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第1話 深淵の水魔⑪

黒髪の女に導かれ、僕たちが辿り着いた先はこの城の主、すなわち水魔城の女王のおわす最上階だった。


「まあまあようこそおいでくださいました。わたくしはニルプ。アプサラスのニルプでございます」


恭しくお辞儀をしたニルプと名乗る女はやがて頭を上げ、栗色の瞳に僕たちを映す。彼女がまとう衣装もまた豪奢なものだったのだが、しかしこちらの方が明るい色合いである印象を受けた。

見惚れそうになっていると、ここまで僕たちを案内してきた女がニルプに何やら耳打ちする。

ニルプは何度か頷き、話し終わって離れた女の頭を撫でてから僕たちに向き直る。


「見慣れない球体に入ってやってきたとのことですが、もしや迷ってここまで来られたのですか?」

「いえ。僕たちは明確な意思を持ってここまで来ました」

「それはよかったです。では早速宴会にいたしましょう」

「はい。ありがとうござ…いや、待ってください。今何て言いました?」


宴会と言ったか?僕たちの身元も目的の詳細も聞かずに宴会だと。


「早速宴会にいたしましょうと申したのですが…お酒はお嫌いでしたか?」


お嫌いも何も僕はまだ酒を飲める年ではない。いや、エレツの法律では18から飲めるから一応飲んでも問題ないのか。


「いえ、そういう問題じゃなくて僕たちは…」

「アーサーさん」


僕がニルプに意見しようとすると袖を引っ張られ、パティが耳打ちをする。


「とりあえず向こうに合わせましょう。話したいことがあるならそこでいいのでは?」


確かに、伝えたいことが伝われば話す場所にこだわる必要はない。

いや、しかしほんの2時間ほど前に朝食を摂った僕たちの喉を、果たして宴会の料理は通るのだろうか。


「アーサー。ご馳走してくれるって言ってるよ。行かないの?」


キレネもパティと同じような意見を述べる。こいつは朝に相当数のおにぎりを平らげたというのにまだ食い気が残ってるらしい。


「ならそうするか…失礼しました。宴会への招待、謹んでお受けします」

「はい。ではこちらへ」


自分で聞いててこそばゆくなるような敬語を駆使して僕はニルプの誘いを受ける。

案内されたのは大広間だった。今まで見てきたどの部屋よりも大きいと言えるほどの広さを誇る部屋は、天井の高さも半端ではなかった。この城の有する空間の大部分がこの大広間によって占められているのではないかというほどに。


「さあ、では始めましょう」


ニルプはそう言って手を2回打つ。すると広間を取り囲むように設置された襖が一斉に開かれ、僕たちをここまで案内してきた女と同じ格好をした女たちがなだれ込んできた。


「彼女たちは…アプサラスですか?」


僕はニルプにそう尋ねたが、尋ねるまでもなく僕は知っている。この州に生息する魔物で女の形をしているのはニクシーとアプサラス。そしてニクシーは種族柄全員が金髪だ。しかしこの場にいるのは皆黒や茶色といった地味な毛色の者だけ。


「はい。わたくし達アプサラスは歌や踊りを得意とするため、客人をもてなす役目を担っております」

「なるほど。種族毎に役割が違うんですね」

「はい。種族とは世界がわたくし達に与えた恵。それに従うだけで楽しく生きられるんですから。活用しない手はありません」


僕がニルプと話していると、目の前に料理を持ったニクスやニクシー達が現れる。


「粗末なものですので、お口に合いますかどうか」

「ありがたくいただきます。初めて見る料理ばかりですね」

「これ全部食べていいの?」


キレネは目を輝かせる。どうやら平らげるつもりなようだ。


「ええ、もちろん。お気のすむまで召し上がりください」


ニルプは微笑み、頷く。それを合図にキレネは目の前に出された料理へと手を伸ばす。

この州の食文化ではものを食べるに際して箸やフォークなどと言った特別な食器は使わないようだ。僕たちの前にそのようなものは出されていないし、料理はすべて串に貫かれているのでそんなものはなくとも食べられた。

