14 成功と失敗のお話
※人体欠損表現があります
取り引きの魔法に使える代償が、何もない。
その事実に取り乱したわたしがすぐさました事は、無いと分かりきっているのに、銀貨の入っていた麻袋の中身を確かめることだった。
袋の中にはほんの数枚だけ銀貨が残っていたが、そのほとんどが割れていたり、粉々に砕かれていた。
理由は分からなかったが、そんなこと気にかけている余裕はない。
引き替えられる財産が無いのなら、ニケの体から何か選ばなければならなかった。
ニケのまだら髪は、もう使ってしまったし、たとえ残っていたとしても、銀貨ひと袋以上の代償には全く足りていないだろう。
ならば何を代償にすべきか。耳か、それとも目か。腕か、足の一本か。
おぞましい想像をしてしまい、震えが上がる。
だが、それでも選ばなければならないのだ。
そうしなければ、次に失われるのはニケの命である。
こうしてわたしが二の足を踏み、まごついている合間にも、寝台に横たわるニケの体には青黒いアザが広がっていた。
続く高熱に発汗が止まらず、荒い呼吸を絶え間なく吐き出して、終わらない苦痛にひたすら耐えているニケを、わたしは黙って見下ろす。
余計な感情は、廃さなければならなかった。
寝台の横に立ち、ニケの体にかかった上掛けを外して、冷めた目で彼の体を検分する。
ニケの体の中で、銀貨ひと袋以上の価値があり、失ったとしても生活に支障をきたさない部分はどれか。何が一番いらないかを、合理的に考える。
冷酷に残酷に、考え抜いて導き出した答えは、ニケの尾骨から生えるヤマネコのシッポだった。
白地に黒の縞が入った、ニケのシッポ。
それなら無くなったとしても、それほど困らないはずである。
これで代償にするものが、決まった。
ならば、あとは、本人に取り引きを持ちかけるだけになる。
「……ニケ」
三角形の耳がピクリと動いて、ニケがうっすらと目を開けた。
「これから取り引きの魔法を行う。お前の――お前のシッポを、代償に使う」
ニケは、うつろな目でわたしを見ていた。
「……かまわないか?」
先を急かすように聞けば、ニケは促したままに頷いた。
わたしが言ったことに、ただ従っているようにも見えたが、とにかく、ニケ本人の承諾は得たのだから、わたしはすみやかに次の行動へと移る。
ニケの熱い体を抱き起こして、横を向かせると、力なく垂れ下がった彼のシッポを手に取た。滑らかな感触に、一瞬だけ脳裏によぎった光景を記憶の底に押し潰して、何も考えずに精霊への供物にすべく意識を集中する。
切り取る必要はない。髪を供物にしていた時、わざわざ切り取っていたのは、単純にわたしの経験値の問題だった。
不本意ながら何度か回を重ね、だいたいの要領は掴めている。
だから、銀貨ひと袋以上の価値のある供物として、ニケのシッポは何の遜色もないはずだった。
わたしは、手の上にある縞模様の尾から青い炎が上がるのを待ったが、わずかに違和感を感じた刹那、まったく別の所から炎があがる。
手から肘にかけた前腕、ニケの右腕が文字通りまたたく間に掻き消えた。
何が起こったのか、あまりに理解の外すぎて、わたしの頭は真っ白になっていた。
ニケの右腕、肘から下が消えた。
切り口などはなく、完全に皮膚で覆われていて、一滴の血すら流れていない。
まるで、はじめから存在していなかったように、きれいに消滅していた。
わたしは確かに、ニケのシッポを精霊の供物として捧げた。
しかし、精霊はそれに見向きもせず、ニケの腕を奪っていった。
取り引きの魔法自体は成立しており、ニケの体からは青黒いアザが消え、熱も下がり、正常な呼吸を繰り返して寝入っていた。
なら、いったい何が起こったのか。
わたしは、頭の中は、“どうして”という言葉で埋め尽くされていた。
どうして、腕が消えたのか。どうしてシッポは消えなかったのか。どうして望まない形で取り引きの魔法は成立したか。
わたしは、わたしが知っている“取り引きの魔法”について、そのあらましをひたすら思い起こす。
あの取り引きの魔法は、とても古くからある魔法で、原初の魔法とも言われているものだ。精霊に供物をささげ、その対価と引き替えに、願い事が叶えられる。
ただし、精霊は精霊の加護する土地で生まれた人間としか取り引きに応じず、この土地の生まれではない獣人のニケとの取り引きが成り立ったのは、おそらくニケの母親がこの土地出身の人間だったから―――
そこで、ある可能性にいきついた。
わたしは魔女だった時、取り引きの魔法を行ったことが一度もなく、正しい見識が身に付いているとは言えないため、あくまでも当てずっぽうの域を出ないが、けれど、理由があるとしたら、それしか思いつかなかった
精霊が、ニケのシッポを供物として認めず、代わりにニケの右腕を奪っていったその理由は―――ニケの体の半分が、この土地由来のものではないから。
わたしは、手の中に残されたままのシッポに視線を向けた。
ニケの獣の部分。それが、供物として相応しくなかったため退けられた可能性は高いだろう。よくよく考えれば、その証拠と言える根拠があるのだ。
