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11 害ねるものと薬すもののお話


 生き物には、(やまい)という呪いのような事象に冒されやすい性質があることを、すっかり失念していた。


 少し前に、ニケがヤマネコの姿から人の姿に戻れなくなったのも、その予兆だったのだろうかと、気付いてやれなかったことに後悔の念が押し寄せるが、わたしは、けっして表に出さないように振る舞う。


 確かに病に対する策を何も講じていないが、幸い、わたしにも出来ることはある。取り引きの魔法を使えばいいのだ。


 喉の渇きを訴えて目を覚ましたニケに、取り引きの文言を投げかけて、うなずいたニケの髪、六束を代償に、ニケの体を蝕んでいた原因を取り除いた。


 それで、完全に回復したはずだった。


 現に、病床に伏していたニケはその場で治癒し、寝台からも下りられるようになっていた。食事も普通にとれたし、話をして、手伝いをして、笑っていた。


 しかし、その一週間後、ニケは同じ病を発症した。


 発熱と発汗、呼吸を荒くし、寒さを訴え震えている。


 病気というものが、まさかこうも短期間にかかるものだとは知らなくて、もう一度ニケの髪、今度はほぼ全てを使って回復させたが、結果は同じだった。

 ニケは一週間ほどで、ふたたび寝込んだ。


 わたしは、さらにもう一度、取り引きの魔法をもちかけようとしたが、この魔法は、行うたびに代償が高くなるというリスクを伴う。


 このまま取り引きを繰り返すのは、できうるかぎり避けるべきだろう。


 なら、別の方法を。そう考え、“病”に対抗する方法として“薬”を思いつくが、これまで、そんなものを使用したことはなく、少なくも、魔女が用いる魔法薬以外の知識は、皆無と言っていい。


 だが、“薬”があるだろう場所は分かっていた。人里におりればいいのだ。


 薬を買ってくるという別の手段を見付けたわたしは、けれど、それを実行するためには避けては通れない障害と突き当たる。


 町へと降りて薬を手に入れるためには、雪の降り積もった山道をとおり、おなじく積雪で閉ざされた麓の森を抜けていかなければなければならなかった。


 どう考えても往復にかかる日数は、いつもの倍以上はかかるだろう。

 大きな薬屋のある町を目指すなら、およそ六日から一週間。


 それまで熱を出しているニケを、この隠れ家に一人で置いていくことになるが、そんな愚行を冒すわけにはいかない。


 そう思いはするものの、他に手立てのないまま、この先、取り引きの魔法を繰り返していくことになるのも怖かった。


 苦肉の策として、わたしが考え出した手段は、あともう一度だけ取り引きの魔法を交わして、回復したニケが再発しない一週間を見計らって、薬を買ってくることだった。


 ただし、奴隷の印を消すために伸ばしていたニケの髪は、前回と前々回の取り引きで無くなってしまっている。


 体を害しているものを取り除くだけだから、前回の量を少しだけ上回る量で済むはずだったが、奇妙なことに、ニケのまだら髪は、黒い部分だけがどういう理屈か残ってしまい、供物としての必要量得るために、ニケの髪は短く刈り込むしかなかった。


 これも獣人の特性なのか分からなかったが、いまは気にかけている余裕はない。


 とにかく、ニケの髪が使えないなら、別の物――精霊の供物として有効となる物は、ニケの財産となる金貨や銀貨といった金銭でもよいため、以前、わたしの金髪を売った時に得た銀貨が、まだ少しばかり残っていたので、それを使った。


