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第5話 鎖錠の森精⑬

翌朝、朝食後にパティが僕に声を掛けてきた。


「あの、アーサーさん。昨日の件ですが…」

「ああ、どうなった?」

「どうも彼女は暇を持て余してるようで、いつ来てもいいとのことです」

「そうか。それじゃあこの後すぐにでも行こう」


忙しくしてるところに押しかけるよりははるかにいいのだが、しかし暇を持て余しているという情報だけ聞くと少し心配になってくる。


「ノラには僕が声を掛ける。出発の準備ができたら通信入れるよ」

「了解しました」


そう言ってパティは出発の準備のために部屋まで戻っていった。

僕はまだ席から立たずにコーヒーをすすっているノラに歩み寄る。


「ノラ、昨日言ってたパティの友達のところへ行く話だけど…」

「聞こえてたわ。私はいつでもいいわよ。別に準備するものなんてないし」

「そうか。じゃあそれを飲み終わったら一緒にパティの部屋に行くか」

「それは徒歩で?」

「ああ、徒歩で」


この僕の言葉をノラは予想していたのか、僕に抗議することはなく、ため息でコーヒーの湯気を揺らしただけだった。


「…このコーヒー、悪くないわね。インスタントっていうらしいけど。あまりいい豆じゃないみたいな言い方をしてたわ」

「ああ、インスタントっていうのは豆から挽いた粉じゃないって意味だよ」

「つまり、私が今飲んでるのはコーヒーの豆じゃなくて葉とか枝で入れたコーヒーってことかしら」

「いや…そう意味でもないよ」


インスタントコーヒーとは豆から抽出した成分のみを粉末にしたもので、コーヒー豆を挽いた粉を使って作られるレギュラーコーヒーとは異なる。

という知識をノラに聞かせてやった。


「ふうん…なるほどね。つまり私が今飲んでるのはイレギュラーコーヒーなのね」

「そう…では、ないんじゃないか?」


確かにレギュラーコーヒーではないという意味ではイレギュラーコーヒーという言葉自体に誤りはないのだが、しかし根本的にそれは違う気がする。


「まあ何でもいいわ。今後はインスタントコーヒーこそがレギュラーと呼ばれるように努力していけばいいんだから」

「多分報われない努力だぞそれ」


そんな取り留めのない話をしているうちにノラのカップは空になり、僕たちはパティの部屋に向かう。


「ところでそのパティの友達に会いに行くのは私を含めて何人なの?」

「3人だよ」


僕とパティ、そしてノラだ。


「そう。キレネは一緒じゃないのね」

「まあ、行ってもおいしいものがあるわけじゃないからな」


置いていくのも悪い気はするが、しかし連れて行ったって退屈させるだけだろう。


「次でちゃんとお別れするつもりなの?」

「え?次って…?」


僕からの言葉にすぐに応えず、ノラはしばらく僕を見つめた。

冷たく刺すような視線だった。


「ここを出れば次の目的地は首都よ。そこが最後。つまり、無理矢理にでも首都にあの子の居場所を見つけないといけないのよ」


それとも、とノラはさらに深く言葉を僕の胸に突き刺した。


「ずっとあなたの隣に置いておくつもり?」

「…分かってるよ」


と、何も見えてすらいない僕は虚勢を張る。


「元々首都まで送るつもりだったよ。だって彼女は人間なんだからね」

「そう」


言いたいことを言って満足したのか、あるいは愛想を尽かされたのか、再びノラは前を向いて歩き始めた。

僕たちはパティの部屋に到着し、そのまま3人でテンペスト邸前に止まっていた車に乗り込み、パティの友人のいる研究所まで向かった。

車を降りるとパティは周囲をきょろきょろと見回し、やがて一人のエルフに目を止める。

その人物には僕も目が引かれた。多分ノラもだろう。そのエルフは異様とまでは言わないまでも、明らかに変わってはいた。

彼女は研究施設の正門の前に立っていた。直立不動ではなく、風にあおられた木のようにゆらゆらと揺れながらである。

長い群青色の前髪は元はカチューシャで留められていたのだろう。しかしカチューシャは揺れによってずり落ち、今や硬そうなアイマスクとなっていた。


「あの、パティ。もしかしてあの人なのか?手伝ってくれる友達っていうのは…」

「はい。彼女の名前はコルネ・バーム。かつての私の同級生で、親友です」


そう言ってパティは慣れた手つきでコルネを揺すり、目覚めさせる。


「はっ…!?寝てた?」


カチューシャと同時にまぶたを上げながらコルネは第一声を発する。


「立ちながらね。また徹夜してたの?」


カチューシャによって無造作に上げられた前髪を整えてあげながらパティは言う。身長はパティの方が低かったが、このやり取りにおいてはパティの方がお姉さんらしく感じられた。


