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第1話 深淵の水魔⑨

結局、僕はもう一度彼女が眠っている間に話したことを伝えた。


「なるほど。御馳走してもらえるのね?」


どうやら彼女にとって一番大事な部分はそこだったようだ。


「ああ、でもその前に名前と、どこから来たのか、どうして海に浮かんでたのかを教えてくれ」

「うん。名前はキレネ。エレツから来た。海に浮かんでた理由は…エレツから外に出たかったの。それで泳いでて…それで、それで…あれ?…私どうなったんだっけ」

「気づいたらここにいたということか?」


キレネは頷いて応える。海に落ちる前に頭を打ったのだろうか。いや、泳いだと言っているということは海に入ったところまでは自分の意思ということだ。気を失ったのはその後ということになる。


「エレツの外に出たいって言ったわね」


ノラが言葉を発した。


「何かあったの?事件に巻き込まれたとか」


自身の体験と重ねているのだろうか。ノラはキレネがエレツの外に出たいと言ったその理由に興味があるようだ。


「何か?…事件?」

「あなたが泳いでまでエレツを出ようとした、その理由が知りたいの」

「私がエレツから出ようとした、理由」


キレネは何かを思い出そうとしていた様子だったが、しかしキレネが出した答えはこうだった。


「分からない。覚えてない」


その答えはノラにとっても薄々予想していたのか、これといった反応を見せずにいた。

しかしその後に続いた言葉にはさすがに彼女の琴線に触れたようだ。


「けど私今、エレツに戻らないと駄目な気がする」

「ちょっと。エレツから出たかったんじゃないの?」

「うん。…だけど今は…早く帰らないといけない気がして…」


これは、一番厄介な部類の遭難者かもしれない。僕たちの敵になりうるか、本人にも分かっていないようだ。

僕が頭を悩ませていると


「汝に問う。お前に流れる血はヒトの血か?」

「え?えっと…どういうこと?」

「つまり、貴様の種族は何かと尋ねているのだ」


二人称を右往左往させながらオスカーがだしぬけにそう尋ねた。


「普通の人間だよ。何もできないし何も持ってない、普通の人間…それはさすがに覚えてる」


親近感の湧く自己紹介だった。

だが人間ということは出身地は首都ということになる。現在のエレツの体制では人間の居住区は首都以外にない。


「ねえ、何か食べさせてくれるんじゃなかった?まだ駄目?」

「ああ、いや、ノラ。出してやってくれ」


ノラに亜空間に入れてもらっていたのは焼き魚だけだったが、気を利かせてごはんとみそ汁の鍋と食器一式も出してくれた。

ごはんとみそ汁をよそい、それを亜空間から取り出した一人用の小さいテーブルの上に並べる。


「さあどうぞ。おかわりもあるからな」

「いただきます…えっと…手で食べれば、いいのかな?」

「え?いや、その箸を使って…あ、そうか」


彼女はエレツの出身。ということは箸の使い方を知らないどころか、触れたことさえ無いかもしれない。


「これでいい?」


僕の指示よりも早くノラが転送魔法でスプーンとフォークを転送した。

キレネはそれらには見覚えがあったらしく、笑みを浮かべてフォークを握る。


「ありがとう。いただきます」


キレネはまずフォークで焼き魚の横っ腹を刺し、持ち上げて豪快にかぶりつく。

小骨があるから気をつけろと、僕が言う前に彼女は咀嚼し始めた。小骨も多数含まれているであろう身を、何食わぬ顔で咀嚼して飲み込んだ。いや、間違いなく魚を食べてはいるのだが、そこはやはり言葉の綾として。

