表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

第十一話 アリシアの決断 〜後編〜

 最初に気付いたのは防犯・防災のために夜間見回りをしていたグレンだった。

「誰だ!」

 漆黒のローブを身に纏い、手に持つ杖から煌々と明かりを灯し、一歩、また一歩とゆっくりと歩を進める、見るからに怪しい男──イーギルだった。

「……ゴーレムを差し出せ。さすれば命までは取らん」

「は?」

「二度同じ事を言わせる気か? それとも言葉が通じぬか?」

「何だおい。お前誰だ?」

「田舎者はどうも礼儀を知らんと見える。人に名を聞くのならば、まず自分が名乗るのが筋であろう?」

 イーギルは自分を棚上げし、居丈高いたけだかな態度を崩さなかった。

「あんだとコラ」

 グレンは護身用に持っていた棍棒を構えた。

「すぐに暴力に訴えようとする。だから田舎は嫌なのだよ」

「田舎田舎うるせーっ」

 グレンは気が短い。と言うより善悪の判断が瞬時だ。

 コイツハアヤシイ。

 そう思った瞬間から臨戦態勢だった。グレンは構えた棍棒をイーギルに向け、力一杯振り下ろした。

 だがグレンの渾身の一撃はイーギルに届かなかった。

 棍棒は、イーギルの顔の真ん前で見えない壁に阻まれ、勢いを殺されていた。

「な!」

「そのようなモノでは私にかすり傷一つ与えられんよ」

 イーギルが杖を一振りした。グレンの体が宙に舞い吹っ飛び、後ろにあった空き屋に突っ込み煉瓦造りの壁をぶち抜いた。

「おっと。手加減したつもりなのだがな」

 イーギルの顔に凶暴な笑みが浮かんだ。

「生きているかね?」

「あたた……」

 さすがにダメージゼロとまではいかないが、グレンの筋肉は日頃の野良仕事で鍛えられている。少なくとも王都のへなちょこ騎士団より頑丈だ。グレンは頭を振り立ち上がった。

「……この野郎! 何しやがる!」

「ほう……まだ口が利けるようだな。ならば問おう。ゴーレムを渡せ。さもなくば……」

「あっ! お前、魔導師協会のヤツだな?」

「村ごと焼き尽くす……って、なんだと? 魔導師協会だと? そんな人間がどこにいるのだ?」

 グレンは黙ってイーギルを指差した。イーギルはグレンの指す方向を見た。誰もいなかった。

「……何の真似だ?」

「……俺はあんたを指差したんだが」

「……」

 一瞬の沈黙があった。

「ふふっ。ふはははっ! 私の正体を一撃喰らっただけで見抜くとは! 今まで何人もの魔導師が返り討ちに遭うわけだ。油断する所だったわ!」

「あー、話が見えんのだが」

「とにかくだ」

 イーギルはぴしゃりとグレンの言葉を遮った。

「ゴーレムを寄越せ」

「なんだ、それは?」

「さもなくばこの村を焼き尽くす」

「……それは、俺がこの村の消防団の団長と知っての言い草か?」

「消防団……?」

 イーギルは首を傾げた。

「僅かな火種も農村では甚大な被害に繋がる。俺はそれを未然に防ぐため、こうして見回りをしている。そしたらどうだ」

 グレンは、大げさに肩を竦めた。

「ヘンテコな男が村にいて、ゴーレムとやらを寄越せと言う。その上」

 グレンは、後ろにある壁に大穴の開いた空き屋を見た。

「村の施設をぶっ壊すわ、村を焼き尽くすとかほざきやがる」

「いや、私は……」

「ついでに言うとな。俺はこの村の警護も兼任している」

「……あ、いやその」

「お前は見るからに怪しい──おおい!」

 グレンは大声を出した。見る間に全ての家に明かりが灯り、男衆がぞろぞろと集結した。

「こいつを拘束しろ」

 応!

