9.娼館
この地域は色町と呼ばれている。
何軒か並ぶ娼館の中で一番大きな館「麗鈴館」の一室。
フレイとビィーの前に、でっぷりと肥えた背の低い親父がすわっている。
そしてこの親父は、この地の色町と、この町そのものを牛耳る黒幕アンビスその人であった。裏の支配者である事は有名な秘密だった。
「間もなくここにコア帝国の軍隊が入る。玉は多い方がいい。レスコーのヤロウを失脚させるにも準備がいるからな」
アンビスは商売用のニコニコ顔を崩さない。しかし最後の方のセリフは声に出さなかった。
「久々の上玉だ。背の高い所がいい! フレイさん、かなりはずませてもらいますよ!」
アンビスの親父は背が低かった。フレイの鳩尾までの背しかない。
小さい男は背の高い女を好むと聞くが、この男の性癖は正にその通りだった。
アンビスとは、小さなテーブル挟んでフレイが座っている。ビィーは立ったまま品定めをされているという図である。
アンビスの後ろには、屈強な強面男が一人と、腰の低そうな男が一人立っている。
「なあ、フレイ。ここでわたしは何をすれば良いのだ?」
ビィーはここがどこで、自分の立ち位置がどこなのかが解っていない。
「なーに、お客さんの前で股を開くだけの簡単な仕事だ。そうですよね? 親父さん?」
「そうそう、表のスタッフは女性ばかりですし。未経験の方には親切丁寧な研修がありますよ。三食ついて、寝る所もある。夜はいつまで起きてても騒いでもかまわない。みんな明るくて楽しい職場だよ。あなたのスキルをウチのために生かしてくれませんか?」
二人とも、笑顔という名の分厚い肉仮面をかぶっている。
「わたしのスキルをか? 了解した。よろしく頼む」
ビィーは手を出した。ちなみに、彼女のスキルは殺戮行為である。
娼館の親父アンビスも手を出して、握手が成立。……普通、ビィーを持ち込んだフレイとアンビスが握手するもの。この狒々親父、余程ビィーが気に入った模様。
「では、フレイさん」
アンビスは、後ろに立っている男に指を二つ出してみせる。男は膨らんだ袋を二つテーブルに置いた。
「代金はこのくらいでいかがですかな?」
フレイは遠慮なく袋を手に取り、中を開けて銀貨を数える。遠慮して数えない商人などいない。
それはフレイが希望した金額より多い。借金ピタリの銀貨だった。
「それと、これはおまけ。あなたへの先行投資です」
アンビスはポケットから銀の粒を10個取り出した。
純度の高い銀だ。各国の貨幣に捕らわれず、資産価値のある代物だった。
「ありがたい話です。私の方に異存は御座いません」
実を言うと、フレイは金額に文句を付けられない立場にいる。
力関係。身分。
予想を超える金額の提示。この取引は奇跡である。だからフレイは二つ返事で成立を宣言したのだ。
フレイの方から手を差し出す。
これをアンビスが握り返した。
契約成立。ビィーの所有権は、彼女があずかり知らぬ所で、完全にアンビスへと移管された。
場所を娼館・麗鈴館の表玄関に移して、別れの挨拶の場面となっている。
「フレイ、あなたのことは忘れない。わたしの恩人だ」
「いやいや、またいつか会うかもしれないけど、元気でね」
未だ状況を把握しきれていないビィーが、フレイに感謝の言葉を述べている。
「フレイ君、今後はどちらに?」
「私の行商ルートでもあるのですが、コア帝国の帝都へ向かいます」
「そうか、君はきっと商人として大成するよ」
娼館の親父は、眩しそうに目を細めてフレイを見ている。
こうして、フレイとロバが、ディオンの町を旅立っていった。
ビィーは、強面の男を従えたアンビス自らに、麗鈴館の中を案内されていた。
「では、ビィー、今日からここが君の部屋となる」
「お世話になる」
娼館の二階。その奥まった暗い部屋がビィーにあてがわれていた。
営業時間にはまだ早いが、階下はすでに妙な喧噪に包まれている。
「詳しい仕事の内容は――」
「大変だ! 親父さん、レスコーの野郎が実力行使に出やがった!」
廊下の反対側、階段から娼館の若い衆が飛び出してきた。
