3.顕現
剣と剣の交わる音が少なくなってきた。鎧が立てる音も、より遠くから聞こえる様になった。
戦はコア帝国の勝利で終わろうとしていた。
ゼクリオン侯国軍の左翼が崩れてしばらく。
敗走が始まったようだ。
コア帝国は、とどめに虎の子・レッサードラゴンの部隊を大量投入した。
このドラゴンは翼を持たない。代わりに真っ赤で巨大な体を持っていた。
大型の魔獣が大挙して戦場へ現れた。
この事により、ゼクリオン軍は総崩れとなった。
夜になり、落ち武者狩りが始まった。
馬に乗った正騎士と、徒士の従者を組み合わせたグループが、いくつも出発していった。
夕方から降り出した雨は、日が暮れるタイミングに合わせ、桶をひっくり返したような大雨となった。
この雨が、落ちる戦士にとって幸となったか負となったか。
闇と雨音の助けを借りて、危険地帯を脱した者もおれば、闇に方向感覚を奪われ、雨に体温を奪われ、敵の刃を待たず倒れてしまう者。
戦後の調べでは、圧倒的に前者が多かった。後年、決められた敗走だと、言われる所以となる。
コア帝国の騎士達は、いくらかの小さな集団で戦場を巡回していた。
「暑い」
季節は夏。
帝国客分武将扱いの剣士、ヴァシリス・ペッツは、夏を呪った。たぎる血が体感温度を上げさせている。
二十を少し過ぎた頃。上半身の肉が盛り上がった精悍な体つき。髪が燃える様に赤い。
彼が今受け持っている仕事は、自慢の豪刀で傷ついた戦士を楽にしてあげる作業である。
彼の剣技の特徴は、刀の重さを利用した一刀両断の剣。
死を厭わぬ性格を取得したヴァシリスにとって、楽すぎる単純作業であった。だが、逆に面白みを感じることができす、つまらなく思えてきたところだった。
今回の戦場でも、満足のいく相手と巡り会えなかった。
大将首をいくつか上げたが、血湧き肉躍る対決とはほど遠かった。
「むしろ、ゼクリオン側につくべきだったか」
不遜な発言は小声だった。その辺りのわきまえは知っているつもりだ。
味方の魔獣使いが、巨大なレッサードラゴンを使っている。この魔獣は、闇夜でも目が利き、嵐の中でも鼻が利く。
人の位置を探り当てるのが魔獣の仕事。
探り当てた人の正体を判断するのが、コア帝国正騎士3人の仕事。敵と判断した者に止めを刺すのがヴァシリスの仕事。分業である。
時刻は深夜を回っているはずだ。相変わらずの雨が止まない。むしろ激しくなってきた。 すぐそこは張り出した崖っぷち。下は山より下る川。おりからの雨で水かさも増えていよう。落ちれば命はない。
おまけに雷まで鳴り出した。
金属を多く装備している騎士や剣士にとって、雷は天敵である。
「この先に道はない。そろそろ、引き上げようか?」
リーダー格の騎士が、引き上げを命じようとした。
朝から戦いずくめ、走りずくめである。みんな疲れていた。
ヴァシリスも握力が心配になっていたところだ。頃合いであろう。
ほっと気を抜いた。
その時、馬鹿でかい雷が、すぐ側の木に落ちた。
レッサードラゴンとその魔獣使い2名。正騎士5名。ヴァシリスと合わせて8名と1頭が、肝を冷やした。
魔獣使いは2名掛かりでレッサードラゴンの興奮を抑えている。
正騎士は腰を地に付けていた。重い鎧のため、立ち上がるのが大変だ。
ヴァシリスは軽装のため、一番早く立ち上がっていた。そして、剣を中段に構えた。
落雷し、炎上している木の向こうに何かいる。
白い何かが、まっすぐ立っていた。
近距離の落雷であったが、体の芯がぶれていない。そして一切の気配を感じ取ることが出来ない。
――できる――。
味方だったら声をかけてくるはず。
ヴァシリスは自分の残り体力が心配だった。
「魔獣使い! 木の向こうに落ち武者がいる。ドラゴンをけしかけろ!」
ヴァシリスが魔獣使いに声をかける。魔獣を押さえ切れていない魔獣使いは、一も二もなく応じた。
「グギャーアァァァス!」
雷に劣るとは思えない咆吼を上げるレッサードラゴン。
