第4話 肺腑の死人⑲
ノラからの脅迫を受けて、もちろんルナもモナも黙ってはいなかった。
先に口を開いたのはルナだ。
「何言ってんだてめえ!馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ!」
「…そうです。それをこちらに渡してください。…あなたは魂に触れられないようですが、わたくしはそれを制御できます」
「へぇ…そう」
ノラはルナを無視して、モナに視線を移した。
「じゃあやって見せて」
「……そのためには、杖が必要です」
「これのこと?」
直後、モナの目の前にくすんだ銀色をした金属の棒が現れた。先端が球状になっており、角のような突起が3本ついている。
「…そうです」
モナは空中に浮かぶ自身の杖を掴んで上下を反転させ、3本の突起を三脚のように使って地面に立てた。
次にモナは今は天を指している杖の末端に触れ、留め金のようなものを外した。すると杖は縦に二つに割れて扇形に展開された。
割れた棒の間には弦のように糸が水平に13本張られていた。
「…では、始めます」
「待って。その前に何をするか説明しなさい」
「…死霊術です。詳しいことは終わってからに」
「いいえ。今説明しなさい」
すぐに始めようと杖の前に立ったモナだったが、しかしノラが魔法を放ったのだろう、灰色の細くたなびく魔力によってモナの動きは止められてしまった。
「おい!妹に何しやがる!」
即座にノラに掴みかかろうとしたルナだったが、しかし彼女の動きさえノラの魔法で捕らえられてしまう。
「…早くしないと、そいつがまた消えてしまいますよ」
「大丈夫よ。消えてもまたさっきみたいに呼び出せばいいわ」
ノラの泰然自若とした態度に敵わないと悟ったのか、モナは諦めて話し始めた。
「…魂には手でも魔力でも触れません。そこでわたくしたち死霊術師は音を使って魂に干渉します」
これは死霊術についての一般的な説明だ。こんな情報なら僕に聞けばいいのに。
まあ、僕はただ知ってるだけで何も見えていない。実際に死霊術を使える人物の生の声というものを聴きたかったのだろう。
「それがそのための…楽器ということ?」
「…はい。そういうことです」
「魔力は使うの?」
「……意識的には使いません。ですが、死霊術を使うと魔力は消耗しています」
ノラはそれは不思議ね。と言うと、魔力の綱は影とつないだまま、モナの杖の前まで歩いて近づいた。
「私が触っても問題ない?」
「…どうぞ」
許しを得てノラは左の人差し指を真ん中の弦に触れさせ、はじいて音を出した。キンッという硬くて冷たい音が響いた。続けざまにノラはその下の弦を3本弾き、4本目で指を止めた。
「これ自体は普通の弦ね」
「…あの、まだ何か知りたいことはありますか?差し支えなければそろそろ…」
「いいわよ。ここからは実際に見せてもらって学ぶわ」
ノラが弦の上に置いていた指を離すとモナとルナを縛っていた魔法は消えた。ルナがノラに飛び掛かりそうだったが、しかし幸いにもそれは視線と気迫だけで済んだ。
「…実際に見る、とは、見てどうするおつもりですか?」
「決まってるでしょ。できるようにするのよ」
「…見ただけでできるようにだなんて、無理だと思いますが…そうしたいのならどうぞご自由に」
魔法で縛られた腹いせか、モナは嫌味らしいことを言う。まあ、言ってること自体は至極まっとうな正論なのだが。
「ノラ」
モナが弦を何度か弾いて調整らしいことをしている間に、僕はノラの隣まで行く。
「ノラ。どうするつもりなんだ。このままモナさんにやらせてもいいのか?」
「私は万能になる必要があるの。あの子にできることで私にできないことがある。これじゃあ万能とは言えないでしょう?」
そこで自分は万能でないと気付くよりも先に、できないことをできるようにしようとするあたりがノラらしいと言える。
「いや、そうじゃなくて、もしあの2人が犯人だった場合、証拠隠滅をされるんじゃないかってことだよ」
「まあ、その可能性はあるでしょうね」
ノラはそれがどうしたとばかりの言い草で言い放った。
「お前な…」
「でも考えなさいよ。ここで証拠隠滅をできるのはあの子たちだけ。今あえて強硬に証拠隠滅をすると思う?」
「それは…確かにそうだが」
確かにノラの言う通り、この状況で怪しいことをするのは悪手に違いない。そう考えるとやれせてやっても問題はないのかもしれない。
「それに現状、あいつを仕留めることは私にはできない。わたしにできるのはあいつが反抗する気力もなくなるまで消し続けること」
「あいつ」に気力という概念があれば、の話だろう。しかしそう考えるとこの場での最適解は魂とか言われてるあの影の本体を取り出し、真犯人に近づくことだろう。
「分かった。それじゃあ彼女にやらせてみよう」
そうして僕がノラの元を離れると、シニステルとデキステルが並んで僕の前に進み出て言った。
「俺らっている?」「帰っていいか?」
退屈でたまらないと態度が雄弁に語っている。
ここに連れてきてから一切双子の興味を引くものがなかったのは事実だが、しかし何らかの方法でノラがやられてしまった場合、無力で無防備な僕だけになるというのだけは避けたい。
「いや、駄目だ。もう少し待っててくれ」
何かあった時のための保険だ。双子には悪いがしばらく暇してもらうとする。
そこからしばらく双子は僕に対して不平不満を垂れていたのだが、モナが演奏を始めると彼らはまず耳を奪われ、続いて目を奪われた。
