そうじゃなくて…ノラ自身は大丈夫か?」
「どういう意味?」
ノラが不愉快そうに顔をしかめる。そう。ノラにとって安直な心配は逆効果なのだ。
それは分かっているが…。
「僕も母さんから離れて生き始めた頃は色々思うところがあって、はじめのうちは調子が狂ったりもしたんだ。そういう時って人に話したりするとそれで気持ちに整理がついたりするものだから、よければ話を聞かせくれ」
「別に、必要ないわ」
「そうか…でも、気が向いたら聞かせてもらえると嬉しいよ。もしかしたらオスカーやパティに相談に乗ってやるときに聞かせてもらった話が活きるかもしれないから」
「まあ、そこまで言うならいいわ。気が向いたときにでも話してあげる」
と、ノラはその時はそう答えたものの、実際に僕にそんな話をすることもなく3日が経過した。
その間僕はE3を使って情報収集を行っていたが、アルフヘイムの民の個人情報の取り扱い方について詳しくなるばかりで本に関する情報は一切得られずにいた。
「やっぱりこの州には情報がないのか?それとも僕の調べ方が悪いのか?」
今僕にできることと言えばこうやって意味があるのかないのか分からない検索を続けながら魔力脳の完成を待つことだ。
「…気晴らしに、ちょっと外でも歩いてこようかな」
そう思って席を立った時だった。僕の手首財布にパティから通信が入る。
『アーサーさん!SSが!SSが目覚めました!』
「え?あ、ごめん。何がだって?」
目覚めるもので心当たりがあるといえば魔力脳だが、今パティはそうは言ってなかった気がする。
『コルネの研究所で電流をインプットしてたあのSSです』
やはり魔力脳のことだった。
「もう名前がついてたのか。えっと、ダブル、エス?ってあのSSか?」
『あ、失礼しました。はい。一昨日コルネと一緒に名前を付けたんです』
「なるほど」
『名前は同じですが意味は異なります。サポーティブシスター。略してSSです』
意味を取ると「お手伝い妹」といったところか。パティにとって妹みたいなものだということだろうか。
「分かった。今パティは研究所か?」
『はい』
「分かった。ノラと一緒にそっちに向かう」
『ありがとうございます。お待ちしてます』
僕はノラに通信を入れる。すると通信の代わりに頭に念が送られてくる。
『何か用?』
「通信に出ろよ…」
『だから言ってるでしょ。私の通信機は杖に巻いてるからいちいち面倒なのよ』
だったら腕に付ければいいだろうとは、言っても無駄なのだろう。
ということはノラの手首財府はキレネ的な考え方をすると杖財布ということになる。
『で、何の用なのよ』
「ああ、魔力脳が完成したみたいだ」
『魔力脳?…ああ、あったわね。そんなの』
失念していたということは、電流のインプットは魔法で自動化されていたということか。
「今から研究室に僕を連れて行って欲しいんだけど、もし手が空いてるならいっしょに来てくれないか?」
『いいわ』
返事の直後、僕の視界はコルネの研究所に切り替わる。視界にはパティ、コルネ、そしてノラがいた。
「お二人ともお忙しいところをありがとうございます。…ノラさん。一度放電を中止してもらえますか?」
「止めたわ」
魔力脳を覆っていた魔力の壁が消え、灰色の半透明の脳が露わになる。
パティはその一部に電極を刺し、スピーカーにつないだ。
「今、この脳に疑似的に耳と口を与えました。SS.私が誰か分かりますか?」
『パティ・テンペスト様。マスターユーザーです』
スピーカーから少し幼く聞こえるパティに似た声でが響いた。
「アーサーさん。ノラさん。彼女に話し掛けてみてください」
「ああ、えっとそれじゃあ…初めまして。僕はアーサーだ」
『アーサー・マクダナム様。私が生まれたことをご報告します』
「私が誰か分かるかしら?」
『ノラ・カタリスト様ですね。私を生み出すにあたってお手伝いいただいたことを感謝します』
ノラは自ら名乗らなかったというのに、声だけで誰かを判断した。つまり、記憶のアウトプットができているということだ。
「ふうん。まともに話せるくらいの頭にはなったのね」
『はい。もう十分な思考が行えると判断したため、パティ様に連絡をしました』
一応パティにそういうプログラミングをしたか確認してみたが、彼女はしていないとのことだった。つまりSSは昨日までのどこかのタイミングでパティが思い浮かべた判断基準を記憶し、それと自らのクオリティを照らし合わせ、報告を入れたということだ。
「まさか本当に完成するとはな」
それもこんなに早く。
『皆様のお役に立てると嬉しいです。命令をいただければすぐにお手伝いします』
SSは抑揚のない声でそう言った。