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13 くり返しとぶり返しのお話


 一度冷えてしまった暖房器具(ペチカ)は、熱された空気が部屋全体に行き渡るまで時間がかかる。

 フタ式の暖炉に火を入れてから部屋が暖まるまで、冷えた体を互いの体温で温め合った。


 たいぶ落ち着きを取り戻したニケは、その途中で眠りに落ち、数時間ねむってしまったのだが、目を覚ました時、なんとも言いにくそうに空腹を訴えた。


 聞けば、まともに食事をとっていなかったらしく、わたしは、手早くウサギ肉の油煮(コンフィ)を使ったポトフを作って、ニケにたんと食べさせる。


 その日は特別に、なるべく小出しにしていたリンゴベリーの砂糖煮(コンポート)もテーブルの上に乗せて、これだけは、わたしもしっかりとご相伴した。


 幸いなことに、ニケはまだあの薬剤師から聞いた風土病らしき症状を発症しておらず、食欲もきちんとしており、私の前で取り乱した部分に、やや決まり悪くしてはいたものの、それを除けば顔色はよく、体調も良好にしていた。


 ひとまず、この冬を乗り切ることが肝要だろう。


 ニケと約束した使い魔の件は後回しにして、わたしはとにかくニケの治癒だけを考え、春までをしのぎきるつもりでいる。


 そんな決意を、まるで試されているかのようだった。

 翌日、ニケはあの(やまい)を再発した。







 「ニケ、苦しいと思うがこらえてくれ。春までの辛抱だ」


 わたしは、寝台の上に横たわるニケへと優しくに語りかける。

 ニケは、わたしの言葉に応えて、こくりと頷いた。


 その呼吸は荒く、高い熱を出しており、汗をかきながら寒そうに震えるという、以前と変わない症状。


 薬剤師ヘクター・カミンの話では、冬の間だけ、それも獣のたぐいが罹る“冬来熱”という風土病があるらしく、それは高い発熱を何度か繰り返すものの、命を奪うまではいかないらしい。


 何より、春になり温かくなれば、自然と終息する病だとも言っていた。


 そのことは、ニケにも伝えてある。

 獣人は生命力が高いから、下手に薬を飲ませるより、温かくして安静にしていることが一番良いのだと。だから、苦しくとも耐えて遣り過ごし、熱が引くまで待って欲しいと伝えれば、彼は、わかりましたと頷いてくれた。