実際僕自身もその光景には見入ってしまった。彼女は杖を変形させたハープで演奏をしているのだが、弦をつま弾く動作が流れるように滑らかで、その動作自体がひとつの舞のようだった。
それまで双子の文句や吹く風などの様々な音で溢れていたのだが、今この付近一帯の空気はモナの演奏によって染め上げられていた。
腹に響くのとは違う、心臓をくすぐられるような響き方をする楽器だった。
そんな空気の中、見て学ぶと言っていたノラは演奏中のモナを正面から穴が開くほど見つめていた。楽器と影の間に立ちはだかっているので邪魔になってるんじゃないかと心配になったが、モナは気にせず一心不乱に演奏を続けている。
演奏は10分ほど続いた。終わりに近づくと音量が減衰し、弦の震えるままに余韻を残してモナは楽器から顔を上げた。
「…今、彼の魂と繋がりました。わたくしが合図をしたらその魔力の供給を止めてください」
そうノラに静に告げると、自らは再びノラに視線を注いだまま弦に手をかけた。
「分かったわ。いつでもいいわよ」
「…はい。それでは、今です…!」
この時、モナがこれまで彼女の口から聞いてきた中で一番大きな声を発した。まあ、一番大きいと言っても魔法の説明をしてる時のノラ程度の音量だったのだが。
モナの合図の直後、ノラは指示通り魔力の綱を切った。それと同時に動いたモナの指は弦の上を走り、一筋の音色を奏でる。それが死霊術における仕上げだったのだろう、突如杖から無数の灰色の鎖が現れ、その影の胸に当たる部分へと吸い込まれていった。
「…完了です。…これで、彼の魂は逃げられません」
「この鎖…魔力じゃないわね」
ノラは楽器から延びる鎖を見つめながらそう口にした。
「…はい。わたくしたち死霊術師の間では音の塊と呼んでいます」
「なるほど。まあ、やってること自体は分かったわ。今すぐ真似できそうにはないけど」
「…それは、そうでしょうね」
ノラとモナの会話によって現場から徐々に緊張が抜け始める。
「捕まえたんですか?これでもうこいつは消えることもできない?」
「…はい。魂を縛ってこの杖と結びました。今は停止を命じている状態なので、どこにも行けません」
その言葉を聞いて僕はひとまず胸を撫で下ろす。事件の真相の解明はまだだが、これ以上被害が出ないという意味では解決と言っていいだろう。
「さ、じゃあ喋ってもらうわよ。あんた達知ってるんでしょ。これの元凶を」
ノラは胸を鎖で貫かれている影を指さして言った。
しかしルナもモナもノラと向き合ったまま、どちらも口を開かずにいた。
「どうしたの?まさか、喋れないって言うの?」
ノラはただそう問いかけただけだったのだが、しかしどうしたって脅迫の文字が脳裏から消えない。
「分かった。喋るよ」
「…ルナ、あなた…!」
「しょうがねえだろ!それに、事実は事実だ。おれたちだけで終わりにはできない」
モナはそれ以上ルナに言い返さず、ルナはノラに向き直って口を開いた。
「まず約束してくれ。今回の原因が分かっても、てめえは手を出さないって。後始末はおれたちに任せてくれるって」
「私はいいわよ。この州には興味ないから。アーサー。あんたはどうなの?」
嬉しいことに僕に発言権を与えてくれたノラだったが、僕もノラと同じ意見だ。
「僕も構わない。そちらでやりたいことがあるなら、そのようにしてもらって」
この口約束をどこまで信じるかと言ったところだが、僕たちの言葉をルナは信用したらしく、語り始めた。
「この影の正体…いや、出どころだな。出どころはこの州の王、デュルヘルムのおっさんだ」
黒幕がデュルヘルムかもしれない。という予想は僕もしたことがあったが、ルナからの言葉を聞いて「やっぱりな」とは思えなかった。
「…しかし誤解しないでください。彼に悪意はありません。…自覚さえも、無いと思います」
ここでルナの言葉を補うようにモナが付け加えた。
しかし自覚がないとはどういうことなのか。
まさか彼は無意識にこのような影を生み出すというのだろうか。そんな存在、ゾンビを食うグールよりも邪悪で危険な気がするが。
「あいつは病気なんだよ。エナジードレインが使えなくなったのは、あいつのその力がこっちに来てるからだ」
「じゃあ、この影はデュルヘルムから分離したエナジードレイン能力ってことなの?」
「…わたくしたちは、そう考えています」
「なるほどね。…。私はもう聞けたからいいわ。アーサー。あんたももういい?」
影の正体に関してノラは納得がいったのか、早くも話を終わらせようとする。しかし僕はまだ聞きたいことがある。
「いや、まだ聞きたいことが。…。犯人をグールの王にしようとしていたのは、お二人が考えたことなんですか?」
「マークを描いたのはおれたちだ。でも、あの影の形と、ゾンビの襲い方はあの影が自分でやったことだ」
「…恐らく、おじさまの中にあるトラウマがそうさせたのではないでしょうか」
ルナの言うことからどうやらあの影の形は本当のメルツベルツを模されているようだ。確かに、出どころであるデュルヘルムの形になるならば、首があるのはおかしい。
そして気になるのはモナの口にしたトラウマという言葉。
「モナさん。そのトラウマについて、聞かせてもらってもいいですか?」
「…はい。話は9年前にさかのぼります」
空は晴天。皮肉なまでに爽やかな風が吹く中、モナの口から真相は語られた。