02 目覚めと目当てのお話
少年が目を覚ましたのは、翌日の昼頃だった。
彼のかたわらで縫い物をしている最中に、身を震わせるようにして目を開けた。
銀灰色の瞳が空をさまよい、やがてこちらを捉えると、弾かれるように身を起こす。
けれど、病み上がりの体は言うことを聞いてくれなかったようで、上半身はふらふらとあっけなく寝台へ崩れ落ちた。
それでも精一杯、わたしから距離を取ろうとする姿は、まさに毛を逆立てて後ずさる仔猫の姿だった。現に、獣の耳を伏せて、シッポの毛は逆立っている。
さて、何から説明しようかと考えながら、わたしは口を開く。
「……とりあえず、目を覚ましてくれて良かった」
「…………」
少年は、警戒心を剥き出しにした目でこちらを窺うだけで、何も答えない。
「……そうだ、まず自己紹介をしておこう。私の名前はガートルード。君の――君は、自分の名前を言えるかい?」
「…………」
やはり答えない。
わたしの名前に変なところはないはずだ。
人里に降りた時に使う、いい加減な名前とは違って、何かの祭事で、祭り上げられてた女性から拝借したのだから、由緒正しい名前のはずである。
「……もしかして、言葉が通じていないのか? それとも、自分が置かれている状況が分からなくて、戸惑っているだけなのか?」
少年は、こちらを警戒しながら周囲に目をやりはじめる。
見慣れない部屋だろうが、とりあえず檻の中ではないことは分かってくれたようで、ゆっくりと身を起こすと、ベッドの上で膝をかかえるような姿勢を取った。
その時、自分の手の甲にある奴隷の印に気付いて、彼はとっさにそれを隠した。そして、警戒心とはまた違う目で、こちらの顔色をうかがってきた。
わたしが特に何も言わないでいると、彼はようやく口を開いてくれる。
「…………あなたは、何ですか?」
まだガサガサした声で、わたしにも分かる言葉を発した。
ただ、誰ですか、ではなく、何ですか、と聞いてきたことに引っかかりを覚える。
彼を拾ったあの場所で、わたしは、かなり怪しい文言を使って取り引きを持ちかけた。
彼の意識は朦朧としていたとはいえ、すべてを覚えていてもおかしくはないし、そもそも、魔の森が魔女の住み処であること初めから知っていた可能性だってあるだろう。
「……何に見える?」
「――…魔女?」
いきなりの直球である。
やはり、思い当たる節があるのだろう。しかも、忌むような言い方からして、魔女にある良からぬイメージの方が強いようだった。
魔女は、人間と精霊の中間的存在である。
その性質は気まぐれで、多かれ少なかれ厄介ごとを起こす魔女は、人間たちからしてみれば天災のひとつだろう。
事実、自然を総べる精霊の領域に近しいのだから、天災の区分で間違いはない。
だからわたしは、少しだけ悩んだあと、とりあえず嘘を付かずに答えてみる。
「わたしは、魔女ではないよ」
「…………」
「本当に魔女ではない」
しかし、少年から疑いの眼差しは消えなかった。
本当のことを言っているのだが、やはり、それだけ彼から猜疑心はぬぐえないようだった。
「………でも、まあ。たしかに魔女っぽいことはいなめないな。うん。……やはり、正直に言っておこうか。わたしは今、魔女ではないが、昔は魔女だったんだ」
少年の疑いの眼差しが、わずかに形をかえて疑問符を浮かべていた。
よけいな刺激を与えないよう、できるなら伏せておきたかったが、彼の態度から察するに、隠している方が不信感を与えてしまう気がした
「わたしはかつて、ここらの一帯を縄張りにする魔女だったんだ。通り名を、傾れる滝の魔女という。その昔、色々とやらかしてしまって……お前も一度くらい聞いたことがあるんじゃないか? “善い魔女と悪い魔女お話”、そういう名前のお伽話を。わたしは、それに出てくる悪い方の魔女だ」
少年は、銀灰色の目を見張った。どうやら知っているという顔だった。
善い魔女と悪い魔女お話。
