第5話 鎖錠の森精①
「いやあ、僕としたことが迂闊だったよ。まさか書類が一枚抜けていたとはね」
はははと、笑い声を上げながら自身が急に首都に帰らざるを得なくなった理由を語るデイビッド。
「とはね、じゃないぞ。魔王に僕たちとの関係がばれるという最悪の想定だってしてたんだからな」
「安心してくれ。こういうのはよくあることさ」
「なおさら安心できなくなったぞ。お前、突然クビになって僕たちに協力できなくなったとか言わないでくれよ」
「大丈夫。仮にクビになっても僕は君たちの味方さ」
その気持ちは嬉しいが、クビになったこいつに味方されても何も嬉しくない。
だがここまで言ってくれるということは少なくともこいつは敵にはならないということだ。こいつの力について未知な点が多い時点でそれは決してありがたくないということはないのだが、いまいち戦力として活かしどころがないのが悩みどころだ。
「ところで聞いたよ。どうやらあの事件、解決したらしいね」
「ああ。原因を突き止めて、それを取り除くことにも成功した。取り敢えずは一件落着だよ」
「取り敢えず?」
さすが、生活面で抜けてるところはあってもこの辺りは抜け目はない。
「解決したように見えるだけで、その平和が永続的に続くとは限らないってことだ」
そういう意味では一件落着問よりも、一見落着と言った方がいいかもしれない。
「なるほどね。ま、永続する平和よりも、いつ終わるとも知れない平和の方が意識的には好ましいものさ」
「安定をもたらすお前がそれを言うのか」
「もたらすからこそだよ。安定については一家言あるんだ」
その気持ちは分かるかもしれない。僕も知識については一家言あるわけだし。
「で、お前はこの先どうなるんだ?」
「どうなるって言うと?」
「いや、事件が解決したらここにいなくてよくなるんじゃないかと思って、戻ってくる必要もなかったんじゃないのか?」
「そうかもしれないね」
にこやかに言ってのけるデイビッド。そんなににこやかでいられるのは開き直った結果なのだろうか、それとも安定空間を発動しているのか。
「でも判断を下すのは首都だからね。僕の勝手な判断では動かないよ」
「それもそうか」
大きな組織の末端ともなれば、自分で考えて動くとかえって怒られることの方が多いんだろう。小さい組織の頭であり続けた僕にはその辺の事情は分からないが。
ということはデイビッドは僕たちが去った後もまだこの州にとどまり続けるということになる。
「僕らはアルフヘイムにこれから向かうんだが、シニステルとデキステルはここに残ることになったんだ。ほら、あの双子の」
「双子の…ああ!彼らだね。そうかい。でもどうしてだい?この州には特に重要なものもなく、そしてデュルヘルムも仲間になってくれたんだろう?」
「ああそうだよ」
彼らが残るのは何ら戦略的な判断ではなく、彼ら自身の意思によるものなのだから。
「シニステルはモナさんと、デキステルはルナさんと、一緒に暮らすことにするらしい」
「それってつまり…」
「まあ、本人たちは結婚するつもりらしいから、順調にいけばそういうことだ」
ほお、とデイビッドは驚きの吐息を漏らす。
「君はいいとしても、彼らのお姉さんは承諾したのかい?」
「心中穏やかではなかったらしいけど、最終的には弟たちの考えを尊重したよ」
「そうかい。彼女たちも、これがいい出会いとなって丸くなってくれればいいんだけどね」
「丸く?」
デイビッドの中のイメージでは彼女らは尖っているイメージなのだろうか。僕からすれば丸くなる余地のあるのはむしろ双子の方だと思うのだが。
いや、この場合は丸くなるというよりも落ち着くというべきだろうか。
「丸くというか、改心かな。彼女らは今回の事件の犯人なわけなんだから」
「犯人?確かにあの二人は捜査をかく乱したり、影の正体を見て見ぬふり、もとい知って知らぬふりをしたりしてたけど、それはデュルヘルムを守るためなんだから、犯人っていうのは少し乱暴じゃないか?」
そういうのは、もっと悪人らしい人物にふさわしい称号だ。
「確かに乱暴かもしれないけど、理由は何であれ被害を出し、しかも首都の遣いに嘘をついた。法を犯しているんだから犯人だよ」
「それは…そうかもしれないな」
ここで「だったら首都に黙って僕に協力しようとしてるお前も、犯人だろ」とは言わない。そんなことを言ってへそを曲げられては、今後の作戦に響く。
「まあ、彼女らが犯人だとかそういうのは言葉の上での問題さ。僕だって、あのふたりのことを根っからの悪人だとは思ってない」
「そうか。それならいいんだ」
そもそも彼女らは僕の家族ではないんだから、別にデイビッドがどう呼ぼうと僕には関わりのないことだ。
「さてと、それじゃあ僕はもう行くよ」
「もうかい?」
「ああ。お前が首都に戻った理由の確認と、事件が解決したということを伝えたんだから、用はもう済んだ」
長居していればお茶菓子が出るというのであればもう少し粘っていてもいいかもしれないが、そんな気配もない。
というか正直、この部屋のどこかから発掘されたお茶菓子を食べても健康上問題ないか、僕には分からない。
「うん。それじゃあね。ここを発つ時はなるべく盛大に旅立ってくれ。その音を頼りにお見送りに行くよ」
