06 取り引きと駆け引きのお話
ニケは、あの時がはじめての狩りだったらしい。
奴隷商のもとに居た時は、何やら薬を飲まされていたようで、獣の持つ狩りなどの衝動を抑えられていたのだとか。
だから、しだいに獣の本能を抑えきれなくなって、隠れて狩りをしていたところに、わたしが登場してしまい、結果、ああなってしまったようだった。
それから、麓の森で草食動物に怯えたような態度を見せていたのは、本当は噛み殺したい衝動に駆られていたのだと、ニケは言いにくそうに語った。
だからわたしは、やましく思う必要はない。獣人にとって自然なことなら、むしろ、これからも狩りをしたくなったら、するべきだと諭した。
ただし、次回からは、必ずわたしを付き添いとして連れて行くことを言い付けて。
あの出来事を境に、私たちの関係は少しだけ変わった。
しばらくよそよそしさは続いたが、日を追う事に、ニケの方からこちらへ歩み寄ろうとしてくれている。そう感じられるほど、彼の口数が増えた。
ニケはこれまで、何事にも受動的に振る舞っていたが、自分の考えを口にするようになり、特に、庭で育てている作物に対して顕著だった。どうやら父親が農耕にたずさわる職に就いていたらしく、畑に関しては新しい技術や知識を豊富に持っていた。
そういう風にして、ニケは以前は語らなかったことも少しずつ話してくれるようになる。
出自こそ西方の大陸で、獣人たちの農村に住んでいたが、どうやら母親がこちらの人間だったようで、母方の縁あってこちらの土地に移り住んできたらしい。
はっきりとではないが、そうした経歴が会話の行間からうかがえるほど話してくれたが、やはり全てではなく、彼の中にはまだ拭いきれない、わだかまりがあるようだった。
ともあれ、ようやく二人の歩調が合い始めた夏も盛りの頃、日差しこそ厳しいが、滝の冷気が涼やかで過ごしやすい日々を、ニケと一緒に過ごしていく。
そういえば、身長も少しだけ伸びたようだった。
拾ったばかりの頃は、かなり痩せ気味だったが、子供らしい丸みもだいぶ帯びてきて、これからきっと背丈や体重はどんどん増えていくのだろう。
今からとても楽しみだけれど、そうなると何にもまして直面する問題がある。
お金の工面である。
夏が終われば、秋になり、すぐに冬がやってくる。
厚く降り積もった雪によって、外界と閉ざされる、厳寒の冬季がやってくるのだ。
今年の越冬は例年とは異なり、冬に必要な物資を調達する準備段階からまったく違うものになるのは言うまでもなく、ニケが飢えたりしないよう入念な備えが必要だった。
食糧の確保はもちろん、被り物から履き物までの防寒着。暖炉、かまどにくべる薪といった暖房具もひととおり揃え直さなければならない。
秋のシーズンをかけて保存食をこさえるつもりだが、それにだって限界はあるし、厚手の衣服や寝具用の毛織物も一から仕立てるのなら、まず材料調達という手間も挟むことになる。
夏の頃から機は織っているし、森に生息する手頃な獣類を狩って、獣皮を加工もしているが、今年の冬には間に合わない可能性が高く、やはり町から買い入れる方が妥当だろう。
だからこそ、先立つもの――お金の工面は、差し迫った課題だった。
ただ、まとまった資金を稼ぐ方法はあるにはある。
その方法というのは、短期間かつ労力をほとんど使わない手軽な手段で、ならどうして、すぐさま実行に移さないのかというと、もちろん、そうできない理由があるためである。
どうしようかと長らく悩んでいたが、夏も終わりに近づいた頃、迷っている時間はないと覚悟を決める。
近頃、ニケとの話題は、もっぱら冬に向けた計画の話し合いだったが、その日も、夕食後に同じ話題がはじまったついでに、わたしは自分の考えを彼へと打ち明けた。
「――え?」
たった今、まとまった資金が必要なことと、そのための方法を話し終えたが、わたしが取ろうとしている手段に、ニケが驚きの声を漏らす。
「うん。だからな、やはりわたしの髪を売ろうと思うんだ。それでお金を都合しようと思っている。癖のない真っ直ぐな金髪は、金になるからな。それを元手にして冬を乗り切る準備を整えるだ」