それが今、どういうお伽話になっているのか、最近はあまり町へと足を向けないため、わたし自身把握しきれていないのだが、数年前に聞きかじった時には、悪い魔女がいて人間たちの国に呪いを振りまいていたが、それを善い魔女が倒してめでたしめでたし。
という、とても分かりやすい、童話的な内容にまで作り替えられてたはずである。
「実はな、あれは倒されたんじゃなくて、魔女の名を剥奪されたんだ。その時に魔女の力も奪われ、いまではもう魔女とはよべない代物……人間とほとんど変わりない存在にされたんだ。それで今では、このあばら屋でつつましく暮らす身だ」
「…………」
「信じられないか? まあ、そうだろう。お伽話だものな。でも、お前にほどこした取り引きの魔法は、お伽話じゃないぞ? もし、お前が望むなら、その手の“印”も消してやれる」
少年の三角形の耳が、ぴくりと動いた。
「もう一度わたしと取り引きすればいい。覚えているか? あの森でお前を拾った時に、ほどこしたあの魔法だ。今のわたしが、ゆいいつ使える魔女の力なのだが……ただ、これにはリスクがあってな、その最たるものが、使用するたびに代償が高くなるというものだ」
「…………」
耳をこちらに向けたまま、少年は黙ってこちらを見ている。
取り引きの魔法について、こと細かに説明しても、まだ何のことか分からないのかもしれないと、ふと思う。
「とにかく……お前がして欲しいなら、痕も残さず消してやれる。ただ、対価として、お前の体の一部、たとえば髪なんかが必要なんだ」
少年は、はっとしたように自分の髪に触れる。
彼のまだら色の髪は、憔悴しきっていた体を回復させるために、何度か切ってしまったから、やや不揃いになっている。
申し訳ない気持ちになりつつも、わたしは続けた。
「その“印”は、肌の下まで灼いてしまっているはずだから、きれいに消すには、お前の髪が前よりも、もっと多い量が必要になる。まずは、もう少し髪を伸ばさないとな」
少年は、なにやら難しい顔をして、一度自分の手の甲を見たが、すぐにわたしの方へと視線を戻した。
「……何が目的ですか?」
「目的?」
思ってもみなかった言葉が飛び出してきて、そのまま聞き返していた。
「……ボクを、食べるつもりですか?」
ぽかんと、口が開いてしまう。
「――い、いやいやいやいや。違う違う。そんなつもりは全くない。わたしは確かに悪い魔女だと言われていたが、その時すら人を食べたことはない。た、たしかに人を食べる魔女もいるが、魔女にだって選り好みはあるし、それに……それに、お前は獣人だろ? だったら使い魔にするよ。ただの人間と違って、半分は獣だから契約も可能だと言うし、そうしたら魔女のしもべとして便利に―――」
動揺のあまり、まくしたててしまったが、途中で自分が何を言っているのかに気付いて、押し黙った。
だがすでに、ぺらぺらと言い放ってしまっている。
「……すまない。いま言ったことは、聞かなかったことにしてくれ」
「ボクを、使い魔にしたいんですか?」
聞かなかったことにはしてくれなかった少年が、すかさず問いただしてくる。
その切り返しの速さに、わたしは思わず苦笑した。
「いや、残念ながら、わたしは魔女ではないから、使い魔を持つこともできないんだ」
少年は、長いシッポをゆらりと揺らした。
「……なら、何が目的ですか?」
「目的、目的か……そうだな」
どうして彼を拾ってきたのか、それをどう言い表せばいいものか迷ってしまう。
色々と考えてみたが、いい言い回しを思いつかなかったので、これも正直に言うことにした。
「わたしが目的にしているものが、お前にとって納得のゆく内容になるかは分からんが……私はな、暇なんだ」
「……?」
「それはもう、ものすごく暇でな。だから、暇つぶしにお前を拾った。お前が子供だったから、育ててみようかと思って」
少年は、何を言っているのか分からないという顔をしていた。
今まで一番、得体の知れないモノを見る目つきだった。