手に小ぶりの剣を持った若い衆は、泣きそうな顔で叫んでいる。
「敵の兵隊は50人を超えてますぜ! あいつら総力戦を――」
叫び声が悲鳴へと変わった。
若い衆は、背中から血を吹き出しながら、床に転がった。
変わって階段から現れたのは、短く切りそろえた金髪の男。ライオウ流王級免許・ディノスである。
「見つけたぞ、アンビス!」
ディノスが嬉しそうに叫ぶ。階下から人が上がってくる気配がする。
彼は、首をかしげて脱力している。左手を鞘に、右手を柄に。戦闘準備は完了だ。
「させるか!」
強面の男が色の変わった壁を叩く。板が外れると、中から短槍が5本現れた。
そのうちの一本をひっつかみ、体ごとディノスにぶつかっていく。
「でぇぇい!」
どちらの気合いか? 二つの体がすれ違う。
ハデに血とその他を巻散らかして、強面の男が床に崩れおちた。
ディノスは、ゆっくりと刀を鞘に収めている。
毎度のことだが、いつ刀を抜いたか、全く見えなかった。
「ひっ、ひぃい!」
アンビスは腰を抜かしていた。
「いたか!」
ディノスの後ろから、5人ばかりの武装した騎士が上がってきた。
アンビスは手近なドアを開けようとしたが、中から鍵が掛かっていて開かない。
騒ぎを聞きつけた中の女が、みんな鍵を閉めたのだ。
廊下には窓がない。身を隠す隙間もない。
「だ、だれか、助けてくれ!」
アンビスはしゃがみ込んで手を合わせた。
「敵を倒すのが最初の仕事なのか?」
頭の上の方から声が聞こえた。
振り仰ぐと、何の感情もない白い顔が覗き込んでいた。ビィーだ。
「そうだ!」
アンビスは、ポケットから銀の粒を取り出し、ビィーへ差し出した。
「これをやる! 敵を倒したら特別ボーナスだ!」
「了解した。わたしのスキルを生かす時だな!」
ビィーは銀の粒を一粒、左手でつかみ取り、素早く壁の短槍を右手に握った。
そうこうしている間にもディノスは近づいてくる。
「次は商売道具を盾にするのか? あきれて物が言えないな」
間合いはビィーの短槍の方が広い。ディノスは早々に居合いの構えをとった。
ビィーは右手の短槍を確かめる様に上下に振り回す。
その取り扱い様に、ディノスは眉を危険な角度に吊り上げた。
「こいつ……」
ビィーは正面で短槍を回転させていたが、ビシリと音を立て、右サイドで停止させた。
「ぐッ!」
ディノスの右目に激痛が走る。
ビシリと音が立ったのは短槍からではない。ビィーが左手親指で銀粒を弾いた音だ。
いわゆる指弾。
ハデな短槍演舞は視線誘導。本命は、指弾による遠距離攻撃。
狙いは違わず、ディノスの片目に命中。目が潰れたか否かは不明だが、片方の視力を奪ったのは事実。目を手で押さえなかったのと、残った目を閉じなかったのはさすがである。
ビィーは思い切り踏み込んで、短槍を繰り出した。
ディノスは短槍の予想軌道から体をそらしつつ、抜刀シークエンスに入る。
抜刀のため体が動こうとしたら、腕に衝撃が来た。
体勢が崩れる。
短槍がディノスの右腕に突き刺さっている。穂先が反対側に抜けていた。
ビィーは槍を突き出す途中の姿勢で投擲したのだ。
数学的意味での直線軌道を辿った短槍は、ディノスの右腕中央を正確に貫いていた。
片目故、距離感が掴めなかったのだ。
「なんと!」
利き腕を封じられ、ディノスは絶句した。
ディノスが膝を付く前に、ビィーに腰の刀を抜き盗られた
その動き、川の水の様に流れる様。
……美しい……。
自分が求める物がここにあった。
ビィーはそのまま、成り行きを見ていた騎士達に詰め寄る。
反応の遅れた騎士も、充分警戒した騎士も、一瞬である。一方的である。
ビィーとすれ違うやいなや、血を吹き出して倒れていった。
全くの無表情で振り返るビィー。返り血がべっとりと顔にかかっていた。
白い顔に赤のコントラストが艶やかだった。
「計算だと、下に44人いるはずだな?」
「ひいぃぃぃいー!」
命を長らえたはずのアンビスが、悲鳴を上げたのだった。
次話「未来」
第一章の最終回です。