 わらわらと男達がイーギルに群がった。

「い、いや待て、私の話を、むぐぅ」

 どれほどの強固な結界を張っていても、多勢に無勢。そもそも力勝負ではイーギルに勝ち目はない。イーギルは簀巻すまきにされ、猿ぐつわを噛まされ、男達に抱えられ、むがむがーと何かを叫びながら村の奥へ消えた。


 リアンはエキシミューラ国の謁見の間に通され、ずっと待たされていた。

 島国とはいえ王宮だ。それなりに大きな建造物だが、台風などの自然災害を考慮してか平屋だった。

「神を呼び出しといて待たせるとはいい度胸だ」

 リアンの目は朱く染まり、口元が歪んでいた。怒りが頂点に達しそうな様相だった。

「まぁ落ち着きなよ」

 ラーズが嗜めるが、その言葉は今のリアンには届かない。

「私をたばかった報い、存分に愉しませてやる」

 ラーズはため息をつきキリアを見た。キリアも似たようなものだった。

「アリシアを渡すもんか。あんな食事ごときで懐柔されるとでも思ったか」

 短剣片手に丹念に汚れを拭き取っていた。寄らば斬る。短いながらも刀身がそう言っていた。二人はすっかり臨戦態勢だった。

 ──似たもの同士だなぁ……。

 ラーズは再びため息をついた。

「ラーズ」

「ん?」

 ラーズは思わず返事をしてしまったが、呼びかけたのはアリシアだった。リアンが冷静さを失っているので、制御出来ていないと思い込んでいた。

 ──コイツ、本当に自分自信の意思で動いているのか?

 ラーズは心を読まれないようガードしつつ、感情を押し殺し、努めて冷静に受け答えた。

「何だい、アリシア」

「よくないモノがいる」

「それは何だ?」

「私に似てる」

 アリシアに似ている。それはゴーレム以外考えられない。とは言えこの世界で稼働状態にあるゴーレムは、目の前のアリシアだけだ。

「……またよからぬ事を企んだな、あの女」

 ラーズには思い当たる節があった。

 まず、ギニアスが島に着いてから行方が知れない。誰も気にも留めていないが。

 そしてこんな深夜の呼び出し。

 目撃者を最小限にする意味では意義がある。そしてそれはすぐに確証に変わった。

「お待たせしたようで申し訳ない」

 どこか高慢な口調で謁見の間に姿を現したのは、エキシミューラ国の女帝、キシミラ・オルラ・エキシミューラ女王だった。長い黒髪を束ねもせず背中に流し、露出度の多い衣装。いかにも島国の女王と言う出で立ちだった。

「お前か。私を呼びつけたのは」

 リアンがずいっと前に出た。

「アリシアを奪い取ろうってのはあんたか」

 キリアも負けじと前に出た。どうにも話し合いでは解決しそうもなかった。

「アリシアとはお前か」

 キシミラはリアンとキリアを無視し、アリシアを見据えた。アリシアはそれに臆することなく、淡々と「ええ」と答えた。

「お前にはこれからやってもらう事がある。着いてこい」

 キシミラは踵を返した。リアンとキリアはほったらかしだった。

「私があなたに従う理由がない」

「……理由? ほぅ……? 理由が必要なら作るが、それでいいのか?」

 キシミラが手を挙げると、どこからともなく黒装束の男達が現れリアン達を取り囲んだ。その数四〇数名。全員が取り回しやすさを考慮した短剣を構え、ご丁寧に刀身は黒く塗られていた。もしかしたら毒が塗ってあるのかも知れない。

