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09 撫でつけと寝かしつけのお話


 先の憂いに備えれば備えるほど、事前の準備に終わりというものはないのだろう。


 あれもこれもと、必要になるかもしれない備蓄品を際限なく追加して、棚をぎゅぎゅうに詰めにしながらわたしはそう思った。


 思いながらわたしは、氷室用の保管庫を何度となく一望する。


 棚という棚に隙間なく並べられた物品は、ほぼ全てニケのために用意されたものであり、ニケとわたしでひとつひとつ積み上げていった成果の品々。


 その眺めは実に壮観で、どちらかといえば、その光景が嬉しくて詰め込み作業を止められない気もしたが、そんなわたしをようやく押し止めたのは、降雪という美しき蹂躙者だった。


 自然界の威というものは、魔女にすら侵せない領域であるため、仕方なくわたしとニケは三ヶ月のあいだ、ほぼ籠もりきりになる洞窟暮らしへと突入する。


 冬になり、気温が下がったことで、わたしが最も気を遣わなければならにのは、ニケの体が冷えないようにすることだが、そこは暖房器具(ペチカ)によって、室内を常に温かく保つことは比較的たやすかった。


 ニケははじめ、その独特の匂いと、壁の中から響く空気の音が気になるようでわたしは焦ったりもした、それも数日ほどすればすっかり慣れており、ニケが寒さに震える心配はなさそうだった。


 なさそうだったのだが、ヤマネコの獣人は寒さにあまり強くない体質のせいなのか、それとも、ニケが子供だからなのか、毎日がやけに眠そうにしている。


 外に積もった雪を鍋で溶かし、煮炊きをしているあいだにも、手伝いにとテーブルへ食器を並べていたはずのニケが、イスに座ってうとうとしていたりするのだ。


 寝ていてもいいと言うのだが、家事全般はもちろん、暖炉の管理と燃えがらの掻きだし、手が空けば、布を織ったり編み物などの手仕事も手伝いたがるので、常に眠気と戦っている状態だった。


 ニケがしたいというのなら、やりたいようにさせるつもりだが、変なところで眠らないよう気にかけねばならなくなり、部屋のどこか居眠りしているニケを見付けるという、なごやかで嬉しい手間が、ひとつ増えていた。


 そういう風にして、冬の生活は、秋の慌ただしさから一転して、ゆったりとした空間に包まれていた。


 時間的な余裕ができたことで、すっかり後回しになっていたニケの手の甲にある奴隷の“印”を、取り引きの魔法で消そうともしたのだが、それはいったん中止になっていた。


 春からの半年では彼の髪はそれほど伸びず、肩を覆うまでもう少し欲しかったため、あと三ヶ月、次の年の春先まで待つことにしたのである。


 ニケは中途半端に長くなった髪を、かなり鬱陶しくしていたため、糸をより紡いで髪を結う結い紐あげたのだが、一本の紐で髪を結う行為というのはそれはそれで難しく、毎回毎回、髪を結び直すことに手こずっていた。


 ただ、時間的余裕というのは、これまでに気付かなかったことに気付かせてくれる効果もあるようで、わたしは新しい生活の準備に謀殺されていた間は気にもかけなかった事が、今になって気になっていた。


 事の始まりは、ニケに編み物を教えていた時である。


 編み物のこつを手と口で教えていくのだから、当然ぴたりと寄り添う形になるのだが、ニケの体温を感じるほどの距離だと、身長差も相まって、わたしの真横にニケの耳がやってくるのだ。


