第4話 肺腑の死人㉖
その後、
ノラがいなくなったことで僕は徒歩で屋敷まで戻らなくてはいけなくなった。
「あいつ、怒ってるんだろうか。それとも、落ち込んでるんだろうか…」
相手が僕なら間違いなく怒っているところだろうが、相手がデキステルだけに未知数だ。
「それにしてもデキステルのやつ、嫌いになるって…」
もう少しいい言葉はなかったんだろうか。まあ、過保護気味のノラには効果てきめんだったようだが。
僕は今屋敷に向かっているが、デキステルが付いてきてないところを見ると、デキステルは屋敷に戻るつもりはないのだろう。
僕は一人で屋敷に戻り、まずノラの部屋を訪ねた。こちらではなく、城の方の自分の部屋に帰ってしまっている可能性もあったが、その場合僕に打つ手はないので、とりあえず屋敷の方の部屋のドアをノックする。
すると、ノラはすぐに扉を開けてその姿を現した。
「何?」
「あ、いや、ちょっと心配だったんだ」
ノラはいつもより鋭い目つきで僕のことを睨んでいた。僕は悪くないはずなのだが、すごく悪いことをした気になって謝りたくなってしまう。
「別にあんたが心配することなんてないでしょ」
「そんなことない。お前もデキステルも僕の仲間なんだから。心配するのは当然だよ」
「弟が反抗しただけでしょ?別になんてことないわよ」
「そうか…本当に大丈夫なんだな?」
「ええ。……。……でも」
僕がドアを閉じようとした時だった、ノラが独り言のようにつぶやいた。
「あんた言い訳を考えるのうまいじゃない。…私がデキステルになんて言えばいいか、一緒に考えてくれない?」
「ああ。もちろんだ」
僕は閉じようとしたドアを再び、開き、部屋に入ってドアを閉める。
「結構片付いてるんだな」
デイビッド基準ではなく、一般的な基準からものを言っても片付いている。恐らく生活に必要なものは亜空間に入れておいて好きな時に取り出せるから、荷物という概念がないんだなノラには。
「片付けるのは得意だからね。座って」
ノラは亜空間から椅子を2つ出した。僕たちはその椅子に互いに向かい合うようにして座って話始める。
「ノラは正直なところどう思ってるんだ?特にルナさんについて」
「…どう思うも何も、元々この州の住人としてしか認識してなかったから…。そういう意味では第一印象は最悪よ」
つまり、ノラの中でルナの第一印象は弟をたぶらかそうとした女というわけか。確かに最悪だ。
ただ、第一印象というものは悪ければ悪いほどいいと僕は思っている。それは言ってしまえば偏見なわけなのだから、スタート地点が低い方が評価は上げやすい。
「聞くところによると、デキステルは彼女の畑を手伝ってたらしい」
「デキステルだけが?」
「いや、シニステルと一緒だ。でも、元々デキステルの方とよく気が合ってたみたいだぞ。ルナさんは」
「デキステルの方と?あの子たちのこと、出会って間もないのに見分けられたっていうの?」
やはりノラも同じところを疑問に思ったらしい。しかし僕関して言えばこの謎に対して一つの仮説が出来上がっている。
「僕たちがあいつらを見分ける時、何を見て判断する?」
「…私は何となくで分かるけど、あんたとかは利き腕かしら」
僕はノラを侮っていた。ノラも僕同様に利き腕で判断しているのかと思ったが、どうやらそうではなかったみたいだ。さすがは姉。
「そうだ。それで、畑では道具を使うだろ。鍬とか、収穫ならそのための道具とか」
「そうね。教えられればどんな道具だって…まさか、そういうこと?」
「ああ。道具の使い方を教える過程で、デキステルの方がよく理解できて、そこで二人の評価に差が生まれた」
そして、よりルナのことを好意的に見ていたデキステルの方が、ルナとより仲良くできるのは当然のことだろう。
「そうかしら?最終的にはシニステルも道具を使えたんでしょ?」
