第5話 鎖錠の森精⑤
「ええ、では僕から説明しましょう」
一見オスカーから丸投げされたように思えるが、しかし考えてみればこの方がありがたい。オスカーが適当にあげつらったシナリオに僕たちが従う必要がなくなるからだ。
「実は今、この州の外では首都とアルフヘイムを除いた四つの州で同盟が形成されています」
「ああ。そのことならこちらもある程度感知している」
ということはアルフヘイムは思ったよりも閉じこもっているわけではないらしい。しかし同時に、そこまで熱心に情報収集をしているわけでもならしい。死人街が同盟の仲間入りを果たしたのはつい昨日のこと。もし同盟のことをちゃんと調べていたならば「4つの州」という部分に違和感を覚えるはずだ。
「そうでしたか。ということは、別にあの四州は同盟を組んだところで脅威ではない、と?」
「ああ。懸案事項があるとすれば完全復活したベヒーモスくらいのもの」
「でも、首都を墜とした後の同盟ならどうですか?」
「首都を墜とす、だと?世迷言だな」
フンッと失笑しながら彼は言った。
「そうでしょうか?これまでそうだったかもしれませんけど、今は違いますよ」
「というのは…彼女のことか」
大臣はノラを見てそう呟いたのだが、しかしノラよりも手前に座っていたキレネが自分のことを言われたと思ったのか、はっと居住まいを正す。
キレネには悪いが、教えてやることもできないのでしばらくそのままでいてもらう。
「そうです。さっきお見せしたのはほんの片鱗です。まだまだあの程度ではないですよ」
「それはすさまじいな…しかしそれでも首都を墜とせるとは思わないが」
自信ゆえに他の州との交流を断ったアルフヘイムの住人をしてこう言わしめるとは、首都の難攻不落さは本物なのだろう。
「そこにアルフヘイムが加われば、話は変わってくるんじゃありませんか?」
「…それに関しては一考の価値はあるかもしれないな」
「では…」
「だが」
ここで大臣は右手を上げて僕の言葉を遮った。
「それはまずそちらの『情報』というものを聞いてからだ。まさか、同盟のことがその情報ではあるまい」
「ええ。もちろんですよ」
いや、実はそのつもりだった。同盟のことはまだしも、その同盟に僕たち、というかノラがいることを知れば態度が変わると思ったのだが。
「端的に言うと、情報というのはレヴィアタンを完全復活させることに成功したという情報です」
「何!?」
大臣が驚愕に目を見開く。
「そんなはずはない。レヴィアタンの体は首都にあるはずだ」
「その通りです」
そうだったのか。ここか首都のどちらかだと思っていたが、ということは首都を攻撃するときにレヴィアタンは戦力にできないということになる。
「魔術ですよ。彼女の魔術で疑似的にレヴィアタンに肉体を与えるんです」
「馬鹿な…我々ですら未だに肉体は複製できていない。なぜ…実物を見てもいないというのに…」
この時僕はあまりの歓喜に口元がにやけそうになるのを押さえるのが大変だった。
まさかここでこんなに簡単に伏せられたカードがオープンになっていくとは。ベヒーモスの肉体は水魔城、レヴィアタンの肉体は首都、そして、今の発言からこの州にはジズの肉体があることが分かった。
そして消去法的に考えてジズの魂は首都にある。この州にジズの魂があれば、彼が完全復活してしまう。
「それは、まだ味方でないあなた方にお教えすることはできませんね。申し訳ありませんが」
これで「それなら是非我々を仲間にしてください!」とか言って飛びついてきたら話は簡単なんだが、アルフヘイムがそんな州ではないことは知ってる。
「なるほど。確かに今の情報であれば、おいそれと首都に傍受されるわけにはいかないな」
「分かっていただけましたか」
取り敢えず嘘を信じさせることには成功したようだ。
「一応お尋ねしますが、我々の仲間になるつもりは?」
「それは我々だけで決めていいことではない。議会で正式に議論する必要があるだろう」
であろう。今まで他州との断絶を貫いてきたアルフヘイムにとってはアイデンティティが崩壊しかねない重大な決定だ。
「その議論の場か、あるいはそれに先立って、魔術師の御仁の能力をこちらで見分させてもらうが、構わないな?」
「ええ。喜んで協力しますよ」
「うむ。まあ、今すぐにとはいかないだろうから、それまでしばらくこの州にいてもらうことになる」
助かった。今すぐと言われたらまた嘘を重ねないといけなかったが、やはりこういったお役所というのは大きくなればなるほど鈍重になる。十分にノラとの口裏合わせはできそうだ。
「それに関連してですが」
と、ここでオスカーが口を開いた。
「俺は彼らを我が家でもてなそうと考えています」
「ふむ。問題ない。その手続きも合わせてお前がやっておけ」
「了解」
これで話は終わったかに思えたが、しかしむしろ大臣にとってはここからの方が本番だったようだ。