体高約15メットル。人間なら一飲みにしてしまえる巨大な顎。
大きく口を広げ、謎の人物へ向けダッシュした。
謎の人物は背を崖にしている。
前から魔獣。後ろは崖。逃れる道は無い。
その時、落雷を受けた木が炎を吹き上げた。隠れていた人の姿が浮かび上がる。
白い色。金属質の髪が長い。
「裸の女?」
ヴァシリスが目を細めた。
BBK106.JPは起動不良を起こしていた。
高圧放電現象の真ん中にいたが、それが原因ではない。
サブ・エネルギー炉が、酸素変換式に変わっていた。その炉心が起動した。
起動と同時に流れ込んできた情報が過剰につき、処理が追いつかなかったのだ。
おもな情報源は、体表面によるもの。表面への加圧情報が大量に流れ込んできた。
処理の全てを専用サブが受け持っていたが、そこから上がってくる処理済み情報だけでメイン処理がビジー状態となった。
現在位置情報不明。後方は崖。前方に質量体――これは生物だ。
こちらに向かってくる。危険物体。
視覚による情報は、危険物体を「恐竜の一種」と認識した。第二情報として「ティラノサウルスに極似」ときた。
巨大な頭部。大きく開けた口は、BBK106.JPの半身なら飲み込んでしまいそうだ。
ビジー状態になっていたのは一瞬だったのだが、その僅かな時間が危機をもたらした。
ゾロリと牙が生えた口顎に、BBK106.JPの上半身が咥えられようとしている正にその最中であった。
敵意有りと判断。攻撃対象と判断。
ハンドガンの銃口を口中へ照準する向ける動作と、柔くなった装甲値の確認作業を並列処理した。
バーストモードで連射。
足を下あごにかけ、片手で上あごを押さえる。これは、切断や刺突兵器に弱そうな装備となった装甲を庇う行為。
ハンドガンは、数秒で2桁の弾丸を吐き出した。
BBK106.JPに対し敵対行為に出た恐竜の一種は、脳幹部分と推定される箇所を打ち抜かれ、のけぞった。
反作用として、咥えられていた格好のBBK106.JPは、上方向へ放り投げられる。
まだ、ハンドガンを敵性生物頭部へポイントしていた。しかし、敵性生物の戦闘力消失を認識。戦闘行為の中断を判断。
次の処理中案件へ移る。
現在、BBK106.JPは放物線を描いて落下中。姿勢を制御し、両足から着地。
長剣を肩に抱いた剣士が迫る。
殺意。敵だ。
左前より、裂帛の気合いと共に斬りかかられる。
距離と速度を正確に計測。左手を刀身に添え、軌道をそらす。体を入れ替え、ハンドガンの銃口を敵のこめかみに当てる。
引き金を引いた。
弾がでない。ジャムった模様。
選択肢は二つ。戦うか逃走するか。
状況は、不明なことばかり。
BBK106.JPは逃走を選択。
剣を持った敵に背を向け走る。勢いを付けて崖より飛び降りた。
崖下は川。流れは激流。落下による衝撃が機体に及ぼす影響は軽微。と、判断。
三つ目の処理中案件へと移る。
敵性生物が所属する可能性の高い集団への今後の対策。
BBK106.JPに注意を払っているが、その装備に遠距離用は無い。近距離用の装備のみに付き、危険度は低い。
このまま落下し、川を利用して戦闘現場より離脱するのがベターと判断。
敵性人間の姿形を記憶……記録しつつ、予想通りの軌道を描いて、崖下へと落下していった。
時系列は少しだけ戻る。
ヴァシリスは不思議な出来事を目撃していた。
レッサードラゴンとは言え、5~6トソの巨大生物。彼も自分の腕前を高評価していたが、単騎で狩ってみたいと思える相手じゃない。
それをあの女は瞬殺してみせた。
十代後半に見える。まだ少女と言っていい女だ。
ヴァシリスの記憶が正しければ、あの女は手にL字型の金属を持っていただけだ。
「武器には思えないが……。傷は弓矢によるもの。あるいは槍による刺突」
後頭部が穴だらけになっていた。見れば解る。口腔内より穿たれたものだ。
あの短時間で二桁の矢は放てない。槍なんか持ってなかった。得物が解らない。
気になる! いや惹かれる!