ニケの黒髪と、さきほど調べた銀貨の入った袋である。
子供の頃は、真っ白だったという髪に混じり始めたという黒髪。
取り引きの魔法を使う度に、なぜか黒髪だけ分が残っていたが、それが獣の部分だったとしたら。
そしてもう一つ、袋の中にはほんの数枚だけ銀貨が残っていたが、ほとんどは割れていたり、粉々に砕かれていたのも、粉々になった銀貨の欠片が、この土地で採れたものではないとしたら、二つとも消え残っていてもおかしくはない。
「…………?」
気付けば、ニケが目を覚ましていた。
腕の中で身動ぎするのを感じて、わたしは固まるしかなかった。
ニケの右腕を失わせてしまったことを、いったいどう説明すればいいのか。
「…………あの? ……どうなりましたか?」
「――ニ、ニケ。あのな」
「――!」
説明する間もなく、ニケは自分の腕の有り様に気が付いた。
悲鳴を呑み込んだような声を上げて、わたしの腕の中で暴れ出したため、もう一度抱き締め直す。
「すまない。ニケ、すまない。わたしのせいだ。わたしが、見誤って――」
「――う、うで……腕が、ありません」
「――っ、すまない。すまない」
弁解の言葉などあるはずもなく、わたしは 幾度となく謝りつづけた。
ニケはただ、速く浅い呼吸だけを繰り返している。
自分の身に起きた衝撃的な光景を、必死に受け止めようとしているのかもしれない。
まだ小さな子供に、むごい仕打ちを強いている己を心の中で罵りながら、わたしは、ニケが落ち着くのを待った。
やがて、呼吸が整いはじめると、ニケは自分からわたしの体に体重を預けてくる。
「……ニケ?」
様子をうかがうように名を呼べば、起伏のない声が返ってきた。
「……どうして、ボクの腕がないんですか?」
どきりとしたが、わたしは覚悟を決めてニケへと事の次第を説明した。
本当は彼のシッポを代償にしようとしたが、それが供物として退けられて、代わりに腕を持って行かれたこと。どうしてシッポが弾かれてしまったのか、わたしの憶測も合わせてニケへと説明していく。
ニケは、問いを返すことなく聞いていたが、わたしが話し終えると、お話の感想でも述べるように口を開いた。
「……じゃあもう、代償にするものが、ありませんね」
「…………」
「……………………そうなんですね」
答えられなかったわたしの心情を読み取ったように、ニケが静かに続ける。
「…………ボクの病気、治らないんですね」
自分のことなのに、あたかも達観したような言い方は、やけに耳に残った。
「――そ、そんなことはない。医者に、専門医とかにかかればきっと……そ、そうだ。今から一緒に行けばいい。今から……そうだよ。たとえ、また再発しても、次の取り引きをその場で行えば、また回復できるから、あの薬屋のところまで間に合うじゃないか!」
どうしてその事に、もっと早く気付かなかったのか。
自分の愚かさを恨みながらも、この土壇場で見つけ出した打開策を、嬉々としてニケに提案する。
「次の取り引きって……次は何を代償にするんですか? ボクの両足ですか?」
「――っ」
「それに……それで助かったとして、そのあとのボクは、手も足もない状態で生きていくんですか?」
「――それは」
言いかけた言葉の先を、わたしはとっさに用意できなくて、その場には沈黙が落ちた。
それは、落ちてはいけない沈黙だった。
ニケが、いったい何を言わんとしているのか。それを思えば、絶対に認めてはいけない沈黙の肯定だった。
「――それでも!」
黙認など無かったことにするように、わたしは声を荒げた。
「それでも、生きてくれ。わたしにはお前が必要なんだ。お願いだ、ニケ。あと一度だけでいい。わたしと取り引きの魔法をしてくれ」
ニケは、口を閉じたまま、物憂げ視線でわたしを見上げてくる。
こんな状況下にいながら、妙に落ち着きをはらって見えるのは――少なくとも、平静を装って見えるのは、ニケが、生きることを諦めようとしているからだろう。
しかし、そんなはずはないのだ。
ニケは、わたしの使い魔になりたいと言った。
わたしと共に、生きていきたいのだと言ってくれていた。
「………………でも、ボクはもう」
「ダメだニケっ。それ以上は、ダメだ」
ニケの体を支えながら肩を掴み、彼の視線と真っ正面から向き合った。
「ニケ、今すぐに町へと行こう。それでもし、道中でまた発病した時は、取り引きの魔法をしてくれ。お前から承諾を得なければ、あの魔法は使えないんだ。だから、お願いだ。取り引きをすると約束してくれ」
「――――ボクは」
「取り引きをしてくれ。たのむニケっ」
「…………」
「ニケ、約束してくれ。取り引きをすると」
「取り引き取り引きって、うるさい子ね」
いきなり降ってわいた声だった。
場の空気など、いっさい意に介さず割り込んできた声に、空耳かとすら思ったが、聞こえてきた方向に目をやれば、そこには女がいた。
見せつけるような美貌と、人間では有り得ない衣装を身に纏った妙齢の女。
彼女は、わたしを一瞥するなり言い放つ。
「無知ってほんと、ヒゲキよね」