「知っているだろう? 『神々の時代への回帰ルーナリアン・エラ・デューラ』。ここにいる連中はその実行部隊だ。私はその長も兼任している」

「おいおい」

 見かねたラーズが間に割って入った。

「一応客なんだからさ。穏便にいこうよ」

群島の神(エイラーズ・ルーア)殿。これは必要な事なのです。どうかご理解を」

「説明なしでは理解は出来ない」

「無礼を承知で申し上げます。これは我々の目的のための手段です。あなた様はお力添えを頂ければそれで」

 ラーズはため息をついた。

「リアン、この連中はアリシアをご所望だ。僕には止められない。所詮お飾りだからね」

「お前の都合など知ったことじゃない。私はそこの女に用がある。ラーズ、そこどけ」

「いや、今どいたら近接戦闘になるよ? リアンはここじゃ『力』使えないでしょ?」

「そんなのは問題じゃない」

 リアンの目がくらく輝き出した。

「島の神の力を奪ってでもその女をヘコませてやる」

「いやいやいやいや、そんな事したら島ごと吹き飛ぶから止めて」

「知ったことか」

 リアンはやる気満々だ。ラーズは、説得対象をキリアに切り替えた。

「なぁキリア。近接戦になると不利だぞ?」

「なぜ?」

「この場所さ。狭いだろ? 君の倍速能力ディブルド・エイクドを使うにはね。その力は開けた場所じゃないと、著しく制限を受ける」

「そんなの知ったことじゃない」

 キリアは両手に短剣を構えなおした。

「あんな連中の攻撃なんざ、紙一重で躱してやる」

 ラーズはキリアのその言葉を聞き「仕方ないなぁ」と呟いた。

「本来僕は傍観者だ。『神々の時代への回帰ルーナリアン・エラ・デューラ』のトップに据えられているけど、何の権限もない。でも無駄な労力を費やすのは頂けないね」

 ラーズは手を天にかざした。

 途端。

 黒装束の男達の動きが止まった。そのまま身じろぎ一つしない。ラーズが男達を拘束し支配下に置いたのだ。

群島の神(エイラーズ・ルーア)殿! 我らを裏切るか!」

「裏切ってないよ。この場でケンカなんかしたら島ごと吹き飛ぶ。困るでしょ?」

 ラーズはケロッとした声色でキシミラの問いに応じた。

「それは……」

「かつての神々。人間に見限られたとは言え、その存在は失われていない。僕とリアンがいるからね」

「……っ」

「とにかく話し合おう。暴力に訴えてちゃ、僕達と同じになる。ね?」

 ラーズは、キシミラとリアン、キリアの順に視線を移した。

「……やむを得ん。西の大陸神(ウェイザー・ルーア)殿、奥に席を設けてある。そこへ参られよ」

「従う義務はない」

 リアンはにべもない。

「同じく」

 キリアも取り付く島もない。ラーズはため息をつきまくって、キシミラに向き直った。

「キシミラ。この二人に説明しなよ。なんで僕達をルーデシアスを使って呼んだか。あまり手の込んだ事すると、この二人はついて来れないみたいだからさ」

「何をお!」

 リアンがラーズに矛先を向けた。

「色々考えたんだ。あのルーデシアスが君達を簡単に切り捨てるはずはない。理由がないからね。いくらアリシアがいると言っても、見た目で彼女がゴーレムだなんて誰が信じる? これは一時的な措置なんだと思うよ」

「……その根拠は?」

「覚えているよね? ルーデシアスはアリシアを国民と認めた。それなら、アリシアはルーデシアスの庇護下にある。ただ事情が事情だから、とにかく時間を稼がないといけない。周辺国への説明か圧力を避けるためか分からないけどね。幸いと言うか『神々の時代への回帰ルーナリアン・エラ・デューラ』が先にゴーレムを嗅ぎ付けた。そしてギニアスがやって来た。後は知っての通り、ゴーレムはリアンの神の御技(レイ・ルアナス)により、コアクリスタル──初期型だから人間だけど、それに封じられた。で、キリアはアリシアに一目惚れ──」

「わーーーーーーーっ!」

 キリアが大声を出して割って入った。

「とまぁ、テューア王国がその周辺国間でのやりとりをしている間、僕達は大陸を離れる必要がある。ここまでは合っているかい、キシミラ?」

 女王キシミラは固く口を結んだ。

「……どうやら当たりみたいだね。『奥に席を設けてある』なんて言うからさ。キシミラは図星を突かれると黙り込む癖があるからね」

 ラーズはニマっと笑った。キシミラは口を開きかけ、顔を赤くして黙り込んだ。ラーズの指摘は図星らしい。

「二国間で問題視しているのは、バルランド大陸の魔導師協会だろう? あの連中はちょっと人とは違う考えを持ってるから、ルーデシアスが言う『人間同士』の対話がほぼ不可能だ。そこで、キシミラとルーデシアスは文通を始めた」

「ぶ、文通ではありませぬ!」

 キシミラが大声を張った。顔が真っ赤だった。

「やり方はどうでもいいさ。とにかくお互いの利害が一致した。ルーデシアスはリアン達を大陸から一時的に遠ざけたい。キシミラはゴーレムの制御技術が欲しい。親書になんて書いてあったのかは知らないけどね。人のプライバシーに首を突っ込む程暇じゃないし。でもそんなに外れてないでしょ?」