僕は目の前の大皿に盛られた筒状の料理を取る。


「これはイカですか…?それにしては肉厚ですけど」


色もイカより色素が濃い印象だ。


「ああ、それはイソギンチャクでございます」

「え、イソギン、チャク…?」

「ご安心ください毒は抜いてありますので、人間の方でも食べられますよ」


しかし僕は、磯に自生するある種グロテスクとも言える生前の姿を思い浮かべてしまい手が止まる。

オスカーとパティも僕が手にしたのとは違う料理だったが、口に持っていきかけた自分の料理をまじまじと観察する。


「イソギンチャクって食べられるのね」


イソギンチャクという説明を聞いてノラはそれに手を伸ばし、かぶりつく。何の躊躇もなかった。

ちなみにキレネは説明など耳にも留めずに、次々と皿から料理を取っては口に運んでいる。

さすがに一度手に取った料理を戻すのは失礼にあたる。意を決して僕もイソギンチャクにかぶりついた。


「いかがですか?」

「…イカやタコに、似てますね…おいしいです」


お世辞ではなく本当においしい。香辛料で香りづけがされており、臭みは全くない。


「そちらはウツボでございます。たれに浸して炭火なるもので焼きました」


ニルプはオスカーとパティが観察している料理の説明をした。

兄妹はぎくりとしたようにニルプを見る。


「ウツボ…毒の心配は、ないですね」

「フッ…あらゆる生物は俺の糧となる…恐れるに足りん」


先に動いたのはオスカーだった。串に刺さったウツボの切り身が彼の口の中へと消えていく。オスカーが無事なのを確認してからパティもウツボを食す。

2人はしばらく無言で咀嚼し、やがて飲み込む。終始無言だった。無言で次のウツボに手を伸ばしていた。

気に入ったようだ。


「アーサー。アーサーこれ見て」


隣に座っているノラが僕の肩をつつく。


「何だノラ。珍しいものでも見つけたか?」

「これよ」


ノラが持っていたのはカニ、カニの爪だった。

ノラの前には既に空に、あるいは殻だけになったカニの脚が2本転がっている。


「どこだ。その料理はどの皿から持ってきた!」


カニなんて久しく食べていない。なんとしても食べたい僕は立ち上がってあたりを見回す。

するとカニの盛られた皿はすぐに見つかった。が、その前にはキレネが張り付いている。


「すごいよ。この虫みたいなのおいしい」


僕の視線に気が付いたのか、キレネは僕に向かってそんなことを言う。

虫みたいとかいうな。それはカニと言う名の高級食材だ。


「キレネ。お前まさかそれ1人で食べるつもりじゃないだろうな」

「安心しなさいアーサー。それは私も許さない」


ノラがカニが盛られている皿の方向へ手を向けると盛られていたカニの上の部分がごっそり消え、ノラの目の前に転送される。


「1つくらいなら分けてあげなくもないわよ」

「何で所有権が全てお前に移ったことになってるんだ」


口に入れるまではまだ誰のものでもない。

カニ爪を1本手に取り、露出している身にかぶりつく。


「すごいなこのカニ。口の中に肉汁というかカニ汁というかが流れ込む」

「カニ汁だと別の料理になるんじゃないの?」


言われてみれば確かにそうだ。カニ汁は本来カニの入ったみそ汁を指す。じゃあ今噛みしめているカニの身からあふれ出す液体はなんと言えばいいんだろうか。体液?…いや、それはないな。食欲が削がれる。

