07 転居と収蔵のお話
冬支度に向けた、秋の準備がはじまった。
さっそく食糧の確保を、と言いたいところだが、まずは引っ越しをすることにする。
切り立った崖の上に建つあばらや家は、季節の気温変化を充分に考慮しておらず、真冬の雨雪交じりの寒風の下では、家の外だろうと中だろうと大した違いは出なかった。
そのため、崖の中腹にある岩棚の洞穴へ、冬の間だけねぐらを移すのだが、これはニケのための措置ではなく、毎年恒例の引っ越しだった。
家の住み替えは年に一度は行っているため、必要最低限の生活用品は、すでに備え置かれてある。引っ越しにさいしてやることといえば、溜まった埃と侵入した虫や砂の掃除、食糧や衣類といった備蓄品の運び出しになる。
数日先の天候を見計らってから、ニケを連れて、冬場の三ヶ月を過ごすことになる岩棚へと向かった。
二ケも私も夜目が利くため、仄暗い横穴でもおぼつくことなく歩いていくが、やがて2人の進路を塞ぐように、天井から床までを覆った建造物が現れる。
それはレンガ造りの壁面と、入り口を簡素な板で閉じられた粗末な木の扉で、数年をかけてこつこつと築き上げていった、もうひとつの住み処であり、隠れ家だった。
新居の紹介もそこそこに、ニケの手を借りながら簡素な板を手早く取り外す。
建て付けの悪くなっている扉を開けると、家の中もまたレンガで覆われていた。
天井や四方の壁もレンガが積まれているが、床だけは板張りで、中も外も板張りだった崖の上のあばら家もよりもずっと広く、間取りも部屋が4室もある。
「……そんなに、埃っぽくありませんね」
ニケが周囲をうかがいながら、小さくこぼす。
「そうだな。でも、掃除はちゃんとしないと。もっと明かりが必要だな」
「はい」
するとニケは、背負っていた荷物の中からオイルランプを取り出す。
昼間なら少しの光でも生活に困らないだろうが、細かい箇所に目を配った作業があるなら、やはり明るいことに越したことはない。
ランプに火を点け、明度が上がった部屋の中でまずすることは、板床の確認だった。
板床の下もレンガ敷きになっており、基礎と土台の役目をはたしているが、床梁や床板はあくまでも木材であるため、きちんとした点検はどうしても必要となる。
「いくら人間が足を運びにくい場所でも、鳥とか他の動物とかが、荒らしに来たりしないんですか?」
「うーん、ほとんどないな。まあ、仮にも魔女の住み処だからな。勘ばたらきの良いヤツほど近寄るまい」
なるほど、と返事を返しながら、ニケは床元をランプで照らし、私はその光を頼りに床板を点検していくが、修繕が必要な箇所はとくに見当たらなかった。
次に、ランプを携えさたニケを連れて、部屋の一番奥にある炊事場へと向かう。
それほどの広さを持ったレンガ床の炊事場には、かまどと暖炉が設置されており、その上方には手製の煙突が伸びていて、天然の通気口と繋がっている。
こうした洞穴は、付近の山岳にいくつかあったが、冬用の住み処にこの横穴を選んだのは、換気口として利用できる縦穴が開いていたからだ。
もうひとつ、その換気口を利用したフタ式の暖炉は、その煙道がレンガの壁と床下に張り巡らせてあり、暖炉で熱せられた空気が部屋中を温めていく暖房器具である。
この暖炉を作るのに空気調整やら緩衝器やらと、満足のいく出来に仕上がるまでかなりの年月がかったが、その手間暇がニケにとっての命綱になるなら、これ以上ないくらいの巡り合わせだった。
かまどと暖炉、両方ともちゃんと機能するか、軽い掃除のあと実際に火を入れて確かめるが、これもまたとくに問題は見当たらず、胸をなで下ろす。
その日の引っ越し作業はそこで切り上げて、いったん崖の上の隠れ家へと戻った。
本格的な掃除は翌日に持ち越され、天井から壁と床、家具や食品棚といった掃除が終わったら、荷物の運び出しへと移る。