「……敵いませんね、ラーズ」

 キシミラは相好を崩し、リアンに向き直り頭を下げた。

西の大陸神(ウェイザー・ルーア)殿。数々の非礼、お許しを」

「あー……ったく、ルーデシアスめ。後でいじめてやる。女王キシミラ。私のことはリアンでいいわ。茶番だったわけねこれは」

「では私の事もただのキシミラで」そう言うキシミラは何とも言えない表情をした。

 どうやらはにかんでいるらしい。

「いや! リアン、アリシアの件が残ってる。コイツ、アリシアに何かさせる気だったでしょ?」

「あのねー」

 リアンは眉間に皺を寄せ、キリアに向き直った。

「私やラーズがいるのに、アリシアをどうこう出来るはずがないでしょ?」

「ま、まぁそれは……」

 納得したような、そうでもないような。キリアにとってはアリシアに危害が及びさえしなければ問題ない。ただ引っ掛かる点が一つ。なぜ始めにキシミラが高圧的な態度を取ったのか。

「まぁ、大体の話は分かったよ。でも、いきなり初対面の相手に対して取る態度じゃないよね? まるでこっちの出方を試しているようだったけど?」

「お主の言う通りだ。悪いが、意思を試させてもらった」

「意思? 誰の?」

「アリシアだ」

 キシミラは、アリシアを見た。

「この娘が何者なのかはルーデシアス殿から知らされている。ただ、知っているのは書面上での話だ。実際にどのような意思を持ち、リアン殿の制御下から外れた時にどう言った行動を取るのか。これを知らないと、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。ゴーレムの危険性は充分に承知しているからな」

 暴走されては抑える術がない。それを知った上で、わざとリアンを怒らせ、アリシアから意識を逸らした。そこでアリシアに問うたのだ。『お前にやってもらいたい事がある』と。全てはアリシアに『意思』が宿っているかどうかを確かめるための芝居だった。

「もしアリシアが『はい』と言ったら、そのままお前達を送り返すつもりだった」

「なぜ?」

「それを言えば、きっとお主は怒るだろう」

「……事と次第によっちゃ、今からでも怒り狂うけど?」

 キシミラは肩を竦めた。

「木偶の坊は要らん」

「何?」

「はっきり言おう。ゴーレムは制御する側の意思を反映して行動する。その意思が途切れれば活動を停止する。場合によっては暴走もあり得る」

 場合によっては。制御する者が強制的に意思を失った場合──つまり死だ。

「アリシアは、明確に『従う理由がない』と言った。リアン殿の支配下から外れた状態でだ。そこにあるのは、自身の意思、意識だ。つまりアリシアは、一個体として存在している」

「……さっきから聞いていると、アリシアが物か何かように聞こえるけど?」

「言い方の問題だ。それにアリシアはゴーレムだ。人間ではない」

「それは……!」

 キリアは言い返せなかった。いくら人の形をしているとは言え、アリシアがゴーレムである事実は変わらない。かつてその力を奮い、大地を破壊した存在である過去は変わらない。

「……で結果はどうだったんだ?」

「今からその結果を教えてやる。それが答えだ」

 キシミラはキリアに背を向け、部屋の奥に消えた。

「どうする、リアン?」

「どうするも何も」

 リアンはアリシアに顔を向け、ラーズ、キリアと視線を移した。

「行くしかないでしょう?」

 そう言う事になった。


 一夜明け。

 イーギルは村長の家で椅子に縛り付けられていた。村人衆は珍しもの見たさに村長の家に全員集合し、またもや家が傾きそうになっていた。

「で、お主。どうやって結界を破ったのかね?」

 村長は鍬を片手に尋問を始めた。がその実、自分の家がぎしぎし鳴るのが気になって仕方ない。そんな落ち着かない表情だった。

「ふん。あのような古くさい結界なぞ、我が術にかかれば紙切れも同然。聞くだけ無駄よ」

「ほう」

 村長は、みし、と音を立てた窓枠を見た。

「これ、そこに寄りかかるでない! 壊れてしまうだろうが!」

 もはや尋問どころではなかった。

「おい、お前。私に聞きたい事があるのではないのか?」

 イーギルが村長に問いかけるが、村長はそれどころではない。家が壊れるかどうかの瀬戸際だ。あっちに怒鳴りこっちに怒鳴りして、さっぱりイーギルに関心を示さない。

 そんな村長の態度に、イーギルはイライラを募らせ始めた。自分の置かれている状況。そもそも自分は何をしにここに来たのか。

 ──私は何をしているのだ?