「多分な。じゃないと二人で手伝いはできないからな」
「だったら道具の使い方を左利き用に個別に教えてもらえたはずよ。その場合シニステルの方が仲良くなりそうなものじゃない?」
確かにノラの言う通りルナがシニステルにだけ個別指導していたなら、シニステルの方と親密になっていそうなものだ。しかし、現実にはそうでない。
「いや、シニステルには常に最高の先生がいるだろ?」
「私?」
「何でだ」
その場にノラはいなかったんじゃないのか。
「だって私が両利きなのはそのためだもの」
「そのためっていうのは?」
「だから、シニステルに左で道具を使う方法を教えるために、小さい頃の私は気づいたら両利きになってたのよ」
ノラの両利きにそんな心温まる背景があったとは知らなかった。しかし、今は心温まっている場合ではない。
「答えを言うと、それはデキステルだ。いつも隣で自分と同じ姿をした人間がいるんだ。デキステルの動きを鏡合わせになるように真似ればいい」
「ああ、なるほど…」
ノラは納得してくれたようだ。
「というわけでルナさんとデキステルの進展は自然なものだって納得できたか」
「ええ、でもそれに関しては特に問題ではない気がしてきたわ」
じゃあ、さっきの僕の説明は一体何だったんだ。
「こんな経験ない?問題を解決しようとしてるとき、他の用事片付けてるといつの間にか解決できてるっていう経験」
「まあ、経験はある…」
「私決めたわ。あの子たちのこと、認めようと思う」
「…そうか。それはよかった」
良かったはずなのだが、心の底から喜べない。僕は割と親身になっていたつもりだったのに、僕の話は箸休めにしかならなかったということか。
「だって私はあの子の姉なんだもの。あの子のことを導いてあげるにしても、それは幸せの邪魔をしないことが前提なはずよ」
それに、とノラは付け加える。
「嫌われたくないしね。私自身」
そう言ったノラの顔には笑顔さえ戻っていた。一件落着と僕が部屋を去ろうとしたとき、部屋のドアがノックされた。
ドアを開けるとそこには意外な組み合わせ。シニステルとモナがいた。何事か思っていると、シニステルが口を開いた。
「姉ちゃん。俺、こいつと結婚することにした!」
「ちょっと、意味が分からないわよ…!何言ってるの?あなた達、本気!?」
そしてノラから視線を向けられるや否や、モナは頭を下げて言った。
「…お願いしますお姉さま。どうか、弟さんをわたくしにください!」
「はあ?」
まずい。折角直ったノラの機嫌が急降下だ。と思ったのも束の間、ノラは一つ深呼吸をして、モナに向き合う。
「本気なの?」
「はい」
モナはいつもより芯の通った声でそう答えた。しばらくノラとモナは互いに見つめあっていたが、根負けしたようにノラがため息をついて目を逸らした。
「どういうことなのか説明しなさい。一体、何があったらこんな短期間で結婚なんて話になるのよ」
「それには私がお答えするよ!」
なんとここで現れたのはキレネだった。キレネの部屋もこの廊下に隣接してるので恐らく騒ぎを聞きつけて出てきたのだろう。
「私全部見てたから」
「…あっあれを、見て、たんですか…?」
「見るつもりはなかったけどね。偶然」
モナの顔色はいつもと同じだったが、声に動揺が色濃く出ている。これがリッチでなく人間だったら赤面していたことだろう。
「あのね、シニステルがモナさんの手袋を外してあげて、手を褒めてたの」
「シニステル…お前…」
「あんた一体何やってるよの」
「…誤解です!」
「モナが運んでたスープをこぼしちまって、手にかかったんだよ。手袋外す前に急いで冷やしに行かないとダメだっただろ?」
そういえば、以前シニステルだったかデキステルだったかに、衣服の上から火傷を負った場合は衣服を脱ぐよりも先に冷やさないといけないと教えたことはある。