白い女は、顎から抜けだし、地に降りようとしている。
……着地に隙ができる。
ヴァシリスは、長剣を肩に担ぎ、走りながら気合いを高めていった。
女の左に位置取った。
白い女の着地、ヴァシリスの間合い、最高の気合い。三つが揃った。
「でぇええい!」
ヴァシリスは裂帛の気合いと共に、剣を振り下ろした。容赦はしない。狙いは女の左側頭部。
為す術も無くザックリ行くはずだった。
女の左手が、刀身に当てられていた。
渾身の力を込め、振り下ろしていくが、女の左手にも力が入る。
太刀筋が変えられた。空振りだ。
額に冷たい金属が当てられた。女が持つ武器だ。
ヴァシリスの頭には、負けという単語だけが浮かんでいた。
女は武器を作動させる。
ガキッ!
時化た音がしただけで、何もおこらなかった。
武器の動作に不具合が生じた様だ。
女は、後方へ下がり、崖に向かって躊躇することなく跳躍した。
宙を飛ぶ女の目は死んでいない。
恐怖を宿す目ではない。狼狽えた目でもない。殺気すら宿っていない。
冷静に周囲を探り、これから何をするべきかを探している目だ。
俺は、あんな目を持っていない!
白い女は、崖の向こうに消えた。
激しい流れの川に落ちたのだ。
雨で増水した谷川だ。おまけに明かりは一つもない。
普通、助からないだろう。
だが、ヴァシリスは、その女が助かると思っている。
流れを泳ぎきって、流れの緩やかな場所に顔を出す。傷一つ体についていない。そんな絵がありありと脳裏に浮かぶ。
負けた。
もう一度、その言葉が頭に浮かぶ。
女の使った技を知っている。
ギオウ流奥義・真剣白刃取り。
振り下ろされた剣を手のひらで包み込む様にして受け止める技。
曰く、道場剣道の奥義。
曰く、心身の鍛錬だけを目的とした技。
曰く、成長を推し量るだけの物差し技。
普通は体を動かして避ける。こっちの方が簡単だ。
この奥義を使えるという事は、相手の太刀筋を見切れるという意味。……だけに過ぎない。
屋内の小難しい技に過ぎない。
それを実戦で使う者がいる。
攻撃に繋げる連携技に昇華させた達人がいる。
負けた。
今ここでこの様に、白い女の技量を確認できるのも、生きているからこそ。
それも、女の武器が壊れたためによる幸運で生かされている、ということ。
悔しい。
立ちすくむヴァシリスに声がかけられた。
魔獣使い達から、苦しがるレッサードラゴンにとどめを刺してくれと懇願されているのだ。
正騎士達は、……情けない事に、まだ立ち上がれないでいた。
「そこをどけ!」
出ないと思った声が出てくれた。
動かないと思った足が動いてくれた。
剣を持った腕が上がってくれた。
ありがたい。まだ戦えると体が言ってくれている。
こんな自分に連れ従ってくれる豪剣を大上段に構える。
ギオウ流奥義、一之太刀の構え。
あの女は自分の太刀筋を見切れていた。この暗闇で見切れていた。
目で追っていたとは思えない
「心眼?」
あり得ないと無視し続け、架空と位置づけてきた気構え。
目で追ってはいけない。目を閉じて、気配だけで……。
人生一番の闘気を吐き出して、太い頸椎を両断した。
レッサードラゴンはそれきり動かなくなってくれた。
さすがだと魔獣使いに褒められる。
しかし、ドラゴンの切断面を見つめている彼の顔色が悪い。真っ青だ。
ヴァシリスは、目を開けて剣を振り下ろしていたのだった。
屈辱!
恋慕の情に似た闘争心が、ふつふつと湧き上がってくる。
なぜか心地よいものだった。
「もう一度、相まみえん!」
崖の向こうの闇を見つめたままのヴァシリス。不必要なまでにでかい愛刀をゆっくりとゆっくりと鞘に収めていく。
雨が降り続けている夜の出来事であった。
次話「フレイ」
変態登場です。