「だから、その壁に寄りかかるなと言っておるだろう!」

「おい、そこの老人!」

 イーギルは声を荒げた。

「私の話を聞け。さもなくば──」

「これ! その窓は危ない! こら、カーテンを引っ張るな!」

「いい加減にしろおおーーーーっっっ!」

 イーギルはキレて大声を張った。そして一瞬の間。イーギルは不可思議な言葉を紡ぎ、自らを縛していた縄を塵にし、自由の身を得て立ち上がった。

「お前らっ! 私の話を聞けっ!」

「なんじゃ騒々しい」

 村長はそれでも見向きもしなかった。

 イーギルは再びキレた。

「このクソジジィッ! この私を無視しおってぇええっ! 風よっ!」

 唐突に部屋の中で突風で吹き荒れた。家具が、壁が、屋根が吹き飛んだ。もちろん村人も。村長だけは咄嗟に鍬を床に打ち付けその場に留まっていた。風が収まると、そこには柱と基礎だけになった村長の家があった。

「どうだ。これで話を聞く気になったか?」

「……わしの家が……」

 茫然自失。

 村長は床に突き刺さった鍬の柄に寄りかかり、辛うじて立っていた。

「わしの爺様の代から大事に守って来た家が……」

「おいお前! ゴーレムがこの村にある事は我ら魔導師協会で把握している。今すぐそれを差し出せ。さもなくば」

「……よくも我が家を」

「何だと?」

「聞こえんのか? この青瓢箪め!」

 村長は鍬を構えた。何十年も畑を耕し、何千回、何万回も振るった鍬だ。ぴたりと静止したその姿は、もはや職人の域だった。

「我が家を吹っ飛ばしたその罪、この鍬でその身ごと引き裂いてくれる!」

 それを見たイーギルはポカンとした表情をし、次いで笑い出した。

「ぬはははは。そんな農耕具で私を引き裂くだと? 農民風情が何を言うか」

「お主、野良仕事などした事もないだろう? いや言わんでいい。その体つきや肌の色を見れば分かる。その杖より重い物など持ったこともない。違うかね?」

「何を言うかと思えば。私は魔導師だ。土臭い野良仕事など、魔導を極めるのに必要ない」

「では、その野良仕事で培った『力』、思い知るがいい」

 村長は鍬を振り下ろした。その勢いで地が爆ぜた。石つぶてがイーギルに飛びかかる。

「ぬを!」

 イーギルは結界があるにも関わらず、反射的に顔を手で覆った。その隙を逃さず村長が突進した。七〇過ぎの老体の動きではなかった。

「おりゃあ!」

 今度は鍬を下から上へ振り上げた。固い金属音がし鍬が弾かれた。

「ぬ?」

 村長は瞬時に後方へ飛び退り、距離を取った。

「結界とはちょこざいな。男ならそんなものに頼らず拳で来い!」

 無茶な要求だった。

「……お前の相手などこの土塊つちくれで十分だ」

 イーギルが何事かを呟くと、周囲の土が盛り上がって人の形を成し、三体の土人形が出現した。

「……行け!」

 その言葉に呼応し、土人形が村長に襲いかかる。だが村長は慌てない。慌てず騒がず鍬を構え直した。

「バカめ。そんな物で此奴らを倒せると思うのか? 所詮は農民、愚かな事よ」

 イーギルは余裕たっぷりに皮肉った。

 だが。

 ぶん、と村長が鍬を振るうと、土人形の一体が崩れ落ちた。

「な、何?」

 次いで、村長は鍬を横に振るった。また一つ土人形が地に還った。

「な──な、何だと!」

 イーギルの余裕はどこかに吹き飛んでいた。目の前で起きている事が信じられない。自分の術で創り出した土人形が、七〇過ぎの老人にいとも簡単に破壊された。何が起きているのか理解出来なかった。

「貴様、何をしたっ!」

「お主には分からんだろうがな、わしは何十年も土と一緒に過ごして来た。それがどんな形であっても土は土だ。どこに打ち込めばいいかなぞ、土とこの鍬が教えてくれるわい!」

 最後の一体が崩れ落ちイーギルの術は破れた。七〇過ぎの農夫に。

「な、ならばこれはどうだ!」

 イーギルは直ぐ横にあった大木に手を当てた。大木は命を得たかのように根を大地から引き抜き、村長に突進した。

「愚かな……」

 村長は鍬を捨て、腰に差してあった斧を構えた。そして一閃。大木は真っ二つに切り裂かれた。

「薪にするには、もうちょっと乾燥させんと燃えんのだ。無駄に切り倒してしまったではないか!」

「ななな、何者だお前はっ!」

 イーギルには最早余裕はなかった。この村、いや、ここにある全ての物は、何をどうやっても村長を倒すに至らない。じりじりとにじみ寄る村長。後退りするイーギル。まさに一進一退。

