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初恋に気づかない17歳の男爵令嬢が、60歳の辺境伯に求婚モドキされた理由

作者: 六合呼

蝗害をイナゴと書いていましたが、正しくはバッタ類の災害でした。

御指摘を頂いて修正しました。御指摘ありがとうございました!

 イリーナ・ガイダール男爵家長女17歳。

 婚約しました!


 お相手はアブラム・ゴドノフ辺境伯60歳。


 ……不幸ではありません!



 発端は我がガイダール領に(と言っても5つの村と農作地だけですが)、蝗害という天災が起こったことから始まります。

 バッタは虫でありながら天災とも呼べる恐ろしいものとなのだと、私は知識ではなく身を以て知りました。


 去年は穏やかな天候に恵まれ、麦の収穫量も過去最高になるとお父様も喜んでいらしたのに、その収穫前に突如黒い雲が飛来したのです。

 黒雲の正体はバッタの群れでした。お父様も領民の皆さんも必死に駆除しようと努めたのですが、虫とはいえ数の暴力。数匹駆除する間に何千のバッタが麦を食いつくし、あれだけたわわに実った麦畑はどの村も壊滅状態に陥って、荒地を前に私たちは途方にくれました。

 これは神の怒りなのだろうか、と。


 なぜなら地続きな他の領では蝗害は軽微で、多くの蝗害は我が領に集中していたのです。


 もともと麦しか税収のないガイダール領は裕福ではありません。麦の壊滅は村の壊滅と言っても過言ではないでしょう。

 税どころか自分たちが食べるための麦もなくなりました。お父様は備蓄用の麦を領民に配布しましたが、それだけでは冬を越すのがやっと。

 私財を吐き出し、足りない分は借金までして、どうにか領民から餓死者が出ないよう苦心惨憺なされました。冬を越す分の麦だけでなく、荒れた畑の回復作業もあります。麦を壊滅させたバッタが大量の卵を産みつけ、翌年に孵化するバッタの被害を防ぐための費用。厚く積もったバッタの死骸の処理もありました。

 いくらあってもお金が足りません。でも領民の生活がかかっています。我が家は一丸となって金策に走りました。

 その甲斐あって、ぎりぎりでしたがガイダール領は餓死者を一人も出さずに済み、領民がお父様に感謝されたそうです。


 ……代わりに、我が家の財政は現在進行形で餓死寸前……いいえ、八割餓死っているという状況でしょうか……。


 私のデビュタントは15歳の時でした。

 自分で言うのは面映ゆいのですが、この辺りでは珍しい黒髪と翠の瞳のお陰で、それなりに恵まれた容姿を褒めて頂き、ありがたいことに良縁もいくつか舞い込んだものです。

 当時は裕福でなくとも堅実だった我が家です。同じ男爵家や格上の子爵家からも、家格と年齢が釣り合ったお話を頂けました。

 けれど去年の蝗被害から、ぱったりとお話はなくなってしまい。


「泥船に一緒に乗るようなものですしね」


 泥船はあんまりだと思うのです。私ではなく、言ったのはユーリですが。なんて酷い言い草!

 ……あ、ユーリは私の幼馴染で騎士爵を持つ青年です。ガイダール家に仕えてくれる三人の騎士の一人なのです。

 残りの二人はユーリの父君と兄君という家族ぐるみの関係です。

 ユーリは淡い栗毛が猫っ毛なのを気にして整髪料で後ろに流しているんですよ。私はぽわぽわした手触りの方が好きなのに。きらきらした青い瞳は大きくて鼻梁も高くなかなかの男前です。……本人の前では言いません。

 幼馴染のドヤ顔。腹が立ちますよね?

