8.商売
「え? 本国まで撤退しちゃった?」
「はい、コア帝国が一日でケリつけちゃったもんで、ゼクリオンは態勢を整えるため大幅に後退しました。きっとアーロ要塞まで下がってますよ」
ここは薬屋ギルドを兼ねる大手薬問屋。
フレイと、問屋マネージャーとの会話である。
「で、では、傷薬は……」
「買い取りますよ。前回と同じお値段でね。あ、ただし大量には買えませんよ。あまり需要はありませんからね」
フレイは下唇を噛みしめていた。唇の下に筋が縦に四本入っていた。そんな感じのまま振り返る。
ビィーは、生命力、並びに免疫力の大規模低下を観測した。
「フレイ、顔が真っ青だぞ」
ビィーがフレイの体調を心配した。それくらい、フレイの様子がおかしかった。
半時間後。
フレイとビィーは、飯屋のテーブルについていた。
ロバは薬屋に預けてある。
何の変哲もない、いつも通りの量と銀貨を交換したフレイ。取引総額としては低い部類だった。駆け出しの頃を思い出させる額だった。
後に残ったのは多額の借金と、売れ残りの傷薬がロバ一匹の背中分。
「10年は仕入れしなくてすみそうだな……」
こういう場合、とにかく頭を冷やさなければならない。腹に物を入れねば頭は働かない。
師匠からの教えを経験で裏付けできているフレイである。
フレイは壁に掛けられているメニュー札を、力のない目で眺めている。
「起死回生の方法は有るには有るが……。まずはロバを売って金に換えて……」
虚ろな目をしながら、なにやらブツブツと呟いていた。
「ご注文は?」
眠そうな目をしたおばさんが、注文を取りに来た。
「あー、俺は堅い方のパンと、温かいスープを」
商売口調の一人称「私」をかなぐり捨てて、地の一人称である「俺」を使い出した。全くの無防備状態である。
注文したのはこの店で一番の安物だ。おばさんの機嫌が悪くなる。
「お嬢ちゃんは?」
全く愛想のかけらも無く、ビィーに注文を促した。
ビィーはメニュー札を真剣に見つめていた。
決めかねているのだ。これは時間が掛かりそうだ。
「あ、後で注文するよ。水だけ出しといて……」
おばちゃんは返事をすることなく奥へ引っ込んだ。
フレイの瞼が重そうだ。
徹夜で山道を歩いた上に、早朝から精神的ダメージで大興奮。
温かい店の中で腰を下ろして……睡魔が襲ってきた。
「ビィーちゃん、適当に選んどいて……」
瞼の重さに耐えられなくなったのだろう。フレイは、船を漕ぎ出している。
「はっ!」
フレイは、奴隷船で艪を漕いでいる夢を見て、思い切り目覚めてしまった。
料理は届けられていた。黒くて小さなパンと、菜っ葉クズが浮いた、透明感溢れるスープだった。木のスプーンでスープをすくう。
スープはすっかり冷えていた。
あれからどのくらい寝てしまったのだろうか?
テーブルの上に皿が沢山乗っていた。
「へいお待ち! 鶉の塩蒸しです」
「え? なにごと?」
大変機嫌の良いおばちゃんが、皿を持って来た。
「ビィー……さん?」
もしやと思って対面に座るビィーに視線を向ける。
視線が上へと移動する途中で、大量の汚れた食器が目に入る。
ざっと20皿ほどか……。
ビィーはムシャムシャと料理を食っていた。
「起きたか? なかなか起きなかったので、心配したぞ。料理も今ので一巡したしな。次に何を頼もうかと心配していた所だ」
「は?」
何を言ってるのかサッパリ解らなかった。
「お客さん、商売で大もうけしたんですってね!」
料理を持って来たおばさんが、少女の様に笑っていた。金を持った上得意様にだけ向ける、特別の笑顔である。この笑顔を見たいがために通い詰める客がいると、噂の笑顔である。
「いや、え? え?」
フレイが状況を判断している短い間に、ビィーはこの店で一番高い鳥料理を飲み込み終わったのであった。
「いや、お前、せめて咀嚼しろよ!」
「よし、方針は決まった! 決心もあっさりついた!」
店を出て、空を見て、フレイは憑きものが落ちた様な、爽やかな笑顔を顔に貼り付けていた。
ビィーも後から店を出た。
お店の従業員全員が、外までお見送りに出てくれた。
心も軽い。財布も軽い。
「さて、ビィーちゃんの就職活動に入ろうか?」
「よろしく頼む」
「日を置かず、コア帝国が進出してくるだろうからな……、まずは薬屋ギルドで紹介状を書いてもらわなきゃね……」
フレイはビィーを連れて、繁華街の方へと歩き出した。
「背は高めですが、ご覧の通り美人です。故あって出自は明かせませんが、武家の出。教養も有りますし、病気一つしたこともない丈夫な体。そして……」
フレイはそこで言葉を切って、商売上、悪いこと考えている設定の作り笑顔を顔に貼り付けた。
「処女です」
「よし買った!」
娼館の親父が欲にまみれた笑顔を浮かべ、威勢良く売買条件成立を宣言した。
ここは色町。
何軒か並ぶ娼館の中で一番大きな館「麗鈴館」での会見であった。
次話「娼館」