すると、思っていたとおり、ニケが青い顔をするので、すかさず補足を入れた。
「そんな顔をしなくてもいいんだ。……ひとまず、見てくれた方が早いだろう」
言いながら、テーブルに用意していたハサミを手に取る。
不安そうな顔を見せるニケを横目にしながら、自らの金髪を三つ編みごと切ってみせた。
はらりと、切り離された髪が手の甲に落ちる。
それから間を置かず、肩ほどの短さになったはずの髪が、するすると有り得ない速さで伸び始めた。ニケの反応は素直で、目を見開き固まっていた。
そのまま元の長さに戻っていくが、さすがに三つ編みなることはなく、さらさらとした金髪は背の中央ほどまで伸びきると、ぴたりと止まった。
「やはり、元魔女の体だからだろうな。たとえ短く刈り込んでも、魔女だった頃とおなじ長さまですぐに戻るんだ。だから、こうして髪を売ろうと思えば、いくらでも切って売れてしまう」
ニケの杞憂を取り払うための補足だったが、彼の曇った表情はまったく晴れず、ばかりが、三角形の耳が伏せられてしまう。
「……本当はな、お前に何も言わずに売ってしまおうかと思っていたんだ」
落ち込んでいた耳が、ややこちらを向いた。
「まるで――いや、文字通り自分を切り売りするわけだから、あまり気分のいいものではないだろう? だから、黙って事を済ませてしまおうかとも思っていた」
「なら、どうして……?」
「うん。でも、お前は知っているからな。我が家の経済状況というか、この家にはほとんど貯金がないことを。それなのに、いきなり食糧やら衣料品を私が買い込んできたら、ニケは絶対に怪しむだろうと思って」
「…………」
「それで、こうして先に話しておくことにした。下手に隠したりして不信を買いたくないし、何より、ちゃんとニケに納得してもらいたいんだ。これは、この冬、お前を確実に生かすために、どうしても必要なことなんだと」
彼が気にするからと、そんな甘いことを言っていられる事態ではない。
だいぶ回復したとはいえ、ニケはいまだ体力のないひ弱な子供である。
そんな彼と共に、町への道は閉ざされ、森からの実入りも断たれる冬の生活を送るつもりなら、想定される全ての危機に備えなければならないのだ。
だとしたら、ニケ本人にも、わたしの考えを知っておいてもらわなければならない。
「……あの、ボクの髪はダメなんですか? 取り引きの魔法とかいうので、お金を作れないんですか?」
言いながら、ニケは春の頃よりだいぶ伸びた自分の髪を掴んでいた。
わたしは虚を衝かれたが、ニケがそう言い出した理由についてはそれほど驚くことなく、すぐさま首を横に振った。
「ど、どうしてですか?」
「前に言ったことを覚えているか? あの魔法には、あるリスクが必ず伴う」
「リスクって、確か……代償が高くなるとか、なんとか…?」
「そう。あの取り引きの魔法はな、とても古くからある魔法で、原初の魔法とも言われている。わたしに残された、だたひとつの魔女の力だ。どうしてこの魔法だけが、残されていたのかは分からないが、この力は、精霊に供物をささげ、その対価と引き替えに、願い事が叶えられるという仕組になっているんだ」
「……供物」
「ああ。しかも、それなりの縛りもあって、精霊は精霊の加護する土地で生まれた人間としか取り引きに応じないと言われている。ニケとの取り引きが成り立ったのは、おそらくニケの母親がこの土地の人間だったからだろうな」
ニケの耳がぴくりと動いた。
「その上わたしは、魔女だった時に、そういう経験をまったしてこなかったから、精霊が望む供物を正しく見極める見識が圧倒的に足りていない。もし、わたしが算段を見誤って、取り引きに必要な供物が足りていない事態に陥いった場合、精霊はお前から勝手に――耳やしっぽといった体の一部から勝手に取り上げていく」
ニケの青かった顔色が、別の意味で青くなっていく。
「……ただ、な。代償となる供物は、お前の財産――金貨や銀貨といった金銭などでも有効なんだが……」
「ボク、お金なんて持っていません」
「……ああ、そうだな」
そして今、その無いお金を、どうやって工面するかを話し合っている最中である。