 麦踏みも収穫も手伝ってくれる気さくな人柄で誰からも慕われているのに、私にだけ少々意地悪なのが解せません。

 でも今回ばかりはユーリの悪態も間違ってはないでしょう。我が家の財政は破綻状態。私を娶っても共倒れになる可能性が大きいのですから。

 借金とその利息がドレスとなって身に纏う私に、わざわざ手を差し伸べる殿方は、裕福ではあるけれど縁としては瑕疵があります。

 連れ合いをなくされた後添えや、過去に問題を起こして縁遠くなった方の体裁用にとか。あとは妾、そんなところです。


 弱小貴族でも私は貴族の娘。

 覚悟はできています。

 婚姻によって得る価値は自分の価値でもあるのだと。

 私の代わりに怒ってくれるユーリには申し訳ないけれど。

 

 ……慎ましくて相応な花嫁姿に憧れていたとしても。

 お父様もお母様も私には何も仰いません。ですから私から申し上げたのです。

 訳アリ物件の中から、金銭的に後添え辺境伯に嫁ぐか、強欲商人の妾になる、と。


 


 弟も妹たちも幼いし教育にお金もかかるでしょう。

 去年の蝗害をどうにか乗り切った我が領も、今年は乗り切れるかどうかわかりません。

 被害を未然に防ぐには、お金も人手も要ります。

 覚悟は決まっていますから。大丈夫。

 お父様もお母様も、みんなそんな顔しないで?

 大丈夫なんです。


 大丈夫なんだから。

 ねえ、ユーリ。

 信じてね?

 

 その後、私の婚約者は辺境伯のアブラム・ゴドノフ辺境伯様になりました。



 「お初にお目に掛かります。未来の“義母上”様?」


 私を見た途端に息を飲み、しばらくの沈黙の後に投げかけられた言葉は少々含みのある物言いでした。

 婚約を機に私に面会を求めてきたのは、アブラム“前”辺境伯の四男であるマーティン様でした。

 赤みがかった金髪と青灰色の炯眼を持つマーティン様は、ユーリと同じくらい――いいえ、それ以上に容姿の優れたお方で、そういえばアブラム様も亡くなられた奥様もたいへんな美男美女で有名だったとの考えに至ります。

 さらにアブラム様は有名な愛妻家で、奥様が亡くなられるまで仲睦まじいご夫婦だったとか。

 名将であり王の覚えも目出度く、大きな領地と私兵を持つ身で浮いた噂が一つもないというのは珍しいそうです。

 その最愛の奥様が亡くなり気も抜けたのか、辺境伯の地位は長男に、小国の軍に匹敵する私兵は次男に譲って、今は表舞台から隠棲をご希望されているとか。

 私はその隠棲する住まいについていくことになります。


「失礼ながらお嬢様は、まだマーティン・ゴドノフ卿の義母ではございません」

 

 真っ先に噛みついたのは、最近ずっと機嫌の悪いユーリです。私はマーティン様に失礼だといつものように服の裾を引っ張って嗜めます。もう、大人な気ない。

 マーティン様は王宮で王太子付きの騎士という御身分。きちんと弁えねばなりません。


「これは失礼しました。――イリーナ嬢。そちらの御仁は?」


 ユーリを見る瞳に険が宿るのは気のせいでしょうか? もともと猛禽類みたいな強い眼差しの方ですけど。


「幼馴染のユーリで、我が家の騎士でもあります。このたび、わたくしと共にアブラム様の御前に参る所存にございます」

「……ああ。知らない土地ですからね。気心の知れた者を連れて行くのは構いませんが……成る程」


 ……何が成る程なのでしょう。

 マーティン様の鋭い瞳が怖くて、ユーリの後ろに隠れたくなります。

 私の様子に気づいたのでしょうか? それまでの怖い顔を慈しみ深い笑みに変えて、マーティン様が私を見て下さいました。


「いえ。こちらもあなたを迎える準備が有りますのでね。ゴドノフ領はここから遠いですから、王都に居る私が御用聞きに伺った次第です。あなたと、あなたに関わることを報告せよと父上からの厳命でして」


 ゴドノフ領とガイダール領は、広大な土地を持つ我が国でも端から端とまではいきませんが、それなりに離れた距離にあります。

 ……おそらく、嫁いだらこの家には帰れるかどうか分からないでしょう……。

 心に痛みが走りましたが、覚悟を決めたのです。ゴドノフ領に骨を埋める覚悟で行かねばなりません!