 「……本当に、行くんですか?」


 銀貨による取り引きの魔法で回復したニケは、降雪と雪道の中を強行するための防寒具や氷雪靴、他にも耕具類を詰め込んだ鞄を用意するわたしに向かってそうに言った。


 振り向くと、すっかり髪が短くなってしまったニケがいたが、それよりも、彼の声には、わたしに行って欲しくないという気持ちが滲み出ていた。


 「大丈夫だ。すぐに戻ってくるからな」


 わたしは、自分の焦燥を悟らせない口調で答え、笑顔もしっかり顔に貼り付けていた。

 それなのにニケは、わずかに顔をこわばらせる。


 「……どうした?」

 「いえ。……いえ、あの……どれくらいで帰って来られますか?」


 わからない、と危うく言いかけて、どうにかおし止まる。


 「……そうだな。一週間以内には必ず戻ってくる。それまで、わたしの言い付けどおり、部屋の中でもちゃんと温かくしているんだぞ」


 「…………はい」


 その時、ニケが見せた表情をなんと言うべきか。

 無表情だと言っていいのに、隠し切れていない何かを訴えくるような顔。


 わたしの与り知らないモノを秘めていたが、ひとつ確かに言えることがあるなら、その顔には見覚えがあるということだ。


 これまで、わたしが遠くの町へ出かける時は、かならず垣間見せる幼い面差し。

 それでもわたしは、彼を置いてでかけなければならなかった。







 斜面の多い山道をいちいち下りていくのは面倒だったので、わたしは岩棚の縁から飛び降りた。


 麓の森には、白い緩衝材が大量に降り積もっている。着地こそ無様だったが、雪のおかげで擦り傷ていどの怪我ですみ、その擦り傷もまたたく間に治っていく。


 いつも使っている獣道は雪によって塞がれ、絶え間ない風雪で視界の悪い中、膝を覆う雪の重量を掻き分けながら進むのは、かなりの時間を要した。


 それでも森の中だから、積雪量は少ない方なのだろう。

 森を抜けたあと、町へと続く街道までの道のりが最大の難所なのはわかりきっていた。


 身長よりも高く積もった雪壁を耕具で堀ながら進むが、土壁より若干やわらかいだけの雪をがりがりと削り取る作業で、ニ日近くをかけねばならなかった。


 街道まで出れば、人の行き来があるためだろう、きちんとした排雪作業がされており、急いで走っていくことができた。


 それでも、人通りがある時は彼らの目を引かないよう、歩調を緩めたので、歩いたり走ったりと、思ったようには進めない。


 そして、予定していた日数より大幅に遅れたものの、わたしの記憶にある範囲で、もっとも上等な薬屋、工房と販売所が一緒になっている薬品工房がある大きな町へと、どうにか辿りついた。


 他の目もくれず、まっすぐと向かった薬屋は、香りのるつぼのような場所だった。

 薬剤のつまった薬壺を中心に、香辛料や砂糖など、料理の材料ようなものも多く見受けられたが、そうした奇妙さを気にかけている余裕は、わたしにはない。


 店番をしていた中年の薬剤師の男に、薬を売って欲しいと、子供が熱で苦しんでいるのだとカウンター越しにせがめば、男は、ほとんどの商人がするように、わたしの身なりを上から下まで値踏みしてから、口を開いた。


 「……患者を連れてこなかったのか?」


 男の言葉に、わたしは痛いところを突かれる。


 ニケを一緒に連れてくることは、わたしも考えていた。だが、ここまでおよそ四日はかかっている。極寒の寒空の下、病の気がある子供を連れてこれる距離ではない。


 「私たちが住んでいる村は、ここまで遠いんだ。連れてこられなかった」


 薬剤師の男は、とくに咎める様子もなく淡々と続ける。


 「なら、できるだけ詳しい症状を。性別と年齢、熱があるのなら、他に頭痛や吐き気、発汗や呼吸の様子、咳き込みがあるなら、乾いたものか湿ったものかも知りたい。だが、どれも分からなければ、医師を交えたり、差し向けることも可能だ。もちろん、そんぶん金はかかるが」


 病気の種類。その考えは、わたしには無かった。

 もっとちゃんと調べておくべきだったと悔やみながら、男に言われたまま、ニケの症状を思い出せるだけ思い出していく。


 年齢は十一歳の男の子。高い熱があって汗をかいている。咳はしていないが、熱があるのに寒がっていること。そして、二度ほど治ったが、すぐにぶり返したこと。


 「それと……それと、獣人だ。獣人の子供。それで少し前に」


 とたん、男が眉間に皺を寄せた。

 わたしの説明を阻むうように、突き放した声で言い放つ。


 「ここに、獣人に使える薬は置いていないよ」

 「――え」


 「獣人の専門医もこの町にはいない。王都ならば扱っているだろうが……というより、獣人を使役できるくらい財力と付き合いがあるなら、そっちの伝手に頼めばいい。帰って、お前の主人にそう伝えるんだな」


 いきなり豹変した態度に驚くあまり、わたしはつい怯んでしまったが、男の言う“主人”という台詞を聞いて納得した。


 どうやら、わたしのことを獣人を買った人間の召使いか何かだと思ったらしい。


 「待ってくれ、違う。あの子は拾ったんだ。獣人を売買している奴隷商から逃げ出してきたと言っていた。森の中で行き倒れていたところを、わたしが助けたんだ」


 すると、薬剤師の男は押し黙った。

 眉間には皺が刻まれたままだったが、じっとわたしの目を見つめてくる目に、敵意はないように見えた。


 それから彼は、周囲を確認しだし、まわりに誰もいない事を確かめると、カウンターに身を乗り出して、声をひそめる。


 「なら、なおさら人間の薬屋などに助けを求めるな。薬品というのは貴重で危険な代物なんだ。どの店も組合の下で厳しく管理されている。逃げ出してきた獣人の子供を拾ったなんて、店の人間に言ったら、出所を調べられて奴隷商の元に戻されるだけだぞ」