その教えを覚えていたとは感心だが、それはあくまで火傷した場合の話。今日出されたスープ程度の温度ならばわざわざ手袋を付けたまま冷やしに行くよりも外してしまった方がよかったのではないだろうか。
「…はい。気付いたらまたわたくしは抱えられて、厨房の蛇口で…手を…」
「あれ?その時に手袋を外したんですよね。僕が食堂に下りて来た時モナさんは手袋してたような…」
「…あ、はい。予備の手袋を持ち歩いていますので」
なんとも準備のいいことだ。
「…わたくしはその、肌を見られることに抵抗があって」
「そうだったんですか…」
そんなモナの手袋をシニステルは無神経にも外してしまったということか。
「…わたくしの肌、すごく醜いので…。でも、手を冷やして手袋を脱がせてくれた時、そんなわたくしの手と、肌を、シニステル君は褒めてくれたんです」
モナは伏し目がちにシニステルのことを見つめた。恥じらいながらも熱く視線を送り続ける。恋に無縁な人生を送ってきたが、この視線を注がれれば僕だって彼女からの好意に気が付くだろう。
しかしシニステルはそんなモナからの視線をさておき、僕とノラの視線が自分に向いてることに気付いて口を開いた。
「手袋外したらさ、手のひらに模様が描いてあったんだよ。なんか姉ちゃんが昔書いてたような。それでかっこいいなって言ったんだよ」
「昔書いてたって何?ルーン文字のこと?」
「…はい。そうです」
ノラは自分の言葉が正解だとは思っていなかったのだろう、モナの返事に驚いているようだった。
「…お姉様にはお話しておきます。…わたくし、元は人間だったんです。…大昔の話ですが、色々あって…体中にルーンを掘られることになりました」
「肌に、ルーンを?」
「…昔の話です。お姉様が生まれるよりも、いえ。お姉さまのおばあさまが生まれるよりも前かもしれません」
衝撃的な内容に、ノラのことを既に「お姉様」と呼んでいることに対してノラは何の指摘もしていなかった。
「そう。詮索されたくない部類の話よね。そこについては深く聞かないわ。今は聞かせてほしいのはそこじゃないから」
そう前置きして、ノラは言った。
「まず聞かせなさい。うちの弟のどこがいいか。うちの弟のいいところを言えないようでは、認めることはできないわ」
しかしこれ、本人の前で言うのはかなり厳しいんじゃないだろうか。その上僕とキレネという部外者さえいる。
キレネを連れて先に失礼しようと、さらに言えば部屋に入って話してはどうかと提案しようとすると、それを待たずにモナが話し始めた。
「…最初に好きになったのは、いえ、気になったと言うべきでしょうか、シニステル君の肩に乗せてもらってから、彼のことが時折気になって…。お恥ずかしい話、スープを運んでいる時に手が滑ってしまったのはそれが原因だったりします」
僕は注目を集めないようにゆっくりと動きながらキレネの隣を目指す。その間にもモナは語り続ける。
「…その時わたくしは抱きすくめられていたんですが、彼、温かいんです。あのとき何気なくくれた温もり、私にとってはとても貴重で、忘れられないものだったんです」
キレネはモナの話に、手に汗握りながら聞き入っていた。
「…おい。キレネ」
僕はそんなキレネの耳元でささやく。
「…どうしたの?アーサー」
キレネは僕にささやき返す。
「ちょっとこっちに来てくれ」
あまり多くは話さずにキレネの手を取り、静かにその場を離れる。振り返るとモナはこちらのことを気にせずに話し続けており、ノラもそれを大人しく聞いていた。唯一シニステルがこちらを気にしていたが、その場から動こうとはしなかった。
多分ノラが根負けするのが先か、モナがネタ切れするのが先かという勝負だろう。僕が立ち会う必要はない。
モナの健闘を祈り、僕はキレネと二人、そっと廊下の角を曲がった。