4.フレイ
BBK106.JPは、頭から暗い激流へ飛び込んだ。
流れに逆らわず、障害物だけに注意を払い、流れの淀む場所を探した。
彼女には暗視能力が備わっている。この程度の闇なら、なんとかなる。
水中に潜るため、呼吸を停止する。自動的にサブ・ジェネレーターからメイン・ジェネレーターへと切り替わる。
”メイン・ジェネレーター、アイドリング中。終了時期未定”
エネルギー源がアンノウンだが、出力はこちらの方が高い。上限値が設定されていないので、最高出力は不明である。
アイドリング中で、サブ出力の3.5倍が計測された。
水温は低い。
柔らかくなった体表が、水温を曖昧なデーターとして送ってくる。
改装されたとおぼしき体は、やたらと外の情報を拾ってくる。改装前の温度測定器官は、たった4カ所だったのに。
激流に揉まれている最中だが、BBK106.JPは、身の安全を確認した。
いつまで続くか解らないこの時間内に、装備の確認をはじめた。
GPSの電波は拾えない。
インストールされているアプリケーションはすべて有効。
スタンフィストもそのまま使用可能。各部位の駆動出力値も変化無し。
追加・変更された機能は――、
二つの動力源。推測するに、サブは、燃料電池の発展改良型らしいが、メインの方が解析できない。
新型らしいが、カタログデーターが掲載されていない。実際に使ってみたところ、超高出力型のようだ。それ以外のスペックは解らない。最高出力も未知数だ。
メイン・ジェネレーターの系譜に、モーフィングパワーという謎のスペックが追加されている。現時点で起動準備中のシグナルが出ていた。
解析は後回しとする。
15分ばかり流されただろうか。足の裏が川底に付いた。BBK106.JPは、ようやく浅瀬を見つけたのだ。
”システム、サブへ切り替え”
システムを酸化エネルギーに変え、水の中から顔を出す。
大気中に無限に存在する酸素を使うこのシステムは、エネルギー切れの心配がない。
換装前と比較して、1.3倍の出力値だ。
岸に、光点確認。ランタンが放つ光の様だ。
持ち主をサーチする。
――戦闘能力、低の下。武器携帯せず――
判定、脅威とならない民間人。そこまで解った。
「おい、流されたのか? つーか、何で裸?」
まだ若い……二十を幾つか過ぎただけの、若い男の声であった。
ハダカ――裸――。
複数の意味がある単語だ。
所持品が無い事。……ハンドガンを持っているのでこれは違う。
覆がなく、剥き出しであること。……状況に近しいが、幾ばくかの齟齬を感じる。
身に衣類を着けていないこと。また、そのからだ。……状況を鑑みて、この意味で正解だろう。
BBK106.JPは一瞬で「裸」の意味を検索し、その正しい用法ならびに意味を把握した。
そして、対象者を観察する。
――こいつも全裸だった。
川から上がったばかりのBBK106.JPは、腰を落としている。
彼女の眼前に、象の顔面に似た器官がぶらついていた。
特異な人間である事を理解した。
これはここまで。彼女は次の処理に取りかかる。
対象者は音声を使用している。音声によるコンタクトを求めている模様。
対処。音声発生部位起動。
「裸?」
BBK106.JPが初めて声を出した。生まれて初めて喋った言葉が「裸」だ。割と可愛い声だった。
「裸なのは、あなたも同じ」
レイピアの様に尖った声だった。まとめると可愛い刺突武器の様な声だった。
「いや、俺はいいんだ! ほら、雨だろ? 服濡れるじゃん? 夏で暑いじゃん? だったら裸で良いよね?」
「なるほど」
BBK106.JPは納得した。素直である。
男の股間にぶら下がっている異物が目に入る。
これはなんだろうか? 自分のボディには無いものである。……大事な器官である確率95%。誤差を考慮すると100%に相当する重要器官である模様。
引き千切って中身を確かめてみたいが、それは後にしよう。
暗視モードおよびHDR起動。彼女は目を見開いて、しっかりと記録していた。
そんな彼女に、男は毅然とした態度で優しく声をかけた。
「こんな山の中に女性一人じゃ危ない。どこに変質者がいるかもしれない。僕が町まで送って上げましょう」
変態が変質者を心配していた。
「私はフレイ・ブラウン。薬の行商人だ。君は?」
BBK106.JPに手を差し出す全裸の紳士フレイ。
「わたしの名はBBK106.JP。……無職だ」
彼女は左のアームを出した。右はハンドガンで塞がっているからだ。
「よっ! あ、あれ?」
フレイは、その手応えに動揺した。
重い。
BBK106.JPの自重は300㎏を超えている。一般人が片手で引き上げられる目付じゃない。
ズシャッ!
BBK106.JPが一歩踏み出した。河原の砂に、埋もれる足首。
フレイは手を離し、三歩ばかり下がって、彼女の全身を観察した。
「ふむ、男女関係なく背が高い方だな。筋肉も引き締まってるから、戦士といった所か。上の方が戦場になってるはずだから、そこから来たんだな」
エロイ目で見てない所が紳士である。
「雨はまだ降り止まない。増水の危険性がある。早く水辺から離れよう」
冷静な判断である。
ロバ……ロバである確率90%以上の動物を牽きながら、BBK106.JPを誘った。
「君の名は?」
名前……認証番号で代用とした。
「ビィービィーケェィ106ジャパンプロダクツ」
やっぱ日本製だった。
「びーぃ? びぃー? あ、ビィーさんね。君の名はビィー」
ビィー。
BBK106.JPは名前を得た。
ビィーは大きく目を見開いていた。
闇という光を目が感じる。
表皮に当たる雨粒の一つ一つが判別できる。
複雑な温度変化。これは風によるもの。
川の音。森の匂い。夜。川砂。
世界とは、こういう物の集まりなのだ。
世界の中に自分は存在する。自分という物の存在を初めて認識した。
よってビィーは存在をはじめた。
次に認識したのは疑問。
自分は何なのだ? 何をすればいい?
”生きろ”
発信源不明のメッセージが届いた。
生きろとは、どういう事か?
命令は? 命令は出ないのか?
”自分で自分に命令するんだ。考えろ”
考え……考える?
今までは、命令遂行のために判断を繰り返すだけで、考える事などなかった。
考えるという、この行動は一体何なのだ?
「どうしました? どこか体でも悪いのですか?」
フレイがビィーの顔を覗き込んでいる。
「なにも問題ない」
ビィーは早速考えてみた。
出した答えが「しばらくこの男に付いていこう」である。
……敵対行為に出ても、一撃で殺せる。殺した後に謎の器官を引き千切って解析してもよい。
なんら問題はない。
ビィーは前を向いて歩き出す。
次話「神ヲ狩ル狼」