 はっ、と己の失態に気付かされて、わたしは打ちのめされる。


 その通りだった。わたしはニケを拾っただけで、奴隷商から買い上げたわけではない。ニケの所有権は、まだ奴隷商にあると言っていい。

 それなのにたった今、カウンター越しにいる人間の男に話してしまった。


 しかし、目の前の薬剤師は、さらに音量をおとしてこう言った。


 「いいか、獣人は体が二つあるようなものなんだ。人型と獣型ではすべき対処が違う場合が多い。専門医の見立てなしに処方した薬じゃ、かえって悪化させかねないだろう。だから、むやみに薬剤に頼るのは止めておけ」


 「――――……見逃して、くれるのか?」


 「……ああ、見逃してやるから、話を最後まで聞け。さっき、二度ほど治ったが、すぐにぶり返したと言ったな? そうした症例に、心当たりがあるにはある。おそらく冬来熱だ」


 「冬来熱?」


 「この土地だけ発生する、いわゆる風土病になる。その中には、動物だけに感染して、人間にはほぼ無害のものもあるが、獣人は、体の半分は獣だろ」


 「なら、あの子も?」

 

 「いや、早合点はするな。冬来熱には、発作的な熱を繰り返すという特徴があるだけで、ちゃんとした診断を下すなら、それこそ専門医の目を通さないと」


 「せ、専門医というのは、どこにいるんだ?」


 問われた男は答えず、またわたしの目を黙って見つめてきた。

 その顔を見て、さきほどこの町に専門医は居ないと言われことを思い出す。


 そして、獣人の専門医などにかかれば、ニケは確実に奴隷商の元へ連れ戻されてしまうことも。


 為す術を失って、その場に立ち尽くすわたしを見かねてか、薬剤師の男はふたたび周囲を確認してから、小さく喋りだした。


 「冬来熱は、気温が高くなれば症状が抑えられる傾向ある。何より、春になればまず間違いなくおさまるんだ。さらに言えば、獣人は本来、生命力の高い生き物だ。自己治癒させた方が回復できる可能性が高い」


 それは、まぎれもなく病に対する対処方だった。


 「だがな、冬来熱ではない場合もある。もし違う症状が出るようなら、今度は患者を連れて、もう一度ここに来い。だたし、訪ねるのはこっちの店頭じゃなくて、上階にある俺の家にしろ。俺の名前はヘクター・カミン。出てきたヤツに、俺に言われて来たと言えばいい」


 声を落として喋るからには、おそらくこの男は――ヘクター・カミンと名乗った薬剤師は、組合の規則や職務の掟に触れることしているのだろう。


 そのことに気付いて、何より、さらなる助け船を出されて、わたしは声を詰まらせる。


 「――わ、わたしは、貴方になんと礼を言ったらいいのか……」 

 「…………もちろんタダじゃない。情報料として、この店の物なにか買っていけ」


 ヘクター・カミンは、そう言って店の中をあごをしゃくった。


 わたしは、喜んで、と頷いたのだが、用意していた代金の内容を思い出して、少しだけ怖じ気づく。


 わたしが用意できる金目のものなど、わたしの金髪ぐらいだったので、それをおずおずと差し出すと、ヘクター・カミンはすぐさまこちらを凝視してくる。


 おそらくわたしの髪を見ているのだろうが、フードを被っていたから、髪の長さがいまどうなっているのかは分からないはずだ。


 強い視線に晒されて居心地悪くしていると、彼はあからさまに眉根を寄せながら、大きなため息をついた。それから背後にあった仕切りの奥へと歩いて行ってしまう。


 どこに行くのかと泡を食ったが、ヘクター・カミンは、片手ほど麻袋を持って戻ってくる。


 麻袋の中は、袋いっぱいの――以前、換金所で売った金髪の代金よりも、かなり多い銀貨だった。


 わたしはまた、何度も礼をヘクター・カミンへ述べるはめになった。


 彼は仏頂面をして、さっさと家に帰ってやれと手で追い払うので、わたしは彼の厚情に従って、店にあった一番高い滋養薬として、壺入りハチミツを三つほど買ってから、その薬屋を出た。


 ニケを苦しめている原因の手がかりを掴んだ。その対処法も。


 朗報と言える知らせを持って、わたしは一刻でも早く隠れ家へと帰るため駆けだした。






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