第4話 肺腑の死人㉗
ノラたちの声が聞こえなくなるあたりで立ち止まり、僕はキレネの手を放す。
「よし。この辺りでいいか」
「うん。覚悟はできてるよ」
何のことを言ってるのか、キレネは両手を広げて僕と向き合った。威嚇のつもりだろうか。
「何だ?僕は決闘を申し込まれてるのか?」
さすがに僕と言えど、キレネに腕力で後れを取ることはないだろう。多分、綿密に作戦さえ立てれば、勝利することはそう無理ではないはずだ。
「決闘?いや、結婚じゃないの?」
「けっこん…?」
「けっこん」と呼ばれるもので申し込めるものなど、結婚くらいしか思いつかない。
「キレネ。お前まさか、僕がシニステルとモナに影響されてこのタイミングで愛の告白をすると思ったのか?」
「ノラには悪いけど、しょうがないよね。私の方がよかったってことだよね」
「違う。誤解だ」
誤解なのだろうか。キレネは僕の何かを誤って解釈をしたというわけではなく、単にキレネが一人で勝手に走ってるだけなんじゃないか。
「あれ?なんか神妙な顔つきで手を引かれたから、そういうことなのかと思ってた」
「違うよ。というかお前は嫌じゃないのか?もしかしたら記憶が戻ってないだけで、婚約者とかがいるかもしれないじゃないか」
「あー…まあ、忘れてるならその程度ってことでしょ。いたとしても」
どんな大切なことでも忘れてしまうのが記憶喪失だと思うんだが、何にせよこんなところで僕は求婚なんてしない。
「一応言っておくが、モナさんの話を部外者の僕たちが聞くものじゃないと思ったからお前を連れて離脱したんだ」
「なるほど。アーサーは意外と紳士なんだね」
意外だったのか。まあ、別に僕も自分のことを紳士だとは思っていないが。
「何というか、大変なことになりそうだな。ノラはデキステルとルナのことを認めるつもりになったらしいけど、シニステルはどうだろうな」
「認めるんじゃないの?デキステルのことは認めるんでしょ?…ん?デキステルのことって何?」
「いや、分からないぞ。モナさんはシニステルと結婚までする気でいるだろ。それも多分今すぐ…。それをノラが許すかどうか」
「ねえ。デキステルのことって何?」
キレネがうるさかったので、僕はデキステルとルナのことについても話して聞かせてやった。
「えっえっえ、デキステルそんなことになってたの!?」
キレネは僕の胸ぐらをつかみ、興奮に任せて力強く揺さぶる。さっき腕力でこいつに後れを取ることはないとか思っていたが、自信がなくなってきた。
「落ち着け…いや、何でお前はそんなに興奮してるんだ」
「これは落ち着いていられないよ。ちょっと行ってくる!」
「待て!どこにだ」
僕は走り出そうとするキレネの腕を掴んで制止する。
「デキステルの部屋!」
「今はいない」
「じゃあルナさんの家!」
「急に押し掛けるな。迷惑だろ」
さすがにルナに迷惑をかけるのは悪いと思ったのか、キレネはむーっとうなって足を止めた。
「お前、何でそんなに人の恋路が気になるんだ?」
「そういうの、気にならない?」
気にはなるが、しかしわざわざ当事者のところまで話を聞きに行きたいと思うほどではない。
「僕はそういうのあんまり興味ないよ。誰と誰がくっついてるか、そういう情報だけで十分だ」
「へー」
つまらない男だな、とキレネの目は言っていた。
「ま、あとでデキステルに会えたら話聞いてみようかな。ちょっと散歩してくるねー」
そう言ってキレネは屋敷の外へ出て行ったが、僕は外へ行こうとは思えなかったので、屋敷の中でしばらく時間を潰すことにした。
できれば部屋に戻りたかったのだが、僕の部屋に入るにはノラたちのいる廊下を通らなければならない。もうあの3人の話が終わっていれば問題ないのだが、まだ微妙なところだ。もしイチかバチか行ってみて、まだ話しているところに遭遇したら、気まずい。
この屋敷の構造は何となく把握しているが、隅から隅まで歩いて回ったわけではない。そろそろこの屋敷ともお別れなので最後に一通り歩いて回ろうと思ったのだ。
まずは僕たちがいる側と反対側から始める。
構造自体はシンプルなものなので、見るのは主に壁にかかっている絵や時折見つけられる花瓶及びそこに生けられた花だ。
しばらく屋敷の中を歩き回っていると、シニステルとモナが階段を下りて屋敷の玄関まで移動する姿が見えた。
シニステルは玄関まで来るとモナを送り出し、自分は屋敷の中へと戻っていった。
僕はその後を追って声をかける。もしうまくいっていなかったならば声をかけるべきではなかったが、別れ際のふたりの表情はどちらも優しい笑みを浮かべていた。気を遣う必要はないはず。
「シニステル。どうだった?」
「お、アーサー」
僕の声に気が付き振り返ったシニステルの口角は、まだ下り切っていなかった。
「姉ちゃんは許してくれるって。結婚はまだにしろって言われたけど、一緒にいることは許してもらえた」
「そうかよかったじゃないか」
僕は素直にシニステルとモナの仲を、そしてノラの決断を祝福することができた。
旅を続けるシニステルとこの州の大臣のモナ。普通ならば難しい恋になっていただろうが、こっちにはノラがいる。ふたりの物理的距離などどうとでもなるということだ。
「本当におめでとう。ところで、ノラは?」
「デキステルのところに行くって言って消えた」
「デキステルのところに?そうか」
デキステルとちゃんと話をしに行ったのだろう。ならば僕にできることはもうない。心配さえ、不要だろう。
