15 上から目線と下から目線のお話
何の前触れなく現れた女は、他人の家だというのに、尊大な立ち姿でわたしを見下ろしていた。
寝台の脇にひざまずくわたしは、あまりの出来事に女の見上げるばかりだったが、彼女の顔には、見覚えがあった。
「……北の森」
「お久しぶり。お元気にしてた?」
女は一転して、手のひらをひらひらと振り、陽気な調子で挨拶してくる。
あたかも先の読ませない態度に、遅ればせながら警戒心をかき立てられた。
深雪のきびしい真冬のただ中、切り立った岩棚にある隠れ家へ、突如として現れた女など、それだけでもただ者ではないことを物語るが、彼女は、まぎれもない魔女である。
その通り名は、北の森の魔女。
かつて、“悪い魔女”を打ち倒し、今ではお伽話にすらたたえられている、あの“善い魔女”だった。
「――いったい、何しに……」
「……そうね、来てあげる義理はなかったのだけれどね」
引っ掛かりのある言い回しをしながら、北の森の魔女はわたしから視線を外し、その隣で大人しくしていた、ニケに視線を向ける。
「なんだか、ずいぶんと愛らしい仔ネコを飼いはじめたみたいだから、ちょっぴりちょっかいをかけてみようかと思って」
はっとして、わたしは、あわててニケを掛布で覆い隠す。
「何故……どういうことだ。なぜ知ってる」
「そりゃあね。わたくしこれでも、あなたを封じた“善い魔女”ですし。封じたといっても、無能にしきったわけでもないから、ちゃんと責任を取って、また悪さをしないよう、しっかり見張っていたいたわよ。年に一回くらいはね」
軽い口調ながらもどこか威圧を含んだ物言いに、思わず身を竦ませた。
北の森の魔女が、今さら何しに来たのかしらないが、魔女は気まぐれだ。
魔女の気まぐれでひとつで、これまでこつこつと積み上げていった、生活の全てが簡単に奪われてしまう。家も、大切な人も、何もかも簡単に。
北の森の魔女は、わたしの怯えを察したのだろう。
くすくすと、笑いながら言った。
「あれだけ威勢ばかりが良かったお前が、なーんにも出来なくなってからというもの、毎度毎度、滑稽な姿をさらしてきりきり舞いしていたじゃない。それなりに楽しめたから、見物してあげていたんだけど、次は、子育てにまではげみ出しちゃって、惨めよね」
今度は、あからさまに侮蔑を含んでいて、わたしはさらに萎縮しかけるが、それより先にニケが反応する。
あろうことか、ニケはうなり声を上げ、彼女を――よりにもよって北の森の魔女を威嚇し出した。
「あらん」
「――ニケ、だめだっ」
わたしの制止に、ニケは唸ることをやめたが、その視線は北の森の魔女を睨み付けたままだった。
「――やっぱり良いわね、その子。……すごく」
北の森の魔女が、やけに熱の籠もった声を出す。
「……もう一度言うのだけれど、わたくし、ここに来てあげる義理なんてなかったの。お前が愚かしく踊るの様を眺めているのは、とても楽しかったから」
「なら、何だ。何しに来たんだ」
すると、北の森の魔女は、どういう意図をもってしてか、ニケとわたしを交互に見比べだした。
「だって、ねえ……」
その目から、わたしへの敵意が消えて、もっと別の、濃密に色づけられた艶が映し出される。
「仕方ないじゃない。わたくし好みのカップルさんが、そこに居たんだもの。これはもう、急いで駆け付けるしかないじゃない」
「…………」
「…………」
彼女の言葉の意味が、ひとつも理解できなかったわたしたちを置いて、彼女は艶めかしい笑みをさらに深めると、わたしとニケをまるでペアのお人形かのように、うっとりと愛ではじめた。
そういえばと、わたしは古い記憶をたぐるよせる。
北の森の魔女は、敵に回せばそら恐ろしい存在たが、彼女には度しがたい特殊な性癖があったこと思い出した。