ニケもそれに気付いたのだろう、彼は静かにうつむいた。
「取り引きの魔法が、どれだけ危険なものか分かってくれたと思う。だからな、出来ることなら、お前の手に甲にある“印”を消すので、最後にしたいんだ」
ニケはまだ、神妙な顔つきでテーブルを見つめていた。
「……どうか分かって欲しい。わたしは、こうして落ちぶれていても、普通の生き物とはやはり違う。だからきっと、本質的な部分でお前たちを理解していない。不測の事態がきっとある。今の内に、できうる限りの安全策を講じておきたい」
それでもニケは、もうしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと顔を上げる。
「あの、ボク頑張ります。狩りとか、冬じたくとか……だから、よろしくお願いします」
言いながら、頭をさげた。
「――うん。うん、そうだな。一緒に頑張ろう」
わたしは急いで相槌を打つと、ニケに手を差し出した。
それに対してニケは目をまたたき、耳をピコピコさせシッポを揺らしたが、その後は、しっかりとわたしの手を握り返してくれる。
何だか、また少しだけ二人の距離が近づいたような気がして、とても嬉しくなる。
一緒に頑張ろうと手まで握り合った約束を、さっそくひとつ果たすため、そして、嫌なことはさっさと済ませてしまうため、わたしはその翌日には髪を売りに町へと繰り出した。
必ず四日以内には戻ると、ニケに言い付けてから出掛けていく。
ただ、ニケにはあえて言わなかったが、わたしの髪をすぐに売ろうとしなかった理由は他にもあった。
腐っても魔女の髪だ。小さくない魔力が宿っている。
魔力の有無は、分かる人間には分かってしまうらしく、もしわたしが持ち込んだ髪が、魔女の髪だとばれたら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
だから、わたしの髪を売るのなら、何の変哲もない普通の金髪として売らねばならなかった。
あばら家のある山からなるべく遠く、大きな都市の途中にある宿場町を選び、旅人相手の換金所を訪ねた。
近頃、人間の社会では商業組合というものが幅を利かせおり、物を売り買いするにも色々と決まり事を設けているが、宿場町の主な客層は旅人ということもあって、外部との取り引きが比較的ゆるい。
フードのある外套をすっぽりと被って、カウンターに立っていた店員と面談するが、その時、やむにやまれぬ事情で自らの髪を売りにきた薄幸の少女のフリを忘れない。
いわく、急きょ郷里へ帰る事情ができてしまい、国土を横断する駅馬車を利用していたが、路銀がつきかけるのだと、聞かれてもいないのに説明しておく。
応対に出てきた店員は、私のような手合いには慣れている様子だった。
私がついた嘘も即座に見抜いていたようで、世間体や高額支払の問題で、行商人を介して秘密裏に売る来る娘や親が多いのだと、それとなく匂わせてくるのだが、そうした風潮については、もちろん私も知っていた。
だから図星をさされたフリをして、さらに嘘を重ねておく。そうして嘘を暴かれたことにしておけば、それ以上詮索されにくいことを長い経験で学んでいた。
ただ、相手が困窮していると知るやいなや足元を見てくる輩は少なくなく、この換金所の店員も、そうした例にもれなかったようで、良質な金髪は買い叩かれるはめになったが、わたしの目的は、あくまでも魔女の髪だとばれずに売却することである。
双方にとって何の損もない、実に有意義な商売が成立した後、足取り軽く帰路につくが、途中にある別の町で毛織物の上着と保存食用の塩を少しだけ買い込む。
やはり一度に多くは買わない。下手な関心を引かないよう、何度かに別けて、必要ならばさらに髪を売って、徐々に買いそろえるつもりだった。
あばら家へと帰ると、ニケが出迎えてくれた。
たった四日の外出だったが、彼がどこか安堵したような顔をするので、両手を広げて再会の喜びを分かち合おうとしたが、丁重に断られる。
両手に空いた隙間が寂しかったが、とはいえ、幸先の良い出だしとしては上々だった。