03 家探しと子育てのお話
少年のために作ったスープは、滝口で汲んだ水と、ピクルス用に育てていた野菜を使った温かいスープだった。
出来たてをいそいそと寝台まで持っていくが、彼は中々食べようとせず、たしめしに私が一口食べてみせると、ようやく木のスプーンを手に取った。
それでも、たったひと皿のスープを半分ほど残してしまう。お腹が減っていないのだと言っていたが、嘘か本当かは分からなかった。
その後は、寝台に横になっているよう言い付る。私は他にするべきことがあった。
療養中の子供が快適に過ごせるよう、生活必需品を早急に揃えなければならない。
衣食住の衣には、すでに取りかかっているので、あとは食と住の充実になる。
使っていない部屋の片付けと掃除もはじめなければならないが、備蓄してある食料を、傷みやすいものからどう消費していくか、いちから調べ直していく必要もある。
とにかくわたしは、家の中をめまぐるしく走り回って、ひとつひとつ順番に手を付けていくが、数時間おきに少年の様子を確認しにいくのも忘れない。
その度に、彼は身構える態度をみせたが、それも“看病”の内なのだから諦めてもらう。
そうして、あっという間に三日が過ぎ、子供用のチュニックとズボンが完成する頃には、彼も自分の足で歩けるほどに回復していた。
出来上がったばかりのチュニックとズボンをさっそく着てもらい、手作りだとさりげなくアピールしてみるが、相変わらずほとんど返事はなかった。
真新しい服を着て、自由に動き回れるようになった少年が、まずしたことは家の中の探索――というより、物色だった。
わたしが自由にしていいと言ったのだが、どうにも金品に換金できそうなものに目を付けている気がしてならない。
けれど、まあ、気が済むまで好きにさせるつもりだった。家の中には、家具や革製品を作る時に使う刃物や薬品などの危ない物もいくつかあったが、それが分からない年齢でもないだろう。
ただ、家の外に出る時には気を付けるように念を押す。
あばら屋の近くには、傾れ滝の名を冠する、急流のなだれ落ちる滝口があり、その周辺はとうぜん断崖絶壁になっている。不注意で転落する危険性はかなり高かった。
外に出てもいいと言ったわたしに対して、逆に警戒心持ったのか、しばらく外に出ようとしなかったが、三日もすると、家の物色に飽きたのか、じきに外出するようになる。
家の外に出てて、そのまま帰ってこないのではとも思ったが、少年は、先立つ物もないまま逃げ出すほど無謀な性格ではなかったようで、家の外へ出掛けていっても、日が暮れる前にはきちんと帰ってくることを何度か繰り返した。
そして、突然連れてこられた住居の住み心地を十日近くじっくりと嗅ぎ回っていたあと、少年は自分からわたしのもとへとやって来た。
「ボクを育てるって、どういう意味ですか?」
夕食の準備を始めようとしていた時だった。
なんの脈絡もなく問いかけてきた少年に、私はこころよく答えを返す。
「そのままの意味だよ。お前を育てて、いずれ立派な」
「それってボクを飼うってことですか? 愛玩動物みたいに」
彼の口から発せられた台詞に、一瞬言葉を失った。
銀灰色の目は、どこまでも真剣に答えを求めていた。
「……どうして、そう思ったんだ?」
「ボクを金持ちに売ろうとしてたヤツが、そのためにボクを調教していたから」
声から抑揚の消えた少年に、わたしは目を見張る。
そういう奴隷だったのかとか、無遠慮な失言してしまったとかではなく、ただ純粋に驚きを味わっていた。
わたしは、少年に言われるまで、まったく気付いていなかったのだ。
“育てる”と“飼う”。確かにそれは、似て非なる言葉だった。
「…………わたしは……」
何か言わなくてはと焦燥にかられて口を開いたが、言うべき言葉などみつからない。
それなのに、目の前に立つ少年は、催促するようにこちらを凝視してくる。
わたしはここで、はじめて本当に彼の姿を見た気がした。
年の頃は十歳前後で、やや痩せているが、目立った傷痕などはなかった体。
黒と白の入り交じったまだらの髪と、頭から生やした獣の耳は黒い三角形、白地に黒いシマの入ったシッポは物憂げにゆれている。
とても、愛らしい生き物だった。とても。
そしてわたしは、彼を家に連れ帰った時、とてもよい拾い物をしたと思ったのである。
「……わたしは」
いぜん視線を外さずに待っている少年へと、わたしは、自分が思ったままを口にする。
「……少なくとも、わたしは、お前を“育てたい“と思っている。だが、それがお前にとって“育てる”ことになるのかは分からない。わたしは、お前のように一個の人格をもった子供を育てたことがないから」
少年の、強要すら感じさせていた眼差しが、どことなく弱まった。
「できるなら、わたしに教えてくれないか。“育てる”と“飼う”の違いを」
「……え」
ぱちりと、今度は大きなまばたきをする。
彼は、問い返されたことに隠しきれない動揺をみせ、耳をピコピコ動かしながら、あらぬ方向をみて思案をめぐらせはじめた。
しばらく困惑顔で悩んでいたが、やがて、ぽつりと零す。
「――…えと。……ボクにも、分かりません」
「…………そうか。それは困ったな」
それでは、正しい“育て方”がわからない。
どうしたものかと、わたしもまた頭をひねりだすが、すると、少年の方がさきに痺れを切らした。
「――そ、それはもういいです。それより、この“印”のことなんですけど」
そう言って、差し出したのは左手の甲にあった奴隷の焼き印だった。
「ボクの髪、どれくらい伸びたらこれを消せますか? 魔法の取り引きとかいうので」
「ああ、そうだったな。うーん。まあ、全体的に肩に覆うほどあれば足りるだろう。……そのくらいだと、お前の髪はどれくらいで伸びるものなんだ?」
わたしの髪はもう、今の状態から長くなったり短くなったりしないので、髪を切ることになる本人に確認してみる。
彼は、やや自信なさげに答えた。
「たぶん、半年くらいだと……」
「なら、半年後だな」
「……………………分かりました」
物わかり良く言うが、その「分かりました」には、それまで我慢する。という気持ちのあらわれが強くにじみ出てた。
「それで、なにか他に質問はあるか?」
一瞬、きょとんとした表情が少年から返ってくる。
それから、何やら気まずそうに口ごもった後、のろのろと言った。
「……ボクの名前は、ニケです」
今度は、私の方がきょとんとしてしまった。
ここに居てくれる決心がつくまで、名前は聞かないと言ったのはわたし自身である。
その少年が、自分から名前を教えてくれた。つまり、それは、彼がここに居てくれる決意を固めてくれた表明に他ならない。
というより、話の流れ的に、そうでしかありえないのだが、察しの悪いわたしは気付くのが遅れていた。
「ニケ! そうか、ニケか。ニケ。私の名前はガートルードだ」
「…知っています」
「そうか。そうだな。これから苦労をかけると思うが、よろしくニケ」
「……それは、アナタが言う台詞じゃないと思います」
わたしが投げかけた挨拶に、少年は――獣人の少年ニケは、呆れながらも反応を返してくれる。最初の時と比べたら、飛躍的な進歩である。
こうしてわたしは、生まれてはじめて同居人を得ることになった。
たった半年だけの関係かもしれないが、それでもきっと、これまでで一番、充実した生活になることだろう。