 イーギルは村長の存在感に圧倒され、冷静さを失っていた。

「く……ここまでか。次はこうはいかんぞ!」

 イーギルが何事かを呟く。徐々にイーギルの姿が薄くなり消えかかった。その寸前。

「逃がしはせん!」

 村長が、これまた腰に下げていたなたを投げつけた。鉈はイーギルの杖に命中した。

「ぐわっ!」

 盛大に火花が散り、イーギルは思わず杖から手を離した。からん、と乾いた音がし、杖は真っ二つに裂け地に転がった。魔術発動中の隙を突いた見事な攻撃だった。村長はそんな理屈は知らないだろうが。

 イーギルは膝から崩れ落ちた。

「わ、私が負けただと? たかが農民に。しかもこんな老人に……?」

 村長はそれを見て、勝ち誇ったようにイーギルに向けこう言い放った。

「今の世、魔法やら術やらは必要ないのだよ。見るがいい。お主がやった事はただの破壊だ。土から化け物を創ろうとも、木に怪しげな術をかけようとも、何も生まん。土から作物を生み出す事こそ、人間の在り方なのだよ」

 イーギルはがっくりとうなだれた。こうして魔導師対農夫の闘いは、七〇過ぎの村長の匠の技に軍配が上がった。


 村長が激闘を繰り広げた前の晩。

 奥の部屋にはテーブルがあり、人数分のティーセットが並んでいた。

「始めからこうすればいいのよ」

 リアンはとっとと奥の席に着き、お茶をすすっていた。

「物事には順序と言うものがあるのだ。リアン殿」

 キシミラはその隣に座り、リアンに習ってカップに口をつけた。キリアとラーズは黙って空いている席に座った。上座がどうとかは一切無視された。アリシアはなぜか立ったままだった。

「アリシア?」

 キリアが声をかけるが返事がない。アリシアは部屋の奥、分厚そうなカーテンで仕切られたその向こうを見据えていた。

「気付いたか」

 キシミラが、くくっと笑った。キリアはその笑い方が気に入らない。

「あんた、何を企んでんだ」

「実験だ」

「……実験?」

 何の?