「では、魔術師の、ノラ殿と言ったか。彼女と二人にしてまらえますかな?」
「え?それは…」
確かにこの州にとって脅威になりうるのはノラ。故に大臣とノラが一対一で話し合うのは妥当なのだが、それは非常にまずい。僕の制御の効かないところでノラが暴走しかねない。
「あの、できればそこに僕も同席しては駄目でしょうか」
「駄目、という確固たる理由はないが、必要か?彼女ももう、子供ではあるまい」
子供、というその言葉はノラにとっての地雷ではないか、そう思った僕の背筋に冷たいものが走ったが、しかしノラは意外にも冷静で、眉一つ動かさず、代わりに口の端を吊り上げてこう言った。
「私のためじゃないわよ。この男は何でも把握しておかないと気が済まない男なのよ」
「言い方に若干の悪意を感じるけど…。まあ、概ねそういうことです。彼女に何らかの制約を課すというのであれば、僕もその場に立ち会わせていただきたい」
「しかし…いや、結構。それでいいでしょう」
何かを言いかけたがそれを引っ込めるように大臣は頷いた。
「それではアーサーさんも含めて三人で。…オスカー。パティ。残りの客人を我が家へ」
「はい。あ、その前に」
「どうした」
オスカーはポケットから自分の端末を取り出した。それを見て思い出したようにパティも自身の端末を白衣のポケットから取り出す。
「俺たちのIDがどうやら機能していないようです」
「許可いただければ、私がアカウント情報を修正しておきます」
「ああ。許可する」
パティは一度深くうなずき、再びポケットに端末をしまった。
「ではキレネさん。行きましょう」
「あ、うん」
あとでね。と言い残してキレネはオスカーとパティとともに部屋から出て行った。
「では、我々の話に戻ろう」
「ええ。そうですね」
とりあえずこの州内での魔法の使用を禁止されないようにしなければ。
作戦は二つある。一つは手の内を明かさず、怒らせるとこの州が滅びるかもしれないと思わせる、つまりは脅すという作戦。そしてもう一つはこちらを取るに足りない存在と思わせ、放任させるという作戦。
現状ノラの態度から二つ目の作戦は難しいが、ノラの実力をはったりだと思わせることはまだ不可能ではないはず。
「これからする話というのは…」
「魔法についてですよね」
「…その通りだ」
大臣はこちらの出方を伺うように言葉少なだった。それならばと僕は情報の大安売りを始める。
「恐らく警戒されているのでしょうね。もしかしたら彼女はこの州にとってとてつもない災厄を招く存在なのではないか、と」
「概ねその通りだが、少し違うな」
大臣は不敵に口角を上げる。底の見えない表情だった。
「別に私個人としてはそこまで君たちのことを警戒してはいない」
「え?」
「もちろん、魔法を悪用しようというなら話は別だが、子供たちが行動を共にしている人物を、そういう風に思いたくはない」
これは想定外だった。まさかこの大臣にこんな人間味を匂わせる一面があっただなんて。「大臣」ではなく「お父さん」と呼ぶべきだろうか。
「そうだったんですか、僕はてっきり妙な行動を取らないようにと釘を刺されるのかと」
「いや、その予想は間違いではない」
間違っていなかったのか。こういう時はいつも通り不正解でも構わないんだけどな。
「議会で見分を行うと言ったが、その間はどうか、魔法を使うのを控えてほしい」
「それは…使うなら、ばれないように使えってことかしら?」
「……ああ。そういうことだ」
かなり渋々であった気がするが、なんとこの場において大臣から魔法使用の許可が下りた。
もっとも、正式な許可ではないという事実は胸に留めておかなければならないことだろうが。
「ただ、本当に最新の注意を払ってくれ。もし見分の前に街中で検知器を反応させたり派手な魔法を使えば、問答無用で処罰されるだろう」
「処罰?」
「武力による制圧、拘留、追放。というのが考えられる中で最も軽い処分だな」
大臣の言葉を聞いて気を引き締めるどころか、ノラはふんと鼻を鳴らしてこう言う。
「私相手に、最初の処分でさえ本当にできるかどうか怪しいものだけれどね」
「やめろ。ノラ」
今目の前にいるのは威圧するべき対象ではない。こちらを助けようとしてくれているんだから、もうちょっと行儀良くしてくれ。
「では、ひとまずはその見分の日まで僕たちはなりを潜めていればいいということですね?」
「そういうことになる。しかし滞在の許可は今日私が出す。だから必要以上に人目を気にする必要はない」
「それは助かります」
ということはこの州全体が僕たちを白い目で見ることがあるとすれば、見聞があった日以降だろう。情報収集はその日までにやっておくのが良さそうだ。
「私からの話は以上だ。くれぐれも目立ちすぎることのないように」
「はい。分かりました」
「約束するわ」
ノラのことなので、魔法を使って姿を隠せば約束を守ったことになるとか考えていそうだが、この際それでも良しとしておこう。