食欲と言えば、別に今僕はそこまでお腹が空いてるわけではない。ついノラに対抗してカニを何本も食べるつもりになっていたが、1本で十分だ。

どうやらノラも腹の空きはそこまでだったらしく、4本目のカニ爪を食べ終えた彼女は転送魔法で残りのカニ爪を元々盛られていた皿に戻す。


「楽しんでいただけているでしょうか?」


気が付くとニルプが隣にいた。手の平ほどの大きさの盃をいくつか手にしている。


「お酒はたしなまれますか?」

「あ、えっとお酒は…」


たしなんだことも無ければ楽しんだことも、試しに飲んだことも無かった。


「少しだけいただこうと思います」


しかしせっかくなのでいただくことにする。手渡された盃を受け取り、そこに酒を受ける。清酒だった。


「そちらの…そういえばわたくし、まだ皆様のお名前を聞いていませんでした」


そう言われて僕もまだ名乗っていなかったことに気が付く。


「申し遅れました。僕はアーサー・マクダナム。波斗原から来た人間です。…みんなちょっと集まってくれ」


他の者の紹介もすべく集合を掛ける。

オスカーとパティは初めの方こそウツボに舌鼓を打っていたが、僕が呼んだ時にはすでに手が止まっていた。キレネのみが料理の載った小皿を持参して現れた。やはりキレネの胃袋はやはり未知数だ。案外底がないという仮説が的を射てるのかもしれない。

全員来たところで自己紹介するように促す。


「ノラ・カタリスト。この男の飼い主よ」

「流暢に身分を偽るな」


正しくは「敬語を使え」という突っ込みをする場面なんだろうが、しかし見過ごせるレベルの身分詐称ではなかったので優先して突っ込んだ。


「エレツ出身の魔術師よ」


先ほどの内容を訂正せずにノラはそう付け加える。


「俺はテンペスト家が長男オスカー。アルフヘイムより波斗原に派遣された正当なる交易調停官である」

「同じく…パティ…です」


オスカーは約束通り右手の無限は封印してくれたようだ。

そして人見知りのパティは彼女なりに頑張ってくれたようだ。


「さあ、最後はキレネだ」


僕の言葉にキレネは自分を指さしながら視線で僕に


「私?」


と問いかける。咀嚼中につき口は使えないようだ。


「残ってるのはキレネだけだからな」


ここでキレネに関する新情報とかが出ればいいんだが。


「ゴクン。…えっと、キレネです。出身は、エレツ。…人間です」


そこまで言ってキレネは口を閉ざす。やはりというかなんというか、既に僕が把握している以上の情報は得られなかった。


「では皆様。改めてよろしくお願いいたします。この城の中にいる間は皆様は大切なご来賓。要望があれば何なりと」


全員の自己紹介を聞き届けてからニルプはそう言って深々とお辞儀をする。


「皆様お酒はいかがですか?」


ニルプは手に酒瓶を持って僕達にそう尋ねた。


「僕は少しだけいただきます」

「私も」

「俺も少しいただこう」

「では…私も…」

「ちょっと飲んでみたい」


どうやら全員呑む気らしい。オスカーとパティは外見的にはかなり問題があるが、2人の出身のアルフヘイムの掟になぞらえれば問題ない。

ニルプを含め全員の盃に酒が入ったところで乾杯を宣言し、皆一斉に盃に口を付ける。

生まれて初めて喉を通る酒。独特の苦みというか渋みのために一口で飲み干すことはできなかった。

ノラも一口含んだだけで盃から口を離してしまう。かと思えば酒の上に手をかざし、再び口をつけるなりぐびぐびと飲み干した。


「ノラ。そんな勢いで飲んで大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。渋みと苦みとアルコールを抜いて、甘みを付け加えたから」


そこまでするともう別の飲み物だ。


「ねー。アーサー」


キレネが頭から僕の脇腹に激突してくる。彼女とテンペスト兄妹は一口で飲み干していたが、まさかもう酔ったのだろうか。


「な、おい。どうしたんだキレネ」

「ふとーん。…すー」


そしてそのまま崩れるように眠ってしまった。


「おいキレネ。こんなところで寝るなよ」


揺すっても起きない。キレネは、椅子に座った僕の膝を枕にして泥のごとく眠っていた。

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