わたしは、彼女の出方をうかがいながら慎重に聞き返した。
「……つまり、わたしたちに……何かしらの助けを……手を貸してくれる。という、意味でいいのか?」
わたしとニケを眺めながら、一人で悦に入っていた北の森の魔女は、わたしの問い掛けに意識を取り戻すと、居丈高な態度も戻って、わたしを見下してくる。
「……そうね。このままだとお前、その子を殺しかねないだもの。しかも、お前が、どうしようもなく無知だったせいなんて、あまりにもヒゲキ的だわ」
その口振りは、あまりにも辛辣にひびく。
これまで何があったのか知っていたのなら、わたしがどれだけ苦境に喘いでいたのかも、知っているはずである。
彼女をはそれを面白おかしく眺めていただけかもしれないが、せめてニケだけはもっと早く助けられたはずだろうと、そう思わずにはいられない。
そんなわたしの心情など、とおにお見通しだろう北の森の魔女は、しれとして続けた。
「お前は、事ここに至るまで、ついぞ気付かなかったようだけど、すべての答えは、はじめから“取り引きの魔法”にあったのよ」
一瞬、きょとんとしてしまった。思わぬ言葉すぎて。
「……取り引きの、魔法?」
「そう、それ」
「いや……いや、ちょっと待って。取り引きの魔法なんて使わなくても、お前は正真正銘の魔女なんだから、魔女の力でどうにでも出来るんじゃないのか?」
「……ええ、確かに。そう言われたら、そうでしょうね」
「なら、お前の力で、ニケのあの――得体の知れない病をどうにかしてくれれば……」
北の森の魔女は、わたしの提案に少しだけ考える様子を見せた。
「……悪いけど、わたくしは、わたくしのやりたいようにやらせてもらうわ。それが嫌なら、この話はナシよ。せんぶ自分たちの力でどうにかなさい」
「――…助けると言って、舌の根も乾かぬうちにそれか」
「だから、言っているでしょ。来てあげる義理はなかったの。それって、本当なら、助けてあげる義理もないっていう意味なのよ。“悪い魔女”さん?」
「…………」
「これはただの気まぐれなの。わたくしは、その少年が気に入ったから、その子のオマケとして、お前も一緒に助けてあげるだけ。もし、わたくしが、これからしようとしていることに無駄口をたたくつもりなら、わたくしは、遠慮なく帰らせてもらうわ」
ひたすら身勝手で、魔女らしい発言だった。
歯がみしたい想いを抑えて、わたしはいったん考える。
彼女が言っていることを、どこまで信用していいのかが分からなかった。
さっきから、持って回った言い様ばかりで、どうにももっと別の企みがある気がしてならない。
だが、この進退きわまった状況を、非の打ちどころなく解決できるモノがいるのだとしたら、魔女しかないのも事実なのである。
わたしは、ニケの肩を抱き寄せながら、北の森の魔女へと持ちかけた。
「…………話だけ、聞いてみても、かまわないか?」
「……まあ、いいでしょう。となると、少し話し長くなるから―――」
言いながら、北の森の魔女はぱちりと指を鳴らす。
隣りに並ぶ、わたしの寝台が目の前から消え去ったかと思えば、この隠れ家にはまったく似つかわしくない、豪奢な椅子が現れた。
北の森の魔女は、悠然とした足運びで歩くと、ゆったりとした所作で椅子へ腰掛ける。
座した姿はなおのこと尊大で、わたしたちの寝室を我が物顔で支配していたが、ふとした拍子に表情を変えると、ニケへ視線を向けた。
「そうだ、起き抜けだったでしょ? のど乾いてないかしら? 温かいミルクなんて」
「いりません」
ニケの即答には、断固とした拒絶があった。
北の森の機嫌を損ねやしないかとハラハラしたが、彼女はかえってご満悦そうに笑い、それからわたしに、まずニケに飲み物を与えるよう指示した。