 決意した私の心を読んだようにマーティン様は苦笑されました。


「ああ。最初の一年ほどはゴドノフ領で暮らして頂くが、その後は王都に居を構える算段らしいですよ。――王都ならゴドノフ領とガイダール領の中間ですからね。お里帰りはちゃんとできますよ。……ガイダール家は家族仲が良いと有名ですからね。……ご家族に、会えなくなるのはお辛いでしょう?」


 そうなのです。

 ガイダール家はものすごく仲が良いのです。

 お父様もお母様も、おじい様もおばあ様も、弟や妹たちだって、私を心から慈しみ愛してくれます。もちろん私だって同じくらい愛しています。

 

 愛しているからこそ……なのです。


 ユーリの視線を感じました。その青い瞳に浮かぶ感情が怖くてユーリを見られません。だってずっと不機嫌なんだもの。

 大丈夫、決めたんです。大丈夫なんですよ、ユーリ?

 誤魔化すようにマーティン様を見れば、なんだか険しい顔でユーリを見ていて――ちょっと意味が分かりませんでした。




 「これは親父殿も兄上たちも……荒れるだろうなぁ」


 父親の後添え候補である少女に会って、感慨深く喜んだのは束の間。

 本音を言えば、バッタという虫で危機的状況に陥ったガイダール家を、ゴドノフ家は無償で援助し救済しても良かったのだ。

 ゴドノフ家にはソレを賄える潤沢な財力がある。

 またバッタの群生行動は指向性の疑惑があった。技量と知識と魔法があれば、如何様にも謀計を練る事ができる。

 まあ、十中八九、イリーナの美しさに目を付けた強欲な商人あたりだろうが。自分から店を潰しにかかるとはいい度胸だ。新手のセルフ自己破産に向かうなら喜んで手伝ってやるとも。

 だがその黒幕を探すのは後回し。

 最重要課題なのは“妹”に“悪い虫”がついていることで、こちらの対処の方が先だった。


 昔の話だ。

 マーティンには妹がいた。生まれて1年も経たずに夭折した妹だった。

 生きていれば17歳。

 正直、妹と過ごした思い出は少ない。母親はあまり体が強くなかったし、それゆえにほとんど領内から出ることもなかった。

 その母が珍しく父に付いて王都に訪れ、そこで5人目となる我が子の懐妊が発覚したのだ。

 体が強くない身を慮り、母体の大事を取って王都で子供を産むことになった。

 子供は無事に生まれたが、領内に戻ってたった数か月後、待望の女の子は病死してしまった。

 男四兄弟で初めての女の子。あれもこれもしてやろうと思ったのに、何もしてやれないまま妹は小さな棺の中に入ってしまった。

 自分たちよりも両親の嘆きが相当で、母親の啜り泣きや父親が背中を震わせる姿に胸が詰まったものだ。


 小さな、小さな、妹。


 それが、あんなに大きく美しく、母親そっくりに成長して生きていたなんて。


 妹が生まれた場所は医療院を持つ教会だった。

 そこでもう一人の女の子が産まれていた。

 初産の不安から親が住む王都で子供を産んだ、ガイダール夫妻の長女となる娘がそうである。


 偶然遠く離れた場所から同じ教会で産まれた二人の赤子は、悪意によって取り換えられてしまったのだ。

 その悪意にはガイダール家は含まれず、微塵も関係の責任はなかった。国内でも王の信頼厚く、権力も財力も武力もあるゴドノフ家には私怨を持つ敵も多い。

 その私怨を持つ者が教会内に手を回し、まだ目も開かない赤子を取り替えさせた。

 実行した女が罪の意識に耐えかねて、懺悔と告白に来るも、ガイダール夫妻の実の娘が死んで10年以上も経ってからで――。


 言えるだろうか、今さら。

 イリーナは実の娘だから返せと言えるのだろうか?


 ガイダール夫妻の実子が、この世にいないのに?


