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第5話 鎖錠の森精⑨

図書館に着くと僕はまずキレネに釘を刺した。


「キレネ。図書館っていうのは常に静寂に支配されてる場所なんだ」

「どうしたの?オスカー達の真似?」


大袈裟に言おうとした結果壮大な物言いになってたことに、僕は指摘されて気付く。


「いや、そういうわけじゃないけど気を付けるんだぞ。この州のことだ。うるさくすると自動的に外に放り出されるかもしれない」

「え・・・!?うん。気を付ける」


もちろんそんなことが起こるわけなんてどこにもないのだが。ちょっと大げさに可能性の話をしたまでだ。嘘はついてない。


「よし。じゃあ行くぞ」

「ん」


強ばった面持ちのキレネは、小さくうなり声をひとつ上げて、僕の後に着いてくる。

少し脅かしすぎたようで心が痛んだが、今さら噓だと言うこともできず、僕はそのまま図書館へと踏み入った。

中に入ると、その空間は想定以上の濃度の静寂と、想像以上にフカフカな絨毯が広がっていた。

僕はキレネに1時間後にまたここで落ち合おうと耳打ちし、解散した。

キレネは僕と違う方へと向かう。多分料理の本などを見に行ったのだろう。

僕がまず目指すのは本棚ではなく、入り口のすぐ横の壁に掲げられている図書館の見取り図だ。

僕は見取り図にある「社会」と「統計学」と銘打たれたコーナーに狙いを定め、その場所へと足を向ける。

目当ての本棚の前に来ると僕はまず、「情報処理」という文字を探して整列した背表紙に目を走らせる。

親切にも各本棚には移動できる梯子が設置されており、僕の身長でも難なく全ての本を手に取ることができるが、まずは梯子に登らなくても手が届くところにあった「情報処理概論」というタイトルの本に狙いを定め、手に取って中に目を通してみる。

冒頭の数ページを読み、10ページおきくらいにページを繰り、そして確認する。この本に記されてある内容は僕の知識にあるものであると。

本を戻しながら次は本棚の一番上の段にある「情報集積-偏在から統合へ-」という本に狙いを定めて梯子に足を掛ける。高さを増すたびに、歩いたときの音を和らげるためだとばかり思っていたフカフカの絨毯が、もしかしたら梯子からの落下に備えてかもしれないという考えが僕の脳内にじわじわと広がっていった。

無事に本を手中に収め、上ったときよりも気を付けながら梯子を下りていると、何故技術を誇るエルフが未だにこんな危なっかしいものを使っているのかという疑問が脳をかすめたが、絨毯に着地したときには、そもそもエルフは森の人。この程度の梯子は僕らにとっての階段のようなものなのだろうという結論が出た。

気を取り直して僕は手に取った本を開いて中に目を通す。今度はかなり難しい内容の本だったが、しかし驚いたことに中に書かれていたことを全て、僕は知っていたのだ。

こんな難しい内容が僕の知識にあることに息を呑む。そして次の瞬間には何の成果も得られないままもう一度梯子を登らねばならなくなったことに呑んだばかりの息で嘆息するのだった。

僕は自分の知識に対する評価を改めてもう少し信用してやることにし、しばらく梯子には登らないで手の届く範囲にあるマニアックそうな内容の本を狙うようにした。

最初の方はまだ図書館に未知の資料があると信じていたが、さすがに六冊目の本にそれを裏切られて以降は、もう手の届く本にさえ、手を伸ばそうとはしなかった。


「どういうことだ?何でどれもこれも知ってるんだ?」


と、自らに問いかける。

当然答えは分からない。

僕の頭の調子が急によくなったとかそういうことではない。頭の調子はいつも通りだ。

試しに水魔城や獣人帝国についての情報に意識を向けても、やはり知識の量に大きな変化はない。

であれば、僕に与えられた知識が不完全なものであるという仮説が立つ。

知識を与えられた時偶然、アルフへイムに関する情報が優先的に僕の頭に流れ込んできたという仮説だ。

もっとも、この仮説を検証するには結局あの本が必要なので、仮説の検証は諦めてここに来た本来の目的に戻る。


「この本棚にある本は情報処理の機関についてより、情報そのものや情報の取り扱い方に関する本ばっかりだな」


僕が知りたいのはそういった理論的なことではなく、もっと実用的なことだ。

情報の処理は機械でされているだろうから、今度はその機械についての情報を探して本棚を移動した。先ほどの見取り図を思い出すと、行くべきコーナーは「工学」だろう。

目標の本棚目指して歩いていると、途中である本棚の前で立ち読みしているキレネが目に入った。

何やら黒っぽい装丁がされており、遠目には食べ物の本のようには見えない本だった。

一体何の本だろうかと気になった僕は本棚の側面に刻まれた文字に目をやる。そこには「神話・伝承」という文字があった。

目を疑ったが事実だ。どうして食べ物の本を読んでいないのかとキレネを問いただしたい気持ちもあったが、声を出せないこの環境では後に回す方がいいだろう。と考えて僕はその場を立ち去る。幸いにもキレネは僕に気がついていなかった。