一度に大量の荷物を持ってはいけないため、何度か往復することになるが、ニケとの新しい生活にと増やした食器や衣類、蝋燭からランプオイルなどの生活用品、ニケと一緒に漬けたばかり瓶詰め食品。調理用、もしくはニケの体を温める非常用の酒類を、家の中へと少しずつ詰め込んでいく作業は、心の中にも生きる糧を詰め込んでく作業にも思えて、整理棚を見る度にわたしの頬は充足感にほころんだ。
もちろん、広いとはいえない家の中に三ヶ月分の食料品を収めておけるはずはないので、洞穴の土壁を自力で掘って作った、氷室用の貯蔵庫が入り口横にあるため、残りはそこに保管していくことになる。
そして、保管しておく保存食の調達は、これからの手腕にかかっていた。
保存食には、塩蔵と糖蔵と酢漬け、乾燥、燻製、発酵などがあるという。
世間に普及している保存方法は、ひととおり試しているはずだが、適した環境や、材料の確保が難しくて、断念した方法も多い。
なかでも糖蔵は、加工に必要な砂糖が庶民にはとうてい手の届かない贅沢品であるため、糖蔵どころか、日々口に入る甘味も限られてくる。
食糧の調達すらままならない貧弱な身ではあるが、それでも手に入る甘味はあった。
滝壺の近辺に植樹した、あのオリーブの木とリンゴベリーの木のつがいである。
甘みが増すよう品種改良したリンゴベリーの実は柔らかく、果汁の量が富んでいる。
生食は甘酸っぱくて、それ単体でもジャムを作れるが、赤い外皮を剥がして、白い果汁をしぼって煮詰めると酸味が飛んで、甘みの凝縮されたシロップになった。
このシロップを使い、酸味ばかりが強い自生のリンゴベリーを煮れば、保存食である砂糖煮に仕上がるのである。
ただし、難点がひとつだけあるとすれば、リンゴベリーに限らず、半透明のシロップで漬けた果実は、万年新婚夫婦の呪いのようにことごとくピンク色に染まってしまうのだ。
とはいえ、色のよし悪しでだけで、貴重な甘味を諦めることなどできないので、毎年かかさずリンゴベリーの収穫を行っている。
今年はニケと一緒にベリー狩りへと向かうが、それはあの二本のつがいへ、新しい同居人の紹介と挨拶も兼ねていた。
落水の溜まった滝壺のふちを、いつものようにへ迂回していけば、仲良く並んだ二本の常緑樹をすぐ目の前にする。
「やあ、久しぶり」
数ヶ月ぶりに顔を見せたのだが、樹木にとっては一週間にも満たないのだろう、反応はなんともそっけく、木の葉をゆらしもしない。
けれど、その代わり映えの無さが、いまでは安心感すらあたえてくれる。
私は、私の隣で心地の悪そうにしていたニケを、二本へと紹介した。
「どうだ、私にも同居人ができたぞ。名前はニケだ。これから一緒に暮らしていくつもりだから、お前たちもよろしくしてやってくれ」
しかし、返事のたぐいは二本からは返らない。
黙ったままの木々に、ひたすら話しかけている私をニケがじっと見上げていた。
二本へと挨拶するよう促せば、戸惑ったようすを見せつつも、言われたとおりに向き直る。
「……あの。よろしく、お願いします」
すると、さわさわと、風も吹いていないのにオリーブの木の梢が揺れ、あわせて緑色の何かが葉と葉の間から降ってくる。
ぱらぱらと地面に落ちたそれは、緑色の小さな実で、まだ若いオリーブの実だった。
「おお、いきなり大盤振る舞いだな。まあ、ニケは可愛いからな。気持ちは分かる」
「……あ、あの?」
よく分かっていなさそうなニケの声が、オリーブの実とわたしの顔を交互に見た。
「大丈夫だ。彼からの歓迎の印だよ。もらってやってくれ」
「……はい。ありがとうございます」
とりあえずといった感はぬぐえなかったが、ニケはオリーブの木に軽くお辞儀すると、彼に振る舞われた木の実を拾っていく。
私も持参していたカゴをもって手伝うが、小さな両手に乗せられるだけの実をもって戻ってきたニケが、食べられるのかと尋ねるように見つめてくる。
「その緑の実は、塩漬けにするとうまい。でも、冬支度に使いたいのは、実からしぼった油をなんだ。だから、ちゃんとした収穫は、もう少しあとにある。実が黒くなったら頃合いだな」