 ふさふさの毛が生えた、ヤマネコの耳が。


 それは、どこからどう見てもふわふわな耳のうえ、わたしが話し出すたび、わたしの声をひろうたび、視界の端でぴこぴこぴこぴこ動くのである。


 それはもう、魅惑的な動きを駆使して、わたしの視線を惹きつけてならない。

 ようするに触りたいのである。


 だがしかし、触りたいなどとは言い出しづらかった。それこそ愛玩動物扱いだと、ニケに不快な思いを与えかねない。


 できるだけ意識の外にやるよう心がけていたが、日に日に衝動は強くなっていく。


 ある時、無意識に触ってしまいそうになっている自分に気が付いて、わたしはついに観念することにした。


 取り返しの付かない失態を冒してしまう前に、ニケへと話を持ちかける。


 「……ニケ、頼みがあるのだが」

 「なんですか?」


 ソファの隣りに座るニケは、ほんとうにただ問い返す目でわたしを見ていた。

 無垢といっていいその目を前にして、わたしはおそるおそる口にする。


 「――――……その。み、耳を…触らせてくれないか」


 ニケは、意味がよく分からないという顔をした。


 「あ、いや、もちろん……お前が嫌なら絶対にしない。でも、でもな、その。どうしても、お前の耳が、気になってしょうがないんだ……ふわっふわで、触ってみたい」


 するとニケは、肯定とも否定ともとれない表情のまま、自分の耳に手をやった。


 しばらく三角形の耳をふにふにといじっていたが、不意に顔をうつむかせた。

 一瞬にして血の気が引く。


 わたしは慌てて謝りかけたが、その前にニケの遠慮がちな声が割り込んだ。


 「あの、どうぞ」

 「……え」


 どうやら、顔をうつむかせたのは、嫌がっての素振りではなく、わたしが触りやすいように、頭を差し出してくれたかららしい。


 「い、いいのか?」

 「…はい」


 照れているのか、こちらを見向きもせずにニケは頷く。


 わたしは、そっと手を伸ばした。いきなり本体は怖いので、耳の根もとへと指をやる。

 あたたかい。が、まず最初の感想だった。


 それから、徐々に上の方へと指を滑らせていき、耳の端までしっかりと血液がとおっているかと思いきや、一番尖ったてんぺんは、ほんのりと冷たいことを指先で知る。


 「痛くはないか?」

 「……はい。大丈夫です」


 ニケに確認を取りながら、やがて指先から手のひらへと、触れる部分を大きくしていった。


 手のひらをくすぐっていくのは、毛並みにそえばすべすべで、逆らっていけばふわふわになるという不思議触感である。


 指と指の合間に柔らかな毛先が入ってくる感覚など、愛撫されているのはこちらの方だと錯覚してしまいかねないほど癖になる手触りだった。


 触るたびに新しい発見のあるニケの毛並みに、ついつい没頭して撫でていると、ことりと、私の肩口にニケの額があたる。


 「ニケ?」

 「……あ、ごめんなさい。ねむくて」


 「ね、寝てていいぞ。わたしは……うん。わたしは撫でているから」


 でも、とニケはつぶやくが、彼の額はわたしの肩にあずけられたままだった。


 かまわず手を動かしてみれば、わたしの手がニケの耳元を行き来するたび、ニケの体重がのしかかってくる。


 わたしは、言いしれぬ使命感にかられた。


 ニケがこのまま心置きなく眠れるよう、一心不乱に、しかし、ゆるやかな眠りへ誘えるよう丁寧に撫でていけば、ニケのまどろみはやがて、寝息という手応えを得る。


 だがここにきて、わたしはある失態に気付く。肩の上では、あまりにバランスが悪い。


 悩みに悩んだが、ニケの頭を肩から膝の上へと移すことにした。

 彼の頭と肩を支えるようにして誘導していくさなか、ニケがわずかに声を漏らす。


 起きてしまったかと思いながら、それでも膝の上に乗せてみれば、うっすらと開いた銀灰色の目と目が合うが、ニケはそのまま寝入ってくれた。


 目的達成である。


 わきあがる達成感と同時に、膝の上のニケというご褒美を与えられたわたしは、歓声をあげたい口をぎゅっと引き結んで、ひたすら一人で感極まっていた。


 どこからどう見ても、わたしの膝の上でニケが眠っている。


 それは、幸せの形だった。

 目に見える形で、手に触れられる形で、体現された幸せだった。


 わたしは、膝の上へと舞い降りた、わたしの幸せに手を伸ばして、ふたたび耳と頭を撫でていく。


 信頼しきった重みにひたりながら、子供のあどけない寝顔を見ている。


 飽きるはずがない時間を心ゆくまで堪能してくが、この時ばかりは魔女の体に感謝すべきだろう。たとえ膝枕を一日中していても膝が痺れることなどないのだから。







 夕方、膝の上で目を覚ましたニケは、わたしとかちりと視線があった途端、飛び起きた。


 不覚にも眠ってしまったことに加え、わたしの膝の上にいたことに驚き恥じ入るばかりのニケだったのだが、わたしはそれをどうにかなだめすかして、また触らせてもらえる約束を取り付ける。


 そしてそのたびに、ニケは睡魔に耐えられず、膝の上で眠ってしまうようになるのだが、わたしはとしては、このままなし崩しで膝枕を常態化させるのが目下の目標になっていた。


いちゃいちゃしてきましたよ!(・∀・)

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