けれど、それ以外の理由はないのだから仕方がない。
「もちろん、お前が嫌だというなら、すぐにでも人里まで送ってやろう。それなりの金銭も持たせてやれる。だが、もしここに残ってくれるというなら、お前が自分の身を自分で守れるくらいになるまでは、きちんと育ててやるぞ」
とたん、少年の耳が伏せられた。
見知った獣の所作を参考にするなら、あまりいい反応ではない気がした。
「……返事は今すぐじゃなくていい。どちらにしろ、あと数日は休息が必要だ。その間に考えてみてくれ。お前の体力が完全に回復したら、その時どうするかもう一度聞こう。そうだな、どうせなら、ここに居てくれる決心がつくまで、お前の名前は聞かないでおこうか」
少年から返事はなかった。頷くといった反応すらない。
ひたすら黙って、こちらの様子を窺うばかり。
おそらくだが、わたしが話した内容すのべてを疑っているのだろう。
魔女ではないという訴えはもちろん、昔は魔女だったという主張も含めて。
何をどう判断すべきか、はかりかねているのだとしたら、確かに返事などしようがない。
ただそれでも、手の焼き印を消せるという提案には、関心を寄せている気がした。
「……そうだ。腹は減っていないか? スープとか軽いものなら、すぐに作れるぞ」
話題を変えてみたが、それにすら反応を返してくれなかった。
慣れた振る舞いではあるけれど、生きるためには食べ物を必要とする生き物に、きちんと食べ物をとってもらわないと困るのは、こちらの方である。
もしかしたら、極力弱味を見せないようにしているのだろうか。
なら、作るだけは作ってみようかと、わたしは床から立ちあがった。
「スープだけでも食べてみてくれ。こう見えて、料理は得意にしているんだ」
言いながら、わたしは少年の返事を待たずに炊事場へと向かった。
彼に説明したとおり、今のわたしは魔女ではない。
あの頃はできたほとんどのことが、もうできなくなっているため、生活の全ては、この体ひとつのでまかなっている。
ようするに、料理をするにも両手を使って食材を切り、足腰を動かして煮炊きしなければいけないのである。
さいわい、趣味と実益を兼ねて手製していた保存食があるし、加工用に買い置きしてあった小麦も少しならある。何より、つい先日捕獲したアナウサギの干し肉もあるから、もう少し回復したら食わせてやれるだろう。
食事の準備に取りかかりながら、わたしは同時に別のことも考える。
彼に与える食事はもちろん大事だが、彼が着る衣服のことも大事である。
このあばら屋には、わたし用の衣服しかないため、そちらはすでに、看病の合間に準備を進めてあった。
自分用にと、糸から織り上げてあった綿布を使い、ほとんど徹夜で裁断して、一着目のチュニックとズボン――シッポ用の穴が開いた――は、もう縫製の段階に入っている。
一着目は、寝間着を想定しているためデザインも簡素してあるが、二着目以降は、なめした皮も使い、普段着としてデザインを凝ったものにしようと考えている。
ちなみに、サイズは少年が眠っている間に計っておいた。彼が人里に下りることを選択したとしても、着る物は必要だろうから、いくらあってもムダにはならないだろう。
履き物もこさえてやるつもりでいる。
木靴や布靴などいろいろとあるが、靴底になめし革を贅沢に使った編み上げのサンダルを作ってやりたい。
長距離移動にむいたブーツでもいいのだが、ここら一帯には険しい山道があるし、まずは動きやすく柔らかいサンダルにしてやるのがいいだろう。
どのみち木型から必要になるので、それなりに時間がかかるだろうから、しばらくは布靴か、私の靴を代用してもらうことになる。
それと、寝床の問題もある。今は簡易なものでも事足りるだろうが、もしかしたらもう一つ必要になるかもしれないので、準備だけはしてしておくつもりでいる。
やることが沢山ある。そのことが、たまらなく私をわくわくさせた。
※一部変更しました。