「いや、静かに旅立つよ。その代わり一声かけてから出ていくことにする」
それぐらいはしてもバチは当たらないだろう。
さて、したい話は終わったわけだし、僕は社交辞令抜きの散らかった部屋から退散し、自分にあてがわれた部屋に戻る。
出発は明日にするので今日一日は暇になる。僕はアルフヘイムについてテンペスト兄妹から情報を得ることにした。
オスカーの部屋を訪ねるとそこにはオスカーだけがいた。
「オスカー。アルフヘイムについて話を聞きたいんだけど、今大丈夫か?」
「フッ。無論だ。丁度俺の時間は空白で埋められていたところだった」
どうやら暇を持て余していたようで、僕は快く部屋に招き入れられる。
「アルフヘイムについては僕の持ってる知識にある程度情報がある。地形や文化、歴史に関しては他の州よりも情報が多い」
「ということは、アーサーさんが知りたい情報はそれらの情報以外、ということか」
「ああ」
「フッ。なるほど」
それからオスカーが黙りこくってしまった。どの種類の情報を供給するか決めかねているようだった。
「えっと、じゃあオスカーのことを聞かせてくれるか?」
「俺のことを?」
「ああ。アルフヘイム内に於いてどれぐらいの権限を持ってるのか、とか」
オスカーは見た目こそ十代前半だが、実年齢は僕を軽く超えている。エルフの社会のスピードが人間と同じなら、十分に地位を得られる時間だ。
「フッ。権限、か」
オスカーは自嘲的な笑みを漏らして言った。
「俺たちに唯一与えられた権限は、好きな時に帰って来る。それだけだ」
「そうなのか?」
「ああ。波斗原の大使とは言っても、所詮は厄介払いのために送り込まれたに過ぎない。愚かにもアルフヘイムは、波斗原を未だに取るに足りない島と思っているからな」
なるほど。これで合点がいった。僕たちと行動を共にしている間、アルフヘイムに送る波斗原からの報告書の代筆を慎瑞に頼んでいたのは、慎瑞の再現力が高いということ以上に、あの報告書があまり重要視されていなかったからということか。
「しかし安心してほしい。アーサーさんたちは我が家の客人としてもてなすことにすれば、何の問題もなく領内に侵入することができる」
「お前の言葉を疑うわけではないけど、波斗原から来た僕らのことをそんなに簡単に受け入れてくれるものなのか?」
僕ならいくら取るに足りないと言えども得体の知れない存在なのだから、おいそれと招き入れたりしようとは思わないが。
「ああ。確信をもって断言しよう。我が親は間違いなく、客人と言えばもてなしたがるはずだ」
「親というと…」
「父上と母上のことではなく、俺たちを生んだ親のことだ」
その表現から、彼らの家庭に不穏なものがあることを感じさせられるが、あまり深くは聞けなかった。
「なら、あっちでの生活には問題なさそうだな。ちなみに故郷に友達はいるのか?例えば図書館とか研究機関に身を置いてるような」
僕の知識にはアルフヘイム内に存在するいくつかの図書館と研究施設の知識があるが、その中でどういう知識が得られるかまでは知らない。
図書館に関しては自分の手で探すことができるかもしれないが、それでも詳しい者がいるだけでかなり変わってくる。
「友はいる。流星の数ほどに」
しかし、とオスカーは続けた。
「俺とパティがアルフヘイムを訪ねてからそれなりの時間が流れた。もう、俺の知る彼らとは違った存在となっているだろう」
「そうか。波斗原にはかなり長いこといたんだもんな。その間にアルフヘイムも変わってるか」
アルフヘイムの友人たちも、まさかオスカーとパティが今僕のような存在の仲間としてエレツ内を練り歩いているとは思ってもいないだろう。
「ただ、パティの友人に一人、機鋼兵の軍隊を作ると言っていた者がいた。彼女は恐らく、今もその研究をしているだろう」
「きこうへい、っていうのはあれか。オートマトンのことか」
「いや、それよりもさらに進化した存在だ。一つの新しい生命を生み出そうとしていた」
「新しい生命?」
オートマトンと生命というのはどこまで行っても交わらない概念だと思っていたが、それは僕の無理解ゆえだろうか。
「俺も詳しいことは分からない。しかし彼女が所属しているであろう研究室は分かる。彼女の一族が立ち上げた研究室があるからな」
「なるほど。じゃあむこうについたらその人にまず話を聞こうかな」
直接本の情報を得られそうにはないが、研究室の情報の管理の仕方は分かるはず。
「まあ、今回の目標は情報収集だけになりそうだな」
「…そんなことはない、と安易には言えないな」
「まあ、規模が規模だからね」
今までの州が村だとすると、アルフヘイムは国に匹敵する。外との交流を断ったことで内部の研究活動と洗練に拍車がかかった。おそらく、四州合同の同盟をちらつかせたところで無視されるだろう。同盟による恩恵よりも、厄介ごとの方が多いのだから。
「とはいえ、その規模は僕にとって追い風でもある。アルフヘイムについての知識量は他の州の比ではない。単純に情報収集をするのであれば、この上なくやりやすい州だよ」
アルフヘイムにとって僕は虫けら同然。いつか誰かが言っていた「飛んでなついるひにの虫」というやつだ。