キレネは魚に刺したフォークを抜いて今度はそれでご飯を掬い、続けてみそ汁を一口含む。


「このスープおいしい」

「みそ汁って言うんだ。気に入ったんのならおかわりもあるからな」

「じゃあ、くだ、さい」


3口でみそ汁を飲み干し、空のお椀をこちらによこす。


「あ、ごめん。これ忘れてたわ」


みそ汁のおかわりを注いでる間、何を思い出したのかと思えば、ノラは醤油の瓶を転送魔法で取り出し、キレネの前に置いた。


「なに?これ」

「醤油よ。魚にかけるとおいしいわ。というか、この魚味付けされてないからかけた方が絶対おいしいわよ」

「ありがと。かけてみるね」


フォークに貫かれて再び宙に浮いていたアジにキレネは醤油瓶から数滴の黒い滴を命中させ、かぶりつく。


「おいしい!こんなソース初めて!」


続けざまに一口、二口とかぶりつき、あっという間にアジはその背骨のほとんどが露になった。


「この魚もまだ残ってるから、足りないようなら追加で焼いてくるけど」

「本当に?じゃああと2つくらい欲しい!」

「2つ?」


本当にそんなに食べられるのか。と思ったが、魚の小骨も気にせずに食べるほどだ。きっとよっぽどお腹が空いているんだろう。数日間飲まず食わずだったのかもしれない。


「待っててくれ。今焼いてくる」


僕はノラとオスカーにその場を任せ、部屋を出る。

部屋を出るとそこには待機すると言って部屋には入らなかったパティがいた。


「アーサーさん。どうでしたか?遭難者の様子は」

「ああ、特に害はなさそうだよ。お腹が空いているみたいだったからとりあえず食べてもらっているところだ」

「そうですか。悪意のない人だったようで何よりです」


パティは人見知りらしいらしいが、安全と分かれば話しかけもできるだろう。


「別に私、人見知りとかじゃないですよ」


僕の思考を読み取ったのかパティは唸るように呟く。


「え?でも…」

「初対面の人に自己紹介するのが苦手というだけです」


それは十分人見知りの要件を満たしていると思うんだが。


「まあ、兄者との対峙に問題なかったようなら私が行っても問題ないですね。ということで行ってきます」


僕と入れ替わるようにパティは部屋の中へと消えていった。僕はキレネの注文通り追加の2尾を焼くべく厨房に向かう。


「あのキレネという女、初対面の人間から出されたものを何の躊躇もなく口に入れるとは…」


少なくとも他人を信用できなくなるような環境で育ったわけではなさそうだが。もちろんそれが演技であるという可能性は常について回る。疑いだすときりがない。

そんなことを考えているうちにアジは両面が焼きあがっていた。


「待たせたな。焼けたぞ」


新たに焼いた2尾のアジを皿にのせて僕は客室に戻る。


「ありがと。いただきます」


嬉しそうに頬を緩ませながら追加のアジのうちの1尾をフォークで刺し、1尾目同様にかぶりつく。


「アーサー。ちょっといい?」


ノラが神妙な顔で僕の腕を掴み、部屋の外へと連れ出す。


「どうしたんだ?」

「話は部屋を出てからよ」


他のみんなに聞かれるとまずい内容なのだろうか。という予感を巡らせながら、僕は部屋とリビングをつなぐ通路を歩く。この城の中で僕だけ他の倍くらいの頻度でこの通路を通っている。


「部屋から出たぞ。もう話してもいいんじゃないのか?」

「あのキレネって子、やっぱり何かおかしいわよ」


ノラは神妙な顔つきで穏やかでないことを言う。


「何か気づいたのか?」

「気づくというか…あの子、あんたが帰ってくるまでのあいだに4回おかわりしたわ」

「4回?みそ汁をか?」

「ご飯もよ」


ご飯とみそ汁を4回も!?寝起きでそんなに食べられるものなのか?いや、僕だったら寝起きでなくともそんなに食べられないだろう。

今飲んでるみそ汁は6杯目、ご飯は5杯目、それに加えてアジを3尾。確かにすさまじい食欲だ。


「確かにそれはすごいな。もしかして人間じゃないのか?」

「食欲だけならそう言えるかもしれないけど、彼女には魔力がかけらも感じられなかったわ。だから人間で間違いないわよ」


だとすれば、単に食欲旺盛な女の子ということか。それで説明がつくのかどうか怪しいが。

人間の体の仕組みは知っているが、レアケースまでは僕の知識は対応していないだけに何とも言えない。


「あの子をこのままここに置いておくならそのことも考えておきなさいよ」

「ああ、そうだな」


言われて気が付いた。キレネをどうするか決めなければ。

オスカーの示唆していた「始末する」という選択はせずに済みそうだが。


「なあノラ。お前はどう思ってるんだ?あのキレネのことを」

「どうって…まだ何かを思えるほどの情報はないけど…不気味だとは思うわ」

「不気味か…」


確かに。彼女のことはよく分かっていないが、厄介なのはそれが彼女にとってもそうだということ。

あの嬉しそうに料理を口に運ぶ様子からは、どうも嘘をついているようには見えない。いや、そう思うのは同情なのかもしれないが。


「どっちにしろ海に放り投げるわけにはいかないよ」


キャッチアンドリリースが許されるのは野生動物までだ。


「最低でもエレツ本土には送り届けないとな」

「そうね。最初に向かうのは水魔城よね?」

「ああ。だからその次の目的地、妖精の園まではここに置いてやるつもりだ」


もちろんキレネが何としてでも水魔城で僕たちと別れたいと言えば話は別だが。


「あ、そうだ。そうなるとノラ。やっぱり明日は一緒に水魔城に来てくれないか?最悪、愛想よくしなくてもいいから」

「だから、愛想よくくらいできるわよ。でも急にどうしたの。昼間の作戦会議では渋ってたのに」

「僕一人を護衛するのにノラを連れて行くのは無駄遣いな気がして気が引けてたんだけど、状況が変わった。明日キレネも連れていく」


つまり、一緒に水魔城まで潜ってもらう。


「え、何でよ。何の必要があってそんなことするの?」

「キレネの記憶が本当に失われてるなら、城に閉じ込めるんじゃなくて色々見せて思い出させたい。逆に、あれが演技だとしたらぼろを出すところを押さえないといけない。だから目の届くところに置いておきたいだ」

「で、万が一襲われたら太刀打ちできないから私も必要ってこと?」

「そういうことだ」


あいにくと僕は自衛の策を持ち合わせていないからな。いや、もちろんキレネが白だった場合キレネも一緒に守ってもらうためではあるんだが。


「言ってることは分かったけど、あのキレネって子にそこまでしてあげる必要あるのかしら?」

「もちろん、出航する前に確認した目的は忘れない。それは信じてくれ」

「まあ、そこを忘れられたらついて行きようがないものね」


いいわ。分かった。

と捨て台詞のように了承の旨を僕に伝え、ノラは去っていった。

これは余談だが、僕とノラの対談が終わったのと同時にキレネは食事を終えたようだが、彼女はアジ3尾とご飯6杯、みそ汁7杯を完食したそうだ。その事実に驚いているすきにキレネは布団をかぶって再び眠りに就いていた。

結局彼女は自分が目を覚ました時ドアも窓もない部屋にいたことに関しては何も言わなかったなと、そんなことを考えながらその日は僕も床に就いたのだった。

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