 熱に浮かされながら、気を失うように眠りにつくニケの様子を見計らいながら、わたしは汗を拭いたり水を飲ませたりして、付きっきりで世話をしていく。


 以前は、熱が出ると、すぐに取り引きの魔法を使ってしまったが、冬来熱が発熱を繰り返すだけの病なら、まずは熱が下がるまで待つべきだろう。


 だが、万が一熱が下がらないようなら、その時は―――


 わたしは、ニケの枕元に置いた麻袋を見た。

 あれを使うことがないよう、祈りながらニケの額に浮いた汗をぬぐっていく。


 熱を出した翌日、体から熱は引くどころか、奇妙な現象を起こしはじめた。


 ニケの体に、不気味なアザが浮かび上がったのだ。


 首もとから頬にかけて、青黒い斑紋が現れ、それは、一箇所にとどまらず、数時間ごとに体のあちこちに発現した。


 いったい何が起こったのか、ただただ狼狽えるわたしを尻目に、その日の夜、ニケは激しく咳き込みだし、かと思えば血を吐いた。


 吐いた血でむせるニケを抱き起こし、止まらない出血を口から流れ出るようにする。


 「ニケ! ニケ! しっかりしろっ。大丈夫かっ」


 大丈夫であるはずはずがないのに、わたしは喚いていた。

 ニケは、何かを訴えようとしてか、すがるようにしてわたしの腕へと手をやる。


 明らかに呼吸がおかしかった。

 必死に息を吸おうとするが、ひゅうひゅうとした不快な音が出るばかりで、ほとんど息が出来ていない。


 「ニケ、取り引きだ。いいなっ」


 突発的にでてきた言葉だった。

 しかしその瞬間、弱々しくすがっていたニケの手が、力なく寝台へと落ちる。 


 「――ニケっ」


 叫んだのと同時に、炎があがった。

 見れば、ニケの枕元で麻袋が燃え上がり、青い炎に包まれている。


 炎はやがておさまるが、麻袋は消えずその場に残っていた。消えたのは、その中身の方。

 事前に用意しておいた、銀貨の一部で取り引きは成功したらしい。


 腕の中のニケを見れば、体中に広がってた不気味なアザが、拭き取られたかのように無くなっており、止まったかのように思えた胸部の運動もはじまっている。


 ニケは、穏やかな顔をして規則的な寝息をたてていた。


 「…………」


 わたしは、彼の寝顔を見ながら、呆然とするしかない。


 かろうじて取り引きの魔法が成立したのは、奇蹟に近かったように思う。


 まぎれもなく死を感じた。

 少しでも判断が遅れていたら、確実に死んでいた。そうとしか思えなかった。


 念のため用意しておいた、枕元の銀貨がなかったら、どうなっていたことか。


 取り引きの魔法はもう使わないつもりだったが、何かあった時のため、切り札はやはり残しておきたかった。


 だから、薬屋でわたしの髪を売って得たあの銀貨を、気兼ねするニケに受け取らせて、彼の財産にしておいたのだ。

 しかし、それが功を奏したとしても、喜ぶ気持ちには全くなれなかった。


 これは、本当に冬来熱なのか。


 薬剤師のヘクター・カミンは発熱を繰り返すだけだと言っていたが、熱は一度も下がることなく、ばかりか、青黒い斑紋が全身に広がって、最後には血を吐き――死にかけた。


 あんな不気味なアザという分かりやすい異状が体中に浮かび上がるのなら、あの薬剤師は真っ先に教えてくれていたはずだろう。


 彼の見立てが間違っていたのだと、責めているのでけっしてない。

 ヘクター・カミンは、冬来熱ではない可能性も示唆していた。


 適切な判断をくだすなら、獣人の専門医でなければならず、もし違った症状が出るようなら、今度はニケを連れて自分の家を訪ねてこいとも。


 教えられてたものとは明らかに違う症状が出たのだから、ヘクター・カミンのもとへ行くべきだろうし、行かねばならない事態を想定していたからこそ、わたしも銀貨を枕元に置いたのだ。


 だが、たった今、ニケが死にかけた光景が、頭の中から離れなかった。次から次へと良くない考えが沸いてくるのを、どうしても止められない。


 あんな風にして、急速に死を迎える病気などありえるのか。

 ありえたとして、それは人の手で対処し、処置しきれる代物なのか。

 ましてや、ヘクター・カミンは薬剤師であって、専門医どころか、医者ですらない。


 ともすれば、ニケはもう、手の施しようのない状態に陥っていることだってあるえるのではないか。


 そうやって、悲観的な思考に頭の中を埋め尽くされたかけていた時、抱きかかえていたニケがびくりと体を竦ませた。


 取り引きの魔法でからくも回復したニケは、半時ほど前まで、もがき苦しんでいたのが嘘かのように目をぱちくりと開けて、不思議そうに周囲を見渡していく。


 「…………ボク、生きているんですか?」


 驚きと疑念をない交ぜにした顔を向けてくるニケに、わたしは返事を返さねばならなかった。


 「……何を言っているだ。当たり前だろう」


 引き攣りそうになった笑顔を隠すため、ニケを抱きしめながら言う。


 「お前は、春になったら必ず元気になる。そうしたら、わたしの使い魔になる方法を一緒に探すんだ。そうだろう?」


 「………………はい」


 ニケはそう言ったが、返事を口にするまでに時間がかかったのは、きっとわたしの声がこわばっていたせいだろう。


 抱きしめる腕の震えも止められなかった。それでも何も言わずにいてくれたのは、確かめるのが怖かったからか、それともわたしへの信頼からか。


 もうこのまま、ニケを抱きしめて離したくはなかったが、これからの事を考えるとそうも言ってられない。


 ニケを連れて町へおりるなら、さっさと支度に取りかからねばならないだろう。


 とりわけニケは、寝込んでいた丸一日、食事らしい食事をとれておらず、冬の雪道を強行するなら、まずはニケの体調を万全にしておく必要があった。


 ニケの身にいったい何が起こっているのか、色々と引っ掛かりを残しながら、食事の準備をしていくが、氷室から今日の食材を選んでいる時に、ふと、ある考えが過ぎった。


 保存棚から取り出そうと、手を伸ばしかけたウサギ肉の油煮(コンフィ)


 この油煮のオイルには、魔女だった頃、気まぐれを起こしたままに改良したあのオリーブの実が使われている。


 まさか、それが何かしらの害になっているのではと思い、他にもまだ、棚という棚に詰め込まれた食糧や備蓄品にも、わたしは目を向けた。


 およそひと月前、雪が降るぎりぎりまで、生活に必要なあらゆる物を詰め込んだ保存棚には、ニケに冬を越させるための品物が、まだぎっしりと詰め込まれている。


 その中身は、この森で採れた物が大多数であり、それらが毒としてニケの体を蝕んでいるのかと疑いを持ったが、オリーブの実に限らず、この森で採れたものは、春頃から口にしている。変調の原因だとしたら、もっと前から発病していたはずだろう。


 そう結論づけたものの、念のため、ウサギ肉の油煮(コンフィ)は食卓にあげず、できるだけ人里で手に入れた食材だけを今日の料理に選んだ。


 それで一日、様子を見る。

 どのみちニケの体調を戻すために、一日は休ませるつもりだった。


 取り引きの魔法を使って回復させたからには、ニケの再発までには一週間の猶予があるのだから、ニケを連れて町へと下り、あの薬剤師に助けを求めるにしても、片道三日もあればことたりるだろう。


 その間に、わたしは氷室の保存棚に詰め込まれた備蓄品を根こそぎ調べ上げることにした。わたしは休んで欲しかったのだが、ニケの手伝いも借りながら。


 一度詰め込んだ物をふたたび出して、ひとつひとつ確認していくことになるのだから、朝から夕方までかかる作業になったが、それだけの徒労の甲斐なく、異常な部分はとく見付けらなかった。


 むしろ安堵すべき場面なのだろうが、探していた物が見付からなかったという心境に近い気持ちで、ニケと一緒にまた保存棚に荷物を詰めていった。


 しかし、そんな取って付けた用心など、はるかに上回るかたちで事態は急変する。


 ニケは、取り引きの魔法で回復させた当日に、また熱を出した。


 以前は、回復させたら一週間ほどの猶予があったのに、何をどう間違えたのか、一日も経たずして再発したのだ。


 さらに半日後、例のアザが肌に浮かび上がり、ここまでわずか二日もなかった。

 もはや、病か否かなど言ってられる状況ではなくなった。


 取引の魔法に使える代償が、手元に何もなかった。






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