 とキリアが口を開きかけた時。突然椅子の下に穴が開き、キリアだけが奈落の底に落ちた。

「キリア!」

 リアンが立ち上がろうとするのをキシミラが制した。

「何をする!」

「いかに西の大陸神(ウェイザー・ルーア)であっても、ここから先は静観して頂く。さもなくばあの少年の命はない」

「な!」

「ラーズ、あなたもだ。もし『力』を行使すればどうなるか」

「……キリアで試す気か」

「察しのいい事で」

 キシミラはくくく、と笑った。

「どう言う事?」

「裏切られたのさ」

 ラーズが吐き捨てるように言った。

「僕は群島の神(エイラーズ・ルーア)として、『神々の時代への回帰ルーナリアン・エラ・デューラ』が担ぐ神輿でしかないってことさ」

「じゃ、じゃあキリアは?」

「キシミラ次第だね」

「……」

 リアンはキシミラを睨み付けた。目が朱く底光りした。

「キリアに何かあったら、この島ごと吹き飛ばす。その覚悟はあるか?」

「もちろん」

「その言葉覚えておくぞ」

 リアンは椅子にどっかと座り、テーブルに足を乗せてふんぞり返った。

「ラーズは、これから何が起こるか知ってるな?」

「ああ。知ってる」

「言え」

「言えば、君は怒り狂う。そうなったらキリアは助からない」

「……怒らない。約束する」

 ラーズは、深くため息をついた。

「……アリシアさ」

「アリシアが?」

「そう。アリシアは、君の意思で動いている人形じゃない。個別な意思を持つ存在なんだ。君の神の御技(レイ・ルアナス)とキリアの寿命の半分。それが彼女を創った」

 ラーズはキシミラを見た。キシミラは薄笑いを浮かべていた。

「我が主、群島の神(エイラーズ・ルーア)殿は全てお見通しか」

「伊達に神様をやってないよ」

「ならば、説明は不要でしょう? 我が主?」

「ああ。ただし──」

 ラーズは、キシミラを一瞬だけ睨んだ。

「キリアに何かあったら、僕もリアンも何するか分からないからね」

「仰せのままに」

 キシミラは席を立ち、部屋の隅に移動した。

「では始めましょう」

 キシミラが指を鳴らすと、部屋の奥のカーテンが徐々に開いていった。薄暗い。だが、何かがいる。リアンは半眼になり吐き捨てるように言った。

「これが『島々のゴーレム』ってわけね?」

 そこには翼を持った巨大な石像があった。その大きさは王宮の屋根まで達していた。

「『ガーゴイル』。我らはそう呼んでいる」

 キシミラがリアンの疑問に応じた。

「発掘されたはいいが、何のために創られたのか不明なまま放置されていた。これが島の神(シーナリー)が創り出したゴーレムだと知ったのはつい最近の事だ」

「私がアリシアを起こしたからね?」

「その通りだ。額についている水晶コアクリスタルが、ギニアスが持ち帰った情報と一致する。そしてその覚醒方法も」

「ギニアス……あのバカ」

 リアンが吐き捨てた。

「ラーズ」

「何?」

「説明の続き」

「……そもそも僕の境域テリトリーにゴーレムはいない。そう思ってた。当時の事を知っているわけじゃないから想像になるけど、かつての神々の闘いの最中、数多くのゴーレムが創り出された。でもその全てが稼働したわけじゃなかった。こっちのゴーレムは動力源コアクリスタルの問題で、制御者が足りなかった。で、闘いの後、残されたゴーレムは封印され、あちこちで眠りに就いた。そのうちの一体がたまたま発掘された」

「厄介だわね」

「そうだね。ここら辺の島や海の底にこんなのが何体もあるかと思うとうんざりする」

「だからキリアなのね」

「そう。神の力を授かりし者(ドルニ・ルーナリア)であるキリアは、この『ガーゴイル』の動力源及び制御装置にされる」

 淡々と事実を吐き出すラーズ。リアンはそれを黙って聞いていた。

「……アリシアに『やってもらう事』ってのは?」

「アリシアはゴーレムだ。ゴーレムを起こすには、何が必要か。答えは簡単。『相手』がいればいい」

「私がアリシアを止めたら?」

「その『力』に反応して、最悪『ガーゴイル』が暴走する。キリアは助からない」

「何もしなかったら?」

「キリアの『力』を動力に『ガーゴイル』が起動。目の前にはアリシア。暴走はしないけど、ゴーレム同士の決戦になる。アリシアかキリアのどちらかを失う」

 リアンは目を閉じた。

 ルーデシアスは知っていたか? いや、知っていたならここまでリアンを追い込む真似はしない。かつての神を敵に回す理由がないからだ。となれば、キシミラの独断か? そこまでして神々の遺産が欲しいのか?

「魅入られてる」

 リアンはその声に顔を上げた。

「この人は、私達の『力』に魅入られて『力』の本質を見失っている」

 アリシアだった。

「言ってくれるな。石塊いしくれの分際で」

 キシミラが見下すように言う。

「そう。そもそも私達には命と言う概念はなかった。ただの石塊。でも」

 アリシアはリアンを見た。

「でも私は違う。キリアの命が宿っている。もう石塊なんかじゃない」

 感情のこもっていない声。

 いや。

 爆発しそうな感情を抑えた声。リアンにはそう聞こえた。

「そんな私をキリアは好きだと想ってくれる。リアンは私を大事にしてくれる」

 アリシアは視線を移し、キシミラを見据えた。

「可哀想な人」

「何だと?」

「あなたはかつて神々の替わりに争い、大地や島々を傷つけ、そして見捨てられた『力』──私達に魅入られている。でも、私はあなたの思い通りにはならない」

「アリシア?」

 リアンはアリシアを呼んだ。ゴーレムなんて女の子の名前じゃない。もっと可愛らしい名前をつけてあげようよ。キリアにそう言われ『アリシア』と名付けた。それがつい昨日のようだった。アリシアはゆっくりと振り向き、リアンと視線を重ねた。優しい目。強い意思を感じさせる目。これから起こす事を受け入れる目。色んな感情がない交ぜになった目。

「キリアは大丈夫。私がいなくなればこの子は目覚めない」

 ──ダメ! 止めなさい!

 リアンは叫んだつもりだった。だが声にならない。

 途端。

 目の前が光で溢れた。そしてリアンは感じ取った。『力』が解放され霧散しようとしている事を。アリシアと言う『女の子』が消滅しようとしている事を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