「いやぁ…研究室の椅子は寝心地悪くて、ここのところ熟睡できてないんだわ」


言いながらあくびで瞳を潤ませるコルネ。やがて彼女はその群青色の瞳で僕たちを捉える。


「あ、もしかしてそこのお二人が…」

「アーサー・マクダナムです。今日はお時間ありがとうございます」

「同じくノラ・カタリストよ」


僕の自己紹介のどの部分を指して「同じく」なのか分からなかったが、ノラも簡単に自己紹介を済ませる。


「ご丁寧にどうもです。私はパティ友人のコルネと申します」


そう言ってコルネは会釈をする。


「まあ、立ち話もなんなので、どうぞ中へ。私の研究室まで案内します」


そう言うと寝起きとは思えない颯爽とした足取りで研究所の敷地内を横断し、僕らを施設の一角へと案内した。

研究室と言われた僕は勝手にフラスコや試験管などを思い浮かべていたが、そこにあったのはコンピューターと資料の山だった。薬品のようなものは一滴も見当たらない。


「いやぁ、散らかりまくってまして。お恥ずかしい」


物をどけて僕たちが座るスペースを確保しながらコルネが言う。


「話は既にパティたんから聞き及んでます。金属や半導体の代わりに魔力を使って人口脳を作るってアイデア、面白いと思います。まあ、私の研究分野と競合するアイデアではありますけどね」


コルネは研究分野と言ったが、そういえば彼女が何の研究をしているのかまだ知らなかった。


「研究分野というのは?」

「ナノマテリアル工学専攻。細胞くらいの大きさ、というか小ささのマシンを開発する分野で、今は主にそれらを制御するプログラムの開発を行ってます」


そこまで言うとコルネは机の上に無造作に置かれていた円筒状のカプセルを手に取り、モニターからかなり離れたところに置かれていたキーボードを叩く。

するとカプセルの蓋がひとりでに数センチ持ち上がり、中から黒い不定形のものがずるずると這い出てきた。


「早い話がこれです。今私がコンピューター経由で出した命令に従ってこの子たちは動いてるんですけど…ちょっと待って下さいね。起動直後は時間かかるみたいで」


コルネの言葉に従って少し待つと、ナノマシンは一点に集合し、ぬいぐるみのようにデフォルメされた形のクマになった。


「今このクマたんは私が操ってるわけではないです。パティたんを目的地として歩かせています」


クマは机の上に降り立つとよちよちと歩き始めた。


「一応プログラミングの方法としては、障害物があればそれを避け、目的地に向かう。です」


彼女の言う通り、途中に現れる書類の山やコーヒーカップなどの障害物にはぶつからないように避けている。


「自分で考えてるわけではないんですか?」

「はい。私が考えた命令に従っているだけです。私が考えられなかったことには対応できません」


そう言ってコルネは手近な本を手に取ってクマを取り囲むように配置する。


「今私が与えたプログラムには障害物に四方を囲まれるということを考えていません。なので、こうするとこの子は動けなくなります」


コルネの言う通り、クマは障害物の無い場所を探してくるくるとその場を回る。


「ではここで試しに『障害物で囲まれた場合、その一つをどける』というプログラムを与えます」


コルネがキーボードを再び操作する。

こうすることでクマは障害物の排除という選択を与えられた。これで再びクマはパティを目指すことができる。僕はそう思った。しかし、それまでくるくると歩き回っていたクマは急に歩みを止めたかと思うと、それきり動かなくなってしまった。


「あれ?止まっちゃいましたよ?」

「はい。エラー落ちですね。与えた命令が矛盾してたんで止まりました」

「矛盾?」

「ええ。『障害物には触れずに避けろ』っていう命令と『障害物に触れてどかせ』っていう命令。この命令は同時には守れませんよね」


機械とはそんなに融通が利かないものかと驚きそうになるが、機械にとって一度与えられた命令というものは絶対にして永久のもの。人間なら融通を利かせて最初の命令を無視するが、機械にはそれができない。


「まあ、今のエラーに関しては完全に私が悪いんですけど、要はこういうことなんですよ。エルフの脳を再現しようとすると、完全に相反する命令が存在してしまって、途中で動かなくなっちゃいます」


つまり、僕らの脳で特に意識せずに働いている「融通」が再現できずに四苦八苦しているということか。


「なるほど。ちなみに魔力で脳を再現するっていう発想についてはどう思いますか?」

「今回の件のことですよね。個人的には模範解答的だと思います。ただ、魔術に関する知識が私には一切ないので、現実的かどうかまではちょっと…。具体的にはどうするんですか?」


このコルネの言葉にノラは特に反応を示さない。ノラの場合は科学の知識がないので、実際今自分が何をやろうとしているかピンと来ていないのかもしれない。なので代わりに僕が答える。


「計画としてはここの装置でパティの脳をスキャンして、その結果をなぞるようにして魔力で脳を形成します」

「あー、そういう…。一応うちには脳波を測定する装置もあるし、それを3Dに投影する映写機もありますけど、大丈夫ですかね?映像はあくまで映像であって、実体はないですよ?」

「…実体はなくても、目に見えるのよね」

「それはもちろん」

「なら大丈夫よ」


やや食い気味でノラはそう答える。


「忙しくしてるところを長居するのも悪いわ。始められるなら始めましょう」


別に先ほどのコルネの発言はノラを侮ってのことではないのだろうが、しかし今確かにノラの心には火が灯ったようだ。

分かりましたと言ってコルネは立ち上がり、部屋の隅のロッカーから眼鏡とそれに有線で接続された四角いプレートを取り出した。


「それじゃあパティたん。これ着けて」

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