「はい。わかりました」
「…………ちなみに、オリーブの方に種ナシと言うと怒るから気を付けろ」
こそこそと耳打ちしたつもりだったが、聞こえていたらしく、こつんと石のように固い実が後ろ頭に飛んでくる。
さらに威嚇するように木の葉をゆらすので、私は人目をはばからずに平謝りした。
もう一度、頭の上にオリーブの実がぶつけられるが、かなり柔らかい実だったので、どうやら“お許し”は出たらしい。
そうして、色々と脱線はあったが、ようやく本日の目的である、リンゴベリーの収穫にとりかかる。
ニケの背丈とほとんど変わらない低木は、緑の葉の合間に赤く色づいた愛らしい実をたわわに実らせている。ちいさな房をひとつずつ、丁寧に摘み取っていけば、くすぐったそうに枝をゆらしていた。
おっかなびっくり実を摘むニケを、こっそり横目にしながら小一時間ほど同じ作業を繰り返していけば、いつもはカゴ七分目ほどで果実が枝から離れなくなるのだが、今年はニケが居るからだろう、気付けばリンゴベリーの実はカゴいっぱいに溢れていた。
中身が落ちないようカゴに布とヒモで封をして帰り支度をととのえる。
隠れ家の岩屋へと帰るには、まだ日が高かったが、やることはまだまだ沢山あるので、二本に今年のお礼を述べてから、早々においとまする。
帰宅してからは、リンゴベリーの出来を見るため、ためしにジャムを作った。
ジャムの甘みしだいでコンポート用のシロップの量も変わってしまうから、大事な確認作業だったが、部屋中に充満した甘い香りにニケがそわそわし出した。
甘い物というのは、やはりどこの地域でも貴重品のようで、この家に来てからも久しぶりの甘味になるため、ただの確認作業だった目的が、いつの間にかジャムパーティー準備に変わっていた。
赤い外皮がくずれて白い果肉が溶け出し、とろみを帯びた蜜にくるまれながら、つややかな薄紅色に煮詰まっていく。
そうした過程も目を楽しませるが、鍋をのぞきこむニケとどうやってジャムを味わうかあれやこれやと話し合っていけば、やはり、出来たてをそのまま食するのが一番だという結論にいたった。
出来たてほやほやを、木製のスープ皿にながして、ダイニングテーブルへと運ぶ。
後片付けはひとまず忘れて二人ともテーブルに着き、いただきますの言葉もおざなりのまま、熱々のジャムを木の匙にすくった。
息を吹きかけて表面の熱を冷まし、それでも熱いとろとろを口にすれば、舌の付け根をくすぐる甘みと、新鮮なベリーの香りが口いっぱいに広がる。
さらにひと口ふた口と、甘味の魅力にぱくついていくが、ニケが猫舌だったことを思い出して、慌てて向かいの席に目を向ける。
ニケは、木の匙にすくったジャムを一心に見つめて、懸命に息を吹きかけていた。
こちらの視線には気付かず、ジャムのあら熱を舌先で何度も確かめながら、ようやく薄紅色の甘味にありつける温度になると、木の匙ごとほおばった。
目を輝かせて口を動かすが、すぐに溶けてなくなってしまったようで、急いで次のジャムを木の匙にすくい、そしてまた息を吹きかけはじめる。
それがあまりにも微笑ましい光景すぎて、私は思わず出そうになった変な笑い声を堪えるのが大変だった。
これから温度の高い食べ物が増えていくだろうから、気を付けなければと頭に止めおきながら、二人とも黙々とジャムを口に運び、静かなジャムパーティーは静かに終わる。
試験的に作ったジャムだったため、スープ皿の半分にも満たない量だったが、ただ、ジャムはやはり、そのまま食べる食材ではなかった。
私の体はもともとが魔女であるため、これくらいでは何ともなかったのだが、ニケはジャムの食べ過ぎで胸焼けを起こしてしまったのである。
青い顔をして寝台の上でぐったりとするニケの姿に、私は大いに反省した。
口に入る温度以外にも、食材によっては少量でも注意を払わなければいけない物があることを学んだ一件でもあった。
ほのぼのしてきましたよ!(・∀・)