僕は自分の部屋に戻ってデキステルに関する心配事を頭の端の方へどけておくことにした。そしてその後、ノラとデキステルは夕飯前に二人そろって無事に屋敷に戻ってきた。
「アーサー。ちょっと、話しておきたいことがあるんだけど、いい?」
夕食を済ませて自分の部屋に戻ろうとすると、ノラに呼び止められた。
デキステルの問題は解決したものと思っていたが、まだ何か問題でもあるのだろうか。それとも、解決したからこその報告だろうか。僕はまたノラの部屋に通され、そこで話を聞くこととなった。
「私さっきシニステルたちと、その後にデキステルと話して私の考えを伝えたわ」
「ああ。シニステルからその話は少し聞いたよ」
「そう。知ってたのね。そういうことだから。…もちろん、責任は私が取るわ。あの子たちの穴は必ず私の魔法で埋め合わせるから」
僕はうまく返事をできなかった。ノラの言葉からは双子が僕たちから離脱するように聞こえるからだ。
「ノラ。えっと、シニステルとデキステルはどう、なるんだ?」
「どうって…だから、この州に残るのよ。もしかして、そこまでは聞いてなかった?」
初耳だった。
もしこのことをシニステルから直接聞いていたら、僕もかなり取り乱していただろう。
「聞いてないようね。なら、私から改めて言うわ」
ノラが何を言うか、既に明らかだったが、僕はノラの言葉を待った。
「モナはシニステルと一緒にいたいらしくて、シニステルにもモナと一緒にいたいという気持ちはあるらしい。だから私はあの子たちが一緒にいることを認めた。デキステルとルナも同じよ。お互いにこれからも一緒にいたいっていう気持ちがある」
ノラの方ではもうあの4人の気持ちをそれぞれ確かめて受け入れたらしい。
「私はその邪魔をしたくないと思った。だから弟たちをここに残して、あの子たちのしたいようにさせてあげたい」
ルナとモナはこの州の大臣。だからおいそれと州の外には出られない。つまり、双子がこれまで通り僕たちと行動を共にするなら、それぞれが離れ離れになるということを意味する。
「もちろん、転送魔法で一日に何時間か会えるようにしてあげる方法も考えた。でも、それだともしかしたら、本当に会いたいときに会えないかもしれないし…」
「分かるよ。僕も波斗原に大事な人を置いてきてるから。空間の隔たりは心の隔たりじゃないだなんて思えない。やっぱり寂しいものは寂しいよ」
僕だって4人の力になりたいとは思っている。だから僕も受け入れるべきなのだろう。ノラのした決断と4人の歩む道を。
「ありがとう。…責任は私が取るわ。だからアーサーは何も考えなくてもいい」
「責任?それは、シニステルとデキステルがいなくなることによって損なわれる戦力、それをお前の魔法で補うっていうことか?」
ノラはそうよと口で答え、目で何か問題でもあるのかと問いかける。
「できるのか?お前は万能でも、万を超えることはできないんだろ?」
「でも、やるしかないでしょ?やらないわけにはいかないでしょ?私の決断のせいでみんなに迷惑をかけるわけにはいかないじゃない」
確かに、僕がノラの立場なら同じことを考えて同じように行動するだろう。仮にそれだけの能力がなかったとしても、そうしなければいけないと思うはずだ。
そういう意味ではノラに同意する。しかし、僕の立場から言えば、ノラは、彼女は根本的に間違っている。
「違うだろ。お前の決断じゃない。今となっては僕の決断でもある」
僕も覚悟を決めるべきなんだ。今まで見返りを求めずに何度も僕を助けてくれたあの万全の双子のために、身を切るべきなのはノラだけじゃない。
僕にもやるべきことが、やれることが、ある。
「僕は策士だ。考えるのが仕事だ。双子と離れることで変わってくる戦力は僕の作戦で補う。お前ひとりが頑張る必要なんてないんだよ」
「それで…いいの?」
「当たり前だ」
ノラは遠慮がちに僕に確認した。もしかするとノラには珍しく、僕に感謝でもしているんだろうか。皮肉なものだ。感謝くらいしろと思う時にはしないくせに、こんな当たり前のことをしたときに感謝されるだなんて。
「全部お前ひとりで解決する必要はないんだ。まあ、多少お前の負担は増えるだろうけどな」
「それはさっきも言ったでしょ?望むところよ。うまくいけば、そのうち死霊術も使えるようになりそうだし」
「死霊術を?…そうか」
まともな文献の手引きもなく、モナの魔法を見ただけでとは、毎度のことながら恐れ入る。
まあ、フェアリーグラマーを見ただけで習得したくらいだから、驚きはしない。
「とはいっても、死霊術は魂とか何とかそういうよく分からないものを把握できるようになるだけで、そこまで私の実力の底上げに貢献はしないかもしれないけどね」
「そんなことはないと思うけど、まあ、頑張ってくれ」
確かにノラの言う通り、死霊術はそこまで戦闘において役立つものではないが、死霊術は魂という生命の本質を把握できる魔術だ。習得できれば連鎖的に魔力や魔法そのものの本質さえも把握できるかもしれない。
「とりあえず、僕の意見はさっき伝えた通りだ。双子をここに残らせることには賛成するよ」
「ええ。残らせると言っても、魔法があるからいつでも声は聞けるし、作戦に必要なら転送することもできるわ。だから本当に必要な時は、言って」
「宛てにしてるよ。とはいっても、この州を出るのはもう少し後だ。待たないといけないからな。あいつを」
新たにできた協力者、デイビッドを。