その後僕は機械工学に関する本をいくつか手に取ってみたが、結局どれも僕の知ってることで、先ほど立てた薄っぺらい仮説が真実味を帯びただけだった。

まだここに踏み入って40分しか経っていなかったが、僕はすっかり飽きてしまい、先に図書館を出る決断をする。

キレネはあの本を随分と熱心に読んでいたので、しばらく彼女を待つことになるかと思ったが、僕が外の空気を頬に感じた時、そこにはもうすでにキレネがいた。


「あれ?もう出てたのか」

「うん。読みたい本は十分読めたから」

「何ていう本を読んでたんだ?」


僕はその質問をほんの世間話として切り出したつもりだった。


「え?読んでた本?えっと・・・あれは確か・・・」


しかしそんな僕の意に反してその質問は彼女を動揺させてしまったようだった。


「ごめん。適当に見て回って見付けた本だったから、よく覚えてないや」

「なんだ。そうなのか」


人を疑ってばかりの僕の脳裏には瞬間的に、あんなに熱心に読んでいたのに覚えていないとはどういうことか、とキレネを疑う思考がよぎる。


「書いてあったことも難しいことばっかりであんまりよく分からなかったし」


でも、とさらにキレネはこう続けた。


「怖い話・・・だったよ」

「怖い話、か」


一足早く図書館を出て、すこし動揺してしまうほどに、怖い話ということだろうか。


「食べ物の本は読まなかったのか?」

「読むだけで食べられない料理なんて、そんなのただの嫌がらせだよ」


どうやらキレネには料理の本がそのように見えているらしい。


「アーサーは何の本読んでたの?」

「僕か?僕は情報やアルフへイムの機械についての本を何冊か読んだけど、どれも知ってる内容ばっかりだったよ」

「へー。アーサーはやっぱり物知りなんだね」

「物知り、か」


そんな風に言われたのは久しぶりな気がする。


「知ってるだけで、何も見えてないんだけどな」


それだというのに僕の返す言葉はいつも通りだ。


「さて、それじゃあ帰るか」

「え?もう?」

「ここでの用は済んだし、一日にいくつも図書館には行きたくない。ここからまた歩くことになるからな」


それに、別の図書館でも結果は変わりそうにない。


「そっか。じゃあ最後にあれ食べていこうよ」


キレネが指さしたのはシャーベットを販売してる機械だった。

こちらからは見えないが、中には大量のシャーベットが保存されており、外部に取り付けられた装置に腕のデバイス、手首財布だったか、などからの支払いがなされると選択した味のシャーベットが排出される。

元々シャーベットとは果物や牛乳などを氷らせたものを意味するが、このアルフへイム内で売られているシャーベットのほとんどは香料と甘味料でそれっぽくされているシロップを氷らせたものだ。


「キレネ。あの機械の側面にはイチゴやバナナやチョコレートと言った食欲をそそる絵が描かれているかもしれないけどな・・・」

「あれを氷らせたのがシャーベットなんでしょ。私だって知ってるよ」

「いや、違うんだ。あれはあくまでイメージで、本当にあれが氷ってるわけじゃないんだ」

「?アーサーってよく難しいこと言うよね」


首を傾げるキレネ。ああ。どうすればうまく伝えられるだろうか


「例えばイチゴのシャーベットなら、氷らせてる液体は味も匂いも本物そっくりだけど、本当にイチゴの果汁を氷らせてるわけじゃないんだ」

「えっと、偽物ってこと?」

「ああ。本物よりもおいしい、偽物だよ」

「え?なら別に偽物でもいいんじゃないの?」

「え?」


キレネが放ったのと同じ「え?」を放ち、僕は考えさせられる。本物にそっくりどころか、本物よりも優れた偽物があったとして、どちらの方がより「いい」か。

この問いに対する答えがすぐに出ないのは、「いい」という曖昧な価値基準のためであろうか。


「食べ物に大事なことはおいしいかどうかでしょ?」

「そうだな。おいしいかどうかは確かに大事だけど、おいしくても体に悪い食べ物だってあるだろ?」

「……ある?」


そう聞かれると、ここまでのキレネとの旅でそういった食べ物には出会ってこなかった。


「いくらおいしくても体に悪いものは食べちゃ駄目だよ。おいしかったからってお皿まで食べないでしょ?」

「その通りなんだけど、この州には…」


摂取し過ぎると体に悪い食べ物がある。と言おうとして僕は思いとどまる。過剰摂取がよくないのは、どんな食べ物だって当てはまる。過ぎたるは尚及ばざるがごとしということだ。


「いや、そうだな。おやつに少し食べるくらいならいいだろう」


おやつには少し早い気もするが。


「そうだよね!よし。行こう!」


キレネに手を引かれて販売機の前まで歩いて行き、僕たちはそれぞれ一つずつ選び、取り出し口からシャーベットを取り出し、一口かじる。


「どうだ?」

「ちゃんとイチゴっぽい味でおいしいよ」

「そうか」

「うん。というか本物よりも甘い、いや、あっまいよ」

「そうか。あっまいか」


冷たいものを食べると味覚は薄れる。それでも感じられる甘みなのだからその表現は適切と言ったところだろう。


「でもアーサーの言いたいことも分かった。イチゴが食べたいときにこれを食べるのはちょっと違うね」

「そういうことだな。まあ、これはこれでおいしいけど」

「うん。おいしかったらとりあえずオッケーだよ」


そうしてシャーベットをかじりながら、僕たちはテンペスト邸までの帰路に就いた。

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