 ゴドノフ家の力を以ってすれば、どんな手も打つことができただろう。理不尽に黙らせることも可能だ。

 だけどしなかった。できなかった。


 イリーナは両親や弟妹に愛され、幸せに笑っていたから。

 ガイダール夫妻の自慢の娘だと誇らしく生きていたから。


 幸か不幸か、娘を亡くして嘆いていた母親は産後の肥立ちが悪いまま、事実が発覚する数年前に鬼籍に入っていた。

 事実を知るのは繊細さに欠ける男たちだけ。


 父親とも兄ともイリーナやその“家族”には、真実を告げないままにしようと決めた。

 今まで育ててくれた愛する両親と、実は血が繋がっていないとイリーナが知れば、衝撃で悲しむにちがいない。彼女に与えたいのは幸福であり悲嘆ではないのだ。

 このまま幸せに暮らし、彼女が困ったときに助けてやればいいと。


 まさかこんな事になるとは思わなかったが。


 ガイダール領の蝗害は深刻だったが、いくら甚大な被害を被ったとしても個人の家で助ける理由がない。なにしろ全く接点がない両家なのだ。

 小さいとはいえ一つの領を救う金額は、個人の見舞金とするにはあまりに莫大だった。

 理由が欲しい、助ける理由が。


 それが今回の婚約である。


 当然だが親子で結婚する気などゴドノフ家にはなかった。

 年回りを考えれば、未婚の息子たちが世間的にも納得できるだろうが、年齢が若いからこそ、「夜の営み」が真実味を帯びてイリーナを騙しきれなくなる。

 倫理観は持ち合わせている。背徳精神は誰一人持ち合わせていなかった。


「ならば私がイリーナに求婚しよう。なに、世間に狒々爺、好色爺の謗りを受けても構わん――娘に逢いたいんじゃもん!!」


 そう言い切った父の姿は前半は威厳高く、後半は威厳台無しだった。


 ……まあ60の年齢ならば、営みがないと言っても疑われないだろう。

 ……親父、実の娘に不能って思われるぞ……。兄弟間に流れた言葉は揃って沈黙したが。


 とりあえずは婚約を名目に、堂々とガイダール領を支援し手助けする。イリーナを大切に育ててくれた恩と、病気とは言え、ガイダール夫妻の娘を死なせてしまった負い目に比べれば安いものだ。

 その代わりに一年か二年、花嫁修業の名目で娘であり妹でもある間近で暮らせるなら望外の喜びでもある。

 後々はなるべくイリーナに瑕疵が付かない形で婚約解消し、然るべき良縁を紹介するはずだったが。


「ユーリ、だったか。バッタよりタチの悪い虫だな」


 伝書鷹に持たせた手紙は、「花に寄る虫あり」


 詳細は書けなかった。鷹が領内に戻らず、どこかで手紙が露見する可能性を踏まえれば、簡潔にならざるを得ない。

 簡素な手紙を見た父は元より、母親譲りの黒髪と翠の瞳を持つ長兄、国外に滞在中でやきもきしている次兄、母親とイリーナそっくりの三男は右往左往し始めるのは確実。というか、馬を駆けて来兼ねない。

 武門の辺境伯家、行動力は折り紙付きなのだ。

 思考も行動も容姿も非常に似通っている。

 ちなみにマーティンが派遣されたのは国外にいる次兄以外、「ガイダール家に疑問を抱かせないよう、一番母親に似ていない=イリーナと似ていない四男が適役」だったからである。

 因みに強硬派。


 蝗害を仕掛けた黒幕は単純にひねり潰せばいいが、イリーナに付きそうな虫をどうやって駆除するものかと、家族内会議がこれから熱を帯びそうだった。


なんとなく息抜きに書いたら、あんまり息抜きじゃありませんでした。

恋愛要素たっぷりなヒロイン不在なのは、よくある仕様です……orz

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― 新着の感想 ―
[一言] 蝗害はイナゴではなくバッタ類が起こす災害だと思います。
[良い点] 新着の短編リストで見掛けて読ませて頂きました。 良くある年の差婚の話かと思えば……。 ゴドノフ家の野郎連中は視野狭窄に陥っているような気もしました。前辺境伯の婚約者ではなく、養女でも良かっ…
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